131.オープンベータ前夜
アルミサッシの窓辺の向こう。緑が濃くなる個人のVRチャット部屋である。
いつもの二人がごろごろしていた。
「雷獣って日本産の妖怪なんだな」
「また調べて来たんだな。概ねそうだ。
どっちかっていうと日本産の雷獣と中国産の雷獣が居る感じだな。中国の山海経って本とかに夔という雷獣が出てくる」
「それも見た。でも多分日本の雷獣とはあまり関係ないよな? 姿全然違うし、中国で噂だけ聞いて日本で広まった感じ?」
「……完全に想像だけど、夔紋っていう夔竜を表した文様があるんだ。かなり大昔からある。日本に伝わったのはこの文様を通してだったのかなーとか思ったりする」
「夔紋?」
Webから画像が引っ張られてきた。
「夔紋や夔龙纹で調べると出てくるけど、こんな感じで結構多様な文様なんだ。蛇の様にも四つ足の動物のようにも、もっと別の物にも見える」
「ほんとだ」
「ここからは想像だけど、江戸時代ごろかな? 中国と取引する中でこの文様が動物のように見えたんで「何これ?」って中国の人に聞いたけど夔に当たる訳語が無くて「雷に関係する動物」って話といくつかの文様が伝わったんじゃないか。
それで『どうやら雷に関わる動物がいるらしい』って話が日本の仲間内で広まって、探してみようぜってなった頃に雷があった。
雷で驚いて飛び出してきた動物が人間を見てぴゃって茂みに潜る、みたいな場面に遭遇して「多分あれが雷獣だ、めっちゃ速かった」みたいになったんじゃないかと思うんだ」
「なるほど」
「そうなると日本の雷獣の多様な姿も説明がつく。雷に慌てて走り回ったのを見つけても正体が未確認で終わりそうなやつ。熊や猪ぐらいでかかったら分かるだろうから犬猫ぐらいの狸狐鼬かその辺。
そして絵に描かれる二本足の蛇みたいな竜は中国の伝承に近い夔竜。そして夔紋って左右対称に描かれることもあるみたいなんだ。これとか見方によっては何かの顔っぽく見える」
引っ張ってきた画像の一つを指す。
「これが蜘蛛か蟹みたいな異形の雷獣の原型になったんじゃないかと思うんだ。まぁ全部想像だけど」
「言われてみたらそうとしか思えないじゃん」
「こじつけだからなー。ちなみにマジで気のせいレベルだけど、夔紋はちょっと子持ち勾玉に似てる。あちこちから棘が生えてる所とか」
「なにそれ」
「勾玉の一種と言われてて古墳時代の遺跡からも出土してる。何ていうか、見た方が早いな」
「……子持ちっていうよりステゴサウルス風勾玉って感じ」
「割と何人か思ってはいるけど子持ち→ステゴだと聞こえが悪すぎて言えないやつ……」
「これ鹿島って書いてあるけど、もしかして建御雷の神社のそば? この遺跡って関係あったりする? 雷の神様だし」
「子持ち勾玉は鹿島以外でも出土してるぞ。神戸とか長野とか宇都宮にもあったはず。そして霞ケ浦周辺の遺跡に建御雷と直接的な関係を示唆するものは発掘されてなかったはずだ。ただ霞ヶ浦の遺跡は縄文時代からある」
「そういえば建御雷で思い出した。建御名方って古事記以外には出てこないって本当?」
「……建御名方は日本書紀には出てこない。実は古事記の大国主の系譜にも出てこないから、後から付け加えられたエピソードだという見方が強い」
「そーだったんだ」
「資料によっては大国主と奴奈川姫の子だけど」
「奴奈川姫どっかで聞いたような……」
「神語に関わる片方だな」
「あ、大国主が浮気の返歌そのまま須勢理姫に言われたやつか……」
「国譲りで建御名方の逸話が加わった経緯は色々推測されている。
例えば建御雷の権威付けのために適当に話を盛る上でやられ役として作られたとか」
「おう……」
「一つは建御名方は諏訪の神様だから出雲の国譲りとは別に諏訪で力比べによる国譲りの話があって、古事記ではそのエピソードが混ざったとか」
「なるほど?」
「一つは建御名方が諏訪を制圧したエピソードが一部流用されて建御雷のものになったとか」
「なにそれ?」
「建御名方は諏訪の御祭神だけど、洩矢って神様を屈服させたっていう、そういう伝説がある。諏訪が外部勢力の侵入を受けたのはほぼ間違いないらしい。
後は……完全に想像だけど、日本書紀編纂時の大人の都合とかかもね」
「どゆこと??」
「建御雷や経津主、実は信仰の最初がはっきりしてないらしいんだけど、物部氏とか中臣氏とかが氏族ってことになってる。その辺でパワーゲームが起こったんじゃないかとか」
