32.ここは東の果ての果て
― あれ、クリスマスツリーだよね?
― 八咫鏡を飾った賢木を表しています。賢木は現代のツバキ科の常緑樹の榊の他に、神性を持つとされた常緑樹全般を指します
― ゲームに入ったら猫になって夜のクリスマスツリーの前に居たんですけど
― ただいまメンテナンス中です。猫になってのんびりおくつろぎ下さい。終了は夕方6時を予定しています。メンテナンスが終わると夜が明けますのでログインし直してください。
― 誰が誰やら分からないんですが
― 仮面舞踏会をお楽しみください。なお、サイトアドレスを知っていれば部外者も参加可能です。
チャットルームの運営の返答通り、純和風要素はもはやどこにもないVRMMO。
現在メンテナンス中。町にもダンジョンにも入れず、仮設されたしんしんと雪の降る夜の雪原だけが存在する。
そこで漫画的な二足歩行の猫たちが、思い思いに過ごしている。
喋り声は自動調整により、いわゆるケロケロボイスである。
見た目では誰が誰やら分からないため、仮面舞踏会の様相である。
「クリぼっち乙」
「お前もな」
ケロケロボイスで辛辣なコバルトブルー猫とライムイエロー猫。
青猫で金色のフワフワのついた赤い三角の帽子がケイ。サンタさんの髭と帽子を着けた黄色猫がジオである。
普通なら相手が誰だか分からないのだが、先程、ちょっとした会話でお互いに気付いてしまった二人である。
二人は中心部から少し離れたかまくらに設置されたコタツに潜り込んでいた。
暇なのである。
「あれ、クリスマスツリーだよな」
「八咫鏡を飾った賢木だよ」
メンテナンス中。しんしんと雪の降る夜の中、飾り立てられた木が立っている。
ベータテスターの専用チャット部屋でクリスマスツリークリスマスツリー言われてるので見に行ったらクリスマスツリーである。
辛うじて真ん中にでっかい丸い銀色の板があるので八咫鏡と言い張っている。
しかし吊るされた色とりどりの勾玉もオーナメント気取りである、どう頑張っても古代東洋風ではない。
プレイヤーの猫が記念撮影している。
ベータ版なので画像の公開はできないが、記念である。
「そもそもクリスマスツリーも本来キリスト教の行事じゃないからな」
「マジで!?」
「前もチラッと言っただろ。色んな宗教が常緑樹に神性を見出して冬至とかのお祭りに使ったって。
キリスト教に導入されたのは、何か15世紀頃にドイツ辺りで地元の行事と習合したっぽいんだとさ」
「じゃあ日本の常緑樹信仰はクリスマスツリー?」
「門松?」
「でもあれ正月じゃん。冬至関係ないじゃん」
「一応正月事始めは旧暦12月13日で松迎えもその日なんだが」
「正月事始めとか聞いた事ないんだけど」
「まぁ俺も大掃除はその辺にするけど松迎えはやったことないな。そもそも新暦旧暦でずれるし」
「しかしクリスマスツリー全否定か。冒涜的な」
「別にクリスマスツリーもキリスト教も否定する気はさらさら無いけど、俺はクトゥルフ神話TRPGなら基本の正気が低い方なんだろうな」
「ああ、たしかに日本人ならクトゥルフ焼いて食えるとか言われてるよね。
クトゥルフしか知らないでそういうイキり方する奴の近所に宇宙からの色を放り込んで放射能パニックが起きるの見てみたいけど」
「お前、何で日本神話以外はそこそこ分かるんだよ」
「日本神話なんか難しい印象あった。メジャーな神様以外あんま話聞かないし。何て調べたらいいかよくわかんないし。調べても出てくるの断片的だし。神話関係の名前一覧にフェモラーオオモトハブシみたいな名前いっぱいあるし」
「フェモラータオオモモブトハムシな。……今ので言いたいことが大体分かったから困る」
つまり、日本神話を調べようとすると情報ソースが複数あってどれを調べたらいいか分からない上に分かるようで分からない長い名前がいっぱい出てくる。
ところでフェモラータオオモモブトハムシは近年日本に定着しつつある外来の甲虫である。古事記、日本書紀には出てこない。生態系に与える影響は未知数であるが定着域を広げており、マメ科の農作物に深刻な被害を与えることが懸念されている。冬、膨らんでいる葛の枝があったらこの幼虫が越冬していることが多く、黒い繭っぽい中にカブトムシの幼虫みたいなのが入っている。ちなみに加熱するとおいしく食べられる事で一部界隈で有名。
「日本神話は古事記であらすじ把握したら日本書紀と風土記その他で細かいネタを調べられるっていう、文献さえ読めればかなり調べやすい構成なんだけどな。名前も大体は現代でも分かるし、長いけど」
「ギリシャ神話も神様いっぱい出てくるけど……そういえばクトゥルフではギリシャやエジプトの神様もやばい神様扱いなんだっけ?」
「クトゥルフはキリスト教以外の神は基本的に全部やばい神扱いだぞ。事情によって味方してくれたりするけど」
「でも神話とか見る限り、確かに大体やばいな」
青い猫がみかんを丸ごと口に入れ、みかんジュースの味を楽しむ。
このVR空間、皮を剥くような細かい仕様が付いていないのである。
「そーいえば結局、何でギリシャ神話と日本神話って似てるとこあるんだろうな。
伝聞で日本まで来たって言えばその通りなんだろうけどさ」
「……まぁ伝聞で日本まで来たが正解だろうけど、昔作ったオカルト話でよければ語るぞ」
「昔作ったってどゆこと??」
「この前言った神話調べてた理由なんだけど、ぼくのかんがえたさいきょうにまことしやかなトンデモオカルトネタをこじつけてバトるのが部活で流行ってな」
「……創作オカルトか、マンガ研究部か何か?」
「似たようなもん」
「楽しそう」
チャット化しているゲームのこたつでクリスマスに猫二匹、とんでもオカルトの話が始まる。
「古代にギリシャとかあの辺あたりの知識階級、神殿の神官とかが日本に来て、日本神話や文化の構築にものすごい寄与したんじゃないかって説。
日本のルーツが古代メソポタミア辺りみたいな説は大正時代とかにはもうあったんで割と手垢がついたネタだったりする」
「おー、トンデモっぽい。そりゃまた何で?」
「一つは豊玉姫の話」
「いきなり豊玉姫の話が分かんないんだけど」
「古事記によると、地上に降りた天皇家の御先祖様の神様が瓊瓊杵尊。その息子の一人は無くした釣り針を探しに海に出て、海の神の娘に会って結婚する。
彼女は出産のために陸の産屋に来るんだが、もとの姿である鮫に戻った所を見られて海に帰ってしまう」
「え? 天皇家って鮫なの?!」
「そっち!?」
「あ、ごめん続けて」
「これは鮫の胎盤構造に関する知識が無いとなかなか出てこない話だ。
