第三話 カルア
毎日が繰り返しの日々なような気がしてならない。
そんな平行線で平凡でつまらない人生を送ってきた俺こと『市原正之助』だが、そんな平凡な人生の中で平凡なりに嬉しかったり楽しかったりすることもあるわけである。
だから、別にこの世からおさらばしたいだなんて自殺願望めいたものは特に持ち合わせてない俺は、この退屈な日々をこれからも平凡なりに生きていこうと思っていたのだが。そんな俺のつたない思いは、わけのわからない理由によって終わろうとしていた。
長い沈黙がこの狭い部屋を埋め尽くしていた。
いや、実際は長くなんてないのだろうが、俺にはこの沈黙は永遠を感じさせた。
眼の前の自称、死神を名乗る少女の手に握られている、コップの中に入っているカフェオレはすでに四杯目に突入している。
どうする?このままでは、インスタントコーヒーの粉がなくなるのも時間の問題だ。いやいやそれは困るぞ。俺のインスタントコーヒーの需要はかなり高いというのに、それにこのインスタントコーヒーの粉はそんじょそこらで売ってる品物じゃないというのに……っていやいやそうじゃないだろう。
普段、使わない脳をフル回転させて、考える。
「……なあ、俺がお前ら死神達に必要なマナの魂とやらってのはわかったが、それじゃあ、なぜ、生まれたその直後に回収しなかったんだ?」
とりあえず、思いつく限りの疑問をぶつけてみることにする。
「魂の行く末の詳細は、私達死神にもわからない。そして、マナの魂は、幼少期の内はその身に巧妙に潜んでいて発見することが不可能に近いが、その宿主が充分に成長すると共にマナの魂は大きく膨らんでいき、ようやく発見することが可能になる」
「そ、そうなのか……」
また、現れる沈黙。
少女はというと、また何事もなくカフェオレをすすり始める。このままじゃインスタントの粉が……じゃなくて。
「その、マナの魂を持つ人間は他にもいるわけだろう?」
「そう」
「それじゃ、その何人もいる中で運悪く選ばれてしまったのが俺だっていうわけか?」
だとしたら、相当なクジ運の持ち主ということになるな。
「それは違う。マナの魂を持つ人間が現れる頻度は不規則。一年の内に何度も現れることもあれば、何十年も現れないこともある。だから、何人もいるというわけではない。今の時代には、あなた一人」
今、初めて宝クジを買ってみたいと思ったのは何故だろうか。
「……その回収を拒否する権利はあるのか?」
「ない」
一刀両断。とはまさに、こんな気持ちなんだろう。
人間の法律や、権利、なんて者が通じるわけないのはわかっていたが、一縷の望みを見てみてもバチは当たらないだろう。いや、バチ以上のものに当たってしまっているが。
「もし、たとえば、このまま俺のマナの魂を持って帰らなければ、神の庭ってのは、つまりはどうなるんだ?」
「すぐにどうなるというわけでない。だけど、次のマナの魂をもつ人間が現れるまでに、神の庭のマナが枯渇すれば、神の庭は存続することが出来なくなり崩壊する。そして、あなた達、人間が住む、この地上界は、消滅する」
淡々と喋るその言葉の中には慈悲なんてものは存在してないように思えた。それもそうだろう、この少女にとってはそれが仕事で、何度も行ってきた作業のうちのひとつに過ぎないのだから。
「……どちらにせよ、っていうわけだ」
お手上げです。参りました。降参です。
そんな事を頭の中でループさせながら、その場で寝転がる。
どうすればいいのか?いや、どうにもできないのか?いっそのこと、この眼の前にいる少女を殺してしまえばいいのではないか。いや、無意味だろう。もし、この少女を殺すとしよう。そしたら、この少女の代わりに他の死神が来るだけだ。それに、この少女は見た目はこんなだが、背に羽を持つ、あの悪名高い(のかどうかはわからないが)死神だ。一体どんなことが出来るのか計り知れない。その俺の手首のように細い首を折ろうとすれば、逆にこちらの首という首を折られかねない。おお、怖い怖い。
まあ、もし、それが俺の命が助かる唯一の打開策だとしても、この眼の前にいる、精密に作られた人形のように綺麗な少女を殺せるかといったら、まあ、無理だろう。そんな趣味もなければ度胸もない。
あなたの魂がほしい。そんなこと「ふざけるなよっ!そんな事、真に受けると思っているのか!」と怒鳴りたいのも山々だが、簡単に言えば、俺、一人の命とこの日本、いや、地球上の生物とが天秤に計られている状態というわけだ。いやはや、この平凡な自分が、まさかこんな神がかり的な局面に立たされるなんてことは毛ほどに思っていなかったわけで、混乱することこの上ないんだが。まあ、このいてもいなくても地球は回る。いや、むしろご近所は回る男が、逆にいなくなれば地球は回る、というある意味、昇格したといってもイベントなわけで、少しは喜んでも良いところだろう。うん、我ながら珍しくポジティブじゃないか。
