第七話 臆病者は誓う
イリスはマリルを背負って町中を歩いていた。治療した後、彼女は目を覚まさない。眠り続け、時折瞳から涙を流していた。
彼女の体は軽かった。イリスでも充分に背負って歩けるほどには。
町の中の人から、時折視線を向けられる。しかし、そんなことは気にしない。
治療したとはいえ、油断はできない。今は彼女を、一刻も早く安全な場所におかなければならない。
安全な場所といえば、姉妹に連れられた廃れた酒場しか思い浮かばない。どこで誰が監視しているかもわからない、とりあえず尾行に細心の注意を払っていくことにする。
たどり着いたころには、夕刻になっていた。数人の客が見えるが、全員ただ黙々と飲んでいるだけである。
「いらっしゃ――」
酒場の女将が顔を上げて、イリスのことを見る。背負っている少女のことを確認して、無言で上の階に目を向けた。どうやら、空いている部屋に寝かせてやれということである。
「二人は?」
「もうすぐ帰ってくるよ」
「帰ったら来てと伝えといて」
「はいな」
カウンターに数枚の銅貨を置く。一応、他の客がいる手前、宿を借りるという体にしている。
軋む階段を上って、いくつか並ぶ部屋のうちの一つに入る。小ぎれいに整頓された部屋のベッドに、マリルを寝かした。
彼女を楽な姿勢にさせて、毛布を掛けてやる。来ている軽装鎧などは脱がせるべきなんだろうけど、女耐性のないイリスはそこまでできない。
とりあえず手ごろな丸椅子に座って、一息つく。しばらくすると、部屋のドアが開いた。
入ってきたのは、マデルとノデア姉妹である。
「どうしました?」
「何かあった?」
いつもの通り淡々とした口調。彼女たちは寝かされてるマリルに目を向けると、近寄ってきた。
「魔法におかされた。できる治療はやったけど……」
いまだどうなるかわからない。その言葉を飲み込んだ。
寝かされているマリルの血管はいまだに少し浮き出ている。
「傀儡魔法の一種ですか」
「それもかなり強力な」
「この魔法の主を追跡することはできるか?」
イリスの問いかけに、二人は首を振る。
「これだけの魔法。の割には、ワンタッチで発動するようになっています」
「追跡は不可能」
「ワンタッチ?」
「ワン・タッチ・です」
そう言って、マデルがイリスの肩をポンと叩いてきた。
魔力を流し込まれた痕跡が少ない。追跡不可能っていうのは、そういうことだろう。
これではだれがどこでいつ変異するかもわかったものではない。
「といっても、魔法を発動するには、条件を一定に満たしとかないといけないと思います」
「強力な魔法には、それなりにリスクもある」
発動条件は簡単だが、準備にはそれなりにかかる。例えば自分の命を犠牲にするなど。解除と発動ではそれなりに難易度に差が出る。
分かりやすく説明すれば、イリス・フォーゲル。彼女は転生するための魔法を使った。その代償として彼女の魂自身は、どこかに囚われている状態になっているらしい。最後の残滓を絞って今のイリスに託したのは、そういうことだ。
「この魔法の形式ですと、あまり多くのものを傀儡にはできませんね」
「どれくらいが限界だ?」
「ひと月で、この町の住人全員くらいです」
マデルの言葉を聞いて頭を抑えた。この情報が少ない中で、タイムリミットまでに犯人を捜さなければならないということだ。
さっそくの難題で知恵熱が出そうだ。
「個別にやってくる可能性は?」
「それは充分にあります」
「兆候として、目が赤くなる。そう言ったものは注意深くしないといけない」
「……だろうね」
何がともあれ、彼女が目を覚ましてくれるまでは動けない。簡単な依頼をこなしていくしかない。
相手も帝国の体裁があるため、派手に動くならこの町を全員傀儡に変えてからだろう。それまでは、【赤い目】に注意して情報収集すればいい。
