悪魔の目
◇
二人掛けのソファーにエレナとガドが仲良く座っていた。テーブルを挟んで反対側のソファーにはクロムが座っている。ガドが子供というのもあって、エレナ達のソファーにはスペースがまだ存在した。対してクロムの方も二人掛けなのだが、まるで一人用のソファーである。重みで沈みかたが物凄いことになっていた。
「クロム……おまえって、そんなにでかかったっけ?」
まじまじと眺めて、エレナは言った。
「うん、すごい……くまさんみたい……」
ガドは、小さい両手を口に当てている。
二人の反応を見て、まんざらでもない様子でクロムは背もたれに深く寄り掛かった。
「最近、またでかくなったっス」
「少し前は一九五センチぐらいだったよな? 今の身長、体重いくつぐらいだ?」
好奇心からエレナは訊いてみた。
「背は二〇〇センチで、体重一六〇キロっス」
「おまえ、本当に凄いな……」
前々から巨躯な男だとは思っていたが、改めて数値で聞くと凄まじい。エレナは驚嘆した。
「でも、こんなにでかくても、姐さんには一度も勝ったことがないっス……」
やっぱ、でかいだけじゃ駄目なんスよね……と、大きい身体を小さくして落ち込むクロム。
「まあ、少しは頭を使って戦うことだな。後は、精進しろ」
端的に言い放つエレナ。実際は、クロムの戦闘能力を高く評価している。身体が大きいということは、それだけで有利なのだ。ただ、エレナは素直にクロムを誉めるのが悔しかった。
「エレナ、クロムさんより強いの? あんなに大きいのに?」
左側に座っているガドが、エレナを仰視しながら目を見開いて言う。
「ああ、だから私の側にいろ。ここが一番安全だからな」そう言い、ガドの首筋に指を這わす。そして、エレナは続ける。「そして、私の側に来れないときは、そこの大男の側にいろ」
エレナはどんなにクロムを揶揄しようと、根本的には信頼していた。
「ガドちゃん! 姐さんに比べたら頼りないっスけど、オレも頼りにしていいっスからね!」
厳つい大男が笑う。そんなクロムを見て、ガドはおどおどとした様子。
そんなたわいのない会話で、エレナたちはゆったりと時間を過ごしていた。
ガドの過去には触れず、エレナは話題を選んでいた。辛かったであろう記憶を、少しでも忘れさせてあげたかったのだ。時が来れば、聞くこともあるだろうーーそうエレナは考え、今はガドが安心できる空気にしようと努めた。
その気持ちを汲んでか、訊きたがり屋のクロムはおとなしい。エレナとガドの話を拾っては広げるだけに徹している。思ったより馬鹿じゃないのかもしれない、とエレナは感心していた。
更に少しだけ時間が流れた頃、クロムの腹が鳴った。
「腹減ったっスね……」
クロムは、テーブルの上に置かれていたルームサービスのメニューを手に取り、エレナに視線を送っていた。
「お前は子供か……」私の了承なんて必要ないだろうにーーと、エレナは軽くぼやき、赤く暗い窓の外を見てから壁に掛けられた時計に目を移した。
もうすっかり夜も深かった。
「そうだな、空の旅はまだ続く。首都ドルトムングに着くのは明日の正午だ。時間はある、何か食べとくか?」
一日前に、首都ドルトムングの発着場を出発した飛行船タロース。商業都市ヴァーゴの上空を通過し、未開の土地エスタバーニャの空を遊覧。明日再び、ドルトムングへと戻る。二泊三日、空の旅。それが飛行船タロースの仮の姿だった。
「ひゃっほ~! 何注文するっスか?」
両腕を高らかに上げ小躍りするクロム。
「いや、確か中央フロアでバイキングをやっていたな、そこに食べに行こう。ガド、眠くはないか?」
もう、夜も遅い。エレナやクロムにはこれからの時間でも、子供には眠たくなってくる頃だ。
「ばいきんぐ……ってなに?」
可愛らしく首を傾げるガド。
「料理がところせましと並んでいて、それを好きなだけ食べてもいいんだ」
両手を広げ、料理が並べられている様子を表現するエレナ。
「わー、本当? うん、いきたい! お腹減った!」
ガドは赤い目を爛々と輝かせた。
可愛い……。
料理よりこの子を食べちゃいたい。
いやいや、私は決してそんな趣味はないし、いかがわしい意味でもない。心のなかで取り繕うエレナ。
「いいっスね! バイキングいきやしょう!」
意気揚々と右手を掲げ、鼻歌まで始めるクロム。
賑やかな晩御飯になりそうだと、口許に笑みを浮かべ、エレナはソファーから立ち上がった。
◇
「おでかけですか?」
部屋を出ると、警備兵の一人がエレナへと声を掛けてきた。
「ああ、ちょっと飯をな。中央フロアでバイキングをやっていると聞いていたんだが、まだやっているだろうか?」
「はい、かなり遅くまでサービスしておりますので、問題ありません」
警備兵が廊下に散らばる他の三人へと合図を送ると、エレナ達の周りに集まってきた。どうやら扉の前にいた一人を残して、付いてくる気であった。
三々五々、中央フロアへ向かう道すがら、警備兵が立っている部屋の前をいくつか通り過ぎる。本日の落札者達の部屋だ。
廊下にもかなりの数の警備兵が巡回し、監視カメラも多数設置されていた。
もし落札出来ずに強行手段に出ていれば、かなり骨が折れていたに違いない。そんなことを考えながらエレナは中央フロアへと進む。
エレナは足が速い。ガドを気遣い、ゆっくりと歩いていた。
そんなエレナにギドが寄り添いついてくる。エレナの右腕を抱きかかえて、細い腕が絡んでいた。それは少し動かしただけで、ほどけてしまいそうな繊細さ。