これに関しては紀元前4世紀、ギリシャのアリストテレスの動物誌が最古とされている。
一応海辺で暮らす人たちが鮫の解体中に得た知識って線もなくはないけど、神話に取り入れるほど体系的な知識になってたとも思えない。
古代にわざわざ遠方から伝聞で伝える知識でもなさそうな気がするんだ。鮫の出産方法」
「なるほどね、知識階級が来たってそういう事か」
「まぁ異類婚姻譚はあっちこっちにあるから、あんまり強い根拠じゃないな。常陸国風土記のヌカヒメの子とか。西洋だけどメリュジーヌとか正体見られて出て行っちゃうとこまでそっくりなエピソードあるし。
そしてこっちも微妙な根拠だけど天津罪の生剥逆剥。
古事記が編纂された頃、すでに仏教が来ててちょくちょく肉食禁止令とかが出されてるからこんがらがるけどさ。
よく考えたらその前、天津罪が作られた時代はおそらく普通に肉食してたわけだ。
これ、屠殺時の注意なんじゃないかと思う。
手負いの家畜が暴れて怪我するとか、解体手順ミスって汚損するとか。それを注意したかったんじゃないかとか」
串刺も日本書紀の一説では土地の不当な占拠という説が書かれているが、家畜殺傷のタブーという説も一応ある。
「現代でも銃弾で腹が損傷したらジビエに使えないって聞くし、串刺しが汚損しやすい殺し方だったんじゃないかな。天津罪が公衆に対する罪っていう説があるんで共有財産を無駄にするのを防ぎたかったんじゃないかとか」
「そう考えると思ったよりシンプルな理由のタブーだな」
「それを注意できる人ってそれなりに屠殺の経験のある人だと思うんだ。遊牧民とか動物を屠殺する習慣がある他の人達の可能性も十分ありうるけど。仮にギリシャから来たなら、神殿の神官」
「まぁ確かに知識階級で動物を捧げる儀式もできそう」
「アポロンがやった生き剥ぎ逆剥ぎそのまんまの処置と関係してるかは不明」
「思ってたより凄惨だなギリシャの神様」
「シルクロードはかなり昔からあったっぽい。
例えばアテネの辺りから星を頼りに真っすぐ東を目指すと、黒海の南を通ってカスピ海の南岸を沿うように迂回して東に向かうとトルキスタンと呼ばれてた辺り。
あの辺の山脈の間を縫うように走る山道を通って、チベットの辺りパミール高原を横切ってタクラマカン砂漠ゴビ砂漠を横断し、中国に入って今の天津の近くに出るはず。古代日本が大陸との交易に使ってたとされるルートの一つのすぐ近く。
北極星で緯度を測るやり方はかなり大昔からある。知識と簡単な装置でできるし、精度は落ちるけど身体尺とか使って古代でもできるはず」
「そっか、GPS無い時代だと緯度を合わせて真っすぐ東西に動くのが一番確実なのか」
「そして中国は紀元前8世紀ごろは春秋戦国時代、群雄割拠して争う中で各国が富国強兵を目指した。そのためには自然現象に対する、より精度の高い知識が必要だった。
どうもその辺から薬草学や数学、天文学、政治学、弁論・修辞学など。諸子百家。要するに古代ギリシャの自然哲学みたいなのが発達したらしい。
道教が無かった時代は道士じゃなくて方士っていうらしいんだけど、薬草学、数学、天文学……。洋の東西を問わず知識人の専売特許だろ?
更に、中国では紀元前千年ごろから表意文字を使い始めて、紀元前500年頃の戦国時代に独自発達していき、紀元前200年頃には始皇帝によって漢字の規格が決まる。
極論、この頃なら漢字さえ覚えて相応の知識を披露できれば「西の方から来た道士です」って言い張れたはずだ」
「おお、なるほど」
「ただ、普通は神官って、極東まで旅しないと思うんだよ。知識持ってたならそれなりの立場の人だろうし。
ギリシャ辺りの神官が国を出る理由。素人が思いつく限りではアレクサンドロス大王についてった紀元前4世紀頃とか、紀元前2世紀頃にローマに征服された時とか。4世紀頃、ギリシャの国教がキリスト教になった時とかぐらいだけど。
来たとしたらいつ何しに日本まで来たかは分からない」
「当時のギリシャローマの知識持って日本に来たら知識チートだから案外すぐ分かるんじゃね?」
「日本書紀に西暦で言う600年頃に「百済の人が養蜂しようとしたけど上手くいかなかった」みたいな事が書いてあるから、気候とかの都合で上手くいかない事もあっただろうとは思うけど、まぁ当時の日本よりは進んでただろうね、古代ギリシャローマ。
そのチート知識が日本で重宝されて、その人から聞いた話が神話に影響を与えたんじゃないかって感じ」
「そういえばあちこちの創世神話が又聞きみたいに薄っすら混ざってるっぽいんだったか」
「正直ギリシャ神話と一緒にエジプトとかメソポタミアとかインド神話辺りも混じってる気がする」
「広いわ」
「そうなんだけど、あの時代のあの辺は多神教がいっぱいあってシュメール神話とかウガリット神話とかヒッタイト神話とかごちゃっと集まってるらしいんだ。どっからどこまで何神話なのか俺よく知らない。
その辺の詳しい分類は専門家に任せるとして、現代の地名で言うとインドからシリア、トルコ、ギリシャ辺りを含んでエジプト辺りまで、ちょくちょく似てるエピソードがある。
なんでも紀元前1500年頃には中央アジアの辺り出身でインドの北からヨーロッパ方面までうろうろしてた多神教で馬に乗っててインドヨーロッパ祖語を話してたアーリアって集団があったらしいんだ。
リグ・ウェーダとかもこの集団と言われている」
「アーリアって聞いた事あるような」
「ナチスがこの名前で適当吹いたのとインドの差別社会の元凶こいつらじゃね?みたいな話があって色々アレらしい。
とにかく、この集団のせいかは分からないけど、この一帯ではどっかから伝わった神話がローカライズされたっぽいのがいくつかある」
「知らん神話がいっぱい出て来たけど中国インドギリシャエジプト以外は大体メソポタミア神話って事で大丈夫?」
「俺もよく知らんけど一応解説しとくと、シュメール神話は今のイラク南部の辺り、チグリスユーフラテス川の側、文字の無い口頭伝承時代からあって、文字に記録され始めたのは紀元前3000年頃とされている。
創世神話では4柱の神が影響しあって世界を作ったとされている。
この辺は後年のティアマトの死体から世界ができてって話とは違ったりするらしいけど、どの神話がどう繋がってるのか知らないんで割愛」
「つまりそれが大体メソポタミア神話?」
「多分、おおよそ? エンキとかアヌとか神様の名前一緒なのあるし」
「前々から思ってたけどエンキってエンキドゥと関係あったりするの?」
「知らん。ただエンキドゥはエンキが由来だとはされてるっぽい?
