第三話 銀色の残滓
赤髪の少女に手を引かれ、町中を右へ左へと駆け巡った。一体ここが町の中のどの位置か分からなくなったころ、ようやく彼女たちは立ち止まる。
「ここ」
「敵の目を欺くため、連れまわしたことを謝ります」
そこはぼろい酒場。西部劇に出てくるような建物をイメージしてくれれば、分かりやすいだろうか。両開きの扉を入ると、中はがらんどうであった。
ここに一体何があるのか疑問に思っていると、
「待っていましたよ」
透き通る声が響く。
誰もいなかったはずの真ん中の席。そこに銀色の少女が、座っていた。自分とうり二つの顔で、白銀の鎧を着た少女である。
「君は、イリス・フォーゲル」
嫌な予感ほど的中するものである。
名前を呼ばれた少女は、微笑みを作った。
「そうです。そういうあなたは、スタンプ君とでも言えばいいですか? それとも明人君って名前で呼べばいいですか?」
どこかバカにするような言い方である。明人がムと眉根を寄せると、彼女はクスリと笑って「冗談です」と言った。
「マデル、ノデア。少し席をはずしてくれますか?」
「はいです」
「はい」
名前を呼ばれた二人の少女は、頭を下げると外に出て行った。
さて、とイリスが明人に目配せをする。
「座らなくていいのですか?」
「……」
「現状のことを訊きたいのでしょう?」
彼女に促されるまま対面に座る。
「そんなに睨まないでください。説明もなく巻き込んだことは謝ります。しかし、私の体と相性が良かったのは貴方しかいなかったのです。決して無作為に選んだわけではないのですよ」
「……それで」
「ここは貴方たちの世界で流行していたゲームと一緒の世界です。類似……といったほうが良いでしょうか? この世界を元にあのゲームが造られました」
それは何となく勘付いていた。大まかの設定はほぼ一緒。銀色の少女というだけで襲われたのも理由がわかる。
つまり、あのゲームはこの世界にやってくる人間を、選別するものだったというわけだろうか。なぜ、この世界を元に現実世界でゲームを作られているのか。
「結構、この世界に貴方の世界の人間がたくさんいるんですよ」
明人の思考を遮るように、茶化したように言ってから
「好きでしょう? 異世界転生ってやつです」
「ふざけるな。僕は、普通に過ごしていればよかったんだ」
「……例えそれがスタンプと呼ばれる毎日だったとしてもですか?」
「そうだとしてもだ!」
「そうですか。じゃぁ、私の願いを聞き入れてくれれば、あの元の生活に戻してあげましょう」
「……誰が」
「そしたら、何もできないままこの世界を彷徨うだけですよ? 君の世界へのつながりを知っているのは、今や私だけです」
ほぼ脅してあるが、従うしかない。明人が黙ると、彼女はこの世界について説明を始めた。
かつて「フランシア」という王国があった。身目麗しい王女が治めていた国である。しかし、ある日帝国の侵攻を受けて滅ぼされてしまった。
イリスは最後まで戦った騎士だ。今は負けると確信した彼女は、呪文を一節呟いて息絶えた。
自分たちの来世に繋ぐために。意思を繋ぐために。
彼女の目的は帝国の【暴挙】を止めること。今や帝国は諸国を脅かしている。もし、この世界が支配されれば、民草は奴隷のように扱われて未来はないだろう。
それは、フランシア王国の民たちの扱いを見ればわかる。元王国の民たちは、休むことなく強制労働させられているか、終わりの見えない戦争に駆り出されている。その者たちを救うために、打倒帝国を掲げている。
幸いこの町は、帝国の監視は緩い。集まってくる冒険者は初心者級。だからこそ密かに反旗を翻すために戦力を集めていた。もっとも、【麗氷の姉妹】と呼ばれるあの二人が来ると目立ちすぎるので、明人が生まれるギリギリまで忍ばせていたのだが。
それにうれしいことに、帝王は今や他の国との戦争で忙しい。内政にまで手が回っていない状況である。
誤算はリュウと呼ばれる男がこの町にいたこと。彼は帝国で警戒に値する人物の一人だ。
「君が私の【転生体】として生まれた今、反撃の狼煙をあげるのは今です。この町を起点として、帝国を翻します」
「……つまり、君の言うことを聞きさえすれば元に戻れると?」
「そうですね」
だったら、やるしかない。こんな自分がどこまでやれるのか不安しか残らないが。
「大丈夫です。貴方は私の能力をすべて引き継いでいます。身体能力、魔法力、統率力。そのすべてが平均より群を抜いています。それに、何より【転生の加護】が貴方にはついています。そして、“あなたは、決してこの先の戦いで一度も負けない”そう、魂に刻み込まれています」
