第十二話 独りで戦うこと
轟音が鳴る。巨体が腕を振るたびに地面がひび割れて、小さなクレーターができる。砂煙に映る歪な人影は、のろのろとイリスに向かってくる。
幸いなことに、彼はマリルよりイリスのほうを敵として認識しているらしい。つかず離れずの距離を保ちながら、気絶しているマリルから引きはがすことには成功した。
「だからと言ってどうする……ッ!」
イリスの筋力で巨体の攻撃など、受けれるわけもない。かといって斬れるだけの実力はない。あの筋肉の塊は、技量がどうとか越えている。
振り上げる。風が起こる。振り下ろす。砂煙が巻き上がる。繰り返し繰り返し、ただイリスを潰すためだけに動いている。そこに人間の理性などない。
「ぉぉお、おおおおおおおおぉぉぉぉ――……!」
アランの雄叫びが鼓膜を揺さぶる。ぐらつきそうになる足を堪えて、イリスは左手を突き出した。
「≪ピアーナ≫!」
出現したのは複数の氷の礫。砂煙に揺らめく頭部――目を狙って。
刺されと意識して放ってみたものの簡単に手で払いのけられる。
「……ッ!」
魔法を放った隙をついて、アランがまた力任せに腕を振り下ろした。風に煽られ、砕け散った礫が鎧や服に飛び散る。細かい痛みが全身から伝わってくる。
真っ向勝負はダメだと、家屋の窓に飛び込んだ。映画とかでよくガラスを割って主人公が突入するシーンとかあるが、実際やるとかなり痛い。頬は傷だらけで血が滴っている。
痛いからといって、休む暇などまったくもってないのだが。
「おおおおおおおおおぉぉぉ――……!」
雄叫びとともに、腕を横に払った。壁が紙のように拉げて潰れる。倒壊する屋根にアランは巻き込まれるが、そんなことお構いなしだ。
イリスは反対側の壁際まで逃げていて、倒壊に巻き込まれずに済んでいた。左手を前に出して、再び詠唱する。
「≪ピアーニアルト≫!」
家の中に踏み込んできた巨体の頭上に、彼の頭三個分の氷塊を作った。氷塊はそのまま重力に則って、落ちる。
砕け散ったのは氷塊のほう。これには薄ら笑いすら出ない。
逃げてる途中で、魔法は色々試した。
氷の刃は彼の筋肉を浅く切るだけ。
炎は筋肉の壁のせいで燃えない。
風の刃は血を出すことさえできなかった。
雷は彼の動きを少し鈍らしただけ。
土などぶつけたところで無意味。
しかし、ここで諦めればそれこそマリルの身が危なかった。イリスにとって村のことなどこの世界のことなど二の次であるが、彼女が巻き込まれて死ぬのは――
「なんていうか、いやだな……」
そう結論出して、踏ん張る。頬を伝う血を拭い、干上がった喉を潤すようにつばを飲み込んだ。
きっとあの化け物は目を潰したとしても、暴れ続けるだろう。狙うのは、頭と胴体の付け根。首部分しかない。問題は、どうやってあの猛威の隙をついて、両断するだけの力を発揮するか。
やはりただ斬るだけでは、筋肉に邪魔されて途中で止まってしまう。なら重力も足すしかないか。
巨体が腕を振り上げている今も、考えを巡らせ続ける。
大きな腕の横薙ぎは、様々な家具を巻き込んで壊していく。屈んで避けたものの、やはり風に煽られて体が浮いてしまう。
遅れて飛んできた机が、イリスの体に直撃した。
「あ……がッ!」
体全体が揺さぶられる衝撃。骨のきしむ音が隅々まで広がっていく。肺の中の空気は口から出ていく。
衝撃は当然殺すことができない。ぶつかった机とともに、別の窓を突き破って外に飛び出す。
一体何メートル飛んだのかもわからない。頭は衝撃で揺れて、視界は滲んでいる。
動かないと……。そう思うが体が言うことを聞かない。どこかやってしまったのだろうか。
巨体が近づいてくるのが、振動で分かる。滲む視界の先には、気絶しているマリルの姿があった。
――ごめん、巻き込んで。ごめん。
思えば、彼女はイリスと会わなければ親友を失うこともなかった。彼女の人生を狂わしたのは誰でもないイリス自身なのだ。
スタンプとして生きてきた自分は、他人の生などどうでもよかった。自分もそれなりに生きていればよかった。この世界を救うことだって、元の世界に戻るためだけだ。
流れに身を任せれば、どうにかなると思っていた。今までもそれで生きてきたのだから、そう思っていた。
巨大な腕が、イリスの腕を掴む。彼女の体は宙に浮き、ぶら下がる。