「あれ? その人たち何か聞いたことある?」
「乙巳の変とかじゃないか? 大化の改新」
「カタマリさんとイルカさんが居たのはぼんやり覚えてる」
「うん、前日譚として蘇我入鹿のひいおじいさんが蘇我稲目。蘇我稲目は仏教の導入を進めていた。「日本古来の神様を蔑ろにするな」ってそれと対立したのが物部尾輿と中臣鎌子とされている。
その子供の代。皇位継承問題で戦争になった時に廃仏派の物部守屋が戦死して物部氏が滅亡し、おおよそ仏教導入の流れになったとされる。蘇我馬子の仏の加護の方が強かったから勝利したってことになったわけだ。これが丁未の乱。
そうした経緯で専横を振るう蘇我一族の蘇我入鹿を中大兄皇子と中臣鎌足が誅殺したっていう話。これが乙巳の変。
ただ実のところ蘇我氏は言われるほど専横はしてなくて、大陸の技術を学んで唐に対抗できるように防備と中央集権を進めようとしてたらしいって説もある。
この後で日本は友好国の百済が滅ぼされちゃって、日本百済連合軍と唐新羅連合軍が戦う白村江の戦いでもボロ負けしてる。
日本はこりゃまずいって唐と友好関係を結びつつ遣唐使を派遣して情勢を探り、防御を固めて中央集権体制を進めていく」
「なんかほんのり明治維新みたいな展開してる……」
歴史は繰り返さないがたまに同じ韻を踏む。
「で、この乙巳の変で蘇我入鹿が殺されると、父親である蘇我蝦夷は自宅に火をつけて自害している。この時に天皇記や国記といった歴史書が燃えたと言われている。
天皇記と国記は蘇我馬子と聖徳太子が編纂したとされるから邸宅にあったのかも。
白村江の戦いとかのどたばたで後回しになったけど、後に天武天皇が歴史書の編纂を命じたとされる。これが古事記と日本書紀とされている」
「ああ、昔の歴史書が燃えたってこの話だったのか。あんまあの辺覚えてない」
「中大兄皇子は即位して天智天皇になる。白村江の戦いの遠征軍が出発する最中に斉明天皇が崩御したりで数年即位せずに政務を行ったりとなかなか大変だったらしい」
「ん? その皇子が歴史書作った人?」
「歴史書作ったのは天智天皇の弟。天武天皇。もうちょっと後。
ちなみに斉明天皇は天智天皇と天武天皇のお母さんだったりする。舒明天皇のお后様」
「戦争の直前に亡くなってるんだったらやっぱ心労とかあったのかな」
「最初皇極天皇として即位したんだけど、息子皇子が重臣切り殺した乙巳の変の後に弟の孝徳天皇に譲位した。でも孝徳天皇が病死しちゃったんでもっかい斉明天皇として即位」
「二回天皇やってんの?! つーか波乱万丈だな」
「中大兄皇子、天智天皇は即位後も中臣鎌足を右腕にして少数精鋭で行政を整備したり中央集権や国防を強化したりしてる。
でもこの少数体勢が専制を生んで、無理な遷都などで不満を呼んだとされる」
「遷都ってまだ平安京とかじゃないよね? どこ?」
「奈良の飛鳥から近江、つまり琵琶湖の大津へ引っ越し。近江大津京。結構大変だったみたいで、こういうので不満が溜まったみたいだ。ちなみに孝徳天皇も難波に都作ってるらしいから何か新都が必要だったのかも。
とにかく中臣鎌足と天智天皇が相次いで亡くなると天智天皇の息子は反乱を起こされて死んでる。これが壬申の乱。
この反乱で皇太子……弘文天皇に協力してた氏族も処刑されたり立場悪くしたりしてる。専制の中心人物達だ。この中には中臣の偉い人とかいる。
この反乱を起こしたのが天武天皇。天智天皇の弟。歴史書編纂を命じたとされる人」
「ああなるほど……歴史書焼失から編纂開始まで、どえらい権力の変動がありそう……。
あれ? 建御雷と経津主のところ滅びた……?」
「いや、天武天皇の下で歴史書編纂に関わったのが藤原不比等。中臣鎌足の次男。
中臣鎌足は天智天皇から藤原姓をもらってたんだってさ。
その藤原姓を継いだ不比等は壬申の乱のときはまだ若かったからお咎めなし」
「あ、親戚生きてた」
「まぁ天武天皇はがっつり専制して要職を身内で固めるんだけど」
「反乱起こしたらもっとどえらい専制が飛び出してきた……専制で身内びいきってどっからどう見てもダメなパターンだけど……」
「ところが国史をまとめ日本文化を振興し律令制を整備し海外文化に目を向け……みたいな比較的良い評価をされてる。およそ日本の基礎を築いたと認識されてる」