そんなガドを見ていると、エレナはまた妹と重ねてしまう。
エレナの妹は、いつも腕に絡みつきくっついていた。頬を緩ませながらガドを見下ろす。そこには、小さな頭が揺れていた。
「エレナ姐さん! 着いたようっスよ!」
その声でクロムもいたことを思い出す。幸福なひとときから現実に戻されたエレナは、渋々と中央フロアへと足を向けた。
到着した部屋はかなり広く、天井が相当の高さで開放感がある。その中心には、主役である様々な料理達が円形状に並べられていて、どれもこれも目移りしてしまう。
「結構たくさんの人が食事をしているな」
エレナは誰に言うともなく呟き、空いている席を探すため、部屋のなかを歩いた。すると、食事を楽しんでる人達の視線がエレナ達に集まる。
それは、ガドへと向けられているものだった。
赤い目は目立つ。見世物になるぐらいなら部屋に戻ろうかと、エレナは逡巡した。
「すごーい……エレナっ! これ何でも食べていいの?」
いつのまにかエレナの腕から離れ、並べられている料理達をガドは興味津々と見てまわっている。
「まあ、あんなに喜んでいるし戻る必要はないか。地上に着いたら赤い目を隠す為に、コンタクトを買ってやろう」
と、エレナは空いていたテーブルを確保して、ガドの元へと急いだ。
「好きなのを食べていいんだぞ」
「本当っ? 嬉しいなっ!」
にこにこしながら、皿に料理をよそおうとするガド。
売りに出されていた時には、想像できなかった笑顔。本来のガドの姿がそこにはあった。
「っと……あれ? ……んー」
パスタを上手くよそれないでいた。不器用なのか、慣れていないのか、見かねてエレナは手を出す。
「貸してみろ」
金属製のトングを受け取ったエレナは、パスタをつかみ皿によそう。それをガドに手渡し、自分の食べる分を適当に見繕い、席に戻った。
テーブルには飲み物が置かれていた。
「エレナ姐さんは、麦酒っスよね。……で、ギドちゃんはオレンジジュースで良かったっスかね?」
「気がきくじゃないか」
「あ……ありがとう、クロムさん」
「クロムさん……って、ガドちゃん、オレを呼ぶときも呼び捨てでいいっスよ。もっと、気軽に呼んで欲しいっス」
そう言われて、オロオロしているガド。
うーん、この子はどんな反応をしても可愛いな。エレナは小動物を見る目でガドを見守りながら、一気に冷えた麦酒を流し込む。
「実にうまい。いや、味ではなくのど越しがたまらないな」
弾ける炭酸が喉に刺激を与えた。可愛いガドを眺めながらの酒は最高だとエレナは思った。
そんなガドは、ぎこちない手つきでパスタを口に運んでいる。さっきのトングもそうだが、フォークにも慣れてない風だ。
そんな、ガドを観察しながらエレナは考えた。
少なくとも、上等な生活を送ってきた訳ではなさそうだ。使用人に全てを任せていたお嬢様だった可能性もあるが……。
「……おいしい」
ガドは、パスタを噛み締め、飲み込んだ後に言葉を漏らした。
「うまいか? それは良かった」
「うん! 初めて食べたけど凄くおいしいっ。これはなんていう食べもの?」
初めてだと言うガド。どうやら先刻のエレナの考えは、前者のようだった。
「スパゲッティだ。今、お前が食べているのはペペロンチーノって奴だな。スパゲッティの中でも、かなり有名だ」
「ぺぺろんちーの? そうなんだ。この、おれんじじゅーすも凄くおいしい! こんな甘い水があるんだ」
ペペロンチーノとオレンジジュースに衝撃を受けているガドの隣、元が何だったのか分からなくなるぐらいに、料理達が積み上げられた皿が何枚も並べられていた。
味もごちゃまぜになっているであろうソレを、凄い勢いで食べているクロム。
気分が悪くなってきたエレナは、出来るだけ視界から外すことにした。
「ガドではないが、確かにバイキングにしてはうまい。一流素材を使ったバイキングといったとこか」
エレナはフォークに差したフィレ肉を見て呟いた。
それを見たガドは、エレナに尋ねる。
「ねえ、エレナの食べているのは何て言うの?」
「ああ、これか? フィレステーキだ」手に持ったフォークを、そのままガドに向けた。「食べてみるか?」
「うんっ!」
ガドはテーブルから身を乗り出して、エレナが差し出したフィレ肉に食いつく。
餌をやってるみたいだ。と、エレナは思った。
「おいしいっ! これもおいしいよエレナ!」
「そうか。これはレアだから生に近いな。私は火がよく通った方が好きだ」
「そうなの? だったら焼いたらいいんじゃない?」
「ははっ、どうやってだ? シェフでも呼んで焼き直して貰うか?」
真剣に言うガドに、エレナは軽く冗談を返した。
「あたしが焼いてあげる」
「焼くもなにも厨房にでも持っていくか?」
再びエレナは笑いながら冗談を返す――
と、その時。
「――――?」
なんだ? エレナの目が見開く。
フィレステーキが載った皿の上で、何かが燻っていた……。
それは、火種だった。
火種はやがて大きくなり、オレンジ色に燃え立つ炎がフィレ肉を焼いていく。
少しして火は消え、こんがりと焼かれたフィレ肉が、香ばしい匂いと煙を漂わしていた――。
「これぐらいでいいかなぁ。食べれるぐらいにだと、加減が難しいなー」
ガドは言う。こんがりと焼けた肉に、赤い視線を投げかけたまま。
一部始終を見ていたエレナとクロムも、呆然とこんがり焼けたフィレ肉に目が釘付けになっていた。