第九話 懐疑の邂逅
月が頂点を過ぎる。今日は満月だ。淡い光が、周囲に落ちていく。イリスは村の見張り台で、空から下へと視線を移した。村全体を見渡せる絶好のポイントである。
いつもは、村は暗闇に包まれているらしい。しかし、今日はどの家も灯りがついていた。暗闇が怖いのだろう。
「きょ、今日も現れるんですかね?」
手から松明ほどの火を灯して周囲に目を凝らしていたマリルが、心配そうにイリスに目配せした。
「現れるかどうかは分からないね。そもそも、その怪奇が人によるものかさえもわからない」
「そ、そっか……」
「とにかく、僕たちは異常を見つけしだい止める。それしかない」
後手に回るが、情報がない以上こうするしかない。うめき声が聞こえてくるという森に入っていくのも手だが、それは良案とは思えない。
敵が動くのを待つ。被害を食い止める。敵の情報を暴く。それしかない。
ため息が漏れるほど、相手待ちの状態に歯噛みする。
「あ、あれ見てください!」
そんなとき、マリルが一点を指した。村人の一人が、よろよろと村から一人で出ていこうとしているのだ。
「おーい、何してる!」
一応の警告のつもりで声をかけた。が、反応はない。
「マリル、行くよ」
「あ、は、はい!」
見張り台から急いで降りて、村人を追いかける。幸い村人は、村から出る前に止めることができた。
一人の男性だった。よくよく見ると、今日この村に送り届けてくれた御者の人だ。
「だいじょ……ッ」
イリスが彼の肩に手を置こうとしたとき、手首を掴まれる。そのまま力強く握りしめられた。
うっ血するほど握られて、思わず手を引っ込めた。動きを止めた御者は、ゆっくりと振り返る。
月明かりに照らされた彼の顔は、とても人間のそれとは思えなかった。
白目をむいている。歯は噛みしめられ、削られている。血管が浮き上がり、涎は絶え間なく垂れている。
「にく……にく、にく、にくにくにくにくにくにくにくにくにく!」
「ば、【攻撃的屍人】!?」
マリルが叫ぶと剣を持って飛び出していた。剣を縦に振り下ろそうとしたところで、イリスが彼女の動きを止める。
「な、なぜ?」
「違う、この人は操られてるだけ。気絶させればいい」
イリスが言うと素直に彼女は剣を収めてくれた。
「にくだぁ……ッ! にくにくにくにくにくにくにくにくにくにくにくにくにく!!」
とても正気とは思えない御者の様子。ゾンビのように腕を上げて、襲い掛かってくる。イリスは軽々と手をいなして、彼の腹部に肘打ちを一発。お腹を抑えてよろけたところに、顎に掌底。
彼はそのまま仰向けに倒れた。
地面に倒れた御者の傍らに寄って、膝をつき手をかざす。簡単な詠唱を終えると、イリスは息を吐く。
「ど、どうですか?」
「朝まで目を覚まさないね。それよりも、何かおかしいと感じない?」
「……?」
彼女は分からないとでもいうように、小首をかしげていた。
「村がやけに静かすぎるんだよ。この騒ぎだ全員とは言わないけど、村人が起きてきても良い。それに、村長の話では、夜な夜なうめき声が聞こえるんじゃなかった?」
「そ、そういえば……」
疑問点はまだある。なぜ、アレンは彼女をすんなりと受け入れた。彼は見るからに屈強な戦士だ。そんな彼が手を出せないと判断しているのに、一見ひ弱そうなイリスを受け入れた。いくら冒険者のつてだとしても、彼女を受け入れることなど考えられない。
都合よく一軒家を貸してくれた。食事も風呂も用意してくれた。冒険者を受け入れるにしては待遇がよすぎる。
「おいおい、勘付くのが早いぜぇ、お嬢さん。もっともっといたぶって遊ぶつもりだったのによぉ」
アランの声が響く。彼は後ろに立っていた。
彼の後ろに待機するのは、松明を持った村人たち。みな一様に様子がおかしい。その中には子どもまで混じっていた。
「村長――いや、アラン。わざわざ僕をはめるためだけに?」
「ま、そういうこった。冒険者組合に場違いな依頼を貼りだせば、食いついてくれると思ってたぜ。ここまで俺の予想通りに動いてくれて、ありがたいありがたい」
「それで、村人たちを犠牲にしたと?」
「人聞きがわりぃな。帝国からの支援を受けるための必要な人員とでも言ってくれよ」
「ひ、ひどい……」
大声で笑うアランに、イリスは嫌悪感をにじませる。隣にいたマリルは、目を伏せていた。
人間はここまで非道になれるものなんだなと思うと、寒気がしてくる。