「カリスマかー、一般人が真似したらダメなやつ」
「あくまでも想像だけど、古事記って人名とかの表記揺れとかが結構あるらしいんだ。歴史書が燃えた時点で大急ぎで「大体こんな内容だったと思う」って叩き台を作ってて、「「家で伝わってんのと違うよ」って箇所あったら補足してください」って回覧してた内容が古事記だったんじゃないかなーとか思ったりする。その補足を収録したのが日本書紀。
この辺はもう陰謀論とかになっちゃうけど、そうだとすれば古事記は歴史書の叩き台を作る上で当時力を持っていた人達の自分の祭神や祖神のアピールが入ってる。
そして中央集権を進めようとする中で日本書紀には忖度が入った。日本武尊と景行天皇の不仲を否定するとか、雄略天皇をやらかしあほの子系からキャラ変するとか。
編者が消したかったのは建御名方じゃなくて建御雷の活躍のエピソードだったりして……とかね」
「今なんか変なのあった」
「まぁ大国主と日本武尊には似たエピソードがあるから、皇位に着く前に亡くなっちゃった日本武尊を悼んで『家族から疎まれた不遇の王子様が出先で大活躍』って昔から現代まで人気のモチーフが流用されただけかもね。
建御雷や経津主がいつ頃からどの氏族に祀られ出したかってのも実はよく分かってないらしいんだ。正直全然関係ない可能性がある」
「いやそれよりやらかしあほの子系って何?? はなはだあしくても天皇だろ」
「古事記の雄略天皇の話にはやらかしエピソードが多い。
ナンパした女の子の事すっかり忘れててお婆さんになるまで待ってたんで申し訳ないからお土産たくさん持たせて帰したとか。
お嫁入りしてくるお后様迎えに行くときに途中の家に因縁付けて火を点けようとしたけど珍しい犬くれたんで許したとか。
狩りで猪射ようとしたら追っかけられて木に登ったとか」
「古事記書いた人、雄略天皇の事嫌いじゃない?
狩りのハプニングわざわざ書き残さんでも……」
「日本書紀では猪返り討ちにしてて、逃げて木に登った人を命令違反で処刑してるな」
「あー……なるほどキャラ変ね。
結婚に向かう途中の家に因縁付けてって……何? 暴君メロス?」
「そこを混ぜるな」
太宰治の著作。走れメロス。妹の結婚式の直前、義憤に駆られ暴君の暗殺を試みたメロスという男の物語である。
「お嫁さん迎えに行く途中に通りがかった家に「この家、天皇の家のトレパクじゃね?」って感じで火を付けようとしたら「知らぬこととはいえすいません犬あげるから勘弁してください」っておしゃれした白犬を差し出されてお嫁さんへのお土産にした」
「トレパクは無いだろ。でかい家の構造ぐらい似るだろ……」
「日本書紀にはこのエピソードは無い。白い犬と家に火を付けるキーワードが一致してるエピソードならある。
一帯をずいぶん荒らし回ってる盗賊が居たんで軍の精鋭を差し向けた。盗賊の住処を囲んで火を付けると白狗が飛び出してきて軍に襲い掛かった。軍人が犬を切り殺すと犬は盗賊の姿に変わった」
「へー、不思議エピソード」
「盗賊が白い犬を飼い慣らしてて方々を襲ってたのを退治したっていうなら分かりやすいんだけど、それならどうしてお嫁さん迎えに行く道中で因縁付けて犬もらった話になるかは分からない。
ただ他人の家にいちゃもんつける話と言われればそれっぽいのなら日本書紀にもある。
あとナンパエピソードは日本書紀の方には存在しなかったはずだけど、万葉集の最初に『籠よ 美籠もち 掘串もよ』で始まる雄略天皇作とされる長歌がある。
野原で菜摘みをしている女の子に声をかけて家と名前を聞いて自分も名乗ろうとしている歌なのでナンパしてるシーンの歌って解釈されることが多い。
上様が民草と交流してますよ微笑ましいですねって描写だって説もあるけど。時代劇の偉い主人公が一般人の世話を焼く話みたいな」
「これどっちが正しいか分かんないやつだ」
「日本書紀の方が記述は細かいんだけど、押木珠縵事件の真相を突き止めたのは雄略天皇じゃなくて割と早々に判明したんじゃないかなぁとか思ったりするし……それだと「話盛られてる」って言われたらそうかも……としか」
「押木珠縵事件って何?」
「雄略天皇の兄、安康天皇が在位中に暗殺されたのは話したと思うけど、その暗殺事件の原因は仇討ちなんだ」
「敵討ち?」
