第五話 赤い瞳、紅い瞳
森林の中で、金属音が鳴る。ウルフェンの歯と、剣の刃が弾き合う。四人を囲うのは十数体の魔物たち、それを遠くから見つめる少し大型のボス。
「おりゃあああぁぁぁ!」
スレンが自慢のスレッジハンマーで、一体殴り飛ばした。
「スイッチ!」
「は、はい!」
「了解!」
彼の合図でイリスとマリルが同時に飛び出して、場所を入れ替えた。仲間を攻撃されて怒ってスレンに飛びかかってきたウルフェンを、二人で同時に斬りつける。
十字型の傷跡で腹をえぐって、血が周囲に飛び散った。
「≪ピアニア≫!」
三人の死角をカバーするかのように、ドミーアが氷魔法を詠唱する。地面を這うようにして凍っていく。数体のウルフェンの足が捕まり、身動きが取れない状態になっていた。
「す、スイッチ!」
マリルがまた一体斬りつけたところで、しゃがんだ。彼女に向かって、新たな一体が、大口を開けて飛びかかってきていた。
かがんでいるマリルを飛び越えるようにして跳躍したイリスが、その口中に剣を突き立てる。悲鳴を上げることもできずに、ウルフェンは息絶えた。
剣を引き抜いて、一瞥をくれる。
どうやら、この体は思い通り以上に動いてくれる。戦闘時にとても軽く感じるのだ。羽が生えたようという表現があるが、まさにその通りだった。
「イルアスさん! 飛んで!」
スレンの声に合わせて、その場でジャンプする。同時に、彼がハンマーを地面に打ち付けた。
地鳴りとともに周囲にひびが広がっていく。ウルフェンたちは驚いて身をすくませていた。
「ほらほら、立ち止まっていると火傷するわよ! ≪フォルティアーナ≫!」
ドミーアが詠唱を終えると、巨大な炎がウルフェンたちを包み込んだ。彼らは一瞬で燃えつくされ、塵と化す。
マリルたちの連携と練度の高さは、息を撒くものがあった。剣術はもちろん、イリスを組み込んでもコンビネーションが完璧。とても三級冒険者になったばかりとは思えないものだ。
「よっと……」
地面に刺さったハンマーを引き抜いて、スレンは笑う。
「さて、そろそろ苦しくなってきたんじゃないか!? 親方さんよ!」
彼の見つめる先は、低く唸り声を上げているウルフェンのボスだった。
◆
「いっやぁ、快勝快勝。いっつつつっ」
「何が快勝よ、調子に乗って。あたしは治癒魔法は不得意って前から言ってるでしょう」
ウルフェン討伐は、こともなげに終わった。調子に乗ったスレンが、最後っ屁に引っ掛かれたこと以外は。
樹の幹にもたれかかっている彼は、ドミーアが治療を施していた。遠目から見ると、カップルのようだ。
「あ、あの……っ! きょ、今日はありがとう……ございました!」
ウルフェンの素材を回収して戻ってきたマリルが、改めて頭を下げる。
「別に、僕は大したこと……」
「い、いえっ! わ、私たちだけだと怖かったのは確かだし、い、イルアスさんがいて……心強くて。い、いつもより良く動けたように思えます、はい!」
ふんすと鼻を鳴らして、こぶしを握り締めるマリル。そんな真っすぐな瞳に見つめられると、悪い気はしない。
「一つ、聞きたいんですけど。君たちはなんで近衛兵を目指そうと?」
見ると、彼女たちはまだ若い。それにどう見ても、都会に住んでいるようには見えなかった。ふと、何気なく会話のつもりで質問が口をついて出ていた。
「え、えっと……それはですね」
彼女は語ってくれた。いかに村々が魔物にさらされているか。いかに戦いで傷ついているか。国は守衛を増員する気配はなく、だったら自分たちで力をつけて故郷に帰ろう。そう三人で誓った。
村を守るため、その原動力が三人を動かしているのだ。
「偉いね」
ふと、イリスの口元が緩んだ。
「そ、そういえば、イルアスさんはどうしてそんなに急いで……?」
「僕は……」
さて、どういったものか。困っていると、治療を終えた二人が近くに寄ってきていた。
「あ……ち、治療終えたみたいですね。か、帰り道にぜひ聞かせて……ください」
「分かったよ」
二人に足早に近づいていくマリル。二人は彼女が近づくのを確認すると――
「……あぶないっ!?」
「……え?」
鮮血が飛んだ。咄嗟に、イリスはマリルのことをかばっていた。
肩が抉れている。血が流れている。それよりも先に、今は“二人”から離れることが先決。
マリルのことをかばったまま、イリスは彼らから数メートルほど距離を取る。
「……え? ……え?」
腕の中にいるマリルは、目を白黒とさせていた。
イリスは、顔を下げている二人を睨みつける。スレンの指先は、彼女の血で赤くなっていた。
「顔、上げたらどうだ?」
静かなイリスの声で、二人は反応した。