詳細は専門家に任せるとして適当な事言うと、インド神話に閻魔大王ヤマの部下に当たるヤマドゥタって存在が居るらしいんだ。そういう眷族的な語源がどっかにあるのかもね」
「へー」
「ウガリット神話は今のシリア辺りに広がってたっぽい。あんま詳しくないんだけどバアルっていう神様かその知り合いが悪い神と戦うみたいな話が多い気がする。
ヒッタイト神話は今のトルコの辺りに紀元前1500年ごろにあった神話。
豊穣神が行方不明になって作物が枯れるっていうデメテルの神話に似た話とか。ギリシャ神話のウラノスクロノスゼウスの簒奪に似た神話もあるっぽい。
エジプト神話でも断片的にギリシャ神話に似た要素があったりするから、エジプトオリジナルの神話に後で乗っかったのか、どっちかがどっちかに影響されたのか。エジプトの場合は神話を書き残したギリシャのヘロドトスの影響かもしれないけど。
この辺の神話群はお互いに共通してる話があったりなかったりする」
「それは混乱する……何かそれ全部載せると某サイバーパンク小説みたいになってくるな」
「ニンジャが世界を支配してたかは知らんけどそんな感じのフィクションだと思ってくれ。
ギリシャ神話に話を戻すと、神統記にあるギリシャの神々が古い神達と戦った伝説、ティタノマキアやギガントマキアって、ギリシャの各神殿の神様のキャラがある程度確立した後の時代にできたものだと思うんだけど、どういうポジションだったのか分かんなくてさ。
ギリシャ神話の前の時代からある各神殿のつながりを表す共通認識だったのか、それとも「何かうちの神様も出てるお祭り本があるらしい、主役はゼウス」ぐらいの位置取りだったのか」
「それってなんか重要?」
「日本に来た神官さんがその辺重視してたら、別天津神、天津神、国津神の大戦争の話になってそうだなって思ったんだけど、そうじゃないだろ」
「ああなるほど……神官じゃなくて哲学者とか、神話にあんまり詳しくない人だったんじゃない?」
「哲学者はあるかもしんないけど、この時代に神話に無関心って事も少ないと思う。
ポセイドンって地震の神様でもあるんだ。神統記とかにも『ポセイドンが大声で地震を起こす』って描写がある。
これ、素戔嗚が生まれた時の描写の元だと思ったんだ。だから多分この人は神統記かそれに近い神話を知ってる」
「ああ、素戔嗚が最初に騒いで伊邪那岐に追い出されたやつか。海担当だし」
「神官が来たのかもっていうのは、こんな感じで、又聞きにしては妙に細かいキーワードが一致してる気がするんだ。でも大筋は原型が無いほどにバラバラ。
ほぼ完全な形で日本に来て、もともと日本にあった神話と喧嘩しない具合にうまく合わせて再構築したんじゃないかって仮説。
黄泉の国の黄泉戸喫はペルセポネの柘榴。
伊邪那岐伊邪那美の『見てはいけない』はエウリュディケとオルフェウス。
泉津醜女は多分、ハデスの領域に居て明確に女性と明記されてるカコデーモン、悪霊たち。
日本書紀の一説によれば八人居るらしいけど、とりあえずアキリス、エンプーサ、ケール、メリノエ辺りかな? 葡萄や筍を貪り始めるのはリモスの話が混じってるからとか」
「待って、何か知らない奴いっぱい」
「黄泉醜女は逃げる伊邪那岐を追ってきた黄泉の住人。泉津日狭女とも書かれる、解釈は色々だけど、文字通り醜い女、異形の女と解される事が多い」
「醜い女て……今だったら絶対怒られるやつ」
「アキリスは青緑色してて目から血を流してて、ずっと笑ってる。埃が積もってて爪が長いらしい」
「男女美醜以前にホラゲで出てくる敵の造形じゃん!!」
「エンプーサは美人にも変身できるけど、とにかくいろいろ姿を変えるらしい、顔が燃えてるとか足が青白いとか毛むくじゃらとか四つん這いとか。
ケールはカラス天狗みたいな姿で描写をされてる事がある。戦場で致命傷負った人に止めを刺して魂を冥府に送ったら死体を貪るらしい。複数形はケレスらしくてローマ神話と習合したデメテルもケレスって読まれる事あるけど関係は無い。
メリノエは片方の手足は黒、反対側は白、夜に出て来て迷ってる魂を連れに来る。
リモスは飢餓の化身、本人も骨と皮状態なのかな? 憑りつかれた人間の王様が際限なく物を食べ続け、最後自分の指まで食べだしたって話。ひだる神にちょっと似てるかも」
「……そうか……ホラーゲームの敵っぽいやつ、以外の言い方するとなると……そうか……」
「八岐大蛇はパッと見ヒドラっぽいけど、ヒッタイト神話あたりが先で、ギリシャ神話が後で乗っかったって言われた方がしっくりくる」
「ヒッタイト神話知らない」
「ヒッタイト神話の中に、嵐の神がイルルヤンカシュっていう竜みたいな蛇と戦う話が出てくる。
一説によると、女神が嵐の神に助力する。酒宴を開いて蛇を泥酔させる作戦を立てる。その時、人間の男に手伝いを頼むんだ。
人間の男は女神と結婚するのと引き換えに蛇を拘束するのを手伝って、嵐の神は蛇を殺すことに成功する」
「なるほど、八岐大蛇の伝説の元になってるって言われるとそうかも」
「ヒッタイト神話の蛇の話にはもう一つあって、嵐の神は一度蛇に負けて、心臓と目を奪われる。
そこで嵐の神は息子を蛇の一族に近づかせて、体を取り戻させるんだ。
こっちはギリシャ神話のゼウスとテュポーンの戦いの話の一つに似てる」
「テュポーン誰だっけ……」
「ゼウスが神々の戦いに勝った後にガイアかヘラがけしかけて来たっていう巨大怪獣みたいなやつ。
山よりでかいとか目が赤く燃えてる様とか頭いっぱいあるとか、八岐大蛇を彷彿とさせる描写が多い。最終的にタルタロスに放り込まれたからタルタロスの暴風はこいつのせいって説がある。
もう一つはエトナ山の下敷きになってて、こいつが暴れると噴火するって説がある。だからヘファイストスは仕事場をエトナ山にして見張ってるとか
二つが合わさってエトナ山の下にタルタロスがあるみたいな話もあったはず」
「テュポーン、夫婦げんかに投入するにはオーバースペック過ぎませんかね」
「蛇イルルヤンカシュはインド神話のヴリトラとかウガリット神話のヤム・ナハルにも共通点が指摘されてる。
