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他メンの告白

 西矢と別れた私は、早速担当作家たちに電話をかけた。真っ先にユイチに電話をかけるが、なかなか繋がらない。先ほどの件が影響しているのだろうか。


 電話が繋がった順に会いに行き、事情を説明する。反応は様々だった。また持ち込みか、と嘆く作家。あっさりと頷く作家。これを機に同人に戻る、と言う作家。作家と別れ、手帳を開いていたら、携帯が鳴り響いた。


「はい、東大寺です」

「東大寺さん? お電話頂いたみたいで」

「あ、左門先生」

 左門は仕事中だったらしく、通話が繋がらなかったのだ。

「今から少し時間があるので、職場に来ていただけます?」

 左門が指定した場所を聞いて、私は目を瞬いた。


「しらさきクリニック」という看板を見上げながら、私は自動ドアを抜けた。ロビーを歩いて行くと、KC(白衣)を着た男性が手をあげる。


「東大寺さん」

 彼はこちらに歩いてきて、にっこり笑った。首から下げた身分証には「理学療法士 真下 圭吾けいご」と書かれている。


「左門先生、PTだったんですね……」

「意外ですか?」


 左門が白い歯を見せる。意外なような、そうでもないような。患者さんには当然性癖のことを隠しているのだろうな。彼は、今日はどうしたんですか? と問いかけてきた。なんだか病人になった気分。私はロビーの椅子に腰掛け、左門と会話した。左門がため息を漏らす。


「休刊、ですか」

「はい、来年の四月に」

「あと五カ月か。あんまり間がないですね」


 私は、左門に頭を下げた。


「すいません」

「東大寺さんのせいじゃないですよ」


 彼は肩を竦め、


「雑誌が無くなるのは残念ですが……まあ、漫画はどこででも描けますからね。それこそ、同人でも」

「残念です。連載が軌道に乗ってきたところだったのに」


 私の言葉に、左門が首を傾げた。


「東大寺さん、なんだか変わりましたね」

「え?」

「最初は怒ってたじゃないですか。真田幸村を女にするなんて! って」

「……」


 実は今でもちょっと思っている。


「にしても、東大寺さんと会えなくなるのは寂しいですね」


 左門がため息をついた。あ、そうだ、と顔を明るくする。


「よければ、このあとうちに来ませんか? いい縄があるんです」


 休刊のショックを受けていると思いきや、この男はどさくさに紛れて何を言っているんだ。


「行くわけないで……」


 ふと、視界に映り込んだ人物に気づき、私はハッとした。ロビーに、ユイチが立っている。


「ユイチ先生」


 私はユイチに駆け寄り、どうしたんですか? と尋ねる。彼は左手を示し、抜糸に来たのだ、と言った。ようやく傷口がふさがったということか。私はほっとして、よかったすね、と言った。ユイチが口を開きかけると、左門がこちらへやってくる。


「東大寺さん、こちらは?」

「ユイチ先生です」

 私がそう言ったら、左門がああ、と声を漏らした。

「『にじいろの教室』の。いつも読んでます」

「……左門って、もしかして真下左門さん」

「そうです。よかった、休刊前に会えて」

「休刊?」


 ユイチがこちらを見た。私は休刊について話した。ユイチは黙って聞いていたが、俺の方が知るの遅かったんだ、とつぶやいた。


「あ、すいません……電話をしても出なかったので、先に左門先生に連絡を」

「……ふーん」


 彼は、なんとなく不機嫌そうな顔になった。左門は、ユイチの手に視線を向け、ところでそのけがはどうしたのかと尋ねた。私は眉を下げ、自分のせいだ、という。ユイチが即座に否定した。