「安康天皇にはとある事情で引き取った妻子が居た。「あの子が大きくなった時に父親を殺したことを知ったら恨むんじゃないか」って心配してるのを当のその子が聞いちゃって」
「サスペンスで偶然真相を聞いちゃって復讐を決意するやつ、そんな由緒正しいシチュエーションだったの?」
「由緒正しいシチュエーション言うな。多分実際の事件だから。その原因っていうのが安康天皇が親戚に、妹さんと安康天皇の弟。雄略天皇、当時大長谷王子の結婚を相談した事が発端なんだ」
「その親戚の妹って白い犬連れてこられてたお嫁さん?」
「そう、親戚は喜んで妹と王弟王子の結婚を承諾した。そして承諾した証として使者に押木珠縵っていう家宝みたいなアクセサリーを渡すんだ。
で、使者は押木珠縵が欲しくなって「激怒し手酷く拒否しました」って報告してアクセサリーを着服した」
「えええええ!」
「それで安康天皇はその親戚を無礼討ちした」
「事実確認大事ぃ!!」
「古事記では押木珠縵の話はここで終わってる。日本書紀では後に雄略天皇のお后様が使者の着けている家宝のアクセサリーを見咎めて、雄略天皇が問い詰め、事件の真相を自白させる。
でも真相は割と早々に発覚してて、使者も安康天皇に処罰されてたんじゃないかと思ったりもする。なぜならこの事件の直後、安康天皇はその親戚の妻子を引き取ってて、雄略天皇は被害者の妹さんをお嫁さんにしてるんだから。
とにかく冤罪事件後に安康天皇が引き取った親戚の息子が暗殺の犯人。大長谷王子は暗殺に憤ったけど、兄達は憤るでもなく復讐するでもない。大長谷王子はこの兄たちの態度を不審に思って殺してる。
もしかして大長谷王子は知らなかったけど、兄達はその辺の事情を全部知ってたとかじゃないかと思うんだ。それで食い違いが起きたんじゃないかとか」
「知らなかったのは雄略天皇だけ……となると?」
「冤罪で親戚を殺しちゃった後、兄達はその親戚が結婚を快諾していたことも、使者がアクセサリーを盗んで噓の報告をしたことも知った。だから罪滅ぼしに被害者の親族を迎え入れた。その上で天皇暗殺事件が起こる。犯人は冤罪被害者の息子。何が起こったか察しただろう。
でも大長谷王子が何も知らなかったなら話の見え方が全然違う。
お嫁さんの兄、義理の兄が死んだのが変死。この人は天皇の座に座ってもおかしくない血筋なんだ。そして天皇である兄が死んだのも暗殺。そんな不穏な状況で、犯人が分かってるというのに他の兄達は怒りもしない、防備を固めるでも反撃に攻め込むでもない。
……そのせいで犯人と共謀して天皇暗殺を謀ったと思ったんじゃないか?」
「うわお……」
「それで兄達と犯人があっさり死んだあと、皇位を狙えるポジションの親戚を殺害した。事件の黒幕を疑って」
「ああ……」
「そうだとしたら何で本人に伏せられてたのかは分からない。
心痛めると思ったのか、嫁入りしてくる被害者の妹が思うところが無いように「王子は知らなかった」って事を徹底したかったのか、嫁入りしてくる奥さんに不信を持ったらいけないと思ったのか、義憤に駆られて仇討ちを手伝うと思ったのか、仇討ちを大義名分に兄弟皆殺しにして皇位を望むと思われたのか」
「結局本人のキャラは分かんないんだな」
「まぁ古事記に無くて日本書紀にある話が全部嘘ってことは流石に無いとは思う。
この事件のだいぶ後。押木珠縵を着服した使者の子が「天皇の城は堅固ではないが父の作ったこの城は堅固だ」みたいな事を言っていたという噂が立つ。雄略天皇はこの城を確認させてその使者の子を殺す。叛意を警戒したんだろう。
これが古事記の他人の家に「うちと似てる」っていちゃもんつけた話のもとになったのかなーとか思ったりする」
「えー……あー……それなら無理も無いっていうか、反感抱いてる上に防備固めた城持ってたらほぼ謀反だろ。
……お前の説だと古事記が先で日本書紀が後じゃないの?」
「元の本や伝わってる話があったはず。つまり何かの事情で雄略天皇の古事記のエピソードだけうろ覚えしか引用できなかったんじゃないかって話」
「ああなるほど」
「あと日本書紀の雄略天皇記には鳴弦の儀の元ネタじゃないかって思う話がある。あくまで想像だけど」
「鳴弦の儀って弓の弦を鳴らして魔除けするやつ? 見たことないけど何か弦楽器みたいなイメージなんだけど」