インド神話のヴリトラはインドラっていう雷神に殺される。かなりいろんな説があるんだけど、パドマ・プラーナって文献ではヴリトラはインドラと対立してた……一族? の偉い人?神様? とにかくインドラが騙し討ちのために義兄弟の契りみたいなのを結んで美女の召使たちを紹介する。
ヴリトラはその中のランバーって女の子に一目惚れ、女の子の勧めた酒を飲んで昏倒してる隙に討ち取られる。文献的にはインドラそれマジ大罪みたいな書かれ方してる。
ウガリット神話のヤム・ナハルは神々に圧政を布いていて、それでバアルがヤムの横暴に怒って殺す。
諫めに来た女神にお嫁さんになってくれるなら改めてもいいみたいな事言ったって話もある。雨の神バアルと海と水の神ヤムで地上の覇権を争ってたって話もあるらしい」
「こっちは二つとも蛇の嫁とりなんだ……酒の要素と英雄の嫁とり要素を考えるとヒッタイト神話が八岐大蛇に一番近い??」
「ただウガリット神話のバアルとインド神話のインドラは、戦う前に専門の神様に頼んで武器揃えてるらしいんだよね。
雨叢雲剣ってもしかしてそっから来てるんじゃないかと思ったりもする。インドラの武器、雷っぽいらしいし。
どういう経路かは分からないけど、嫁とりと雷系武器と蛇神退治と酒のキーワードが伝わって、「何で追放された素戔嗚が最強武器持ってるの?」とか「武器作ってる暇なくない?」みたいな話になった結果、最強クラスの蛇倒したら最強武器ドロップした話になったとか」
「神器をドロップアイテム言うな」
「あと八岐大蛇には多分ギリシャ神話のクロノスの話も混ざってる。
クロノスが簒奪の予言を恐れて子供たちを生まれた傍から飲み込んでた話は有名だけど、日本書紀の一説には櫛名田比売の両親が娘が生まれた傍から呑まれるって嘆いてるシーンがあるんだ。
日本神話に混ぜる時に混同されたっぽい気がする。何せ文章に記述される前は口頭伝承だろうし」
「結構なカオスだな、その設定だと櫛名田比売0歳児だろ……」
「まぁ日本の神様生まれたそばから成人してたりするから」
こんな日常会話にひょっこり顔を出すのでギリシャの原初神カオスの名は伊達ではない。
「大国主も、アドニスのエピソードが分解されて再構築されたものと考えれば分かる所もある」
「アドニスよく知らない」
「女神アプロディーテの怒りを買った女性が呪われて、実の父親の子を妊娠し、殺されかけたので逃げ、憐れんだ神が彼女をミルラの木に変える。その木が裂けたところから生まれたのがアドニス。
アドニスは赤ん坊でも魅力的で、アプロディーテが魅了された。
アプロディーテはペルセポネにアドニスの養育を頼むんだけど、ペルセポネまで魅了された。
成長したアドニスを誰が引き取るかで揉めてゼウスが裁可を下し、一年の三分の一をアプロディーテ、三分の一をペルセポネ、三分の一を本人の自由にするようにした。
アドニスは自分の自由になる三分の一の時間もアプロディーテと一緒に居る事を選んだ。ペルセポネはこれが気に入らなかった。
ペルセポネはアプロディーテに恋する軍神アレスに告げ口して、アレスは猪に化けてアドニスを突き殺してしまった。その時アドニスが流した血がアネモネになったとされてる。
他の説ではアドニスの血はバラとか他の植物のいわれの事もある。ペルセポネはアドニスの死因に関係なくて諸事情でアプロディーテを恨んでたアポロンやアルテミスが猪をけしかけたって説とかもあるっぽい。
細かい所ではアプロディーテがアドニスに魅了されたのはエロスの矢が掠ったからとかアドニスがペルセポネよりアプロディーテを選んだのはアプロディーテが魅了の腰巻を送ったからとかがある」
「えーと……」
「大国主が最初に兄に殺されたのは、八上姫を娶った事に嫉妬されて猪狩りと称して猪の形の焼けた岩を落されたから。これはそのままアドニスが猪に殺された話から来てるとする。
二回目に死んだのは兄の仕掛けた罠で大木に挟まれて。これが本来は誕生の話で、再誕に変わったと考える。
八上姫が須勢理姫をおそれて木の俣に置いた大国主の子、木俣神。回収できなかった、木から生まれた神話の断片かもしれない。
古事記には大国主が兄達から逃げる時に木の股をくぐらせて根の国に逃がしてくれる神様がいるんだ。そう考えると、何かアドニスの誕生にこだわりがある人だったのかなってのもちょっと思う。
須勢理姫が嫉妬を募らせる描写があるのは、本来アドニスに対するペルセポネだからかも」
「ヘラやアプロディーテじゃないんだ」
「混じってるかもね。既にいろんな要素混じったり分離してたりするっぽいし。
少名毘古那は混じってるとしたら多分アスクレピオス。アスクレピオスはアポロンの子供。創薬虫除け疫病避け、医学はアポロンの専門。そしてアスクレピオスの神殿の治療は湯治と睡眠。
少名毘古那は「突然居なくなった」っていう話だけが残ってるんだけど、知っての通りアスクレピオスは蘇生薬を作ったせいで冥界の秩序を乱すとしてハデスに抗議されてゼウスに殺された。
日本神話では冥王にあたる大国主は他ならぬ蘇生薬に助けられた側。先代冥王の素戔嗚は大国主を認めちゃってる。大国主を生き返らせたのは神産巣日神。
理由が欠けて、居なくなったって話だけが残ったんじゃないかとかね」
「小人っていうのは?」
「アスクレピオスの子供の一人にテレスフォロスっていう小人が居るんだ。小人で造化三神の子供っていう設定はここから来たのかもしれない」
「あー……それだと確かに又聞きで渡ってくるには難しそうだな……」
「ギリシャ神話でアドニスが生還するエピソードはいくつかあるんだけど、アドニスはそもそもメソポタミア神話とかあの辺から来てるって話がある。
アドニスの庭っていって、アドニスの死を悼んで植木鉢に生やした芽をわざと真夏の日差しの下で枯らして嘆くっていう習慣があったらしい。それと似た習慣があったらしいって言われてるのかな? とにかくメソポタミアのドゥムジとかタムズって呼ばれてる存在との関係が考えられてるらしい。
ドゥムジはイナンナ、つまりイシュタルの夫。
イナンナが冥界から戻る時、冥界の番人がついて来て地上に戻る彼女の身代わりを要求される。
