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QUESTION?

作者: ポール石橋


  1


 授業が始まってすぐ、井上先生はためらいがちに口を開いた。

「ね、ねえみんな?そのね、今日の授業、テスト前だから自習の時間にするって伝えてたと思うんだけど、そのね、前野先生のクラスと比べて遅れてるみたいだから、テスト範囲ではないんだけど、やっぱり普通に授業進めようかなあ、なんて思うんだけど……」

 そう言い終わらぬうちに、一斉に「え~!」の大合唱。打ち合わせでもしていたみたいなユニゾンで、全く仲のいいクラスメイトたちだことと呆れながら、窓際の一番後ろの席で私も同じように声を出す。

 井上先生は慌てて、

「ご、ごめん!そうだよね、みんな、嫌だよね、大体、自習って言ってたのに突然変えるのはよくないよね、うん、今日は予定通り自習にするね」

 頭を下げる井上先生にやんややんやの拍手喝采。ちょっとかわいそうな気もしたけどしょうがない。井上先生はとにかく意志が弱いのだ。

 さてさて、自習の時間になると案外に黙々と勉強をし始めるクラスメイト。私はと言えば、さっぱりやる気がおきず(みんなが勉強している空間に息が詰まりそう!)、教科書もノートも開かずに、

「自習も自習でめんどくせー」

 と思わず声にした。

「そんなんだから赤点ギリギリなんだ」

 右隣の席を向けば、教材を開かずにスマホをいじっている伴場優。

「優だって勉強してないじゃん」

「家でするから問題ない」

「ああ、帰宅部だもんね」

「ちひろもだろ」

「私は文芸部に入ってますー」

「読書してるとこ見たことないんだけど」

「家でしてんの」

 実際は家でもほとんど読まない。本は好きでも嫌いでもないけれど、何かしら部活には入っていた方が高校生らしいかと思って文芸部に入った。それが割かし居心地よくて、二年の春までこうしてしっかり在籍中なわけだ。もっとも、読書には相変わらず興味がわかず、そんな私に真木部長は苛立っているようだけれど。

「どういう本読んでんの?」

 基本的に読まないけど、と言うわけにもいかず、これまでの人生で読んできた本の数々を思い出す。

「えーとね、うん、まあ、色々」

「色々じゃ分からない」

「色々は色々」

「せめて好きなジャンルとか」

「ジャンル?うーん」

 そこでついこの間六か月かけて読み終えた一冊の本を思い出した。アガサ・クリスティーの『アクロイド殺し』。犯人以外、もう何も覚えていないけれど。

「ミステリー。ミステリー読むよ」

「ミステリー?意外」

「そう?」

「安っぽい恋愛小説でも読んでんのかと思ってた」

 よく分からないけど馬鹿にされたらしい。

「優は?本読むの」

「読むよ、たまに」

「読書してるの見たことないけど」

「人のいるとこでは読まない。気が散るから」

「神経質」

「そう思う」

「どんなん読むの?」

「色々」

「色々じゃわかんないんだけど」

「色々は色々さ」

「せめて好きなジャンルとか」

「ジャンル?うーん、まあ、俺もミステリーかな」

「そうなの?なんか意外」

「そうか?」

「もっと、すかした感じの小難しい小説読んでるイメージだった」

「馬鹿にされた気がする」

 気づけば教室で発される声は私と優だけ。後はみんなの教科書をめくる音とシャーペンを走らせる音と、教卓で小さくなっている井上先生のしょぼーんという効果音が響くのみ。真面目なみんなの自習時間であることも意に介さず、私と優は会話を続ける。