「弓って楽器じゃないから鳴らしてもそこまで弦楽器みたいな音しないんだ。どっちかっていうとヒュッとかカンッとか……表現しづらいけど、まさに弓の音。鳴弦の儀の流派によっては掛け声を上げたりするけど。
それで日本書紀に、雄略天皇の崩御に乗じて反抗した蝦夷の話が出てくる」
「……蘇我蝦夷とは関係ないんだよね?」
「蝦夷は字も読み方も色々あって、大体『東の方の反抗的な部族』みたいな使われ方してるけど実はよく分かってないらしい。蘇我蝦夷みたいに貴族の名前に使われてたりするし。
蔑称として使われたっていう説もあれば、武勇に優れてたのにあやかったって説もある」
「ふむふむ、鳴弦の儀は?」
「日本書紀には俺の知る限りで弓を鳴らすエピソードが二つある。もっとあるのかもしれないけど。一つはこの雄略天皇の崩御に乗じて起こった蝦夷の反乱。
軍が鎮圧に向かったんだけど、蝦夷の中に跳んだり伏せたり躱して全然矢が当たらない相手が居た。恐らく弓の音で射撃を感知していた」
「リアル耳エイム」
「そこで将軍は一斉に空弦を鳴らさせた。音で射撃音が紛れたのか、矢が尽きたと油断したのか、その蝦夷は矢に当たって打ち取られた」
「あー……」
「もう一つのエピソードは舒明天皇の時代の話。
蝦夷征伐に行った将軍がボロ負けして兵は逃走、将軍は砦にこもった。日も暮れて途方に暮れる中、その奥さんは先祖の武名を汚すなと将軍を叱咤激励して自ら武装し、砦の中の女の子たちに弓を鳴らさせた。
弓の音で敵が多く残っていると誤認した蝦夷は警戒して砦から距離をとり、将軍たちはその隙に逃げた兵たちを集めて立て直し、勝利した。
朝敵相手にヒュンヒュン鳴らすと勝利を呼ぶ。呪ってやつに他ならない」
「なるほどね」
「そして弓音を威嚇射撃の代わりにするようになったんじゃないかな。
鳴弦の儀、見てると結構矢を番えてるか番えて無いかって分かりづらい。あれで一斉に威嚇射撃を受けたら物陰に隠れる時点で一歩出足が遅れる。コケ脅しだろうって強引に突っ込んでそこに数本でも本物の矢が紛れてたらそれで死ぬこともありうる。滅茶苦茶攻略しづらい」
「ダミーの攻撃に本物が混じってるやつだ」
「侵入者が弓音聞いたら「ばれたかな?」って動揺するだろうし。
警護で貴人の周囲を固めてちょくちょく弓音を立ててればお互いが「サボってないよ」って分かるし。独特の音だから他の音が紛れづらい。『お互いの弓音が聞こえるぐらいの間隔で警備の人を配置する』って基準ができるし」
「威嚇射撃の代わりや警護用、すっげー実用的っぽい」
「そしてさっきの『弓音で射撃音を欺瞞する』みたいなエピソードから『見えない悪いものを退けてくれる神様や仏様も多分弓で戦うこともあると思うから弓音で加勢しようぜ』みたいな発想で徐々に儀式化していったんじゃないかなーとか」
「ああそっか……しかし矢を跳んで躱すってすごいな。身体能力的に。
…………もしかして建御雷って、蝦夷?」
「蝦夷の定義が不明だから何とも言えないな。
ただ古事記には「天尾羽張、つまり建御雷のお父さんは天の安河を逆流させて道を塞いでいるので特定の神様しか行けない」って話が出てくる。
詳細は不明だけど、川を塞いでたって表現から考えられる一つは堰か何かを作ってた治水技術のある一団。
もう一つ考えられるのが水の難所っぽい、鹿島神宮の位置からして香取の海、今で言う銚子から入った常陸利根川の先、霞ヶ浦の豪族だった可能性だ。
そうなると天津甕星はその地域の敵対勢力だったのかもしれない」
「……霞ヶ浦の人だとして、何でわざわざそんな所の人に頼んだんだろ? 相手は出雲だよね? 遠くね?」
「天津神に当たる勢力の住んでたのが瀬戸内海沿岸って説がある。それで出雲の国津神側が陸の防備がっちり固めたんで攻めあぐねてたんじゃないかと。
天津神側は瀬戸内海を使ってたから外海を安全に航行する何かしらの技術が無かったって説。神武天皇の時は少なくとも外部の神様に案内を頼んでるし。日本武尊の時も航海中に死人出てるし。
天尾羽張や建御雷の所に行けるっていう神様の名前を天迦久神っていうんだ。古代の水夫を表す水夫に関連してるかもしれないと言われる。
応神天皇が鹿の毛皮着て泳いでる人達を見つけて、それで水夫を鹿児と呼ぶようになったって話があるんだけど、本来は鹿島の子か何かで鹿児だったんじゃないか?
