第十三話 戦いを終えて――
目が覚めて、イリスは息をついた。木の温もりを残した天井が目に入った時は、安堵した。
「いっつ……」
上体を起こそうとして、腕や腰に痛みが走って顔をゆがめる。
「あ、い、イリスちゃん!」
マリルの声が聞こえて顔を動かそうとするが、すぐに寄ってきた彼女がその動きを止めた。
「だ、だめだよ無理しちゃ。き、傷だらけなんだから……」
「いや、僕なら大丈夫……」
「だ、大丈夫じゃないです」
「それより村は?」
「ね、寝ててください」
「大丈夫だって……」
無理やり体を起こすと、マリルは諦めたようにイリスから手を放した。そのままベッドの近くにおいてあった丸椅子に座る。彼女のほうを向くと、心配そうな瞳でこちらを見つめている。頭に手を置くと、少し嬉しそうに目を細めた。
「は! そ、そうやったってだ、騙されないんですから!」
手を払いのけるように、マリルは頭を振った。その様子がおかしくて、笑ってしまう。
「な、なに笑ってるんですか。こ、こっちは必死なのに……」
「ごめんごめん……それより、マリルも大丈夫?」
「あ、はい。わ、私はその魔力枯渇で倒れただけですので。な、投げられて、す、擦りむいた程度です」
元気いっぱいと言うかのようにガッツポーズをしていた。相変わらずふんすと鼻息が聞こえてきそうな表情に、余計に笑ってしまう。
「そうか、良かった……」
布団から出ようとするのを、またマリルは止めようとする。その行動を、イリスは制止した。
「村の様子見たいから」
「……あ、安静にしてください……と言っても、き、聞きませんよね」
大きくため息をついて、彼女はイリスの手を取った。
「え、ちょっと……」
困惑する彼女をよそに、マリルは肩に手を回した。
「せ、せめて、わ、私の肩を借りてください」
イリス的にはマリルの温かくも柔らかい体が感触として当たっているので、どぎまぎして困惑してしまう。
心の中で落ち着けと繰り返して、鼓動を抑えようとする。目を瞑って、今の自分は女の子だと言い聞かせた。
「こ、こういう時くらい。わ、私を頼ってください。わ、私、い、イリスちゃんの役に立ちたいんですから……」
「……立ってるよ、充分」
「な、なんですか?」
空気を吐くようにか細くつぶやいたために聞こえなかったのか、マリルは首を傾げて聞き返す。
彼女のほうを数秒見てから、イリスは顔をそむけた。自分でも顔が真っ赤になっているのだろうなと自覚するほど、熱を持っているのが分かる。
「と、とりあえず広場までお願い」
「は、はい……!」
マリルに肩を貸してもらいながら、イリスは家の外に出た。
太陽はもう天辺を越えていた。あの戦いから一夜明けて、さらに昼過ぎまで寝ていたらしい。イリスはアランの首を切ったのかも分からないうちに気絶したため、現状どうなったか分からなかったのだ。
活気づいている広場。たくさんの資材や瓦礫が運ばれている。村の修繕のための物置になっているようだ。
見張り台の下で血だまりを作っているのは、巨体のアラン。彼は村人たちにロープで巻かれて、運び出されようとしているところだった。しかし、中々に難航しているらしい。
「お、イルアスちゃん!」
村人の一人がこちらに近寄ってきた。少し体格がよく、茶髪の豪快な男である。村人と同じ衣装だが袖の部分をまくっている。見える腕は筋肉がついていた。
「無事に起きたのか?」
ニコニコと近づいてきて、イリスの背中を叩いた。少し力が強かったためよろけて咳き込んでしまう。
うっかりしたことに、彼は申し訳なさそうに苦笑して、後頭部をかいていた。
「あ、あの……?」
「あぁ、俺のこと覚えてない? やっぱりなーそうだよなー。俺って空気みたいなもんだもんなぁ。最後担いで飛ばしてやったんだけどなぁ」
彼はゲームで言うところの村人Aとでも言いたいのだろう。
「こ、この人はラルフ・ノービアスさん。で、です」
ノービアス? マリルの説明を聞いてどこかで聞いたことある苗字だと考えてから、すぐに思い至った。