一斉にあげられる顔。左目は赤く、右目は紅く輝いていた。血管が浮き出ており、歯はギリギリと鳴っている。犬歯をむき出しにして涎を垂らす姿は、獣同然であった。
「ど、どうしたんですか……? ふたり……と……も…………?」
マリルの声がか細くなっていく。二人の変化に戸惑い、絶句しているようだ。
――やれやれ、か。
イリスはこの状態になったNPCを、元の世界のゲームで見たことがある。確か敵名は【攻撃的屍人】。
人間を殺戮人形に変える。そこに自我はなく、ただご主人の言うことを聞いて、殺戮を繰り返す人形と化す。
どこかの町の依頼で、村一帯がこいつらに変えられたので討伐してくれというものがあったのを思い出した。
マリルを後ろに下がらせる。彼女には酷だが、ここで二人を殺す以外は道がない。肩の痛みを堪えて、剣を握り直した。
「や、やですね……。ふ、二人とも、からかうのは……」
彼女の声が震えている。
「な、なにしてるんですか……? い、イルアスさんは仲間ですよ……?」
彼女の瞳が濡れている。
「そ、そんな冗談をしてないで。か、帰りましょうよ……」
マリルが二人に近づくのを制止し、首を横に振った。
「残念だけど、二人はおしまいだよ」
その言葉を聞いて、マリルは、尻餅をついた。顔を俯かせて、嗚咽を漏らしている。
この世界の冒険者が、この状態の人間のことを知らないわけがないか。どこかで話くらいは聞くだろう。
――しかし、このタイミングか。
偶然にしては出来過ぎていた。明らかにイリスを狙ってきたようにしか見えない。
深呼吸をして、剣を構えなおした。この二人と出会って間もなくてよかった。長く一緒にパーティーを組んでいたら、感情移入をしていたところだろう。
別に恨みはないが、立ちふさがるなら。
「……死んでくれ」
地を蹴り、駆け、剣を振り上げる。彼らは理性のかけらもないうなり声を上げて、腕を振り上げた。
近くにいたスレンの右腕を斬る。切断され、宙を舞った。飛び散る鮮血を振り払うように、そのまま肩口に剣を突き立てる。
悲鳴が起こる。そんなスレンに呼応するかのように、ドミーアが彼ごとイリスを切り裂こうと、爪を立てていた。
この魔物の怖いところは、隣人が敵になること。集団で襲ってくること。どちらも当てはまらないなら、イリスにとっては脅威にならない。
「できれば、僕は君たちのことを知りたかったよ」
自分で達観しているな。そう感じながら、スレンから引き抜いた剣をドミーアの腹部に深く刺す。とめどなく赤い血を流し、二人は糸の切れた人形のように倒れた。
獣の残骸の中に、人間の死体が二つ追加される。
――これは町に戻ったほうが良いな。マデルとノデアの二人にも警告しないと。
この【攻撃的屍人】の怖いところは、術者の魔力があるだけ量産できるということ。術者次第では、町一つの人間だって変えることができる。ゲームでは依頼のための設定だけだったのだが、それが現実になるとこうも恐ろしいものか。
考え込み、剣を収める。痛む肩を抑えて、動作に問題がないか軽く動かしてチェックする。
「マリルさん。ここは危ないから……」
振り返ると、彼女はしゃがみ込んでいた。頭を抱えて何かぶつぶつと呟いている。
無理もない。親友が殺されて、無事だというほうがおかしい。
「とにかく、ここから」
「い、いや……っ!」
伸ばした手を払いのけた。顔を上げたマリルは涙を流していた。
右の瞳は紅くなっていた。頬の血管も浮き出ている。
「……マリル」
イリスの表情で自分の状態を察したのだろう。腕に視線を落としていた。彼女の爪はいつの間にか鋭く伸び、甲の血管も浮き出していた。細かく痙攣しており、体が変異していることなど火を見るよりも明らかである。
「い、いやいやいやぁ!」
彼女は混乱し、立ち上がった。頭を掻きむしり、絶叫している。
「落ち着け、マリル」
「お、おおおおちつけ……ません! こ、ここここ殺すんですか!? わ、わわわ私のことを! ふ、ふ……ふふ二人のように!」
「とにかく落ち着け! まだ、自我のあるうちは間に合う」
「ま、まままま間に合う!? ま、まま間に合ったってなんだっていうんですか!? し、しししし親友を化け物にか、かか変えられて! め、めめめめめの前で殺されて!」
彼女は完全に錯乱している。とにかく落ち着かせようと一歩前へ出たところでマリルが剣をやみくもに振った。彼女の攻撃は当たらなかったが、イリスに距離を取らすには充分だった。
「こ、ここここないでください! く、くくくると殺します!」
マリルは剣を数回振った後、森の更なる奥へと走っていく。
残されたイリスは、今しがた殺した二人の死体を見下ろして歯噛みした。
「……不愉快だ」
実に、不愉快だ。