それなら天津神陣営で外海を安全に航行する技術持ってるのが天尾羽張達だけだったんじゃないか? 霞ヶ浦も内海とはいえ、下ればすぐ外海だし」
「ああ、それで建御雷は船で来るのか」
「天鳥船とかが海に出ていた事代主を連れてくる動きを見るに、船団だったのかもね。
しかしそれなら建御雷も大国主達の勢力をなるべく削がないようにしたかもしれない」
「何で?」
「日本書紀にある草薙剣を献上した天葺根が大国主の親の天之冬衣だったなら、天津神と国津神はついこの間まで仲良かったはずだ。
それで本当はどっちが膨張してぶつかったかは不明だけど、もし天津神陣営が膨張政策採って大国主の所と争ってたなら……最悪の場合は大国主陣営滅ぼしたら膨張し続けて次、建御雷陣営だろ。
いつ外洋を航行する技術を身に着けて攻め寄せてくるか分からない。でも大国主の所が健在ならしばらくは大丈夫。いつ背中から刺されるか分からない状態で遠征は無理だ。
東征の時に布都御霊剣持った味方が現れたのも、実は援軍の振りして見張ってたんだったりして?」
「それだと全勢力がえげつねーよ!! お前もしかして日本嫌い?!」
「多分割と好きだぞ。こんな説時代によっては不敬罪とかだろうとは思うけど。
清く正しく美しくなきゃ許せないとかの方が病気だよ。国際疾病分類にあるパーソナリティー障害。極端な理想化と脱価値化」
「病気はねーだろ。出来れば清く正しく美しくしてて欲しいだろ心情的に」
「パーソナリティー障害の特徴って『無くて七癖』ぐらいの普通の人は誰でも持ってるささやかなもんだからな。
それが病気扱いされるほど激烈になると周囲の人がバタバタ抑鬱やらパーソナリティー障害っ気やらを起こしてマジやばいってだけ。
知り合いの創作者は疾病分類の本をキャラクター辞典代わりに使ってたぞ。キャラがどうしてそういう言動とるかまで構築出来て便利なんだと」
「ええ~~」
「建御名方は建御雷に負けて諏訪まで逃げたことになってるけど、日本海側から諏訪に行くなら姫川を遡って松本盆地を通る経路だと言われる」
「待って待ってどれどれ? っつーか姫川ってどこ?」
「姫川は日本海側、能登半島の東、新潟県糸魚川市。沼河比売が住んでいたとされるところ」
「……神通川」
「新潟だって言ってんだろ、もっと東」
「関川」
「行き過ぎ、もっと西。松本盆地の真北」
「あった」
「日本海側から姫川をさかのぼると諏訪の近くに出る。諏訪から天竜川をくだって太平洋側に出れる。迷いそうなとこに大きな盆地や湖があるから、日本海側から太平洋側に抜けるなら多分この経路が一番迷いにくくて速い。他の経路だと途中の山奥で遭難必至。
もし天津神陣営が国譲りで収まらずに国津神陣営に再侵攻した場合。
建御名方と建御雷、諏訪を連絡経路にして天津神陣営を挟撃する取り決めをしたとかじゃないか?