「あー、なんか暇だな」

「勉強しろよ」

「普通にやってもつまらないしさ、問題出し合いっこしない?」

「なんでちひろとそんなことやんなきゃいけないんだよ」

「いいじゃん、多少なりとも楽しく勉強できる」

「高校世界史の問題なんて覚えてるかどうかなんだから、面白くもなんともない」

「じゃあ、別の教科の問題にするとか」

「勘弁してくれ、面倒くさい」

 なかなか話にのってこない。こうなると私も意地でも暇つぶしに付き合わせてやりたくなる。そこでいいことを思いついた。

「じゃあさ、テストとか関係ない謎解きに挑戦してみない?」

 それまでずっとスマホを見つめていた優が初めてこちらを向いた。

「謎解き?」

 これはしめたぞと私はしたり顔。

「そ、謎解き。ミステリー好きなんでしょ?だったら、そういうの好きじゃない?」

「……嫌いじゃない」

「素直になりなさいよ」

「で、どんな謎?殺人?誘拐?神隠し?」

「そんなたいそうなもんじゃないよ。昨日私が遭遇した小さな謎」

「俺、日常の謎系は好みじゃないんだよね」

「その名も密室ケーキ消失事件!」

「人の話を聞けよ」

「昨日の放課後、文芸部の部室に行ったら、私以外の部員三人が既に集まってたんだ」

「え?もう始まんの?」

「各々について教えとくね。一応全員容疑者になるから」

「へいへい、もうお好きにどうぞ」

 そう言ってスマホの画面を消す優。明らかに興味を抱いている風じゃないか。

「まず一人目、真木翔子先輩。三年で我らが文芸部の部長様。性格は冷酷無比……」

「いや、性格とかはいいよ。先入観ができて推理の邪魔になる」

 いっちょ前のことを言いやがる。

「真木先輩は図書委員長を兼任してる。この事実があとあと事件に関係して来るから覚えといて」

「分かった分かった」

「二人目が狭山諒。私の同級生ね。次の部長になることがほぼ内定済。狭山君と面識あるっけ?」

「ない。早く次」

「三人目が谷川万梨阿ちゃん。現状文芸部唯一の一年生。そして四人目が私、阿澄ちひろ。花の高校二年生。この四人が集まった昨日の部室であの惨劇は起きたの……」


  2


「お疲れ様でーす」

 と入っていくと、部室の机を囲んで座る三人、真木先輩、狭山君、万梨阿ちゃん。そしてその机に置かれていたのはケーキ箱。

「お疲れ」

「お疲れ様」

「お疲れ様です」

 挨拶もそこそこに私は座った。窓から入り込む風があたって涼しい席。

「何ですか、これ」

 とケーキ箱を指差せば、万梨阿ちゃんがフタを開けて中身を見せた。

「ご覧の通り、ケーキですよ」

「いや、それはまあわかるけど、なんでケーキがあんの?」

 箱に詰められた五つのショートケーキが輝きを放っている。

「うちのOGだって人が置いていったんです」

「OG?」

「ずっと年上の人ね。教育関係の仕事をしているらしく、ちょうどうちに来てたんだってさ。ついでに後輩たちにってことでくれたみたい」と真木先輩。

「へえ、いい人ですね。どんな方でした?」

「さあ、誰も見てないからわからない」

「え?」

「いたのは午前中だけみたいで、私たちが授業を受けている間に帰ったみたい」

「じゃあ、このケーキは無言で部室に置いていったんですか?」

「井上先生に預けてたの。部室の鍵を借りに行ったときに先生が渡してくれた」

 井上先生は文芸部の顧問をしている。と言っても、何か指導をしてくれるわけではないけれど。

「なるほどなるほど」

「ま、全員そろったことですし食べましょうか」という狭山君の提案に真木先輩は頷き、私たちは一人一つ、ショートケーキをぺろりとたいらげた。それはそれは美味であることこの上なかった。