ということは、だ。もう、道はひとつしかないだろう。
「よし。もう、地獄でも天国でも神の庭でもどこでも連れて行ってくれ」
平凡で、どうしようもなく退屈な脈絡のない人生。
どうせ、このまま生きていても、何事も起こらず、決して平凡のラインを超えることなくただ何となく時間が過ぎていくだけだろう。それなら、今死のうが、後で死のうが、なんら変わりはない。
それに、人間、いつ死ぬなんてわからないわけだ。ひょっとすれば数時間後には車に轢かれてぽっくり、なんて可能性だってなきにしもあらずなわけで。
そんな風に、俺が決意表明を出すと、少女はいまだ何事もないといった……あれ。
「……そう。ありがとう」
『ありがとう』
まさか、お礼を言われるとは思ってもいなかったので、少し驚いてしまった。だが、その言葉を発したのにも関わらず、その声色は、嬉しそうには感じなかった。いや、それまでの無機質な声色と全く同じといえば同じなんだが。
何故かはわからないが、ほんの少しだけ、微妙に何か違っているように感じた。
「え、っと、それで俺は一体どうすれば良いんだ?まさか、とりあえずベランダから地面へと飛び降りてくれ、なんて言わないよな?」
それだけは勘弁願いたい。前々から思うことがあるのだが、もし、死ぬようなことがあるならば、俺はできるだけ、安らかに逝きたいと思っている。重い病気になどをわずらい、もう先が長くないと言われて、毎日のように苦しい思いをするのであれば、いっそのこと麻酔やらなんやらを打たれた状態で安楽死させてくれたほうが、幾分マシだろう。もちろん、これは俺の独断と偏見による考えだがな。
「違う」
「それじゃあ、ゆっくり幽体離脱的なことを……」
「違う」
俺の言葉をさえぎるようにして言う。
「あなたは、まだ魂の回収は行えない」
「はい?」
行えない?一体それはどういう意味で?
そんな俺の表情を読み取ったのか、説明を始める。
「あなたの中に潜在しているマナの魂は、まだ成長段階。神の庭が欲するのは完成されたマナの魂だけ。未完成のあなたのマナの魂の回収は行えない」
成長段階?未完成?あの、もう少し詳細を希望したいんですが……。
またもや表情を読み取ってくれたのか、むしろ馬鹿みたいにわかりやす過ぎな顔をしていたのか、そのまま説明を続ける。
「マナの魂は、人間に潜在し、人間と共に成長を始める。発見することが不可能な幼少の時期をレベル1とし、発見することが可能になり始める、人間の歳でいう15年から半年の間をレベル2とする。そして、マナの魂が完全形となるのはそれからさらに半年後の、人間の歳でいう、生誕から16年後、それがレベル3。あなたはまだ、レベル2に入ったところ」
えーとだ、つまり、約半年後にある、俺の16歳になる誕生日にマナの魂とやらはレベル3の完全形態に入り、その時にやっと俺の魂は回収されるってわけか。
「そう」
心を読んだかのように、完璧なタイミングで、返事をする。いや、本当に心が読めるのかもしれん。なんせ死神だからな。どれくらいの高性能なスペックを持つのか計りしれない。
まあ、それは置いといて、だ。
「そうか、なら、まだいきなり死ぬなんてことにはならないわけだな。それじゃあこの半年間のうちにやりたいことを(特にないが)やっておかないとな」
そんな独り言めいたことを言ってゆっくりと立ち上がる。かるく立ちくらみのような眩暈を覚えたが、それもしょうがないことだろう。この状況の置かれたら普通は卒倒しても可笑しくないレベルなんだからな。そう思うと、我ながら神経が図太いんだと、改めて実感する。
いつから、そんな風になったのかは、忘れてしまったが、まあ、終わりよければ全てよし。いや、違うか。
思い切り伸びをした後に、ベランダに続く窓を開ける。またもや気持ち良い風が、俺を包み込む。
「それじゃあ、半年後にまた、って感じだな。わざわざ長ったらしく説明ありがとうよ」
と、お帰りを促すも、こちらに振り返るようにしてじっと見つめるだけで、なかなかに少女はその小さな体を動かそうとしない。
まだ、カフェオレでも飲み足りないんだろうか?もう、一杯くらいならおかわりを入れてやっても構わないんだが。
見つめ合うこと数秒。くりっとした青みがかった二つの瞳がこれでもか、というぐらいに視線を注ぐ。なにやら言いたげそうな、そうでないような。
「あー、なんか、用でもあるのか?」
あまりにも凝視されるもので、ついつい眼をそらしながら聞く。
「違う」
「それじゃあ、まだ、カフェオレが飲みたいとか?」
「……違う」
一度、空になったカップに視線を泳がしたところをみると、どうやら飲みたいことは飲みたいらしい。うん、実に可愛らしい。
だが、そうじゃなければ、何の理由でここに留まっているのだろうか?