「灯台さんのせいじゃないよ」

「灯台さん?」

「あ、えっと……あだ名みたいなものでしょうか。ねえ、ユイチ先生」


 ユイチは黙りこんでいる。左門が軽い調子で言った。


「それいいですね。俺も灯台さん、って呼ぼうかな」

「だめ」


 ユイチがいつもより大きな声を出したので、私は驚いた。私と左門の視線を受けた彼は目をさ迷わせ、じゃあまた、と言って、そそくさと去って行く。


「ユイチ先生、どうしたんだろう」


 私が不思議に思っていたら、左門が顎に指を当て、うーん、と言った。


「ヤキモチじゃないですか?」

「は?」

「僕と東大寺さんが仲良く話していたので、嫉妬したとか」

「仲良くって、いたって普通でしたよ」


 大体、なぜユイチが嫉妬などするというのか。私はため息をついた。


「きっとまだ怒ってるんです。私が無神経なこと言ったから」

「無神経なこと?」

「ユイチ先生の傷を、抉ってしまった」

「なるほど。でも、傷は治りますからね」


 左門は笑みを浮かべた。


「人間の身体って、そういう風にできてますから。失った機能を取り戻すためには、段階を踏まなきゃならない。それがリハビリです」

リハビリは、急性期、回復期、維持期の三段階で考えられる。おそらくユイチは回復期の段階にいるのではいるのではないか。左門はそう告げた。私はちょっと感動する。

「左門先生……」

「で、うち来ます?」

「行きません」


 私は半目になった。なんなのだ、この男は。ちょっと感心したのに。左門はあはは、と笑い、私の背後に目をやった。


「あ、市川さん」


 市川さん? 振り向くと、柚月と稲造さんがこちらに来るところだった。柚月は大きな目を瞬いて、


「あれ? 東大寺さん」

「柚月ちゃん。稲造さんも」


 どうして二人がここに? そう思っていたら、左門が口を開いた。


「やっとリハビリ受ける気になりました?」

「ふん、柚月と佳乃がうるさいからだ」

「よかった。じゃあ、行きましょうか」


 稲造さんは左門と並んで歩き出す。思わぬ繋がりに私が驚いていたら、柚月がきらきらした目でこちらを見た。


「東大寺さん、もしかして真下先生と知り合い?」

「え? あ、うん」

「そうなんだ! まさか、付き合ってるとか……?」

「まさか」


 そう答えると、柚月はホッと息を吐きだした。それからぽっと頰を紅潮させる。


「かっこいいよね、真下先生。爽やかで、お兄ちゃんとは大違い。彼女とかいるのかなあ」

「さ、さあ」


 私は目をそらしながら答えた。果たしてこの少女に、左門がエロマンガ──しかもSMもの──を描いてると告げていいものだろうか。純粋な瞳で、柚月はこちらを見上げる。


「ねえ、お夕飯うちで食べて行ったら? お兄ちゃんと、真下さんも誘って」


 かぶりを振ったら、柚月がどうして? と尋ねた。


「いま、ユイチ先生は私と会いたくないと思うから」


 彼女は首を傾げ、スマホを取り出した。操作して、ポケットに戻す。5分も経たないうちに、去ったはずのユイチが駆け込んで来た。


「ユイチ先生?」


 彼は真っ赤な顔でぜいはあと息を吐いている。


「柚月、なんで、それを」

「見てればわかるよ。お兄ちゃんわかりやすいもん」


 柚月はにこりと笑い、お父さんの様子を見てくるね、と言って、ロビーを後にした。私はユイチを見上げ、


「柚月ちゃん、なんて?」

「……なんでもない」


 彼はロビーの椅子に座り込み、汗を拭う。おそらく全速力で戻ってきたのだろう。そこまでして何を隠そうとしたのか気になる。しかし、さっきの今で詮索するのは得策ではない気がした。私は何も聞かず、どうぞ、とハンカチを差し出した。ユイチはそれを受け取らず、


