神官長は禿に怯えている ②
「うわぁああああ」
イドブは、自分の声に目を覚ました。
その身体からは滝のように汗が溢れている。
イドブは、今日も自分の頭がはげてしまう夢を見てしまっていた。
その夢を見てしまった原因にイドブは心当たりがあった。賄賂を預かって、巫女の力がないものを巫女として登用しようとしていたのだ。だけど、それは神に見破られていたのだろう。
しかし今までイドブが何をしようとも、こういったことはなかった。
ならば何が違うかと考えると、やはりトリツィアの存在である。
イドブもトリツィア自身も正しく理解しているわけではなかったが、トリツィアほどに力を持つ巫女はその祈りをもってして、神に語り掛け、その力をもってして現実に影響を与えられる。
神というものは、直接的に人の世に影響を与えることはしない。けれども神の代弁者であるトリツィア越しに影響を与えることは出来る。
トリツィアは、歴代でも類を見ないほどに巫女としての力と、神との親和性が強い。
だからこそ、トリツィア越しに女神様は割と好きに動いている。
(私がもし昔のようになってしまったら、私の髪はこのままなくなってしまうだろう)
イドブはよき大神官として今、生きている。
それは頭が禿げてしまうのを恐れているからというのが一番の理由だ。ちなみにきちんと大神官として過ごしているからか、髪はふさふさになってきている。
(……こうして大神官としての職を真っ当にこなすことは悪いことではない)
昔のイドブは、自分の私利私欲のために不正を行っていた。とはいえ、神官になったばかりの頃のイドブはちゃんと真っ当に神官生活を送ろうとしていた。だけれども、神殿というのは腐敗が進んでいる場所だった。周りが腐敗して、不正が横行していれば、それに感化されてしまうものだ。
そういう周りに流されることもなく、生きられるという人はあまりいない。
イドブだってそういう人間で、気づけば神官になった時のことなど記憶から失せていき、立派な悪徳神官になっていたのである。
――だけど、トリツィアがドーマ大神殿にやってきて、禿げる夢を散々見せられて、真っ当な神官長として動くようになり、イドブは昔の気持ちを思い出していた。
昔、神官として人のために動きたいと、誰かの役に立ちたいと思っていた気持ち。誰かに感謝されることで、イドブはそれを思い出していた。
思い出したからこそ、今までの自分のことを反省し、神への祈りを昔のように行うようになっていた。
(妻にも昔のように戻ってもらえたと喜んでもらえて、周りから感謝をされて、私はそれがむず痒いけれども嬉しい。……トリツィアは、神が私に与えたやり直しのためのきっかけだったのかもしれない)
イドブは昔、散々神に仕えるものとして眉を顰められるような行為をしてきた。そのやってきたことは、今更生していようとも変わらない。イドブは過去のことを謝罪したりはしているが、当然、イドブを許さないとするものもいる。
イドブはそれだけのことをしているのだから、いつか刺されてもおかしくはない。
潔癖な人間など結局のところいないものである。人と関わっていれば、どこかで誰かに憎まれたり、嫌われたり――そういうことが少なからずある。
特にイドブは悪徳神官長として名をはせていたので、誰かに憎まれているのも仕方がなかった。
(――私は誰かに殺されるかもしれない。だけどそれまで神に仕える神官長としてこの命が神の元へ帰るまで神の前で誇れるように動こう。それにトリツィアのことを見守るのも一つの目標だ)
トリツィアという下級巫女は、イドブの目から見ても特別だった。
ただただ自分のやりたいように、自分が望むままに生きているトリツィアは特別な少女である。
下級巫女から、上級巫女に上がる気は全くない。イドブたちが打診したこともあったが、トリツィアはそれを嫌がっていたので下級巫女のままである。
おそらく女神の意志を体現し、女神から多くの影響力を受けている。トリツィアが正しく何を出来るかまではイドブは分かっていない。
だけれども女神のお気に入りで、女神の意志を体現している存在なので、このまま大人しく下級巫女として生きられることは難しいだろう。
恐らく何かに巻き込まれる。既に色々やらかしていてドーマ大神殿の中では有名になっている。けれどまだその外では有名になっていない。それはイドブやレッティたちが周りに広まらないように動いていたからというのもある。
トリツィアは何かあれば、すぐにこのドーマ大神殿から去るだろう。トリツィアはこのドーマ大神殿に執着しているわけでもなく、巫女という立場を放棄することに何のためらいもないだろう。
そういう人間だとトリツィアのことを知っているからこそ、トリツィアが不快な気持ちにならないようにと気を使っている。
(……私の髪を守り抜かねば)
まぁ、結局大神官が一番守りたいものは、自分の髪なのであった。