「で、この余った一個はどうします?」

 狭山君の言う通り、ケーキ箱にはぽつんと寂しくショートケーキが残っている。元々五個あって、四人が一つずつ食べたのだから当然だ。

「井上先生にあげればいいんじゃない?」とケーキを食べて満足げな表情でいたろう私が言った。

「いらないってさ。ダイエット中だとかで」

 井上先生の体を思い出す。特段気にするほどでもない気はするけれど、人には人の悩みがあるものだろう。

「じゃあ、折角だから私がもらっちゃおっかな」と伸ばした手を真木先輩の力強い手ががしりと掴んで止めた。

「ちょ!痛いです!」

「痛いですじゃない。何勝手に自分のものにしようとしてるの」

「全くです。抜け駆けはいけません」とジト目の万梨阿ちゃん。

「二人ともそんなにケーキ好きですっけ?」

 首を縦に振る二人。

「万梨阿ちゃんはともかく、真木先輩はそういうキャラじゃないでしょう」

「うるさいわね。人を『キャラ』とかいう無機質な言葉で括らないでもらえる?」

「ごめんなさい」

「大体、ここは年長者に譲ってもいい場面じゃない?」

「年功序列なんて時代の流れが読めてませんよ」と万梨阿ちゃん。

「今じゃ能力主義の弊害が叫ばれている」

「だからって年功序列に戻ればいいわけじゃありません。大体、あんまり甘いものばっかとってるとお肌にも悪いですよ。お歳なんですから」

「二つしか変わらないのに歳も何もないでしょう」

「さっきと言ってることが違います!」

「時間は常に揺れ動きながら流れているのよ」

 険悪な空気が流れ始めたのを察した私は慌てて、

「まあまあ、とりあえずここは公平にじゃんけんで決めましょうよ」

「自分が最初に出し抜こうとしたくせに、偽善者ぶって小賢しい」

「不愉快です」

 と侮蔑の目を送る二人。

「悪気があってやったんじゃないから!ただ、普通に食べてもいいかなあって思って手を伸ばしただけで……」

「なお悪いわね。世界は自分を中心に回っていると思っているタイプ」

「傲慢極まりないです」

 と憐れむ風に見る二人。

「ああもう!とにかくじゃんけん!ここはじゃんけんで!」

 三人は立ち上がり、各々じゃんけん前の準備運動を始めた。そこで座ったまま本を読んでいる狭山君に気づき、

「狭山君は?いらないの?ケーキ」

「僕?僕はいいよ。一個食べただけで充分。これ以上食べたら気持ち悪くなる」

「そう」

「よし、そろそろいくか」

 三人は真剣なまなざしで相手をにらみ合いながら、構えに入った。

「それじゃ……」

「うん」

「はい」

 同時に息をすうっと吸い込み、

「最初はグー!じゃん!けん!……」

「あ、ちょっと待った」

 突然の真木先輩の声に私と万梨阿ちゃんは気抜けした。

「なんですか、これからって時に!」

「拍子抜けです」

「これから図書委員の仕事があるんだった。腕時計が目に入って思い出したの。悪いけど、じゃんけんの前に三人も手伝って」

「えー、めんどくせー」

「手伝わない場合、ケーキ争奪じゃんけん大会への参加資格は剥奪となる」

「きったない!」

「それとこれとは話が別では……」

「いいから早く。ケーキは後のお楽しみ」

 にやにやして私たちを追い立てる真木先輩。万梨阿ちゃんは「じゃんけんは心理戦。もう戦いは始まっている……」などとぶつぶつ呟いている。

「鍵はどうします?」と狭山君が聞く。

「閉める。貴重品置いていくし、ケーキを取られちゃ敵わないもの」

「了解です」

 ケーキを残し、四人が廊下に出る。鍵をしっかりと閉める狭山君。カチリと音がしてからも、ドアノブに手をかけて確かに開かないことを確認する。

「鍵失くしても面倒なんで、一応井上先生に預けてきますね」

「ええ、よろしく」

 狭山君はそのまま隣の教官室の井上先生に鍵を返しに行った。

「先に行ってましょう」

 私、真木先輩、万梨阿ちゃんは一階に向かった。目的地である図書室に入る寸前で狭山君が私たちに追いついた。

「鍵返すくらい待っててくれたっていいのに」

 と私にだけ聞こえる小さい声でつぶやく狭山君。

「まあ、真木先輩はそういう人だから……」

「そりゃあもう嫌というほどわかってるんだけどさ……」

 そのまま私たちは三十分ほど図書委員の仕事を手伝ったのである。


  3


「あーもう疲れたー」

 ぶつくさ文句を言いながら部室に戻る道を歩く。

「本って重いですよね」と万梨阿ちゃん。