「……休刊って、いつ決まったの?」

「今日聞きました。来年四月までだそうです」


 ユイチはそう、と相槌をうった。


「徳川さんに、ネーム描いたって連絡しようと思って」

「はい」


 私はユイチに向かって頭を下げた。


「あの、さっきは本当にごめんなさい」

「……灯台さんは、悪くない。俺が臆病で、情けないだけ」


 ユイチは包帯の巻かれた左手に視線をやる。


「怖かった。金瓶梅以外で、うまくやれるかわからないし、また、ボツを食らう日々に戻るのかって」

「先生なら、大丈夫です。『あかりの音』、すごく面白かったですし」

「ありがとう」


 ユイチが椅子から立ち上がる。


「あ、柚月ちゃんがみんなで夕飯をどうか、って」

「いい。手のこと聞かれたらめんどくさいから」


 そこに、柚月が戻ってきた。


「あれ、お兄ちゃん、どこ行くの?」

「家に帰る。ネームやるんだ」

「えー、漫画ばっかり描いてたら気が詰まるでしょ」

「うるさいし、実家」


 柚月はむくれたあと、にやりとした。


「ねえねえ、東大寺さん。さっきお兄ちゃんになんてメールしたか知りたい?」

「え?」


 柚月はスマホを眺めながら、


「『お兄ちゃん、早くこないと東大寺さんに言っちゃうよ。お兄ちゃんが──』」


 ユイチが見たことのない素早さでスマホを取り上げた。


「あ、ちょっと返してよ!」


 柚月が携帯を取り返そうと、ユイチの周りをぐるぐる回る。私は二人をたしなめた。


「ちょっ、二人とも、病院だから静かに……」


 そこに、左門と稲造がやってきた。


「あれ、ユイチ先生」

「おめえ、何やってんだ」


 柚月がむくれて、ユイチを指差す。


「お父さん、お兄ちゃんがスマホとった」

「ああ? ユイチ、返してやれ」

「……絶対灯台さんには言わないで」

「わかったから返してよ」


 ユイチは無言でスマホを返した。柚月はスマホを手に、左門に迫る。


「ねえ、真下先生。今日うちでお夕飯食べて行ってよ」

「え?」

「おい柚月、何言ってんだ」


 稲造さんが苦言を呈す。


「いいじゃない、ねっ、いいでしょ先生」

「本当にお邪魔していいんですか?」

「もちろん! お母さんも大歓迎だよ」


 じゃあ、お邪魔させていただきます。左門はそう言って笑った。


 私たちは、そろって「春海堂」へと向かった。

「あらあら、たくさんのお客さん」


 玄関先に並んだ私たちを見て、佳乃がニコニコ笑う。急に押し寄せて罪悪感を抱いていた私は、お邪魔します、と会釈をした。

「どうぞ、上がってください」


 室内に入った私は、佳乃について台所へ向かった。袖をまくって、手伝います、と声をかける。佳乃は座っていていいと言ってくれたが、毎度毎度食べるだけなのは申し訳ない。じゃあ具材を切って、と言われ、私は油揚げとネギを刻んだ。


