第十話 火の罠
そこかしこから響くうめき声が、イリスの体を震わせる。森の中の暗闇には、村人たちの持つ松明の灯りが点在していた。見つかれば八つ裂き、考えなくても分かることだ。
「ど、どうしますか……?」
傍らのマリルから、心配そうな声がかかる。
「村人に手を出すわけにはいかない。何とかしてあの男だけでも始末しないと……」
考える。そのとき、風が頬撫でた。
風向きは、村のほうに向かっている。
しばらく黙り込んで、風を感じる。
「マリル。村人たちはなぜ、森に火をつけないと思う?」
「な、何故って……」
「森に逃げ込んだ獲物を捕らえるなんて、わざわざ暗い中松明を持って探さなくても火であぶりだせば良い」
「で、でも、そんなことしたら村が」
「そう、アランは腐っても村長だ。“村人をいくら犠牲にしたとしても、村自体を無くしたいとは思っていない”」
しばらく考え込んだ後、マリルが息をのんだような気配を感じた。
「く、暗くて見えませんけど、い、今イリスちゃんすっごい悪い顔してますよね?」
「してないしてない。ちょっとあいつに一泡吹かせてやろうと思っただけだよ」
人死にさえ出さなければ、別に何をしても良い。アラン、お前のやったことはそういうことだよ。
イリスは口の端をゆがめる。
◆
アランはいらついていた。
村の広場に陣取り、四つん這いにさせた村人の上に座り、足を細かく揺らす。
「まだ見つからんのか!」
彼の怒号に反応する村人はいない。アランはイラつきを露わにするかのように、舌打ちをした。
そんな時だった村の東――ちょうどあの二人が逃げたところに、火の手が上がるのが見えた。
「あんの、ガキども! バカが、そんなところに付けたら村に被害が出るの分かってやがるだろ!」
立ち上がり、怒る。しかし、彼女たちが森に火をつけたという事実は変わらない。
アランは、自分の領地が消えてなくなることを望んでいない。何もなくなった土地には、意味がないのだから。
人員を捨てて土地を選ぶという矛盾を、彼自身は気がついていない。
「お前ら、捜索はいったん中止だ! 火を消しに迎え! 全力でだ!」
命令すると、村人たちはいっせいに火のほうへと走り出した。彼らの背中を見つめながら、歯噛みする。
「何も考えてないガキを相手にするのはこれだから――」
◆
「――これだから困るとか、思ってるんだろうね」
森の中に上がる火柱を見ながら、イリスは内心で笑顔を漏らす。火の周りには水がまとわりついており、火の手は木々へと移らないように細心の注意が払われていた。
イリス自身、森に火を放つことなど良しとはしていない。森の中の生態系を壊すということだからだ。
マリルが火柱を調整し、少し狂って木に移りそうになるところを、イリスがかき消していた。有利属性対応の応用である。魔法の微調整が必要なため、こんな芸当は魔法適性が高いものにしかできない。
アランはきっと、この火が魔法で作り出されているなど思ってもいないだろう。
うめき声の波が近づいてくる。たくさんの村人たちが総出でやってくる。
「来た来た。マリル、準備は良いかな?」
「は、はい……ッ!」
火に照らされたマリルの額には、汗が浮かんでいた。彼女の魔力が尽きる前に来てくれて助かった。
「“一人一人気絶するのはちょっと骨が折れるけど、まとめてなら問題ない”」
うめき声はすぐ近くまでやってきている。彼らは一目散に火の手の部分に集まってきていた。
森の火事は恐ろしい。風向き次第では数分で燃え広がる。だからこそ初期消火活動には、村人を総動員する。アランならそう判断を下すだろう。
村人よりも村を守ろうとする彼らしい判断だ。
「いまだ!」
「ふぉ、≪フォルティージアナ!≫」
イリスの合図で、マリルが魔力を開放した。水を纏った火球が周囲に飛ぶ。その一つ一つをイリスは調整する。村人一人一人を拘束していく。動きが抑えられて、全員が地面に倒れ伏せた。
力任せに拘束をはぎ取ろうとしているが、無駄である。火と水は形がない。いくら暴れたところで、動きに合わせて拘束が強まるだけである。
「さて、これで全員かな」
「や、やっぱりイリスちゃんはすごいですね」
「……はは、ありがと」
マリルの真っすぐな好意に、頬をかく。
すごいと呼ばれるほどのことではない。自分の技量に頼っただけのごり押しだ。それを褒められてもむず痒くなるだけである。
「さぁ、お待ちかね本番タイムだ。あのクソ野郎が待ってるはずだから村に向かおう」
「……は、はい!」
イリスは拘束されている村人たちの近くに、魔物除けの魔法を貼ってから村へと向かう。
アランは村の中央広場にいた。彼女たち二人が現れたのを見て、驚いた表情をしている。
「……お前ら、村民どもをどうしやがった?」
「寝てもらってる。安全なところに」
イリスの軽口に、彼の額に少し青筋が浮かぶのが見えた。
「は、はは! 愛しの村民どもをやってくれた罰は俺自身がかさないと駄目なようだな!」
どこから取り出したのか、大きな戦闘斧を両手に携えていた。刃先が重みで地面に食い込んでいる。
「な、なにが罰ですか! あ、あの人たちをあんな目に遭わせて!」
「ま、どっちが悪かどっちが正義かなんて問うつもりはないけどさ。僕からしたら、お前みたいなやつが一番胸糞悪いんだわ」
二人も片手剣を構える。相手の斧にすれば心細い武器だが、それでも対峙する。
「は! 小娘二人で何ができる!」
「そっちこそ、村人の力がなくなって何もできないでしょうに」
「その減らず口を叩き斬ってやる!!」
アランが走り出した。二人もつられて走り出す。
静まり返った村の中。灯りだけが揺らめく村の中。剣戟が始まろうとしていた。