「いやほんと、か弱い乙女には重労働すぎるって」

「何の謂れがあってあんな仕事やらなきゃいけないのか、理解しかねます」

「いちいち当てつけみたいに言わないでもらえる?」

 前を歩く真木先輩が振り返ってにらみつける。

「だって、そもそも図書委員の仕事を私たちがやるのおかしいですよ」

「放課後はそれぞれの部活があるんだから仕方ないでしょ」

「私たちだって文芸部というれっきとした部活動が……」

「部室でケーキ食べるだけだけど」と狭山君がポツリ。

「そうだ!ケーキじゃんけんの途中だった」

「忘れてたの?忘れるくらいならちひろはいらないんじゃない?」

「いります!何が何でもいります!」

 ケーキが食べたいどうこう以上に、真木先輩にケーキを渡すのが癪な気がしてきた。こうなりゃ、万梨阿ちゃんと手を組んででもどうにかケーキを死守しなければ。

「鍵取って来る」

 部室の前に着いてから、真木先輩は隣の教官室に入って行った。井上先生から借りた鍵を持って来ると、

「戦闘開始」

 と不敵な笑みを見せ、部室の扉を開けた。

 四人で一時間前と同じままのはずの部室に入る。

「ちょっとムシムシするなあ」

 と狭山君が窓を開けようとした時、

「ちょっと待って!」

 突然の大声に狭山君のみならず、私も万梨阿ちゃんもびっくり仰天だ。

「な、なんですか」

 顔を向ければ、ケーキ箱の中を凝視する真木先輩。その恐懼の表情に、私たちはただ事ではない雰囲気を読みとった。

「……真木先輩、どうしたんですか?」

 恐る恐る聞く私。真木先輩はゆっくりと口を開いた。

「ケーキが、ない」

 指差した先はケーキ箱の中。私たち三人はじりじりと歩み寄って、仲良く一緒に覗き込んだ。そこには確かにあったはずの、あのイチゴのショートケーキが姿を消していた……。


  4


「……終わり?」

 優が少し馬鹿にしたような表情で見つめている。

「事件発生については以上。それから昨日の部活は誰かがケーキを盗み食ったんじゃないかとお互い疑心暗鬼になっちゃって、もう最悪な雰囲気。勘弁してよって感じ」

 はあと大きくため息をついた後、

「平和なところだな、文芸部」

「平和なもんか。毎日が戦いの日々なんだから」

「私利私欲に走り争いをやめない人間の愚かさよ」

「優も入る?文芸部」

「どうしてそういう話の流れになる」

「入りたそうに見えたから」

「眼科行け」

「さて、私たちが図書委員の仕事をしている間に消えたイチゴのショートケーキ。一体誰が奪い去ったのか?それ自体も不思議だけど、一番不思議なのはケーキが消えた時、部室は密室だったことなの」

 少し自慢げに言ったのに、優は相変わらず呆れ顔。

「密室ねえ」

「まず、私たちが部室を出る時、鍵は確かに狭山君が閉めた。これは間違いないよ。鍵を右方向に回してカチリと音が鳴るのを他の三人も確かに聞いてるからね。そして図書室から戻って来た時、鍵を開けたのは真木先輩。その後ケーキが消えていたのを真木先輩が発見。すぐに窓を確かめると、こっちも確かに閉まっていた。つまり、私たちが部室に入る前、密室状態だったんだ」

「部室は二階だろ?どっちにしても窓は出入り口にはならない」

「それはそうだけど、より密室らしいってこと」

「ふん。とりあえず事件を整理しようか」

 おっと、なんだかんだでノリノリじゃないか。全く素直じゃないやつめ

「事件が起きたのは昨日の放課後。舞台は文芸部の部室。そこで四人の文芸部員がケーキを食べた。しかし、一つ余ったケーキを巡り、食い意地張った三人で争い勃発」

「なんかひっかかる言い方」

「決戦寸前で部長の真木が図書委員の仕事を依頼。四人は部室を出る。ちなみに何時くらいだった?」

「四時ちょうどくらいかな」

「この時部室の鍵を閉めたのは狭山。狭山は鍵を井上先生に預けに行き、他の三人は図書室へと向かった。図書室に入る寸前で狭山も合流。それから図書室で仕事を始める。これが一時間くらいだっけ?」

「そう」

「よし。仕事を終えた四人は部室へ。真木が井上先生から鍵を借り、扉を開ける。そこで真木がケーキの消えた箱を発見。三人もそれを確認し、更には窓の施錠も確認。部室が密室だったと判明したわけだ」

「大体そんな感じだね」

「まあ、まとめればこうなるか」

 と何やらノートに書きこみ始めたのは次のようなもの。


     (部室に真木、狭山、谷川、部室)