また、しばしのにらめっこが始まる。改めて、顔を見ると、心が奪われそうになるくらいに綺麗な顔立ちをしている、眼も鼻も口も全てがバランスよく、こういうのを黄金比率というのではなかったか。
と、さすがにいつまでもにらめっこを続けるわけにはいかないので(俺の気が変になりそうなので)口を開く。
「えっと、あー、もう帰らなくていいのか?」
「何故?」
「何故?って、もう用は済んだんじゃないのか?」
あれだけ、説明してくれればもう充分だろう。そりゃ、細かいことを聞けばまだいくらでも話すことは出てくるんだろうが、そんなに詳しく俺は知る必要もないんでね。いや、むしろ断固拒否する。そんな話を延々と聞かされるくらいなら、さっさと余生を楽しみたい(特に楽しむこともないんだが)ものというわけだ。
「私の仕事は、まだ終了してない」
「終了してない?ってことはまだ何かすることがあるのか?」
「私の課された仕事は、『マナの魂の回収』および『該当者の観察と保護』に当たる。あなたの中に潜在する、マナの魂が完全形になるそれまでの期間、観察と保護が私の仕事」
「観察と保護?それは、つまり……」
「あなたを一定期間、観察および保護する」
「いやいや、それはわかっているんだ」
そうじゃなくて。
「一体、それはどこで?」
「あなたのそばで」
アナタノソバデ?
「……まさか、半年間ここに住むつもりじゃ」
「正しくは違う。住むのではなく、マナの魂が完全形態にになるまで、あなたのそばに滞在するだけ」
「イコールそういうことだろうがぁ……」
予想だにしないことが起きてしまったぞ。まさか、こんなことになるなんて、いや、もう、今日一日、ずっと予想できないことばかりなんだが。
「何故だっ!何故に、俺を観察し、保護する必要なんかあるんだ?」
「私達死神は、人間の運命までは予測できない。いつ死ぬのか、何が起きるのか予測する事は不可能。あなたが、もし、完全形態となるまで、事故死、自殺、などすればマナの魂は無駄になる。そのための観察と保護」
「なんだそりゃあ……」
どこで、どうやって死のうか、というのもご法度というわけだ。どこからどこまでも、死神ってのは横暴なんだな。
確かに、こんな素っ頓狂な死刑宣告めいたもの告げられれば、そりゃ、生きる意味も失って普通は自我をなくして、暴れまわった挙句、自殺するのがパターンというものだろう。だけど、それを死神達はさせない。自分らに必要な『マナの魂』という甘い果実を手に入れるために。悪魔でも、人間はソレを手に入れるための器に過ぎないのだ。
全くもって改めて考えると本当に自分勝手な話だ。まあ、これをしなければ、世界は崩れるというんだからしょうがないといえばしょうがないのかもしれないな。所詮、この世界は、何かを得るためには、何かを失わないといけない。そんな絶対的なルールで成り立っているんだからな。
なんて、哲学めいた戯言を言ってる場合ではない。
「なら、俺は大丈夫だよな。この通り精神的にもピンピンしているし、自殺なんて馬鹿なことするはずもない(むしろ怖くてできるものか)。それに、車にはねられる可能性なんてもう、本当に何万分の一の確立とかで(もちろん適当だ)、もし、はねられることがあったとしても、それが死に繋がらない可能性だって全然ありえない話じゃないわけで……」
なんとか、撤回出来ないか試みる。
まさか、一番最初に部屋にあげたのが、自称死神を名乗る真っ白な美少女で、その自称死神美白美少女と今度はルームシェアだなんて、そんなたまげた話、夢のようだが俺は断固拒否する。夢は夢のままでいいのだ。
「私達死神は運命を予測することは不可能、よってその要求は却下する」
ぴしゃりと、平手打ちをくらったようだ。
「それと、もうひとつ。あなたを外敵から保護する役目もある」
「なんだ、その外敵ってのは?」
「それは、時がくれば話す。今、話してもそれは無意味」
なんだか、意味ありげな言葉だったような気がするが、今、話しても無意味と言っているんだから、これ以上の詮索はする必要はないだろう。というか、今はそれを考えていられるほど、余裕はない。
「あー、ああ、わかったよ……」
何事にも動じなさそうなその表情にある意味気圧されたのか、何を言っても同じ言葉が返ってきそうなので、これ以上の反論は諦めることにした。