「突然すいません」

「いいのよ。賑やかなほうが楽しいし」


 佳乃はそう言って微笑む。


「先日、ハジメさんのお墓にお参りしました」

「え?」

「ユイチ先生が、連れて行ってくれて」

「祐一が……」

「ハジメさんがいなくて、ずっと何かが欠けてた気がしたって。漫画を描くときが、何より満たされるって、ユイチ先生は言っていました」


 佳乃は、のれん越しにユイチの様子を見た。ユイチは稲造に小言を言われ、聞かないふりをしている。柚月は嬉しそうに左門と話していた。


「あの子がそんなこと考えてるなんてね」


 佳乃の瞳に、わずかに涙の膜が張る。視線が合うと、彼女は柔らかく笑みを浮かべた。


「ありがとう、もう大丈夫よ」

「……はい」


 私はのれんをくぐり、台所を出た。視界の端で、佳乃がそっと目元を拭うのが見えた。


 三十分後、市川家の食卓を小鉢が彩った。真っ白なごはんと、味噌汁から湯気が立ち上っている。左門は煮付けを一口食べ、目を輝かせた。


「すごく美味しいです」

「真下先生、これも美味しいよ」


 柚月が左門にミョウガの酢漬けを差し出す。稲造がピリピリした口調で言う。


「おい、柚月。ちょっと近いぞ」

「別に普通だもん。お父さんってほんとうるさい」

「なんだとお!」

「はいはい、喧嘩しないの」


 佳乃がたしなめ、柚月がべー、と舌を出す。稲造は、眉を吊り上げ立ち上がる。柚月が父を見上げた。


「どこ行くの、お父さん」

「便所だよ!」

「やだあ、もー」


 ずかずか出て行った稲造を見送り、佳乃さんがため息をついた。それから私たちに微笑みかける。

「ごめんなさいね、短気なひとで」

 彼女はすっかりいつも通りに見える。私がホッとしていたら、ユイチがつんつん、と肩を突いてきた。私はユイチについて廊下へ出た。彼は居間を気にしながら、小声で言った。


「休刊のこと、まだ内緒にして。心配するから」

「はい、わかりました」


 ユイチはありがとう、と言って室内に戻る。私が彼の後に続こうとしたら、足音がした。振り向くと、稲造さんが立っている。


「あ……」


 彼はちらりと居間を見て、私を手招いた。隣の部屋に入り、小声で尋ねてくる。


「休刊ってのは、雑誌が出なくなることかい」

「はい」

「ユイチは大丈夫なのか」

「ユイチ先生は、ギリアスという青年誌から声がかかってます。うちと同じ英修社の」

「ぎりあす? あんたはどうするんだい」

「私は、他の部署に」


 稲造さんがふうん、と漏らした。彼は腕組みをする。


「大変なことだな」

「え?」

「何かがなくなるってのは、大変なことだ。それを楽しみにしてたひとはがっかりする」


 彼は膝を撫でた。


「佳乃が言ってたよ、せいじんしがどうこう、って。ユイチが描いてたのは、アレなんだろ、春画」

「し、春画……ええまあ、ジャンル的には」


 私は、稲造が怒りだすのかと思った。しかし、彼はこう言った。


「そんなもんでも、ユイチの仕事だからな。適当には終わらせないでやってくれ」

「はい、わかりました」


 稲造さんはよし、と頷き、よっこらしょ、と立ち上がった。


「あんた、泊まっていくんだろう」

「いえ、ご迷惑ですし」

「迷惑ってんなら、飯食いに来るのもそうだろ」

「あ、すいません」

「佳乃は、あんたが来ると嬉しそうなんだ」


 彼は襟足を撫でた。


「ご迷惑なんて言ってられるのも今のうちだ。担当じゃなくなったら、もう来る理由もないしな」


 私は答えに詰まった。──そうだ。私は、ユイチの友達でも恋人でもないのだから。


 その晩、私が手洗いに起きだすと、居間から明かりが漏れているのが見えた。中をそっと覗くと、左門とユイチの姿がある。


「ユイチ先生、どうぞ」


 真下が差し出したグラスを、ユイチは退けた。


「俺、飲めないから」

「ああ、そうなんだ」


 じゃあ失礼して。左門はそう言ってグラスを煽る。ユイチはちらりと左門を見て、


「妹がはしゃいで、ごめん」

「いえ。一人っ子なのでなんだか羨ましいです」

「そうなんだ」

「ええ。一応、親が医師で」


 真下は膝に肘を乗せ、頭を持たせかけた。酔っているのか、その目はとろんとしている。


「一人っ子なので、家を継げって散々言われて。そのつもりで勉強してたんですけどね。一度高熱を出したら、試験でひどい点を取って」


 左門はグラスの底を眺めて呟いた。あの時の、親の顔が忘れられない。まるで、僕が犯罪でも起こしたような顔。


「バカバカしくなって、漫画ばかり読むようになりまして。読むだけじゃ飽き足らなくなって、描くように……」

「それで、同人誌を?」