      阿澄、部室に入室。五つのケーキを確認。

      四人で一つずつケーキを食べる。

      余ったケーキを巡り阿澄、真木、谷川で争奪戦開始。

16:00    決戦前に真木が図書委員の仕事を依頼、四人でケーキを残して部室を出る。

      狭山、部室の鍵を閉める。井上先生に鍵を預けに行く間、真木、阿澄、谷川、移動開始。

      狭山、図書室に入る寸前で四人に合流。

      図書室で仕事。

        ↓三十分程度

16:30    四人で部室に戻る。真木、井上先生から鍵を借りて来て開ける。入室。

      真木、ケーキの消失を発見。ついで部室が密室であったことを発見。


「さて、こう並べてみれば一層分かりやすいが、明らかに空白の時間があるな。どこか分かるか?」

「そりゃあ……」

 と「三十分程度」のところを指差す。

「そ。ケーキが消えたとすれば、当然この時間が最も可能性が高い」

「だけどさ、図書室で仕事してる時は、私含めて容疑者四人ともずっと一緒だったよ」

「間違いなく?」

「うん。真木先輩が目を光らせてたし、とても抜け出せる状況じゃなかった」

「ふむ」

「それに、ケーキが消えた後井上先生に聞きに行ったら、鍵はずっと井上先生が持ってたってさ。仮に抜け出したとしてもさ、鍵がなくちゃ、部室には入れないじゃん」

「狭山が鍵を閉めたのは確実なんだな?例えば、閉めたふりをしたとかではなく」

「さっきも言ったけど、それは絶対。三人がじいっと見てたからね」

 優は「ふむふむ」とノートの「狭山、部室の鍵を閉める」のところに「完璧!」と付け足す。

「……ちなみに、それは別として、私は狭山君が怪しいと思ってるの」

「というと?」

 私はノートの「井上先生に鍵を預けに行く間」というところを指差した。

「ここ。ここにさ、狭山君だけ空白の時間があるでしょ?」

「つまり、鍵を返しに行くふりをして、三人が図書室に向かった隙にもう一度鍵を開け、ケーキを食べ、再び鍵を閉め、鍵を預け、図書室に向かったと?」

「そう。狭山君、自分はケーキなんて興味ありませんって顔しておいて、実はほしくてたまらなかったんだ、きっと」

「ふむ、可能性はなくはないが、限りなく低い」

「どうして?」

「確かに狭山には空白の時間がある、でも結局すぐ追いついているんだろ?そのケーキってのは一瞬でたいらげられるようなものなのか?」

「うーん、割とボリューミーなケーキだった」

「部室から図書室まで歩いてかかる時間は?」

「多分、二分もかからない」

「狭山に与えられた時間を逆算しよう。合流したのは三人が図書室に入る直前。部室前で分かれてから約二分後。狭山が遅れていた分を取り戻すために走ったとして、移動には短めに見積もっても一分はかかる。残された時間は一分。狭山はその間に部室の鍵を開け、ボリュームあるケーキを食べ、鍵を閉め、鍵を預けなければいけない」

「……ちょいと厳しいね」

「ほぼ狭山の線はなし」

「ちなみにちなみに、もう一人怪しいと思う人物がいて」

「誰?」

「真木先輩」

「犯行はどのタイミング?」

「部室に戻って来た時、ケーキが消えたのを発見したのは真木先輩でしょ?実はこの時三人の目を盗んで食べちゃったんだよ。第一発見者を疑えってやつ」

「言っててむなしくならないか」

「うるせーやい」

「まあ、絶対にないとは言わないが、無理筋過ぎる」

「じゃあ何さ、ケーキは密室で自然にふっと消えてしまったって言うわけ?」

「そもそも鍵が外にあったんだから正確には密室と言えんだろ」

「そういうもの?」

「ミステリー的には、そういうもの」

「ふうん」

「ま、いいだろう。今回の事件を密室だとしてだ、なぜ密室にする必要があったかを考えるべきだ」

「というと?」

「ケーキを食べた人間、つまりは犯人がいたと仮定する。どのように部室に入り込んだかは置いておいて、なぜ出る時に密室状態にしたのかが疑問だろ。例えば、扉を開けっぱなしにしていた方が、外部者の犯行に見せかけられる。わざわざ密室にする必要性がない」

