君のネームは?(2)
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部署に戻った私は、「ぐーるぐる」で「漫画家 不摂生」という文字列を入れ、検索をかけた。検索結果画面をスクロールしたら、漫画家のツイートが出てきたのでそれを読み上げる。
「不規則な生活は仕方ないと諦めている。食うよりも漫画を描くのが優先。運動不足と寝不足、ストレスと過労。一部の成功者以外は貧困率も高く、生き馬の目を抜く世界……」
私は腕組みをし、唸った。
「うーん」
ユイチは食にまるで興味がないように見えた。三食ちゃんと食べているのかすら怪しい。執着しているのは、春海堂のカステラだけ。というか、カステラというよりも春海堂に思い入れがあるのかもしれないな。知り合いのようだったし。
私は、六文銭が描かれたカップを見下ろした。
「食は大事ですよね、幸村さま」
かの大阪夏の陣では、豊臣勢は徳川の策により、堀を埋め立てられ兵糧攻めにあった。しかし、幸村は簡単には負けなかった。徳川勢が逃げ出すほどの猛省をかけたのだ。追い詰められて、いや、追い詰められたからこそ、命を捨てる覚悟で相手を攻める。なんて素敵なのかしら。
「ああ……幸村さま」
カップをうっとり見つめていたら、北野が入ってきた。
「おはよーございまーす」
「あ、北野くん」
のんきな顔を見たら、一気に現実世界に引き戻された。戦国時代にいたら瞬殺されそうな青年。私は、なにも考えていなさそうな北野の顔をじっと見た。北野はどぎまぎしながら、
「えっ、なんすか?」
「ねえ、北野くんっていくつ?」
「二十っすよ。W大の三年」
意外と偏差値の高い大学だ。というか、就活しなくていいのか。私の疑問に対し、彼は親が会社やってるんで、と返した。人生イージーモードというわけか。
「一人暮らし?」
「はい、一応」
おそらくだが、彼はユイチと一番環境や歳が近い。コーヒーを淹れて北野に差し出すと、彼が目を瞬いた。
「なんか今日優しいっすね」
「私は元々優しさの塊よ。で、ご飯はどうしてるの?」
「外食は高いんで、テキトーにコンビニっすね」
やはりユイチと似たようなものか。ふと、南澤がデスクで弁当を開いているのに気づいた。私は素早く彼に近づく。
「南澤さん、そのお弁当は」
「え? ああ、奥さんが作ってくれるんだ」
彼は左手を頭の後ろにやり、照れ笑いをした。薬指の指輪が、蛍光灯のあかりに反射しきらりと光る。北野くんは、いいなー、俺も弁当作ってくれる彼女ほしいなあと言っている。
「弁当……それだっ!」
私は叫んで、南澤から弁当をひったくった。南澤が慌てて取り替えそうと手を伸ばしす。
「ちょっ、なに!?」
「南澤さん、奥さんに電話してもらえますか。参考にレシピを聞きたいので」
北野は呑気な声で口を挟んだ。
「あっ、東大寺さんカレシに弁当作るんすね?」
「電話するから、お弁当返して」
北野が悲痛な声を漏らす。三人でわいわいやっていたら、西矢がやってきた。
「楽しそうだな。俺も混ぜろよ」
「あ、編集長。ユイチ先生の好き嫌いって知りませんか」
「ユイチ? あー、野菜は食べないとか言ってたな」
「子供かっ」
私は思わず突っ込んだ。不摂生の上に偏食だなんて、ますます放っておけない。よし、野菜盛りだくさん弁当にしよう。
「ねえ、東大寺さん、お弁当返してくれない?」
「俺はミートボールが好きっす! きーてます? 東大寺さん」
私は南澤と北野の声をよそに、献立を検索し始めた。
★
翌日。ユイチ宅を訪れた私は、彼にお弁当箱を差し出した。
「はい、ユイチ先生。お昼ごはんです!」
ユイチはお弁当箱を見て、しばらく沈黙した。耳に当てたヘッドホンからは、相変わらずシャカシャカ音が漏れ聞えている。
「頼んでないけど」
「いいから食べてみてください」
ユイチは仕方なさげに箸をとり、きんぴらを摘んだ。
「ゴボウ?」
「はい。南澤さんの奥さんに、作り方を教わりました」
ユイチはいただきます、と小さな声で言い、ちまちま弁当を食べ始めた。食べ具合からして、やっぱり肉が好きなようだ。弁当を食べ終えたユイチは、小さく頭を下げた。
「ごちそうさま」
「なんでゴボウだけ残すんです?」
私が尋ねたら、嫌いだから、と返ってきた。
「子供じゃないんだから、ちゃんと食べてください」
私は弁当を押し付ける。ユイチは不服げな顔をしつつ、ゴボウを咀嚼した。呻くような声でかたい、とつぶやく。
「ゴボウには水溶性食物繊維が多く含まれていて、すごく身体にいいんです」
私は、カバンからボードを取り出した。ボードには、野菜の名前と栄養素がグラフ化して書かれている。ユイチはゴボウをティッシュに吐き出し、
「なにそれ」
「一日に必要な食物繊維の量です。日本人は水溶性食物繊維が圧倒的に足りていないんです」
「???」
ユイチは頭上に疑問符を浮かべている。
「それでこちらが、食物繊維の多い野菜です! じゃん!」
私は次のボードを出した。
「ゴボウには多くの食物繊維が含まれています。とっても身体にいいんですよ」
「でもまずいし」
「好き嫌いはいけませんよ!」
「お母さんじゃないんだから」
でも絶対歳下だし。というか、歳上だったら驚く。試しに聞いてみた。
「先生っていくつですか」
「23」
「えっ!?」