天津神は約束守ったからそうなってないけど、もし約束反故にして攻め込むような奴が力を持ち始めたら、やられるより先に滅ぼしに行くと思う」
「それだとドロッドロじゃねーか。……なぁ、建御雷の所どうなったの? 後々滅ぼされちゃったとかじゃないよね?」
「……常陸国風土記を見ると、あの辺の神話って天津神陣営の神話とちょっと違うっぽいんだ。
『荒ぶる神たちによって混沌としてる国に一柱の神様が降り立った。あちこち諫めて回って国を安定させ、天に帰っていった』って感じ。
更に常陸国風土記によると崇神天皇の時代、謎の神様が現れたんで「あの神様知ってる?」って話になった。答えたのが中臣氏の祖先にあたる人で「あれは鹿島の大神で、「自分を祀るなら全国を治めていいよ」って言ってます」みたいな回答してる。
本来あの辺、常陸国の神様は建御雷じゃなくてどうもこの神様らしい。
そんで常陸国風土記に出てくるその神様の名前の一つと思われるのが普都大神」
「えーと……??」
「常陸の国の神話にある『一柱で荒ぶる神々を鎮めた神様』と天津神陣営の神話の整合性をとろうとしたんじゃないか。大国主の国譲りを成功させた建御雷を神格化して神話に付け足し、鹿島の神様と習合させたんじゃないか。
そんで「普都大神は?」って現地の人にツッコまれて後年の日本書紀で布津主神をメイン、建御雷をサブリーダーに変えた」
「おお……」
「中臣氏の出自って若干謎が多いんだ。近江で羽衣伝説の当事者になってて天女の血が入ってたりするらしい。
実は母方が鹿島の偉い人の血筋で、この崇神天皇とのやりとりが実質的な常陸の国の国譲り宣言になったんじゃないかとか。
そうだとすれば常陸国風土記ってちょっと不自然って言われるぐらいには他の風土記と比べて天皇巡行と地名の結びつけが多いんだ。積極的に古来からの大和政権との関係をアピールして無駄に喧嘩しないようにしたんじゃないかとか」
「……よくあれこれ出てくるな。お前さっき壬申の乱のパワーバランスの変化で神様達の扱いが変わったっつったばっかりだろ」
「よっぽどの証拠が出てこない限り古代の考察なんてこんなもんだと思うぞ。批判的な研究は学者さんに任せてこうかもしれない、ああかもしれないって考えるの楽しくない?」
「まぁ俺はおもしろいけどさ。お前も完全にギリシャ神話渡来説放置だもんな」
「……普都大神はゼウス。数々の神話が入る前の。ゼウスのウスが由来」
「えええ」
「うそうそ適当言った。トンデモ系にはまる人もこういう感じなんだろうな。自説を愛しすぎちゃっただけで。
適当ついでに天津神、国津神、普都神で陣営が分かれてた場合、当時の見分け方が天とか天津が天津神と友好関係がある所で、建関係が普都神と友好関係があるところだったりするのかなーとか思ったりはした。
もしかして普都神陣営は国津神をどうにかする交換条件として「あんたの知り合いの天津甕星ぶっとばしても文句言わないで」みたいな取り決めしてたかも」
「でもそれだと建御名方は?」
「うん。伊邪那岐伊弉冉の時代とかにも建なになにの神様は居るからこの考え自体が辻褄合わないんだ。
でもこの考えで行くと建御名方は普都神陣営所属って扱いにして助命する代わりに名前変えたんじゃないかなーとか思ったりする。本来は違う名前で実は古事記の大国主の系譜に出てるのかも。
水に干潟で水潟って説があるらしいんだけど、例えば水の名で水名方とかなら大国主の直系の血縁者を示してる可能性が高い」
「そういや大国主のところの名前、水氷属性っぽいんだったか……」
「もしかしたら出雲と関東は祖先が近かったりしたのかもね。
古事記の素戔嗚の正式名称、建速須佐之男命だし。布都怒志命、出雲国風土記にも天地が分かれた直後の農耕神として出てくるし。こっちでは大国主が世界作ったことになってるからその子供になってるけど。
姫川諏訪天竜川経路も古来使ってた連絡通路だったのかも」
「……その建って何か意味があるんじゃないの? 伊邪那岐伊弉冉時代の神様とかでもさ」
「……俺の知る限りは国生みの時にちょこちょこ出てくる名前で、児島半島以外は瀬戸内海に面していない国って比定されてたはずだ……。
九州の長崎熊本鹿児島辺りとか四国の高知の辺りとか」
「瀬戸内海が中心だったなら……開拓地みたいな意味とかじゃない? 文字が建てるだし」
「……なるほど……? そうなるとそれぞれ本拠地と開拓地の子孫の人達なのかな、ヨーロッパとアメリカみたいな。
この仮定で行くと、天津神の使者の雉を射殺させた天探女は二重スパイかな。もとからスパイ説はあったからこれはそんな問題ないけど。
でもそうなると天鳥琴と天鳥笛何なんだって話になりそうだけど」
「天詔琴と天鳥船?」
「いや詔琴じゃなくて鳥琴。船じゃなくて笛。常陸国風土記に敵前で演奏して油断を誘う描写があるんだ。古事記の天鳥船含めて戦場に持ってくる傾向があるから軍用の何かなのかな? 軍楽隊とか」
