第二話 麗氷の姉妹
この世界は「アースフル」と呼び、いくつかの国に分かれている。一番大きいのは、帝国と呼ばれる「ドリーシア」という国である。始まりの町とも呼ばれるこの町の名前は、「ベヒシュタイン」である。たくさんの冒険者が、ここから冒険を始める。
周りに出没するモンスターは弱く、経験を積むのは丁度いいのだろう。
しかし、問題はある。この町は人員もモンスターも弱いため、賊の根城が近くにあった。
賊――かつて栄えた王国の生き残りたちや、その一族が悪さを働いている。亡国を再び立ち上げるために。
このあたりの設定は、すべてゲームと一緒であった。
まるで自分のことのように語る金髪の青年の話を、右から左に聞き流しながら彼のあとをついていく。
とりあえず、明人は状況を理解するのに十数分ほど要した。その後心配された彼に、宿代をおごってもらうことになった。
頭の中で整理した結果、この世界は明人がやっていたゲームが元になっている。だからか、ある程度の知識は保有していた。
――しかし、銀色の少女……か。
明人が知っている中で、ゲームの設定として銀髪はかなりのキーワードになっている。そのせいか、キャラクリエイトの時銀色の髪にだけはできなかったのだ。
銀色の少女は、栄華を誇った王国の第一騎士団団長。戦争中最後まで戦い、最後に散った少女。罪人の貼りつける十字架にも掲げられることから、この国の銀色の少女に対する扱いは分かるだろう。
――嫌な予感しかしないな。
今のところ、周りからは怪しまれる様子はない。ただ、銀色というだけでは、そこまで警戒に値しないようである。
「ほらほら考え込んでいないで、これでも食べて」
彼がいつの間にか買っていた、リンゴのようなものを差し出していた。明人はおずおずとそれを受け取る。この国の食べ物は、基本的に現実世界に酷似している。言語も通じるようなので不自由はしなそうである。
問題は金銭面なのだが、それも冒険者を支援する者たちがいるので、そこにいけば問題ないだろう。
「本当に、大丈夫ですよ? 一人でやっていけますから」
何回目かもわからないお断りの言葉。しかし、青年は首を横に振る。
「町中で彷徨ってる少女を一人で置いておけるわけないよ。それに、また放っておいたら今度こそ馬車に轢かれてしまいそうだしね」
確かに。ここはやはり、彼が満足するまで付き合わないといけないようだ。悪い人ではないようだし、黙ってついていこう。
差し出された果実をかじって、少しの酸っぱさと甘さに感動する。味覚はしっかりと機能しているようだ。それが、ここはゲームの世界ではないことを如実に語っていた。
やはり自分は、あのゲームの世界と一緒の世界に転生してしまったらしい。どういうことかわからないが、銀色の少女となって。
少し体の動作に違和感はあるものの、随分慣れてきた。あとは日常生活を普段通りにやっていけるかどうか。……例えばお風呂とか。
ま、あとのことはあとで考えようと、首を振って思考を振り払った。
「ここ、通っていこうか。近道だよ」
彼が指さしたのは、路地。人通りは少なく、少し暗い雰囲気である。明人の記憶が正しければ、この路地を抜ければ、目指している冒険者支援の建物の前にたどり着く。
今までの青年のやさしさ、明人のゲームの知識。その二つが重なって明人は何の警戒心を抱くこともなく路地に入った。
表通りと違い、ひんやりとした空気が頬をかすめる。ふぅと息を吐いて、そういえばと明人は振り返る。
「名前を聞いていませんでしたね」
町の喧騒が遠のく中、青年は立っていた。右手に短剣を握って。
剣先をいじる彼は、冷たい瞳をしていた。
「そうだね、名乗る必要はないよ」
「……どうしました?」
嫌な予感が脳裏をよぎった。寒気が背中を上る。
「君はここで死ぬ。僕は報酬を得る。それでいいじゃないか」
「……!」
駆けだそうとしたところを、足を払われた。顔面を地面にこすりつける。
「無駄さ。君は逃げれない。しかし、本当に君はバカだな……。親に習わなかったのか? 見知らない男について行ってはダメだって」
地面に転がる明人を、男は見下ろす。
「ま、無理もないだろうね。君はこの世界に“生まれたばかり”なんだろう?」
「……ッ!?」
両手に構えられた短剣。明人の顔を向けて、なんの戸惑いなく振り下ろされる。顔を動かして、ぎりぎり躱した。
頬を切ったのか、地面に刺さって揺れる剣芯は、血が垂れている。鈍く光る刃には、怯えて瞳が揺れる自分の顔が映っていた。
「何を避けてるんだ?」
ゆらり……彼が短剣を地面から抜く。
「楽に殺してやろうとしてるんだ。何、僕の許可なしに避けているんだ?」
男の瞳には感情というものが、欠落していた。ただゴミを見つめるかのように、明人を見下ろしている。