家族や家来がイナンナの喪に服していた中、夫のドゥムジは喪服も着ずに玉座でのほほんとしてたんで、イナンナが「身代わりこいつでいいです」って」
「色々ひどい話」
「後にそれを後悔したイナンナの為に、ドゥムジの姉か妹である豊穣神ゲシュティナンナが一年の半分身代わりを務める事でドゥムジは半年戻って来ることになり、地上には四季が訪れるようになった」
「あれ? これペルセポネのエピソード? アドニスって結構ギリシャ神話のベースに近い位置に居たのか?」
「これとは別に、最初にドゥムジが敵対者っぽいのに殺されて……とか、豊穣神のドゥムジにイナンナが嫉妬して……みたいなエピソードとかもあるらしいんだけど、一部が発掘されてなかったり詳細不明らしい。他にもよく知らないけど色々な話があるみたいだ」
「発掘……」
「あの辺の神話は複数の粘土板を合わせてこんな内容だったんじゃないかって解読してる真っ最中らしいから。
誰かが女神とトラブって死んだ結果、地上を飢餓が襲うって話ならウガリット神話のアクハトと女神アナトの話が近いらしい。神様が殺されて地上を飢餓が襲うって話なら同じくウガリット神話のバアルがモートに殺された話に近い。バアルとモートは定期的に復活することになっていて豊作と不作を表しているとされる」
「それは分けるの難しそうだな……」
「ギリシャ神話になってからアドニスが生還するエピソードは知る限り3つ。
一つはアドニスの死に絶望したアプロディーテがペルセポネに頼み込んで、一年の半分だけアドニスを冥界から連れて戻って来ることになった」
「ペルセポネ、毎年うきうきしながら実家帰る準備してそうだけど元の神話を考えると割とこっちが正しいのか」
「一つはアドニスがフェニックスの兄弟って話。これは本編は失われちゃってて詳細不明。
メソポタミア神話のゲシュティナンナと入れ替わるエピソードから作られたとすればフェニックスが身代わりしてくれることで定期的に帰ってこれるのかもね。
ちなみに母親が変じたミルラの木はフェニックスが再誕する時に燃やす木だったりする」
「あれ? ギリシャ神話でも何かそういうの無かった?」
「片方が不死で片方が定命の兄弟とすると、もしかしたら成立過程でふたご座の神話と関わりがあるかもね」
「ああ、兄弟で星座になってるんだったか」
「もう一つは、4世紀に記録されたキプロス限定の神話らしい。正確にいつの時代からあったのかは不明。
アドニスの浮気を心配したアプロディーテがゼウスを操って、ライバルになりそうな人間のエリノマって女の子に言い寄らせた。ヘラがアドニスを操って、その女の子に夜這いを掛けさせアドニスとエリノマは両想いになる。それが原因で女の子に色々不幸があってゼウスがマジ切れ。女の子の恋人をヘルメスに探させて、アドニスは最終的にゼウス、ヘルメス、アレスに殺される」
「何だよその過剰戦力。ティタノマキアでもそこまで局所投入して無くない?」
「アプロディーテが猛抗議して、ゼウスは渋々アドニスを生き返らせた」
「ハデスが死亡確定を保留するレベル……」
「これに関しては神話には残ってないけどペルセポネも口添えしたかもね。キプロスはアプロディーテ信仰だったはず」
「冥界と地上で女神様達の助けで蘇生されてると考えれば近いっちゃ近いのか?? 浮気してるし、攻撃してきた相手も複数だし」
「大国主と須勢理姫が両想いになった経緯、「目合して」って目が合ってって解されることもあるけど、読みの通りなら夜這いのワンナイトラブで両想いは限りなく一致」
「キプロスから来たの?!」
「キプロスが北緯およそ35度で出雲もその辺なんで、もしかしたらもしかするかなって。こじつけだけど」
「へー、こじつけでも妙な一致だな」
「大国主が素戔嗚から奪った天詔琴はオルフェウスの竪琴。
もしかしたらヘルメスも混ざってるのかな? あの神様、冥界と地上を行き来するし、盗賊の神様だし。
その天詔琴が鳴って地が揺れたのはペリトスがヘラクレスに助けられて忘却の椅子から立ち上がった描写」
「実は忘却の椅子の話知らない」
「ペルセポネを略奪しに来た勇者にハデスが椅子を勧めた。それに座ると何もかも忘れて座ったままになる」
「嫌な方向の勇者だった……。
天詔琴って武器と一緒に持ち出したやつだよな? 何? 使うと地震攻撃みたいな効果あんの?」
「地震は聞いたことないな……お告げに使う琴だって説がある。
まぁ俺は詳しく調べられないから知らんけど。古代日本に来たのはハデスの神官かなーとか思ってたりする」
「何でまた?」
「アポロンかアスクレピオスかなとも思ったんだけど、話題があまりにも冥関係に寄ってるのと、たたらの語源。
たたらの由来がタタールって説があるんだけど、このタタールと混同されたギリシャ語がある。
何かっていうと、タルタロス」
「ギリシャ神話の地獄の名前だっけか? 実はよく知らないんだけど、製鉄絡みならやっぱり火炎地獄的な?」
「タルタロスは神様の名前でもあるけど、冥界の更に下、古代の神々を封印していて、ポセイドンの作った門があって見張りが居る、いわゆる奈落だ。
そしてテュポーンの時に言った通り、タルタロスには神々すら恐れる暴風が吹いてるって話があるんだ」
「あ、そっちか」
「ヒッタイトの時代に季節風を使って製鉄やってたって説があるぐらい、製鉄での風の大事さは知られていたはずだ。
そしてふいごの風をタルタラって表現したとしたら、多分よっぽど身近じゃないと出てこないと思う。ただでさえギリシャ本国でもハデス絡みは死の神様だから口に出すのはちょっと怖いなって扱いされてたみたいだし」
「ああ、なるほど」
「製鉄初心者日本人が「こんなに強い風吹きつけたら火消えちゃいませんか?」ってなってもアドバイスする人が「もっと強くて大丈夫! タルタラみたいに!」「タルタラ?」「タルタラ」みたいな感じ」
「そんなライトなノリだったのか……?」
「どんな会話だったかは不明だけど、普通、ギリシャ神話の知識があったら製鉄の現場で使う単語ってヘファイストス関連だと思うんだ。あとは工芸全般を担当してたアテナとか?
