恨みの鎖が切れるとき
(1)
ザクザクと数歩進んだ後、私はふと足下を見る。土、土、土、血、血、血……無数に残った跡が、地面の上におかしな模様を作り上げていた。
「ふふ……あはははは!」
弾けたザクロのように無残な骸を晒す怨敵を見て私は笑いが止まらなかった。明かりの消えた夜の民家。そこにいるいくつかの人間は、動くものと動かないものとにかかわらず、夜空の下に醜くむごたらしい姿を、あるいは晴れやかな笑顔を……晒す。血塗れのまま月光に照らされた右手のナイフは心なしか機嫌が良いように見えた。私はそれを見て、また笑った。イタズラが上手くいった子どものように無邪気に。……ああ、これだけ笑ったのはいつ以来だろうか。
私は自分を好き勝手に弄んだ己がサダメを思い返す。私の人生を駄目にした、真に恨むべきものを……!
──────────
(2)
私は小さな村の少女だった。仲の良い家族に、優しい隣人……私の周りにいた人はどこまでも温かかった。
ある日、村に旅人がやって来た。ずっと遠くから、彼は歩いてここまで来たという。どうして旅をするのと聞くと、住む所を探しているんだと答えた。滞在する所のない旅人は、私たちの家族のもとにしばらく居ることになった。
「いきなりですみません、しばらくお世話になります」
そう笑顔で話していた彼は、その時の私には何だか眩しく見えた。
冬の間、旅人と暮らして、彼はもはや私たちの家族だった。優しい兄のような存在で、でも、私はどこかで彼のことを家族として見られなかった。……私は、旅人に恋をしていた。彼と話すと何だか胸の辺りが熱くなった。「お嬢ちゃん」と呼ばれると何だかとても苦しくて、でも、嬉しくなった。
彼を前にすると、動きがぎこちなくなって、言葉が出てこなくなって、旅の話を聞いている時も、彼のことをじっと見ていた。
(3)
そのまま冬が過ぎて、旅人が出発する日の朝、私の、十四歳の誕生日。今でも忘れられない事件が起こった。
目を覚ますと、妙に気分が悪かった。何だか頭が重くて、変な感覚が常につきまとう。たん、たん、という階段を下りる音が、頭の中で強く反響する。ふらふらした足取りでやっと階段を下りて、「おはよう」と、そう言おうとした瞬間、惨状を目にしてすぐに口を抑えた。
目の前の床一面が、真っ赤に染まっていた。そのよどんだ空気で私は更に気分が悪くなる。
「お嬢ちゃん」
後ろから声をかけられる。私が一番好きだった声で。あの時の私が、一番聞きたくなかった声で。私は倒れ込むように駆け出して、少し距離を取ってから後ろを振り向いた。血で傷んだ木の床が軋んで、気味の悪い音を立てた。
(4)
振り返った先にいた旅人は、不自然に手を後ろに回していた。プレゼントを隠す恋人のように、彼はにこやかに笑う。
「大丈夫だよ、君には何もしない。ただ、一つだけお願いがあるんだ」
「……おねがい……?」
恐怖で歯をがちがちと鳴らしながら私が聞き返すと、彼は恍惚とした表情を浮かべ、私に不気味なほど優しく語る。
「僕はね、今までずっと住む所を求めてきた。君たちとここで暮らして、どうしてもこの家が欲しくなったんだ。気に入ってしまったのさ」
「……」
「でも、断られちゃった」
そう言って彼は微笑する。ため息をつく様子さえ、悪魔のように恐ろしかった。
「だから、君からも家族に話をしてほしいんだ」
「……お父さんとお母さんは、どこにいるの?」
「ここだよ」
彼が後ろに回していた手を目の前に持ってくると、持っていた二つの大きな風呂敷包みを手放す。その瞬間、私は自分の時が止まってしまったようにその場に凍りついた。私は、首だけになった両親が彼の手から滑り落ちるのを見た。
(5)
「おっと、手が滑っちゃった。全く、困るな。これ以上血で家を汚したくなかったんだけど」
彼はそう言って私の両親の首を拾い上げる。そして私の前に突き出して、笑顔で言った。
「さて、話してほしいな」
「どうして、こんなこと……!」
「どうしてって、そりゃあ相応の金も払うと言ったのに断られたからさ。素直に家を譲ってくれればこうはならなかったのにね」
「……お父さん、お母さん……!」
「ありがとう、話してくれるのか。素直でいい子だ。彼らには勿体ないね」
とても直視できなかった。けれど、恐怖を振り切って私は目の前の両親に、そして、目の前の男に向かってはっきりと言った。
