第81話「榊原麗について2(3)」
夏の暑さも次第に薄れ始め、街には秋の風が吹き込むようになった。
夏用の白ワイシャツでは少し肌寒く感じるようになったこともあり、校内には冬用の制服に身を包んだ生徒が多く見受けられる。
そういう俺も春振りに学ランに袖を通し、同じように校内に溶け込む。
先週、始業式直後に行われた課題テストが全て返却された。
結果は最悪だった。
単純に勉強時間が足りなかったというのもあるが、それ以上に己の中に渦巻く様々な感情が学習の妨げとなり、問題に向き合おうとしても脳裏を彼女の顔や言葉が過ぎって全くと言っていいほど勉強に集中することができなかった。
普段はそれなりに点数を取れていただけあって、教師陣から向けられる目も厳しいものだった。
「夏休み中、怠けてばかりいたんだろう」
「まだ夏休み感覚が抜けていないんじゃないか」
「しっかりしろ。周りに置いていかれるぞ」
反論する気力も残ってはいなかった。
そうして彼女が——、榊原がこの街を去ってから早いことで1ヶ月が経った。
最初の1〜2週間は、なんとかしてもう一度榊原と連絡を取ろうと秀一・朝霧の2人と共に行動を試みた。
毎日のように榊原にチャットを送り、電話をかけたりもした。
「連絡を待っている」という旨の留守電も幾度となく入れた。
しかし、榊原から連絡が帰ってくることは一度もなく、俺たちは次第に榊原と連絡を取り合うことを諦めるようになっていった。
1ヶ月経った今でも、榊原がいなくなったという現実を理解しようとするたびに、彼女と共に過ごした心地のいい時間が脳内でプレイバックされる。
榊原と共に過ごした4ヶ月間は、これまで生きてきた15年間の中で最も輝いていた時間だった。
榊原の艶やかな黒髪が、大きく涼やかな瞳が、長い睫毛が、白い肌が、綺麗な声が、甘い匂いが、眩しい笑顔が、俺の胸を痛いくらいに締め付ける。
楽しかった思い出や、共に笑い合った日々を思い返せば思い返すほど、より辛く、苦しく、そして悲しくなる。
「もう二度と榊原には逢えないのではないか」
そんな不安に押しつぶされそうになる。
榊原との思い出が全て過去のものになってしまい、記憶の中でどんどんと薄れていくことが、俺はとてつもなく恐い。
榊原に対するこの燃え上がるような熱い気持ちを、いつか忘れてしまいそうになることが、嫌だと感じている。
しかしそんな俺の思いとは裏腹に、時間は確実に前へ前へと進んでいく。
そしてさらに月日は流れ、あんなにも長く、密に感じたはずの4ヶ月は驚くほど早く過ぎ去っていった。
榊原がいない。
たったそれだけのことで、時間の進みも速く感じる。
秀一・朝霧・榊原・俺の4人で共に笑い合い、良き思い出として記憶に刻まれるはずだった体育祭や文化祭、ほたる市のイベントやクリスマスが、気がつけば既に幕を閉じていた。
年が明け、新年を迎える頃には榊原のいない日常にもすっかり慣れてしまっていた。
それでも3人で集まる時には決まっていつも
『何かが足りない』
そんな感覚に陥った。
秀一も朝霧も決して口には出さないが、きっと俺と同じことを考えているに違いない。
榊原がいないという現実に慣れてしまっただけであって、決して傷口が塞がったというわけではない。
だから、その名を口にして再び傷口を開くようなことをしないよう、それぞれ当たり障りのない会話をするようになっていった。
しかし、そんな会話の中でもやはり時々考えてしまう。
今頃、榊原はどこで、何をしているのだろう。
俺がいなくても、自分の『才能』を見つけることが出来ただろうか。
小説は今も書き続けているのだろうか。
—— 俺たちのことを、忘れてしまってはいないだろうか。
いくら榊原のことを想ったところで、彼女が帰ってくることなどないであろうに……
そんな日々が続き、俺たちは高校に入って2度目の春を迎えた。
学年が変わると同時にクラスも一新され、秀一と朝霧とは別のクラスになった。
1年の時に比べても学校で会話することは少なくなったが、何かイベントがあるたびに秀一が集まる場を設けてくれた。
6月には1年の時同様に紫陽花祭りにも参加し、雨が降る中屋台を廻ったりもした。
7月には1年ぶりとなる陸上大会が行われ、俺は2人の応援に駆けつけた。
1年間努力した成果がしっかりと発揮され、2人は決勝まで駒を進めることができた。
夏休みには再び秀一の叔父母が経営するキャンプ場を借り、3人でキャンプをした。
1人欠けていることに関して、秀一の叔父母は特に何も言ってくることはなかった。
そして夏休みが明け、9月になった。
榊原麗がいなくなってから1年。
この頃には誰も榊原の話をする者はいなくなっていた。
榊原のことを忘れてしまったというわけではなく、ただ単に『榊原が転校した』という話題よりも印象の強い新しい話題が多く出てきたことで、榊原という少女は記憶の底の方に埋もれていってしまったのだ。
俺たち4人のチャットグループもあの頃から更新されることはなく、気がつけば随分の下の方に追いやられてしまっていた。
そうして、その後も残酷なほどあっという間に時は過ぎ、俺たちは高校最高学年となった。
この頃にはもう既に、榊原との記憶は薄れつつあった。
あんなに好きだった榊原の声も、匂いも、微笑みも、はっきりと思い出せなくなってしまっていた。
恐れていたことが起こってしまったのに、何故だか不思議と冷静でいることが出来た。
もしかすると、心の傷も時間の流れが修復してくれたのかもしれない。
夏を過ぎた頃には、榊原のことを思い出すこともほとんどなくなっていた。
「受験に向けて勉強に集中しなくては」という意識の変化もあったのだろう。
何としても志望校に合格するため、脇目も振らず勉強に力を注いだ。
まるで、何かに操られているかのように。
しかし、その甲斐あって何とか無事に第1志望に合格することが出来た。
秀一と朝霧は同じ県内の私立大学に合格が決まり、春からは2人と別の道を歩んでいくことになった。
——そして、俺たちは卒業式を迎えた。
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