「ええ。趣味でやっていくつもりだったんですけど、西矢さんの口車に乗せられて」

「家族は知ってる? 成人誌で描いてること」

「いいえ。言ったら憤死するんじゃないかな」


 左門はそう言って、くすくす笑った。それも面白いですけどね。彼は座布団を二つ折りに曲げ、枕のようにして寝転がる。ユイチを見上げながら、声をかけた。


「ねえ、ユイチ先生。休刊になったらどうするんですか?」

「ギリアスで、描かないかって言われてる」

「へえ、すごいですね」

「でも、どうなるかはわからない」

「そうですね。漫画の世界って、うまくいったら御の字だ」

「左門、先生は?」

「僕はPT正式採用の話が来てて」


 彼はグラスを揺らした。


「迷ってるんです。いつまでもふらついてたらいけないし」

「……」

「結婚もしたいし」

「……考えたことない」

「え? 考えません?」


 ユイチはかぶりを振った。


「俺と結婚したがるひと、いないし」

「そんなことないですよ。ほら、とう……」


 ユイチが慌てて真下の口をふさぐ。


「ふるひい」

「も、もう寝よう」


 ユイチは左門に布団を被せている。酔っぱらっている左門がケラケラ笑う。


「暑いですよ、ユイチ先生」


 当然だが、漫画家一人ひとりにも人生がある。一つの雑誌の終わりが、いろんな影響を与えるのだ。四月になったら、私が彼らの作品にかかわることはできない。それでも描き続けてほしい。ユイチ先生にも、左門先生にも。私は音を立てないよう、そっとその場を去った。


 翌朝居間に向かうと、ユイチと左門が寝転がっていた。気配を感じたのか、左門がむくりと起き上がる。彼は頭を押さえ、首をコキコキ鳴らした。


「おはようございます。あー、頭がいたい」


 彼は座布団の上で丸まったユイチを見て、ユイチ先生って寝つきがいいですねえ、と感心する。 私は左門のそばに座り、真剣なまなざしで彼を見た。


「左門先生」

「はい?」

「私にできることがあったら、言ってください」


 左門はうーん、と考え込んだ。それからにこりと笑う。


「じゃあ、結婚してください」


 私は、その答えに顔を引きつらせた。


「……あのですね、私は真剣に聞いてるんです」

「でも、目下の望みはそれなので」


 してくれますか? 左門が尋ねてくる。


「しません」

「なんだ、残念です」

「左門先生なら、相手はたくさんいるでしょう」

「それが、なかなか趣味が理解されなくて」


 そうか、その件があった。なんにせよ、私にはどうしようもないことである。頑張って探してください、と告げたら、左門があはは、と笑った。


「冷たいな、東大寺さん」

「真面目に話さないからです」

「もしユイチ先生にプロポーズされたとしても、そんな風に返します?」

「するわけないでしょう、ユイチ先生が」


 その時、ユイチが身じろぎをした。むくりと起き上がったユイチに、左門が挨拶した。


「あ、おはようございます、ユイチ先生」

「……おはよう」


 ユイチはこちらを見て、ふい、と目をそらす。もしかして、今の話を聞いていたんだろうか。ユイチに続いて入ってきた柚月は、左門をみてきゃあきゃあ騒いでいる。


「左門先生、寝起きもかっこいー」


 稲造はそれを見て、けっ、と声をあげた。左門は爽やかな笑みを浮かべる。


「柚月ちゃん、おはよう」

「おはようございますっ」

「稲造さんも」

「あんたに稲造さんなんて呼ばれるいわれはねえ」

「もー、お父さんてば」

 親子の反応は対極的だ。私と左門の会話を聞いていた様子はない。一方ユイチは、顔を洗ってくる、と言って居間を出る。私はそれを追って、洗面所に入ったユイチに声をかけた。


「あの、ユイチ先生」

「なに?」

「気にしないでください。左門先生って冗談が好きみたいで」

「冗談じゃないかもしれない」


 ユイチはタオルを首にかけて、こちらを見た。


「左門先生は灯台さんのこと、ほんとに好きなのかもしれない」

「まさか」


 私は彼の言葉を笑い飛ばした。左門はよく家に来いだのなんだの言うが、それはすべて冗談だろう。彼は当然女慣れしているだろうし、自分の容姿が優れていることも知っているはずだ。大学の先輩にいたからわかる。そういう男はしばしば、自分の特性を利用してコミュニケーションをはかるのだ。例えばユイチのような人間は、冗談で女を口説いたりはしないだろうが……。ユイチはタオルで口元をぬぐい、ポソッと言った。


「俺は……好きだ」

「え?」


 彼はまっすぐこちらを見た。


「俺、灯台さんのことが好きだ」

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