「私は……こいつを、今すぐぶっ殺します!」
「……え?」
一瞬、男の笑顔が引きつる。私はそれで十分だった。殺される前に、一度だけでもあの余裕を崩したかった。それが、あの時の私にできた最大の復讐だったのだから。
「お前、正気か……?じゃあ、今すぐ殺してみろよ!」
男は嘲るように笑いながら私に襲いかかって来る。……最期がこんなに無残になるほど、私は幸せだったのだろうか。この理不尽な結末に値するほどの、幸せを得ていたのだろうか──私に当たる寸前のところで、何者かが男の刃物を弾き飛ばした。
(6)
「ッ、何だ!」
「何だっていいだろ。それに名乗った瞬間、お前は生きていられなくなる」
「何……!」
私を間一髪で助けてくれたその人はナイフを握っていた。その人は私に何も言わず、私を抱えて外に飛び出した。
「おい、待て!」
「お前のことは殺さないでおいてやるよ。……私にその資格はないからな」
──────────
「今も、どこかで見てくれているのかしら」
あの人のおかげで、私はあの場を生き延びたのだ。数年ぶりに足を踏み入れた裏庭から家を眺める。もう、すっかり雰囲気が変わってしまっていた。
願わくばあの人にはもっと近くで、この復讐を見ていてほしかった。けれど、それはもう叶わない。
「……懐かしいわね、本当に」
私の人生にあまりに大きな影響を残したあの人のことを思い出していた。
──────────
家から少し離れた丘の上に着いて、抱えられていた私はそこで降ろされた。
「……そうだな、まずは
私が何者か、だよな……」
「……はい、あなたは一体……?」
「ああ、敬語はやめてくれ。私は敬われるような人間じゃないからな……」
その人は、どこか苦しそうに言った。
(7)
「私は……殺し屋なんだ。だから名前は明かせない」
「どうして殺し屋が私を助けたの?」
「それは……」
殺し屋は一呼吸置いて、ぶっきらぼうに答えた。
「……気まぐれだよ。散々人を殺しまくった、一人の女の、気まぐれだ」
「女の人、だったんだ……」
「え、ああ、まあ、な。その、なんだ……上手く言えないが、複雑だな……」
「あ、ごめんなさい」
「私のことはどうでもいい、今度はお前の事情を聞こうか」
私は全ての出来事を話した。思い出していると、残酷な記憶が頭の中から私の身体を食い破ってくるような感覚が時々襲ってきて、その場にいた時よりも辛かった。何度か吐きながらも、何とか全て話した。
「……なるほどな」
「私は、あいつに復讐したい」
「そうは言っても、お前の力で出来るのか?」
「だから、教えて。人を殺す方法を……」
「やめておけ、殺しなんて……それに、殺すだけが復讐じゃないぞ?」
「でも、私の憎しみは……あいつの命を奪わないことには無くならない」
「……そうか、分かった」
彼女はやけに潔く、私を諭すのを諦めたようだった。軽くため息をついて、彼女は私に言った。
「ただし一つ、条件がある」
(8)
「それって……」
「一つだけ、約束してほしい」
「約束?」
彼女は殺し屋に全く似合わない条件を出した。
「……私は殺し屋だ。お前のような子どもを幾度となく見てきた。私が、お前と同じ状況に追い込んだ子どももいる……死ぬより辛い状況に……」
「……」
「私は、彼らには殺されたっていいと思っている。人の命を奪うということは、時にその周りの人の命を奪うのと同じことなんだよ。だから一つ約束してほしい。……他に、誰も傷つけるな」
「……はい!」
その言葉には重みがあった。彼女が背負っている幾つもの命の重みを少しだけ、分けられた気がした。
「それにしても……そんな大きな事件を起こして、よくその旅人は疑われていないよな」
「え……疑われてないの?」
「ちょっと様子を見てくるか」
彼女は夜闇に溶け込むように丘を跳びながら下りて、みるみる見えなくなっていった。
風が辺りの草を揺らし、ざわざわとした音が耳に入ってくる。私は眠れぬままその夜を過ごした。
(9)
朝日が昇り始めた頃、殺し屋が帰ってきた。
「起きていたのか……無理もないが、身体を壊すなよ」
「うん……それで、どうだった?」
「……ああ、それが……お前が疑われているらしい」
「……え」