でも日本の鍛冶の神様は天目一箇神。一つ目とされる神様なんだ。これは古事記の天津麻羅と同一視される。
有名なサイクロプスは一つ目の巨人。タルタロスから解放してくれたお礼にゼウスの雷を作った。この巨人はポセイドンとハデスにもそれぞれ特別な道具を渡している。天目一箇神の元になったとしたらこの巨人のはずだ。
そしてアスクレピオスが殺された報復に、ゼウスの雷を作った一つ目巨人たちはアポロンに殺されてる。アポロンやアスクレピオス信仰であえてこの巨人が鍛冶の神として出てくるかな?って気はする。
サイクロプスはヘファイストスの助手をやってるって話がある。親方を差し置いて神様になっちゃってるけど、天津麻羅って神や命がついてないから神様じゃないって説があるんだよね」
「おー」
「まぁ、タルタロスには地下の溶岩流、燃え盛る炎を表すピリフレゲトンっていう火の川が流れ込んでるって話はある。ヘファイストスの仕事場にも近いし、もしかしたら当時のギリシャでは製鉄現場をタルタロスに例える事はあったのかもしんない。俺は見つけられなかったけど」
「となると火の川の名前もどっかに残ってたりするかな?」
「微妙に長いし、根拠からして薄いからなぁ……残ってないんじゃないかなピュリフレゲトン……フレゲトンて呼ばれることもあるけど……。残ってるとしたらたたらの研究者とかならそれっぽい単語知ってたりするのかな……。
……ちょっと苦しいけど布留の言のゆらふるべがちょっとピュリフレゲトンと似てるかな、音的に。
冥界の川と死者蘇生呪文ならそれっぽいし」
「死者蘇生呪文?」
「瓊瓊杵尊の一団以外にも地上に降りた天照の子孫がいるって話があってさ。そのとき三種の神器ならぬ十種の神宝っていうアイテムと一緒に授けられた死者蘇生呪文が布留の言って話があるんだ。
神宝を振る動作を表してるって話もあるんだけど、古事記で天照を高天原に送る時とかにも飾りを揺らしてるから何か古代の意味がある動作なのかもしれない。
ちなみに万葉集の時代では袖を振るのは魂を招き寄せる動作とされる。そこから人の心を招き寄せる、恋愛成就の呪いの動作とされている。
で、それやると死んだ人も生き返るらしい。この『ゆら』、ピュリ、ピリノスが燃えるような、で、『ふるべ』、フレゲトが燃えるだとしたら、どっちかっていうと火葬の祝詞なんじゃないかって気がするけど。
この辺はもうほぼ当てずっぽうだから分かんないな。
ちなみに古事記の根の国で出てきた何とかの比礼は十種の神宝の中にも入ってるらしい」
「やっぱ神様にとっても虫よけは便利なのか……」
「問題は書かれてる書物でなぁ……。先代旧事本紀っていうんだけど……」
「聖徳太子が作ったって序文に書いてあるけど推古天皇の後の話題が入ってるじゃねーか! さては偽書だなテメー!」
「聖徳太子が作ったって序文に書いてあるけど天皇諡号が入ってるじゃねーか! 天皇諡号使い始めたのはもっと後の時代だろーが! さては偽書だなテメー!」
「聖徳太子が作ったって序文に書いてあるけど平安時代の文献の内容引用してるじゃねーか! さては偽書だなテメー!」
「ひ……秘伝の資料を引っ張ってきた貴重な書物かもしれないじゃない……? 序文を改定し忘れただけで……」
「てな感じで江戸時代に検証されてボコボコに叩かれたらしい」
「江戸時代!?」
「ボコった一人は水戸黄門らしい」
「印籠の!?」
時代劇は置いておいて徳川光圀の業績の一つは大日本史の編纂である。
すごく雑に言うと、水戸光圀は若い頃、世の中の理不尽にうんざりして不良をやっていた。
ある日、理不尽だろーが野垂死のーが我が道を行くぜ!というロックで素朴な生き方をした人たちの生き様を書いた歴史書に感動して編纂を志したとされるのが大日本史である。
大日本史の特徴は歴史を年代順に羅列した編年体ではなく、光圀が若き日に感動した中国の歴史書にある紀伝体で書かれていることとされる。
紀伝体とは、本紀で個人の事柄を追った後、列伝として関係者の事を列記していく形式である。簡単に言うと、主人公の話が終わってサブキャラで別視点の過去編スピンオフが始まる展開である。
日本の歴史書は編年体で書かれるも、死去の個所でその人物のエピソード、薨伝を書くという編年体と紀伝体のハイブリットの様な記述がある。簡単に言うと、死亡時に回想シーンで過去編の描写があるやつである。
この大日本史の編纂作業用の資料を集めていた時の事であったと思われる。
「当時江戸では古代日本を考察するブームで偽書が乱造された。それに思いっきり巻き込まれたのもある。ちょっと曰く付きの本なんだ。
この時代には、はっきり江戸幕府から偽書だって言われて、作ったとされる神職や関係者が処罰された先代旧事本紀大成経とかも出てる」
「え、それ違う本なの?? すげー紛らわしい」
「偽書って言っても完全な創作から部分的な創作、時代や編纂経緯が偽られてるだけで典拠があったりするものがあるのも更にめんどくさいんだよな。
先代旧事本紀、個人的には平安時代頃に「式典の内容確認したいからみんなで実家の古い資料とか確認して報告書出して」みたいな話が出たらしいんで、その頃のやつなんじゃないかと思ってる。
引用されてた平安時代の資料っていうのがその時に編纂されたっぽい古語拾遺っていうやつらしいんだ。知り合い同士が資料見せ合って自分の所に無い資料を補完したとかさ」
「……どの時代も資料の検証って大変なんだな……」
「まぁこんだけ色々調べても、たたらを伝えたっていう金屋子神の説明が全くつかないんだけどな」
「そんな神様居るの? 天津麻羅とは違うの?」
「金屋子神は古事記、日本書紀には出てこない。
最初は播磨の雨乞いに応えて降臨したとされる、そこから出雲に製鉄を伝えに行ったっていう伝説なんだ。
白鷺に乗ってるとか、血の穢れが嫌いで女性と犬が嫌い、犬から逃げる時に木に登ろうとしたら縄が切れたんで麻が嫌い、藤とミカンの木のお陰で犬から逃れたんでこれらの木は好き」
「藤とミカンって混同する?」
「両方じゃないかな? 藤棚ができたのって江戸時代で、それ以前は松とかに藤の蔓を絡ませてたらしいんだ。みかんに藤が絡んでる木に助けられたって事だと思う。登りやすかったのかも」
「なるほど」
「一方で蔦を嫌うって話もあるんだよな。あとは女性が嫌いなのは実は女神だから嫉妬してるとか、いろんな話がある」
「何か妙に好き嫌いのはっきりしてる神様だな。そんだけキーワードが出ればどこかで何かと一致しないのか?」
「一応ギリシャでは神殿で流血沙汰御法度って言うのはどの神殿でもほぼ共通だし、白鳥に乗るアポロンとかの話はある。
でも金屋子神周りは調査範囲が間違ってたのか、マジで全然他との繋がりが引っかからなくて困った。