「は……なんだよ、その目は」
アランの目には、理性が宿っていなかった。きっとイリスのことを人間とすら思っていないだろう。ただ潰してそれで終わりだ。
なんてあっけないのか。あっけなさ過ぎて、ため息が漏れる。
「こっちだ化け物!」
死を覚悟した時、声が上がった。イリスでもアランでもマリルのものでもない。まったく聞き覚えのない声だった。
アランの頭に小石が当たる。小石が飛んできた方を見ると、見張り台に、子どもが数人登っていた。村で最初に歓迎してくれた子どもたちだ。
彼らは何やら叫んで、小石を次々に投げつけている。獣の本能を刺激されたアランは、イリスを放って見張り台に向かった。
「やべぇ! こえぇ!」
「こ、来い! お姉ちゃんたちを苛めるな!」
「やーいやーいばっけもの!」
子どもたちはそれぞれヤジを飛ばして、逃げようともしない。
イリスの頭の中では危ないというより、何故という疑問のほうが大きかった。
村人たちは子どもを含めて、全員森で拘束中だったはずだ。ここにいる理由がわからない。
とにもかくにも守らないとと、手に力を込めた。
「大丈夫か?」
そこに、村の男性二人が肩を貸してくれた。
「……どうして?」
「俺たちもさっぱりわからない。気がついたら、森の中に寝てたんだ」
「なんかよく似た緑と赤の髪をした二人の娘が、俺たちの拘束を解いてくれたんだ」
「……はは」
その二人には聞き覚えがあった。間違いなく、マデルとノデアだ。
助かったとほっとした半面、何をしているんだと首を振る。
「なんで逃げなかったの? 危ないってわかってたでしょ?」
「分かってた、分かってたさ」
「だけどな。俺たちの娘くらいの女の子たちが、こんなギリギリで戦ってるんだ。そんな様を見せられて逃げられるか」
「……」
言葉は出なかった。ただただ、村の人のやさしさを噛みしめる。
アランは見張り台の下まで到達していた。瞬間、脇から縄を持った村人が、数人ほど現れる。投げて、絡みつかせて、拘束する。
当然巨体は暴れる。縄は簡単にちぎれるが、間髪入れずに別の村人が投げた。足元では、農具を持ち出して、チクチクと嫌がらせをしている者もいる。
アランにはこの程度のことは蚊に刺されたようなものだろう。しかし、それでもヘイトをイリスから背けられたことは大きい。
「俺たちの力では、あいつに嫌がらせをすることが精いっぱいだ」
「トドメは悪いが嬢ちゃんがしてくれるか?」
「……任せて。できるだけ僕をあいつに向かって高く飛ばせるかい?」
村人たちは見合わせて、にかっと笑った。
「任せとけ!」
「力だけなら、俺たちの農民の分野だ! おおい、みんなこの嬢ちゃんを高く上げてやってくれ」
イリスは集まった村人に担がれる。そのまま彼らは走り始めた。彼らがイリスを勢いよく持ち上げたと同時に、彼女も踏み込んで飛ぶ。
剣を両手で握り、空中で一回転して重力に遠心力を加える。一直線にアランの首元に剣を振り下ろした。
西洋剣の本来の使い道、アランの首を叩き斬るために。
◆
「ん? んーあーあー」
サーシャがつまらなさそうに、ため息を吐いた。宿の一室で魔晄石を磨いていたリュウが、ちらりとサーシャのほうを見やる。
「……どうした?」
「いやぁ、楽しいお遊びの時間が終わっちゃったなぁって」
「負けたのかい?」
「逆にリュウはあの男が勝つと思う?」
「思ってないね。これっぽちも」
ベッドに腰掛けてたサーシャは、足をぶらぶらさせてからベッドの毛布の上へと倒れた。
「それでさ、リュウはさっきから何してるの?」
「戦う準備だよ」
その言葉を聞いて、サーシャが元気を取り戻した。立ち上がり、飛び跳ねる。鼻息を荒くして、リュウに詰め寄った。
「やっと? やっとなの! で、いつ? いついついつ?」
「……顔が近い。僕がわざわざあの村に何も考えずにおびき寄せたとでも? 彼らがいなくなった間に、準備はほぼ完了しているよ」
手に持っていた魔晄石を置いた。全部で六つそこには光り輝いていた。
「今回用意できた命は六つ。そして、一番のお気に入りはこれさ」
指さしたのは青く一際輝いていた。
「ほえー……いつにもなくきれいな色。これ、誰の命?」
「そんなの決まってるじゃないか」
リュウは誰もが背筋を凍る笑みを浮かべていた。
「マリル・シュゲルのだよ」