「お前だけ行方を眩ましているからな。それに旅人が犯人だったらお前を生かすはずがないと考えるのはまあ自然だろう。……他に不自然な点は山ほどあるはずなんだが」
「そんな……」
私が、疑われている。私の日常も、幸せも、何もかも奪っていった、あの余所者を差し置いて……
「……ッ!」
「思ったより事態は厄介らしいな……殺し屋はしばらく休みだ」
「大丈夫なの?」
「もちろん。これがこの仕事の唯一とも言える良い所だ。すっかり持て余していたが、二人ならいくらか消化も楽だ」
彼女は今までの仕事の報酬をほとんど使わずに貯め込んでいたらしかった。
「趣味もないし、食費と道具の調達ぐらいにしか使う先が無かったんだよ」
彼女は、笑ってそう言った。
──────────
(10)
彼女はいわばこの復讐譚の演出家だ。それも、その完成を目の当たりにすることの叶わなかった、悲運の……
ザク、ザクと重く感じる足を半ば引きずりながら歩く。歩くたびにナイフから滴り落ちていた血も、徐々にその頻度を落としている。
「……彼女が見たら、怒られてしまうかしらね」
ぽつりと呟く。私は、約束を守れなかった。彼女の言った通りに、事を運ぶことができなかった……
──────────
それから数年が経つ頃、私は人を殺すのに十分な力を身につけていた。
「全く、大したものだな。ほら、一旦訓練はやめだ」
「いや、私はまだやれるよ」
「そうして休まずにいると、肝心な時に殺せないぞ」
「……わかった」
私たちは腰を下ろし、そこで休憩を取ることにした。この時、いつも水を飲みながら話をする。
「……ところで私、まだあなたの名前を教えて貰っていないわ」
「名前?」
「うん」
「……」
殺し屋は考えるそぶりをした。そしてしばらく経って、それが私をはぐらかすためのフェイクだと気が付いた。
(11)
「ちょっと?」
「はは、悪い悪い。……おい、向こう」
「え?」
私が振り返ると、二人の兵士がこちらへ向かってきていた。気付かれてしまったら、家族殺しの犯人と思われ、すぐに捕らえられるだろう。そうなってしまえば、復讐を果たすこともできず、いわれのない罪を着せられたまま、ずっと……そう考えると急に怖くなった。足がすくんで、動けなくなった。
「……離れるぞ」
「あ、あ、いや……!」
私を抱えて運ぶことも出来たはずなのに、彼女はずっとそこにいた。今度こそ、本当に何かを
考えているように、腕を組みながら。
──────────
「……彼女はどうして……!」
その問いに対する答えはもうとっくに私の中にある。しかし、私はそれを未だに受け入れられなかった。
「この復讐が終わったら、二人で暮らしたかった……あなたがずっと、隣にいてほしかったのに……!」
全てを奪われ、鋼鉄ほどに固く冷たくなった心は、全てが終わった今、硝子のように脆く、透き通るようだった。数年間一度も抱かなかった、子どものような純粋な幻想を、今になって強く抱いた。
──────────
(12)
「お前たち、そこで何をしている」
歩いてきた兵士はこちらを睨みながら聞く。その疑念のこもった眼差しに、私は尚更恐怖を覚えた。私の肩に手を置いて、殺し屋が答える。
「修行だよ」
「は?」
「こいつが人を殺すための、殺しの修行さ……」
「こ、殺すって、お前……!」
ちらり、と彼女の方を見ると、そこには今まで見た事の無い、殺し屋としての彼女がいた。その気迫は人離れした何かを思い起こさせ、その手にはあるはずのない幾多の人々の返り血が見えた。兵士は慌てて私たちを捕らえ、片方は増援を呼びに向かった。私は恐怖でいっぱいだったが、彼女にはあまりにも落ち着きがあった。最初からこうなることを悟っていたかのようだった。
「……名前」
ぽつりと彼女が呟く。
「え?」
「殺し屋だから名前は言えない。だが……私は恐らく死ぬことになるだろう。だからお前だけに、伝える。」
「……!」
「私の名前、私の過去……今まで誰にも語らなかった。だから誰も知らない。でも、それじゃ寂しいからな」
彼女は、この時も笑っていた。
(13)
「私は────」
彼女は優しく、子どもにおとぎ話を聞かせるような口調で話し始めた。
……私は血に塗れた人生を今までずっと歩んできた。大事な人を何人も殺された。いや、本当は私は誰が、何が大事かなんて今でも分かってはいないんだ。近くにいた人が殺された。だから、彼らを殺した奴らを片っ端から殺していった。