「ま、お前たちと戦う前に、会いたがってる人がいるんだわ。殺し合うにしてもそれを終えてからにしようや」
「誰が……」
「おっと、村人はただ操られているだけってことを忘れるなよぉ?」
剣に伸びそうになった手の動きが止まる。苦虫をかみつぶしたような表情のイリスに、面白げにくつくつとアランは嗤っていた。
「ほれ、感動のごたいめーんって奴だ」
アレンの手に持っていたのは魔晄石。魔力を帯びた石で、用途によっていろいろな使い方ができる優れもの。翠色に光る魔晄石はその場の映像を切り取って放映できる、いわばビデオのようなものだ。
魔晄石から出た光が、一人の人物を映し出す。青色紅目の童女である。
『やほやほ! 銀色ちゃん、元気? ……ねぇリュウ、これ本当に撮れてるの?』
『……撮れてるよ』
『そっか! はーい、初めまして。私、リュウと一緒によーへー家業をやってるサーシャっていうの!』
それはあまりにも無垢で、あまりにも悪意のない童女……のように見えた。彼女は新しい玩具を見つけた子どものように、けらけらと笑っている。
『【私たちの間】では、残念なことに銀色ちゃんにす……っごい賞金がかかってるの! それこそ山が二つ買えちゃうほどの大金が。体裁上、私たちは、てーおーの名の下にってなってるけどね!』
『……余計なことを言わない』
『あ、ごめんごめん。てーことで! 私からサプライズプレゼント! そこの人たちと遊んであげてね! もし、生き残れたら、今度は私が直接遊んであ・げ・る! あっはははは』
心底人を馬鹿にしている。そう感じた。今すぐにでも斬りかかりたいが、ここで怒ったところで彼女に届かない。
『あ、そうそう。もし戦いたくないよっていうなら私からろーほーが一つ。【赤目】を作ったのは私だよー、早くしないと町の人も全員変えちゃうよ』
隣のマリルが震えている。無理もない。今にも叫び出したいのを堪えているのだ。
彼女の手を握る。マリルは不安そうにこちらを見つめてから、ゆっくりと顔を縦に振った。
「ということだ。てことでさぁ、大人しくここで死んでくれないかぁ? な、そのほうがこいつらも犠牲にならなくて済むしな」
「……どの口が」
「ん、なんだ? 聞こえねぇな」
大きく息を吐く。全身の力を抜いて、目を瞑る。気持ちを落ち着かせてから、ゆっくりとアランを見据えた。
「ま、思ったほど悪い状況でもなくて安心したよ。敵が自ら正体を明かしてくれたんだからね。わざわざ、依頼を受けたかいもあったってものさ」
「おいおい、何を言ってる? まさかこの状況を切り抜けるつもりか?」
「そのつもりだし、僕は最初から死ぬつもりなんてない」
「は、その冗談傑作だな。お前ら仕事だ! かかれ!」
アランの合図で、村人たちが一斉に雄たけびを上げて走ってくる。その様はゾンビ映画のそれだ。
マリルの手を取って、イリスは踵を返した。村から一直線に走り出す。
「おいおい! あんなに勇ましいこと言ったくせに、逃げの一手かぁ! 言っとくけどなぁ、村の外にもいっぱいいるからなぁ!」
そんなことは知っている。大方馬車でこっちにやってきた時から、誰かを操って見張らせていたのだろう。行きに感じた嫌な予感はそれだ。
イリスは挑発に乗らず、村から抜け出した。そのままマリルとともに、街道をそれて森の中に入っていく。
◆
「んー♪ んー♪ んー♪」
サーシャが楽しそうにハミングする。宿屋の一室、武器や鎧の準備をしているリュウを眺めながらベッドに腰掛けて足をぶらぶら動かしていた。
「やけにご機嫌だね」
「そうだよー。やっと私の“玩具”と遊んでくれるんだから」
「おや“たち”ではないんですね」
「あっははは! 私は、自分が使える人間だと思っている奴を玩具にして遊ぶのがいっちばん大好きなの!」
磨いた剣を置いてため息を吐いたリュウが、サーシャのほうを向いた。
「僕が言うのもなんだが、サーシャはろくな死に方をしないね」
「あははは! 私は楽しいのが好き! 楽しいのが正義! だったら、いつ死のうがかんけーないもんねー! そういうリュウは体裁上のてーき連絡は済んだの?」
「えぇ、滞りなく。帝王はいつものように“戦力を送れないそうだから自分たちで対処しろ”だそうですよ」
「ふーん、でもてーおーも大変だよねー」
ぶらつかせた足を止めて、童女は笑みをしまい込んだ。
「“世界そのものに操られてるなんてさ”」