「君は……イリスは?」
しかし、やるしかないと分かっていても疑念はある。
今の彼女も、眼前で存在しているではないか。だったら、彼女自身がやればいい。
「それは無理なことです。今の私は、語ることしかできない魂の残滓ですから。それに、数十年前に死んだ人が、都合よくこの世界に干渉できるとでも?」
苦笑いを見せた彼女は、どこか儚げであった。
「私にできることは、導くこと。自分の魂に刻み込んだ、最期の魔法に従って」
胸の前に拳を作って、そして両手を差し出した。
「morituri te salutant(死にゆくものより、敬礼を)」
彼女は一言そう告げると、塵となって消える。
向かい側にはもう、誰も座っていなかった。
今あったばかりの人に感情移入など、明人にはできない。それでも、彼女の苦笑いには、どこか語るものがあった。
悔しさ、不甲斐なさ、そして自分でできなかった憤りを感じた。
正直、今の自分が力になれるかわからない。明人がする意義もない。
しかし、しかしだ。初めて会った可愛い女の子に頼まれれば、断るわけもなく。悲しいかな、スタンプの地味な明人には、女性に対して耐性が弱いのだ。
「……分かったよ」
振り返る。そこにはマデルとノデアが立っていた。
「僕は何をすればいい?」
「明人さ――いえ、イリス様にはこれから冒険者として知名度を増やしていただきます」
赤髪の少女――マデルが口を開く。
「私たちは裏方に徹する。顔は割れているので」
緑髪の少女――ノデアが続けた。
「知名度を増やして帝国に反発している仲間を増やす……か。安直だな」
「それ以外に方法がありませんので」
「私たちや今の仲間は顔がばれているので、あまり動けない」
「……そうか」
考え込み、もう少しだけ質問する。
「銀色の少女はこの世界では忌み嫌われているんだろ? あまり、大きく動けないんじゃ? それにさっきあった男――リュウが、本国に連絡をしていないとも限らない」
「大丈夫です。銀色の髪は珍しいってだけで名乗りさえしなければ、“この町では”特に目立つことはありません」
「帝王は、やがて生まれ変わりが現れるなどというオカルトは信じてない」
「なるほど、リュウが騒ぎ立てても僕がへまさえしなければ大事にならないと?」
「はい、それに彼は帝国に雇われた一介の傭兵に過ぎません」
「【死なずのリュウ】という異名があるので油断はできないけど、今すぐこの町に帝国の追手が来るとは考えにくい」
死なずということはつまり、あれで彼は死んでいないってことだ。大体察してはいたが、一回休みとはそういうことなのだろう。
「それに、私たちが出張ったので、次仕掛けるときはそれなりの準備を施すかと思います」
「その間にイリス様がこの町を篭絡してみるのも悪くないかもしれない」
「君たちを見つけたことに帝王は?」
「さっきも言った通り、帝王は内政に忙しいです」
「大きい国ほど一枚岩ではない」
つまり、一介の賊に対しては、一介の傭兵で対処が十分だと思っているということらしい。諸国と戦争をしていると言っているので、有能騎士も近衛騎士も出せないのだろう。
賊の退治――イリスはゲームでやった王からの依頼を思い出していた。
――つまり、リュウはゲームで言うプレイヤーという認識でいいのか。
何はともあれ、拠点が必要だ。これから彼女たち賊はイリスを頭にして動いていくだろう。しかし、本格的に動くなら腰を据えるほうが良い。
いつまでも賊扱いされては、動かせるものも動かせないという奴だ。
覚悟を決めて、イリスは立ち上がる。
「勘違いするな。僕は、元の世界に帰るために頑張るんだ。元の世界に帰れるようになったら、君たちをすぐに見捨てるぞ」
「はい」
「分かりました」
素直な返答に、心の中で苦笑をした。
まずは冒険者として、冒険者組合に登録しなければならない。そこのところの流れは、ゲームと同じだろう。
イリスの頭の中には、ある程度のこの国の仕組みが入っている。照らし合わせながら慎重に動こうではないか。
自分が元の世界に戻るために。
つまらなく、平凡な、平均的な人間としての毎日に。
そう考えた瞬間、自分の中にポツリと困惑が生まれていた。
――なんで、僕は今楽しいと思ってるんだろう。
命と隣り合わせな毎日と、命が保証されている毎日を比べて、やはり後者がいいなとかぶりを振った。