金屋子神社祭文、俺は原文見てないんで又聞きだけど、神様は播磨の岩鍋って所に降臨して大鍋を作った。その後で西に渡って木の上で休んでるのを、飼い犬がめっちゃ吠えた猟師さんが気付いた。
その猟師さんが初代神主さんになったって縁起だけ。女神とも男神とも犬が嫌いとも書いてないらしい。
古来からの女人禁制って、「技術を教えるのは吝かではないけど、所帯を持って定住されて地域の食い扶持をとられるのは困る」っていう地場産業保護の意味があったらしいから、後世付け加えられたのかもね」
「海外から渡って来た技術者さんが神格化したとかかな?」
「どうなんだろ? 『転んで死んだ技師を神様の指示でたたら場の柱にくくりつけた状態で製鉄したら良い鉄ができたので死の穢れは嫌ってない』みたいな伝説があるんだが、科学的根拠もないし……。
今でこそグリーンスチールだ何だって還元にメタンを使うみたいな話もあるけど、仮に死体から発生したとしても違いが分かるほど変化ないだろって気がするし。
銅なら死体を入れるとリンの作用で物性が良くなるみたいな話は聞くんだが」
「そんなんあんのか」
「……まぁ例えば古代中国の一部地域では樹上葬とか崖葬みたいな、いわゆる風葬があったらしい。その中で高いほど長いほど死後安寧みたいな考えの地域もあったっぽいんだ。
日本でそれやったらすぐ腐敗しちゃうだろうし、もしかしたら渡来した技術者さんができるだけ故郷の風習に沿った葬儀をしたくて色々考えたのかもね。
がんがん薪を焚いて高温になれば遺体も腐敗する前に乾燥なりしたかもしれない」
「なるほど……死体が出たついでにハデスとかの信仰にはそういうの無いの?」
「あの神様は地下資源も担当ではあるけど製鉄所は知らん。よくない埋葬すると祟られるっていうし。少なくとも俺はそういう冶金や葬式の儀式は見つけられなかった」
「……てことは、技師の死体が悪くならない内に大急ぎで仕事終わらせようとして全力で送風したら良い鉄ができたとかじゃね?」
「……やっぱその辺のオチを考えるか……何か知らんけど播磨関係はもしかしてオチがあるんじゃ……みたいな考え方をするようになってきた」
「何があったんだよ……」
「たたらとギリシャの関係は適当だけど、影響があるとすれば出雲神話に強い気はする。でも伊邪那岐伊邪那美の冥界の話や素戔嗚みたいに、全体にも恐らく影響を与えてる。
その一つと思われるのがコロニデス姉妹の話。
オリオンの娘、メニペとメチオケ、二人はアテナに指導を受けた機織りの名人だった。
町が疫病の危機に見舞われてアポロンの神託を受けたところ、乙女を二人、ハデスとペルセポネに捧げれば助かると告げられた。
町の誰もが拒否する中で、織女の二人は喜んで杼で自分の鎖骨と喉をそれぞれ突いて死んだ。
ハデスとペルセポネは二人を憐れんで、一対の彗星に変えた」
「……杼が刺さって死んだの……? 何か素戔嗚がやらかした時のを思い出すんだけど……?」
「まぁアラクネも杼で殴られた衝撃で首を吊ってるから織屋で凶器になりそうなものって杼ぐらいしかないのかもしれないけど。
『疫病から皆を守るために自身を杼で突いて死んだ織女』。それが高天原の忌織屋の原型で、伝えられる間に変質したんじゃないだろうか。とかね」
「ああ……」
「それを考えると謎の神官さん、天津罪の話とかと合わせるに、忌織屋の逸話で汚染された動物の死体には触らないように注意したかったんじゃないかなってのもちょっと思う。
斑馬っていうのも、皮膚症状の意味かもしれない。
触るな離れろって感染症の対策としては現代でも有効だし。
古代だと知識が無いから、それが差別に繋がったなら悲しい事だけどさ」
「楽しそうな話してますね!!」
「!?」
ケイとジオが後ろを向いた。かまくらの奥、誰も居ないはずである。
しかしそこには埴輪が居た。運営の誰かである。
「ロマンですよね~、日本と古代ギリシャ。
線文字Aとか、案外ヲシテ文字で読めちゃったりして」
「あー、紀元前千年以上前の話はあんま分かんないです。
なぁ、夜に用事あるって言ってたよな、そろそろ帰るか」
「え、ああ」
「あ、すいませ」
ゲームからログアウトし、自分のVR部屋から連絡を入れる。
「……何だったの? アレ」
「俺が話してた内容が内容だったから、ちょっと強烈なネタを振ってきただけだと思うが……とりあえず個人の伝手経由で運営関係者に抗議送っとく。ログはまだ廃棄されてないだろうから、日時を教えれば一部始終確認してくれるだろ」
「やっぱあなただけが知っている世界の真実系スピリチュアル詐欺に引っかかったっぽい人?」
「そういうのが運営で大手を振ってるなら俺はベータテスター辞めるしお前にも辞めるように勧めるし何ならやばい系のカルトの疑いで消費者庁に相談する」
「……いや、そう決まったわけじゃないじゃん?」
「……線文字A、Linear Aは紀元前十五世紀以前からクレタ島などで使われていたとされる文字。これは普通に粘土板などで発掘されている、未解読の歴史資料だ。
一方のヲシテ文献は江戸時代の書物に突然「古代日本で使われていた文字なんだよ!」って現れたやつ。遺跡からの発掘例は無い。
実はこういう文字はいっぱいある。例の江戸時代に古代日本を考察するのがブームになって偽書が乱造された時だ。歴史があるせいであの辺の古文書絡みのオカルトはやばい話題も多い。いきなりこの話題振ってくるのがまず怖すぎる」
「ええ……」
「共通点が古代日本ギリシャってだけで線文字は千年以上時代離れてるから、こっちの話まともに聞いてると思えないし。俺の話聞いてたら「神代文字あったとしたら多分外国から来た人が書き残した何かだよね」って話で終わるから、絶対自分のこと喋りたいだけの奴」
「おう……」
「文字に関しては確かにどっちも丸や三角などの図形と特定の形の直線で構成されてるから、たまに似てはいるけど偶然の一致で済む範囲。子供がお絵描きで知らずに五芒星描くぐらいの確率だと思う。どっちにも漢字の目みたいなのあった気がする。
江戸時代の文献の内容に関しては、文の特徴や単語や音の使い方から、古代のものではなく、ほぼ偽書で確定してる。
百万歩譲って太古の昔に一部が文字として伝来して江戸時代まで残ってたとして、それで何か解読できたとしても、俺は関わるの嫌だ」
「何か自己申告で低かった正気度がまた急速に減ってるじゃん。後で一緒に肉、食いに行こ? もう数時間経てば余った鶏肉安売りしてそうだし」
精進落しの自宅で揚げ鶏パーティーである。
「ほぼ創作のオカルトに急に全力で乗っかられると疲れるな……月読推しの気持ち分かった気がする」
「そうなの? ていうかさ、こんだけそれっぽいのに説にはならないの?」