「てことはアランの!?」
「そ、アランの実の息子だ! たっはっは!」
気まずそうに顔を背けるイリスとは別に、ラルフは豪快に笑っている。実の父親を殺されたというのに、彼は逆に清々しそうであった。
「おっと、別に謝らなくていい。むしろ、こっちが謝りたいくらいだ」
真剣な表情を落とすと、彼は改まって背筋を伸ばした。大きな体を折り曲げて、大きな頭をおろす。九〇度のきれいな姿勢は、イリスに対して敬意を表していた。
「俺たちの村を、暴君から救ってくれてありがとう」
真剣に紡がれた言葉は、身に染みた。こうやってお礼を言われるのも悪くないなって、頬が緩む。
「で、村の状況は大丈夫?」
「ん? あぁ、家がいくつか倒壊しちまったが、死者はいないよ。負傷者も軽いけがをした数人だけ。あんたらのおかげさ」
「そっか……」
村の安全を確認できて、全身の力が抜けてしまった。そのまま地面にへたり込んでしまう。
「い、イリ――イルアスちゃん!」
慌てた様子のマリルに、大丈夫だと返す。
まったくもって心臓に悪い夜だった。このまま人死が出てたら、責任を感じていたかもしれない。やはりこんな世界を早く脱出するためにも、前世のイリスの願いを一刻も早く受領しないといけないなと思う。
帰る動機が、自分が平凡で人と関わり合いなく暮らしたいから、人が死ぬのは嫌だに変わっていることは彼女自身は気がついていない。
顔を上げたイリスが、ラルフを見据える。
「何か手伝えることはありません?」
「おぉ、それなら――」
「――だ、だめです!」
「だそうだ」
ラルフは苦笑して肩を竦めた。イリスも吊られて苦笑するしかなかった。
広場の隅で村人たちの活気ある様子を、イリスは眺めている。すれ違う村人たちは、みんなにこやかに会釈をしてくれた。
マリルは子どもたちに囲まれていた。困り顔をしていたけれども、どこか満更でもなさそうな雰囲気だ。彼女はいつしか遊びから、子どもたちの剣の稽古に発展している。
その様子を見て、平和だとほぅと息をついた。
そういえば、この世界に来てから怒涛の展開が多かった。休める日なんてものは数少ない。少し休憩してもバチは当たらないのではないだろうかと、空を仰ぐ。
しかし、すぐに首を振って否定した。
あのサーシャという子どもが、何をしでかすかわからない。その前に早く手を打たなければならない。
といっても、この怪我じゃどうすることもできなかった。
村には治癒魔法に関する人はいない。残念ながらマリルも使えない。イリス自身使えるが、治癒魔法は自分には施せない。よって村の薬草医から切り傷や打ち身に効くものを貰って、療養するしかなかった。
こんなところで足踏みしている場合ではないのにと歯噛みする気持ちはあるが、こればかりは仕方ない。万全でなければ、戦えるものも戦えないのだ。幸い、薬草医からは数日あれば治ると言われている。
「さ、さぁかかってきなさい!」
木剣を持ったマリルの声が響く。子どもたちはそれぞれマリルに対して、木剣を構えていた。それを彼女は素早く捌く。
彼女自身、村でかなり稽古をつけてもらってたらしい。さすがの身のこなしで、一人ずつ子どもたちの頭を軽く小突いて行っていた。
「ねぇちゃん強いよ!」
「もっと手加減してくれよぉ!」
「お姉ちゃんすごーい!」
子どもたちに囲まれて、照れくさそうに彼女は笑う。
きっと運命が違えば、彼女は村でこうやって過ごしていたんだろうなとふと考えた。
「平和だなぁ……」
また一つため息を漏らした。
「よっす、イルアスちゃん」
そんな彼女の横に、用事を一通り片付けたのかラルフが腰を掛ける。
「どうしたんですか?」
「ちょっと君に用事があってな」
「……用事?」
何のことだろうと首を傾げると、ラルフはしばらく悩んだ様子を見せる。後頭部を数回掻いてから意を決したのかゆっくりと口を開いた。
「君、イリス・フォーゲルだろ」
その言葉に、イリスの鼓動は飛び跳ねた。