「……天詔琴って本当は天鳥琴なんじゃね?」
「かもね。大国主は生太刀生弓矢と一緒に持ち出してるし。大きな音が鳴ったっていうのは当時珍しい共鳴板とかが付いてたのかも。
でもそうなると余計に分かんないのが地方の伝承には残ってるけど天津神陣営内の描写で一度も出てこないんだよな」
「当たり前すぎて描写されてないとか?」
「ありそうだけど……。普通に考えれば天津神陣営にもらった琴と笛と船なわけだが、外洋航行が難しい陣営の船をあえて遠征に持ってくか? って気もする。
天津神陣営が外洋航行できなかった理由が船の設計の問題の可能性もあるし」
「仮に喫水が浅くて外洋だと転覆しやすいとかなら底擦っちゃうような浅瀬で有利だろ。事代主が居たのが浅瀬だったんじゃね?」
「……確かに島根半島のこの辺ならありうるかな?」
Webから立体地図が引っ張り出された。
「よく見ると変わった形してるな、島根半島。そのうち湖が海とくっついて島になっちゃいそう」
「実は逆で海中だったところに土砂が積もって海と隔てられたらしいんだ。
ここら辺は二万年前から一万年前ぐらい、海水面が低い時代には陸地だったらしい。
海面上昇に伴い松江の嵩山周辺を除いてほとんどが海に沈んで島みたいになったと言われている。その後、土砂の堆積で海と隔てられ宍道湖と中海ができた。
建御雷達が着いたという稲佐の浜は島根半島の西の端っこ。事代主が漁をしてたという御大之前は今で言う美保関らしくて東の端っこ。
金属の剣があるっぽい事から弥生時代ごろとすると、当時の中海は海とつながったり土砂で埋もれたりで遠浅の干潟みたいになってたみたいだ。北からぐるっと回って捕まえに行こうとすると確かに干潟とかに逃げ込まれるかもしれない。
喫水の浅い船だったなら事代主を呼びに行かせるのに天鳥船使うのは理にかなってるかも」
「おお……つーか、ファンタジー描写っぽく見せて史実なんじゃないかみたいな事言ってたけどさ」
「立氷手品説はお前のせいだろ」
「青柴垣は? 何か事代主が生やしたんだよね?」
「……浜辺のそばまで戻って大国主の状況を確認した後、肯定的な返事をして引き伸ばしを図り、意図的に船の端を踏んで転覆させてアマモとか海藻の中に隠れて泳いで逃げたんじゃないかなーと思ったりする。その目隠しになった海藻とかが青柴垣」
「何で? 逃げてどうすんの?」
「建御名方達、軍を呼ぶため」
「ああー……」
「もし建御雷が刃乗りのパフォーマンスで人を呼んだなら、敵対的ではないせいで住人の誰も軍を呼んでなかったんだと思う。
出雲国風土記の中には烽、いわゆる烽火台らしいものがあったみたいなことが書かれてるんだ。例えば嵩山の狼煙台とか弥生時代にはあったと言われてる。
そうなると建御名方の「誰來我國而、忍忍如此物言」っていうのも、普通は国譲りみたいな無茶な提案されたら自分たちが来るまでに戦闘が起こってる物なんだから、静かに話し合いが進行してたのが不気味だったかも」
「なるほどね。ところでさっき言われてから地図で川とか平野をたどってるんだけど、瀬戸内海周辺を避けて日本海側から太平洋に抜ける経路ってマジで出てこないな。長野盆地まで出たんだけど軽井沢辺りで詰んだ。ここ抜ければ利根川なのに」
「確かに軽井沢の先に行ければ利根川の源流の一つだけど、途中の千曲川でも絶対迷うだろ。
姫川諏訪天竜川経路も塩尻峠とか難所だけど、千曲川軽井沢利根川で東京湾に出るのとどっちが速いかは分からない」
「……利根川ってダイレクトに銚子まで行くよな?」
「縄文時代初期には繋がってたと言えなくもないけど……とんでもなく入り組んだ入江って感じで絶対迷うぞ。利根川が銚子とつながったのは江戸時代の最初。家康がはじめた利根川東遷の工事からだよ」
「江戸時代!?」
「そう、それ以前の利根川は暴れ川で、関東平野で何度も流れを変えてたっぽいから、これを連絡経路に使うのはちょっと厳しいかもしれない」
「えー……そんなん歴史と衛星写真知ってなきゃ無理だろ。群集心理とか手品とかもできるっぽいし、建御雷逆行転生者説」
「むしろ居ないだろ、現代人で刃乗りと手品と合気道と群集心理と歴史地理修めてる人。どういう経歴ならそんなスキルツリー生えてくんだよ」
「古典芸能系の動画配信者とか」
「微妙にありそうなのやめろ」
そして雑談は続く。
「オープンベータ明日なんだなー。俺ちょっと出遅れるけど」
「ところでお前はジョブとか神様とか変える?」
「え? 何で?」
「オープンベータに伴ってレベル1に戻る。
あのゲームの花形ってボス戦だろ? 今の所お前のスキルは完全にダンジョン探索特化だし、式神使いは攻撃型じゃないし。ボス戦には不利だ。
この機会に変えたりするかなって」
「ん―…………」