「学者さんが確度の高い資料見つけたら説になるんじゃないか? どうせ百合若大臣とオデッセイアみたいにシルクロード経由で部分的に伝わったんだよ。オデッセイアの描写が東洋の風神の風袋になった説とかあるし」
「ゆりわか? オデッセイア?」
「百合若大臣は日本の創作物語。元寇の後、百合若って武士が元に遠征に行く。帰る途中で部下に裏切られて寝ている隙に孤島に置き去りにされる。
裏切った部下は恩賞と未亡人となった百合若の妻を手に入れる算段をしていた。百合若は死んだと伝えるが、信じられない百合若の妻はこっそり夫の鷹を放して、孤島に居る夫の手紙を受け取った。裏切者に気取られぬように、織物が織り終るまでに戻ってこなかったらと求婚を退ける。
百合若は漂着した船に乗って帰国し、弓術大会で彼しか引けない強弓を引いて名乗りを上げ、部下たちは処分されてめでたしめでたし。
そしてオデッセイアはギリシャのオデッセウスの物語。
オデッセウスはトロイの木馬を考案したとされる人だ」
「コンピュータウイルスにそんなの無かった?」
「そのウイルスの名前の由来になった伝説。木馬に潜んで城壁内に侵入したエピソードだ」
戦場を放棄したように見せかけて巨大な木馬を作り、その中に軍人を潜ませた。「この木馬、うちの神様に捧げたんだからな! お前らの城門通れないようにでっかく作ったんだから絶対に城門内に入れて勝手にお前らの神様に捧げたりするなよ!!」
「って前フリをしたらトロイアの人は乗ってくれた」
「前フリ言うな」
「で、物語のオデッセイアではオデッセウスはトロイア戦争から帰る途中で魔女とか巨人とか厄介な島々で大冒険。嵐に遭って船が壊れて漂着した先から一人帰り着くと、未亡人扱いされてる妻にオデッセウスの地位と遺産目当ての求婚者達が押しかけていた。
妻は織物の完成を期限として求婚を退けていたけど限界で、オデッセウスの強弓で的を射抜いた者を夫に、と宣言した。求婚者達が手も足も出ない中、老人に化けたオデッセウスは的を射抜いて正体を明かし、求婚に押し寄せていた無礼者たちを成敗してめでたしめでたし。
この二つは偶然の一致とも伝聞で伝わったとも言われている。百合若大臣は1500年代初頭に作られたとされる話で、仮に西洋のポルトガル船などを経由に聞いたんでは創作として広まるのに時間的に無理があるだろうとされてる」
「そんだけ似てても偶然ってあるの?」
「……ギリシャ神話の冥界の仕組み知ってるか?」
「今度は何だ? 悪い事してたらタルタロス行きで、善い事したら……名前何だっけ? 天国行きかじゃないの?」
「紀元前800年頃まではただ冥界に行くだけだったらしい。明確に天国地獄みたいなのができるのは紀元前4世紀頃だったかな。エリュシオン……エリュジオン?っていう天国みたいな島ができてる。
英雄や神様が行くところで、クロノスはタルタロスから出されてこっちに居るって説がある。
ギリシャに比較的近いエジプトの神話にはアアルっていう天国みたいな場所がある。選ばれた人が行ける、オシリスが管理してる日の上る場所、東の果ての島々。葦がいっぱい生えてて狩猟採取系スローライフやり放題。原型はこれじゃないかな?」
「東の果てって……もしかして古代にいくつかの宗教で冥界談議になった時に、その神話確認してみようぜって勢いで飛び出してきた神官達が日本に来たんじゃないだろうな?」
「……エジプトの創世神話の一つにオグドアドっていう神様達が居る。
男女四組計八人。原初の海や丘の化身みたいなものって説もある。この神様達が世界を整えた。最初の陸地に太陽の卵を置いたとも、睡蓮の花から太陽神が生まれたとも言われる。役目を果たしたこの神様達は冥界に行った。
これが神世七代、伊邪那岐伊邪那美の頃に生まれた男女対の神様たちの元ネタの一つなんじゃないかなと思ったりする」
「ああ、日本神話だとあの辺で何人か男女ペアの神様たちが出てくるんだっけ?」
「……オグドアドの神話でもギリシャ神話でも冥府は西の果て日の沈む場所だけど、ギリシャには紀元前6世紀頃から地球球体説はあった。
特に紀元前4世紀ごろ、アリストテレスは星空の見え方とかいくつかの根拠を持って唱えてるから、長く星空見て旅してれば地面が球形かもって発想は出てくる可能性がある。
……もしそうだったら東の果ての海にそれっぽいもの見つけちゃって、調査のために何回か来たかもね。
ハデスの神域、冥界に続くとされるプルートニオンって毒ガスが出てるし。日本、火山大国だし」
「地面ってもしかして本当に丸いのかな?って思ってた所で東の果てで西の果てにあるっていう伝説の冥界っぽいの見つけちゃったら神官視点では完全にバグ技だろ。正気度が心配になるレベル」
「ギリシャ神話の死後の世界に話を戻すとだ、ただの人間はレテ川の水を飲んで記憶を消し、地上に生まれ変わるとされる」
「輪廻転生じゃん」
「輪廻転生自体はインドに紀元前千年ぐらいにはあるからそれはいいとして。
大体詩人ピンダロス先生の歌のせいらしいけど、冥界の伝説を総合すると『普通の人が3回善人として生きたら4回目にペルセポネが王か賢者か英雄に生まれ変わらせてくれる』らしい」
「ほぼ転生特典付き神様転生じゃん!! 善行を理由に神様が転生特典くれるやつじゃん!」
「な? 輪廻転生と因果応報に王道英雄物語に使いやすい設定っていうのが合わさった偶然の一致でこれぐらいは似るわけ。
古代ギリシャと現代極東サブカルチャーの偶然の一致以上の精度と根拠ある? って言われたらなぁ……。
専門家は何かしら裏付け資料を見つけた上で主張するんだろうけど、素人には無理」
その時、端末の通知が鳴った。個人の伝手経由で連絡を取った荒魂鎮魂の運営の責任者から謝罪が来たらしい。
運営としては軽いノリの和風物を目標としていて、運営関係者が特定のオカルトを積極的に支持してるような振る舞いは割と本当に困るらしく、かなり平謝りされた。
これを聞いて宗教とオカルト、めんどくせぇ……などと思うのであった。
仕様上、二人のデータが問題の運営関係者に漏れている事は無く、今後、ユーザーやその関連データに接触する可能性は完全に排除するとの事。
オタクネタやオカルトが分かるっぽいからといって知らない相手にネタ全振りの会話を始めてはいけない。
まずはお互いの正気度を把握しないといけないのである。正気度である以上、自己申告は役に立たない、まずお互いをよく知る必要がある。
「あと、お前のコメントからネタパクって今後ゲームで使っていい? って聞かれたんだけど?」
「え? 何か言ったっけ? つーかこのゲームって何か展開あるの? オカルトネタでいかがわしくならなければ別にいいんじゃね?」