……気付けば私は殺し屋さ。正直初めは困惑した。でも、私は殺し以外ではとても食っていけるような人間じゃなかったんだ。そうだな……人じゃなかったよ。これが私……ターナという村一番の大罪人だ。
多くの人間に恨まれた。依頼者から恨まれるなんて冗談みたいなこともあった。それで気付いたんだ。大切な人を亡くした人だけが、人を殺す……復讐する権利がある。復讐は何より醜いとされるが、当事者の中では、それは何より美しい。きっとそういうものなんだ。
それに気が付いてから、私は死ぬ覚悟ができた。自分の命を誰かに譲ってやる覚悟ができた。だから……この命をお前に譲る。お前は子どもだったから知らなかっただろうが、この村には功績と罰を相殺する仕組みがある。功績とは即ち罪人を殺すことだ。
────ほら、餞別だ。私の命を受け取れ。
(14)
ターナは隠し持ったナイフで二人の縄を容易く切り、そのナイフを私の方へ投げた。ナイフは放物線を描いて、土の上に突き刺さった。
「ああ、そのナイフもやるよ。私を殺したら……好きに使え」
「そんな、そんなのって……!」
「いいんだ。私は罪を重ねすぎた。だいたいな、あれだけの蓄えを築くのは、百の命なんかじゃ足りない。もっと、気の遠くなるほどの数なんだ。私が重ねた罪は……」
「……それでも、あなたは!私の大切な人だから、私の命の恩人だから、私の……たった一人の、かけがえのない家族だから……!」
私がそう言うと、彼女はこちらに歩み寄って、思い切り平手で私の頬を叩いた。
「……寝ぼけたこと言うなよ!」
「!」
「……私は殺し屋だ。常に誰かに不幸を与え続けた。そもそも慕われるってのもおかしな話なんだ。私は幸せにはなれない。私が、殺し屋である限り……」
「……」
彼女は手を収め、その拳を握っていた。そのまま、彼女は言葉を続ける。さっきよりも、強く。
「だから、これ以上……これ以上!私に幸せを寄越すな!殺し屋としての私を、これ以上殺してくれるな!」
(15)
ターナの表情を見て、私は一層彼女を殺せなくなった。だから、私は数年分のわがままを彼女にぶつけることしかできなかった。
「……そんなの、知らない!」
「……!」
「殺し屋だって何だって、あなたは私を救ってくれた大切な人だから!あなたを殺すことは……私を、殺すこと……!」
ターナは私の言葉を聞いて、そっと拳を緩めた。いつもと変わらない様子を取り戻して、彼女は言った。
「……分かった。じゃあ……私は、死んでもお前の家族だ」
漠然とした不安。たった一人の家族を失ってしまう哀しみ。私の中に渦巻いていたものを、彼女は一言で振り払った。私は、今度こそ、彼女の命を受け取る覚悟をした。ナイフを拾って、構える。
「……はは、様になってるよ」
「私は、独りでも……やっていけるかな……?」
「いや、難しいだろうな。殺しなんてやったが最後、普通の暮らしには戻れない」
「え?」
「罰は消えたとしても、罪は消えないからな」
「それじゃあ……」
「……お前は何のためにここまで死力を尽くしてきたんだ?」
彼女は、最後の問いかけをした。
(16)
「……復讐」
「それならそれでいい。残りの人生なんてどうでもいい。そう考えたって構わない。人を殺せる奴はいつでも自分を殺す準備はしてあるものさ」
「……わかった。少しの間、寂しくなるね」
ターナは何も言わず、静かに目を閉じた。私は数歩の距離を詰め、静かに彼女の命を受け取った。
「……お、お前、まさかこいつを……!」
仲間を連れて戻ってきた兵士は、倒れて動かなくなった殺し屋の姿を見るなりそう言った。
「……ねえ、この村では功績と罰は相殺されるのよね?」
「ひっ!……あ、ああ……」
「それじゃあ私は帰るから。……帰る場所なんて、もう無いけれど」
丘を下りる私を、誰一人として止める者はいなかった。
──────────
……あの日のことを思い出すと、今でもとても胸が苦しくなる。それでも、彼女は今も私を見ている。そう思うと、少し安心できた。
──────────
(17)
村に帰ってきて、私がターナを殺したことが伝えられるやいなや、本当に私は受け入れられた。空き家を用意してくれて、その気になれば普通の暮らしに戻れそうな気さえしていた。あと二人殺したって罰を受けることはない。村の役人はそう言っていた。それは、いかにターナが人々から恨みを買っていたかを如実に表しているようで、私は苦しくてならなかった。