イリスは寝ているマリルに視線を落とした。
――立ち直ればいいけど。
今はそれが一番の心配である。
◆
「リュウ、リュウー。つまーんないー! もっと派手に遊ぼうよー!」
冒険者の組合所。活気に交じって二人の人間が、隅のテーブルについていた。
一方は紅い目青髪の、サーシャと呼ばれる童女。
一方は金髪長身の、リュウと呼ばれる青年。
「派手にやれば怒られるのは僕たちだ。ゆっくりじっくりいたぶってやるさ。心が折れて泣きつくまでね」
「怒られるって、てーおーは国民たちを意にも介していないんでしょー?」
「政治的ってやつさ。帝王が意にも介していなくても、国民たちが不信感を持ったらどうなる? 我が国は国民を何より思っています。そういう、体裁が必要なのさ」
「そんなの、私たちよーへーには関係ないじゃん」
「何を言ってるんだ。傭兵だからこそ関係あるんじゃないか。すべての責任を押し付けられて、処刑されるのは僕たちだぞ?」
サーシャはつまらなさそうに、頬を膨らます。足をぶらつかせている。
「だったらさぁ、さっさとイリスって女を公にしたり、殺したりしたらいいじゃん」
「公にしたところで、意味がない。帝国国民のほとんどが、【輪廻転生】など信じてない。バカにされるのは僕たちだぞ。それに殺すにしたってどうする? 僕たちより彼女たちのほうが強い。だからそれなりに準備がいる」
「だったら、町の人全員を変えちゃえばいいんだって」
「馬鹿だなぁ。その隠匿のための準備だ」
「てことは、準備が整えば遊んで良いんだね!」
童女は目を輝かせて、跳ねている。まったく単純な奴だと、リュウは肩を竦めていた。
「でも、ま。ちょっかい出すのは良いかもしれない。好きな人ほどいじめたくなるものさ」
リュウの口の端に張りついた笑みは、人の背筋を凍らせるほど不気味であった。
◆
あの日から五日経った。いまだにマリルは目を覚ましていない。しばらくはあまり目立つことなく、雑用じみた依頼をこなしていた。
冒険者ランクは、五から四に上がった程度。彼女の実力ならもう三に上がっても良いものだが、今は敵に目をつけられるようなことはしたくなかった。
マリルのための薬を買いに、今日は町まで出てきていた。薬屋に入り、姉妹に頼まれた薬草を買い付ける。白髪交じりのおじさんに代金の銅貨を渡すと、店から外に出た。
陽光に目をしぼませて、そのままいつも通りに酒場へ戻った。
マリルが寝ている部屋に入ると、彼女は起きていた。ベッドの中で上体を起こして、呆然としている。
入ってきたイリスに気がつくと、目をこちらに向けた。
茶色の瞳が見つめている。
「目が覚めたんだね」
「い、イルアスさん……わ、私……」
彼女が顔を覆って泣き始める。ベッドの端に腰掛けて、彼女の頭を撫でた。
「マリルは、話を聞く覚悟はあるか?」
ゆっくりと覆っていた手を取り、涙で濡れた瞳をこちらに向けた。しばらく考え込んだ後、目を伏せる。
「わ、私……ゆ、夢の中で……す、スレンさんに平手打ちされました。ど、ドミーアさんには生きてと言われました」
ベッドのシーツを握り、彼女は顔を上げた。茶色い瞳の中に確かなる意思を感じた。
「い、いつまでもうじうじしていたら、ふ、二人に合わせる顔はありません。わ、私は臆病で、な、泣き虫で。で、でもそんな私を、あ、あの二人は親友と言ってくれていたんです。そ、そんな親友の最期の願いを無下にできるほど、わ、私はバカではありません!」
マリルは涙をぬぐって手を胸に当てた。大きく深呼吸をする。
「ち、誓います。私は何を聞いても受け入れ、そしてこの理不尽を作り出したものを打倒すると!」
彼女にしては珍しく、力強くそう言い切ったのだった