「なるほどね」

「そこが一つの糸口になるわけだ」

 自信ありげな言い方に私は訝しんだ。

「……もしかして、もう真相がつかめてるの?」

「大体わかった」

「!」

 この短時間で密室ケーキ消失事件の謎が解けたというの?半信半疑ではあるけれど、

「聞かせてもらおうかしら」

「なんでちょっと偉そうなんだよ」

「いいからはよせい」

 優は「それじゃあ」と一つ咳ばらいをして、姿勢を改める。

「まず、この事件の謎を一つ一つ挙げていこう。それらの答えを出すことで、一本の線が見えてくる。さあ、この事件の謎は?」

「それは、ケーキがなんで消えたのかってことでしょ」

「勿論、最終的な疑問はそこに収斂する。まあ、ケーキが消えたのは誰かが食べたと考えるのが普通だし、ケーキを食べたいという欲求を持つ人間が不思議でないことは、ちひろたちが証明している。普通にケーキを食べた犯人がいると考えよう。あとの謎は?」

「じゃあ、その犯人はどうやって鍵のかかった部屋に入り込んだか」

「そうだな。あとは?」

「うーん……さっき言ってた、なぜわざわざ密室にしたかってこと?」

「それは確かに大きな謎だ。他には?」

「他に?まだ何かあるの?」

「ある」

「うーむ……わからん!もったいぶらずに教えてよ」

「考えてみてほしい。ちひろたちが部室を出て、図書室で仕事をして、戻って来た時、変わっていたのはなんだったか」

「だから、ケーキが消えていたこと」

「それ以外になかった?」

 それ以外?腕を組み、あの時の部室を思い出すけれど、さっぱり思い当たらない。

「ないと思うけどなあ」

「窓、開いてたんじゃないか?」

 ぎょっとして優の顔を向けば、これ以上ないしたり顔。

「そうだった!部室を出る時、窓、開いてたよ。あの部屋蒸し暑くてさ、窓開けないとやってられないんだけど、いっつも開けっ放しで外出るから井上先生に注意されてるんだ。あの時も開けっ放しで出たはず」

「やっぱりね」

「にしてもよくそんなこと分かったね」

「ちひろが自分で言ってたんだけどな」

 私、そんなこと言ってたっけ?細かいことに気づく男だ。

「さて、では順に謎を追っていこう」

 とまたノートになにやら書き始めた。


①ケーキを食べた犯人は誰か


 ②犯人は密室にどのように入り込んだのか


 ③犯人はなぜわざわざ扉の鍵を閉めたか


 ④犯人はなぜわざわざ窓を閉めたか


「ちひろたちが部室を出た時窓は開いていたわけだから、そもそも密室ではなかったんだ。犯人はそれをわざわざ閉めて、扉の鍵も閉めて、強度の高い密室を作り上げた。不思議じゃないか?」

「不思議だね」

「密室を作り上げる段階に行く前に、まずは②犯人は密室にどのように入り込んだのかを考えよう。ま、実際は窓が開いていたんだけど」

 そこで私はハッとした。

「そっか!窓が開いてたってことは、そこから鳥が入り込んでケーキをさらって行っちゃったてことだ!」

 優はがくりと椅子からずり落ちそうになった。

「いや、まあ、可能性がないとは言わないけど……とりあえず俺の話を聞いてくれ」

「御意」

 優はもう一度咳ばらいをして仕切り直した。

「仮に鳥がケーキを食べたとしたらその後窓が閉まっていたことに説明はつかない。器用なオランウータンであっても、外から窓を閉めることはできない。窓外からの侵入者は可能性として低すぎる。いいか?」