「僕の手を煩わせるとか、鬱陶しいなぁ。あぁ、鬱陶しいなぁ!」
「ガハッ!?」
蹴りが腹部を直撃する。痛みで明人は蹲った。
助けてという声は、喉を通ることすらしなかった。痛みと恐怖で体が震える。せき込むような喘ぎ声だけが漏れる。
「あーあーあーあー。情けないなぁ。情けない情けない。これが、かつての英雄なんだから嗤えるよな。嗤えるよ」
自答するかのように言葉を紡ぎ、彼は髪をかき上げる。
「ま、僕には関係ないか」
再び、彼は剣を振り下ろす。しかし、甲高い音とともに剣は弾かれた。
何があったのかと、男は目を白黒させる。手放された短剣は、遠くに滑って行った。近くの地面には、細い剣が刺さっていた。レイピアというやつだ。
「己惚れているところ悪いけれど」
「私たちは彼女に死んでもらっては困ります」
「お前ら……は!?」
何があったと、痛む腹部を抑えながら明人は顔を上げた。
二人の少女が立っていた。
一方は。薄い緑色の髪をしていた少女だった。一方は、薄い赤色の髪をしていた少女だった。
二人はビックリするほど瓜二つだった。銀色の四つの目が、男を射抜いている。
緑色の髪をした少女は、赤い町娘の衣装に身を包んでいた。
赤色の髪をした少女は、緑の町娘の衣装に身を包んでいた。
「いや……いやいや。お前らがこの町にいるのはおかしいだろ?」
「強者が初手からやってこないと誰が決めたの?」
「ボスが最初から攻撃してこないって誰が決めましたか?」
「く……っそ」
さっきまでの威勢はどこに行ったのか。彼は踵を返して、表通りに逃げようとした。それよりも一歩早く、赤色の少女は回り込んでいた。スカートを翻し、男の顎を蹴り上げる。
彼は唾を飛ばし、数メートル飛ぶ。その先に緑色の少女が待機していた。
振り上げた蹴りを、男の腹部に落とす。骨がきしむ様な音が、明人の元にまで届いてきた。
「さて、悪いけれど。貴方にはここで一回休むをしてもらいます」
地面に刺さったレイピアを抜き、地面に転がる彼に、ゆっくりと赤い髪の少女は歩いていく。
「ま、待て……話せば……分かる」
「彼女の話を聞かなかったのは貴方では?」
男の懇願にも応えることはない。少女は無情に心臓へ剣を突き立てた。
一瞬の絶叫のあと、彼の身体は動かなくなった。死んでしまったのだと、明人にもわかる。
広がる血だまり。鼻につく嫌な臭い。胃の底からこみあげてくる吐き気を、口をふさいで抑えた。
一歩間違えれば、ああなっていたのは自分かもしれなかったことに、恐ろしさが鳥肌となって現れる。
「さぁ、立って」
「時間がありません」
差し伸べられた緑髪の少女の手を、おずおずと掴んだ。
「殺した……のですか?」
「そうですね。今は」
「いま……は?」
「話している時間はありません。私たちの後についてきてください」
彼女たちに導かれるまま、明人はよろよろと歩き出す。
◆
「あっははは! なっさけない、なーっさけない!」
男の死体が転がる路地に、楽し気な少女の声が響く。
青髪の童女が、遊ぶように彼の頬を突っついていた。
「勇者よ、死んでしまうとは何事じゃぁ! あっはははははは! ねぇ、今どんな気持ちかな? あ、死んでるから気持ちも何もないか」
楽しそうに、場違いに、高笑いをする。
しばらく彼女の笑いが続いていると、彼の指がピクリと動く。
のそりと起き上がった男の体には、傷なんてどこにもついていなかった。自分の血で染まった服を見つめて、いやそうに眉根を寄せる。
「うるさいよ、サーシャ」
「この町で一回休みになるリュウが悪いよ? あはは」
「ちょっと油断しただけだ」
「油断? 違う違う、リュウの力不足ってだけだよ」
「……うるさい、僕は帝王に報告する義務があるからちょっと静かにしててくれ」
「なんて報告するのー? 無様に情けなくも“心臓を一個消費してしまいました”って報告するのー? ねぇねぇ?」
男――リュウと呼ばれた金髪の青年が睨むと、少女は笑って血だまりで遊び始めた。
彼は通信用の魔晄石を取り出すと、しばらく何事かとやり取りした。終えると、懐に魔晄石をしまう。
「どうだったぁ?」
「応援は送れない、現状の戦力で何とかしろだとさ。王は反逆者討伐より、領土拡大にお熱らしい」
「あははは。ま、私とリュウがいれば充分じゃない? もしものときは私が町の住民たちを“変えちゃうからさぁ”」
にたぁと嗤う彼女――サーシャの姿は、おもちゃを与えられた無垢な少女のようだった。ただその紅い瞳は濁っている。
「全員を変えるなよ? 僕の心臓がなくなっても困る」
「すぐに死んじゃうもんねぇ」
「次はそれなりの準備をしていくさ。【麗氷の姉妹】が相手だと話は変わる」
やれやれと、リュウは肩を竦めた。
彼はそのまま、町の喧騒に入っていく。サーシャはそのあとを、とことこと楽しそうについていく。