ああ、さて、一体どうしたものか。これは、一応同棲してしまうということになるのか?まだ学生の身分で。いやいや、種族が違うしな。これは、無効だろう。
まず、なにをどうすればいいんだろう?とりあえず、寝床を用意してやらない事にはいけないのか?いや、待てよこのワンルーム6畳半のどこにもう一人分の寝床を用意しろというのだ。まあ、最悪は俺のマイ布団で一緒に……待て待て、理性を失うな。しかも相手は見た目年下どころか(まあ、確実の俺の十倍は生きていそうだが)、人間ですらないんだぞ。そんな相手に発情してどうするんだ、いや、でも、しかし……。
そんな様子の俺を見て、何を思ったのか、こんなことを口走る。
「私は死神」
それは、もう何度も聞きました。
「あなたとは身体の構造そのものが違う。よって、暖かい寝床などは私には必要がない。あなたが私を邪魔と思うのならば、私は、あなたを観察し、保護できる場所であれば、私は外にいようが構わない」
「それは、断固拒否させてもらう」
何を言い出すかといえば、この子なりに何か、気を使ってくれたのかもしれないが、あいにく俺は、自分で言うのもなんだが、フェミニストなんでな。女性には年齢問わず、じゃなくて、種族問わず、か。
「……ま、とりあえず、この半年間よろしく、っていうことで良いんだよな?えーっと、なんだったけか?カル……なんとかだよな?」
「何?」
「名前。なんて言うんだ?」
「……カルア・ディザイアルドゥーミア・クローディアスェルド」
「……えー、ああ、それじゃあ、『カルア』でいいな?」
ぶっちゃけ、他のところは覚えられる自信がありません。というよりも、覚えにくいにもほどがあると思うのは、低脳な俺だけなのか?他の死神もこんな名前ばかりだと思うと、ご近所さんの名前を覚えるのにも軽く一ヶ月はかかりそうなもんだ。
なんてことを考えていると、死神美白美少女ことカルアは、なにやら不思議なものを見るような、そんな視線を俺に送る。
沈黙。一体何なんだろうか?
「えっと、……なにか、俺、可笑しいこと言った?」
すぐに返事が返ってこないので、何か地雷を踏んでしまったのかと、内心あせっていると、相変わらずの変わらないトーンで一言。
「何故?」
とクエスチョンマーク。いや、こちらもクエスチョンマークなんですが。
一体、何を指してのクエスチョンマークなんだろうか?
「名前を、何故、聞いた?」
「何故?って、普通、名前は聞くもんだろう?その方が、呼びやすいし。……可笑しいことか?」
そう聞くと、軽く間を空けて、首をかすかに傾げると、つぶやくように喋る。
「……あなたは、可笑しい人」
「へ?」
「私に飲み物を差し出した。私を名前で呼んだ。あなたは……可笑しい人」
『可笑しい人』
一体それはほめ言葉なんだろうか?それともけなしているんだろうか?降り積もったばかりの雪のような表情から、それは全くもって読み取れない。
決して、可笑しいことを言ったつもりはなかったのだが、死神達の間では、名前で呼び合ったりはしないらしい。お互いを、名前ではなく、何か違った呼称とかで呼ぶのだろうか。
その刹那。
『………』
強い風が部屋に入り込む。
光り輝くように綺麗な白銀の髪は風に揺られて、宙を舞うようだった。
何か、喋っていたようにも感じたが、それは、風の音にかき消されてしまって、俺の耳に届くことはなかった。
外にその精巧人形のような、無表情ながらも綺麗な顔を向け、勢いよく入りこむ風をその身体に受ける姿を見た俺は、まるで、見たこともないような美しい景色を見ているような、そんな気分になった。
「……いや、それは、少し言い過ぎだな」
そんな風にして俺たちは出会った。
まるで天使のような風貌な死神、カルア。
突然現れ、突然宣告されたまぬがれない死。
『マナの魂』『神の庭』『死神』
俺は、足りない脳をフル活動させ、それをやむをえなく受け入れる。
そんな俺を、16歳になる誕生日まで観察し保護するという死神、カルア。
脈絡のない平凡な人生に、生きることに、そこまで執着がなかった俺だったが、まさかこんな形で、終わりを迎えようとしていたとは、予測できるはずもなく、驚く暇さえもないように。
そして、これからの半年間。どんなことが起きるのかなんてもちろんのこと予測できるはずもないわけである。
だが、ただひとつわかることはある。
……これまでの『平凡』は、もう、戻らない。