「オッケー」

「よし。では部室に入り込むにはどうすればいいか。当然扉から入ることになるな」

「だから扉は鍵がかかって……」

「さっきも言ったけど、鍵自体は部室の外にあったんだ。何も不思議なことはない」

「……どういうこと?」

「ちひろたちが仕事をしている間、鍵はどこにあった?」

「それは井上先生……」

 そこでハッとして、

「犯人は井上先生⁉」

 優はにやりと腹の立つ笑い方をした。

「ま、そうなるな」

 少し呆然としていた私はすぐにぶんぶん頭を振って、

「でも、先生はダイエット中だから、ケーキは食べないんじゃない?」」

「ダイエット中だからと言い聞かさないといけないほどに食べたかったんじゃないか?ま、どっちにしろダイエット中であることが反論には成り得ない」

 意志の弱い井上先生のことだ、目の前の誘惑に負けてしまってもおかしくない。

「鍵のかかった部屋は、鍵を使えば入室可能。あまりに当たり前の事実」

「そっか、犯人は井上先生……」

「待て待て、実はこの段階ではまだ井上先生だとは言い切れない」

「どうして?」

「誰かをかばっている可能性もあるだろ?実は鍵を借りに来た誰かがいて、そのことを黙っているとか」

「なるほど」

「さて、そこで③④の謎が活きてくる。わざわざ扉と窓を閉める人物を考えてみれば、やっぱり井上先生がぴったりじゃないか?」

「なんで?」

「さっき窓を開けっぱなしにして先生に注意されるって言ってたじゃないか。これまでも開けっ放しにしていた扉や窓を先生が閉めてくれたことがあったんじゃないか?」

「あったあった!」

「となると、空白の三十分間に井上先生が部室に入ったことはほぼ確実。でもそのことを先生は不自然にも言わなかった。そしてちひろたちが戻って来た時にケーキは消えていた。こうなればもう、犯人は……」

「井上先生だね」

 優は満足そうにうなずき、

「さ、推理を整理しよう。一応言っておくと、俺の推理には当然証拠がない。聞いた話から一番ありえそうな説を述べているだけってことは承知するように」

 優は例のノートに追記し始めた。



     (部室に真木、狭山、谷川、部室)

      阿澄、部室に入室。五つのケーキを確認。

      四人で一つずつケーキを食べる。

      余ったケーキを巡り阿澄、真木、谷川で争奪戦開始。

16:00    決戦前に真木が図書委員の仕事を依頼、四人でケーキを残して部室を出る。

      窓は開けっぱなし。

  完璧!→狭山、部室の鍵を閉める。井上先生に鍵を預けに行く間、真木、阿澄、谷川、移動開始。

      狭山、図書室に入る寸前で四人に合流。

      図書室で仕事。

        ↓一時間程度……井上先生、部室に侵入。窓を閉め、ケーキを食べた後、退室。扉を施錠。

16:30    四人で部室に戻る。真木、井上先生から鍵を借りて来て開ける。入室。

      真木、ケーキの消失を発見。ついで部室が密室であったことを発見。


①ケーキを食べた犯人は誰か


 ②犯人は密室にどのように入り込んだのか

 →鍵で開けたと考えるのが自然

 →鍵を持っていた人間が犯人

 →鍵を持っていたのは井上先生

 →犯人は井上先生?

 ……鍵を借りに来た誰かを先生がかばっている可能性


 ③犯人はなぜわざわざ扉の鍵を閉めたか

 ④犯人はなぜわざわざ窓を閉めたか

 →窓の施錠について普段から井上先生が注意(教師としての防犯意識)

 →井上先生は鍵を持っていた

 →部室に入り窓を閉めたのは井上先生、同様に扉も閉める


 ②+③+④

 →短時間に二人の別の人間が部室を出入りしたと考えるのは不自然

 →井上先生が窓の施錠で部室に入ったことを言わなかったのは不自然


   ⇓

犯人は井上先生


「井上先生が部室に入った理由は、窓の施錠を確認することだったんじゃないかな。あの子たちまた閉め忘れたんじゃないかしらって、確認しに行ったところで余ったケーキを発見した。それで我慢できずに食べちゃったんだな。食べてしまってからこれはいけないと焦りながらも、教師らしい防犯意識で窓と扉の施錠はしっかり行ったってわけだ」

「計画的な犯行ではなかったわけだ」

「先生は決して嘘はついてないんだよな。自分が鍵をずっと持っていたってのは真実だし」

「それにしたって、元々先生にあげようとしてたケーキなんだから、隠すことなかったのに」

「言えないくらいにちひろたちの様子が怖かったんじゃないか」

「あー……私や万梨阿ちゃんはともかく、真木先輩はね……」

「さてと、さっきも言ったように推測だらけで手に入れた情報から一番有力な説をとっただけ。あとは犯人の協力にすがるしかないんだけど……」

「あ、あの、阿澄さん、伴場さん」

 私たちがぎょっとして顔を向ければいつの間にか目の前に井上先生が立っていた。真っ赤な顔でうつむきがちになりながら、

「自習中は、その、静かに勉強してね、それと、その……ごめんなさい」

 ぺこりと頭を下げる井上先生。教室の隅という隅からはくすくす笑いが聞こえている。自習中だったことを思い出した私と優は顔を見合わせ、気まずさを覚えながら、

「……すみません」

 頭を下げながらちらと見れば、顔を上げた井上先生は真っ赤っか。それにしても、ダイエットする必要なんてなさそうなんだけどな。

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