それから数ヶ月が経って、私はとうとう復讐を実行することにした。私は、十数年ぶりに自分の家に帰ってきた。
「ずっと、変わってない」
家の前まで来ると、あの日の光景が蘇る。気が狂いそうなほど空気が重苦しくて、濁っていて、汚れていて、憎かった。塀の外から家の中を覗くと、動く人影が二つあった。
「そう……結婚したのね」
身体の中で渦巻いていた憎しみが更に勢いを増して気付けば私は爪を噛んでいた。
ひとつ、人影が離れる。私はそちらに狙いを定め、人影の向かう方へ先回りした。
(18)
段々と足音が近づいてきて、とうとう私は人影と対面した。目の前の女性は困惑していたが、優しく私に話しかけた。
「あら、お嬢ちゃん、どちら様?」
「……私はここに住む男に、家族を殺された者よ」
きっぱりと答えると、彼女は血相を変えて、走って夫を呼びに行った。彼らが戻って来ると、辺りをきょろきょろと見回す。
「あれ……いない……?」
「何だ、聞き間違いか何かじゃないのか?」
「……あなた!」
「!」
天井の隅からナイフと共に降ってきた私を男は間一髪で躱す。仕留め損ねてしまった。
「な、何だ、お前……!」
「やっと、この時が来た……!」
男はようやく気が付いた様子で、あの日のような憎らしい笑顔を浮かべた。
「はは……復讐かよ?命の恩人を殺しておいて、よくそんなことができるよな」
「……どこで、それを」
「村中の噂じゃあないか。それに、そもそもあの兵士を向かわせたのは俺だ」
「!」
「逃がした奴の動向を確認してない訳がないだろ。結局逃がしちまったが……ああ、全く良いもんが見れたぜ!」
男は、私に対する三度目の殺人を白状した。
⑲
「あなた、そんな……」
「お前ももういいだろ。全部教えちまおうぜ、このお嬢ちゃんにさ」
男がそう言うと、彼女はにやりと卑しく笑って、私の方を向いて話した。
「……ええ、そうね。あの時、あなたの両親を殺したのは……私。首を切ったのは私よ」
「!」
右手に持っていたナイフと私の中から暴れだした殺意に引きずられるように私は二人に向かっていき、その命を引き裂いた。八つ裂きなんて言葉では十分の一にも満たないほど、バラバラに切った。
二人分の命を平らげたナイフは満足そうに私の手から滑り落ちて、かしゃん、と無機質な笑い声を上げた。私はしばらくそこに立ち尽くしたままだった。最初で最後の復讐の余韻に浸らずにはいられなかった。
──────────
私はもう一度だけ、家の方へ振り返った。明かりは灯ったまま、しかし誰も居なくなった家。
「……さよなら」
私にはここに住む資格はない。元の暮らしに戻る権利を、復讐のために放棄してしまったのだから。
視線を下に落とすと、幼い子どもが立っていた。
(20)
子どもは私の捨てたナイフを拾って持っていて、目から涙を溢れさせながら震えて立っていた。
「……子どももいたのね」
私がそう言うと、子どもの肩が勢いよく跳ねる。あの日の私のように怯えている。
子どもは目をつぶりながら、必死にこちらに突進する。それを躱して子どもを殺してしまうのは私には容易いことだった。──────けれど、
私はそのナイフを避けなかった。避けることができなかった。その少女はどうしようもなく、あの日の私に似ていた。
少女がようやく目を開ける。ナイフは私の腹部にとっくに刺さっていた。私は少女に微笑みかけ、血を吐いて倒れた。
私はとても晴れやかな気分だった。全ての肩の荷が降りて、やっと、楽になれたのだと実感せざるを得なかった。息を荒くして立ちすくむ少女がぼんやりと見えて、そしてすぐに見えなくなった。
『恨みの鎖が切れるとき』
完
ネタバレ注意
今回はあまり解説するような制作意図もないのでタイトルの意図だけお伝えします。
・タイトルの意図
恨みの鎖→復讐の連鎖
最後、主人公は自分を殺すことを許すことで、復讐の連鎖を断ち切る。復讐者が最も幸せを感じるのは、そうした連鎖が切れるときなのではないだろうか。
『恨みの鎖が切れるとき』をお読みいただきありがとうございました。よろしければ是非別の作品もお読み頂けると幸いです。