私はギョッとした。三つも下なのか。若いだろうとは思ってたけど。
「灯台さんは?」
「私は二十六歳です」
ユイチがふーん、とつぶやいた。
「真田幸村はいくつで死んだの?」
「諸説ありますが、四十六から四十九歳までの間らしいです」
「……俺の二倍」
彼がポツリと言う。あの時代と今では寿命も違うし、比べるのも間違っていると思うが。私は振り向いて、
「なんでそんなこと聞くんです?」
ユイチはふい、と視線をそらした。
「べつに。漫画の参考にしようかなって」
漫画の参考? 私はハッとして、口元に手を当てた。先日、編集長が言っていたことを思い出したのだ。
──新連載したいなあ。時代ものエロとか面白そうだよな。例えば女体化とかさ──。
「まさかっ、幸村の女体化漫画を!?」
「女体化漫画……?」
ユイチはキョトンとしている。
「ダメです! ユイチ先生は『にじいろの教室』に専念してください! デート回の修正、できたんですか?」
「まだ」
「じゃあお願いします!」
ユイチは肩をすくめ、ヘッドホンを着けた。デジタル用のペンを握り、ぼそりと言う。
「弁当、美味しかった」
小さな声で付け加える。
「ゴボウ以外」
「よかったです」
私は笑みを浮かべ、お弁当箱を洗うため台所へ向かった。
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昼食を食べ終えたユイチは、再びネームに取り掛かった。髪の毛をくしゃくしゃしたり、紙を丸めたり、椅子をくるくる回したり。集中している様子はない。彼は集中すると入り込むタイプなので、この様子は明らかに煮詰まっている。私は洗い終えたお弁当箱をしまい、ユイチに声をかけた。
「ユイチ先生、ひと段落ついたら、春海堂に行ってみませんか」
ぼんやり天井を見ていたユイチが、ぴくりと肩を揺らす。
「……なんで」
「あそこなら近いし、もし嫌になってもすぐ帰ってこられるじゃないですか。カステラを買って帰ってきましょうよ」
知り合いに会えば、少しは気分転換になるだろう。ユイチは固い声で、あそこには絶対行かない、と言った。
「どうしてですか?」
「……べつに、なんでもいいだろ」
ユイチはそう言って、再びペンを動かし始めた。彼らと親しいわけではないのだろうか。ユイチは何かを隠している……。私は、黙々と作業をするユイチの背中を、じっと眺めた。
結局その日、ユイチのネームは完成しなかった。私は編集部に戻り、本をめくる。「創作に必要な十のメソッド」という本だ。速読していたら、西矢がカップを手に近づいてきた。
「よお、まつり」
もう呼称についてとやかくいう気が失せた。
「あ、編集長。お疲れ様です」
「ユイチの少年漫画誌時代のペンネーム、わかった?」
あ、弁当作りに夢中になったせいで、聞くのを忘れていた。私がそう言うと、西矢がそうか、と相槌を打った。
「で、どう? ネームの進捗状況」
彼はデスクの端にどかりと腰掛け、ぱたぱたと扇子を動かす。
「それが、デート回で行き詰まってるんです」
「デートか」
西矢はふう、とため息を漏らした。
「思い出すなあ……学生時代。好きな女の子と動物園に行ってさ、手を繋ぎたくてもできなかったわけ。まつりもあるだろ、そういうの」
「ないです。繋ぎたかったら繋げばいいじゃないですか」
「……」
沈黙した西矢に尋ねてみる。
「どうしたらいいですかね」
「聞かれても。つか、なんか悲しいよ俺は」
「例えばでいいので」
例えばか。西谷はつぶやく。
「まつりの好きな幸村ならどうするかな?」
私はメソッド本を閉じた。つらつらと話す。
「真田幸村は、大阪冬の陣で『真田丸』と呼ばれる櫓をつくり、大阪城における唯一の弱点であった三の丸からの侵入を防ぐ。そして、城を守りきれなくなる夏の陣では野戦に乗り出し、徳川家康を極限まで追い詰める……」
「つまり?」
私はしばし考えこみ、はっとした。
「つまり、中にいてばかりではダメだと言うことですね!」
「え、今の話ってそういうことなの?」
「っつーか、幸村って野戦の最中に首狩られて死にますよね?」
話を聞いていたらしい南澤が口を挟み、北野がそのあとを継ぐ。南澤が驚いたように尋ねる。
「北野くん、歴史詳しいの?」
「ジョーシキっすよ、こんくらい」
まさか、北野に常識を語られるとは。南澤はショックを受けたかのようにかぶりを振っている。私はがたんと席から立ちあがった。
「とにかく! 幸村のように外へ行ってきます!」
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「先生! 私とデートしましょう」
私がそう言ったら、ユイチが咳き込んだ。
「大丈夫ですか?」
私は慌てて彼の背中をさすった。白い首筋が、むせたせいかかすかに赤くなっている。ユイチは口元をぬぐい、
「……なんで」
「デート回がぎこちないのは、経験がないからです。なにがドキドキなのか理解できてないからですよ!」
ユイチはかぶりを振った。
「べつに、いい」
「どうしてですか?」
「俺が歩くと職質されるって言っただろ」
ユイチはかすかに不機嫌な声を出した。あれ? 拗ねてるのかしら、この人。
「大丈夫ですよ、髪を切って髭を剃れば若々しく爽やかになります」
私はそう言って、洗面所に行くよう促した。