第79話「榊原麗について2」
9月に入っても未だ夏の暑さは健在で、冷房機のない体育館は壁を通して伝わってくる外の熱気と一箇所に密集した生徒たちによって、蒸し風呂と化している。
暑さで項垂れる者もいれば、犬のように舌を出し体温調節を図ろうとする者もいる。
俺も火照った体を少しでも冷まそうと、汗で体に張り付いた白ワイシャツの胸元をパタパタと扇ぐ。
一刻も早く、この灼熱地獄から抜け出したい生徒たちの思いとは裏腹に、ステージ上に立つ校長の話は、出口の見えないトンネルのように長々と続いていく。
そんな校長の長話がようやく終わりを迎えた頃には、ほとんどの生徒が天井を見上げたり、床の木目をぼーっと見つめたりと、とても生気を感じられるような状態ではなくなっていた。
「起立」
校長の長話が終わり、生徒会副会長の号令で我に返った生徒たちは、ふらふらとよろめきながらその場に立つ。
「これにて、始業式を終了します。礼」
一同はふらつく頭で一礼すると、腰に手を当て体を反らせたり、大欠伸をしたりと態度で疲れを表した。
本日は9月1日。
今日から高校1年の2学期がスタートする。
まだ夏休み中の感覚が抜けず、ただでさえ体も心も怠さが残っているのに、始業式でこんな地獄を味わうとは、何というかとても憂鬱だ。
その後、クラスごとに体育館から教室へ移動し、俺たち1-3クラスも教室へと戻ってきた。
席に着くなり、前の席に座る秀一が気怠げな表情でこちらを振り返り、声をかけてきた。
「よ〜、悠。校長の話長すぎだよな〜……」
「年寄りってのは、誰でもついつい長々と語りたくなってしまうものなんだろ」
「いやいや!語るにしても限度があるだろ!あれは流石に長すぎるって!」
「次の生徒総会で、それを議題に出してみたら結構ウケるかもな」
そんな校長の長話をネタにしながら話していると、ふと気付いたように秀一が口を開いた。
「あっ、そういえば」
「どうした?」
「榊原さん……今日来てないよな」
「あぁ……ただ遅れてるだけかと思ったんだけどな」
俺が登校してきた時点で、教室に榊原の姿がない事には気付いていた。
ホームルーム前に始業式が始まる事になっていたため、てっきり何かトラブルがあって遅刻しているのかと思ったのだが、どうやらそうでもないらしい。
もしかすると、体調不良で欠席しているのかもしれない。
まぁ、詳しい欠席理由は後ほどホームルームで佐倉先生の口から知らされるだろう。
そんなことを考えていると、俺と秀一が話しているのをみて朝霧がやってきた。
「ねぇねぇ、麗ちゃん今日学校来てないけど、どうしたのかな……。チャットも電話もしてみたんだけど連絡ないし、ちょっと心配」
「よう、朝霧。ちょうど、秀一とその話をしてたんだ」
「そうだったの?もし、家で倒れてたりしたらどうしよう……」
音信不通の榊原を心配する朝霧の顔が険しくなる。
「大丈夫だよ、きっと。榊原さん、家に1人ってわけでもないだろうし」
「榊原の家の話、あまり聞いたことがなかったからなんとも言えないが……あとで佐倉先生から話があるはずだ。とりあえず、それまで待ってみるか」
「そうだな」
もし、佐倉先生のもとにも連絡が入ってなかった場合、早退して榊原の様子を見に行くという手段もある。
しかし、それはあくまで最悪のパターンだ。
今はそうならないことを祈るしかない。
それからしばらくして始業のチャイムが校内に鳴り響いた。
それと同時に教室前方の扉から生徒名簿を手に持ち、 可愛らしいベージュ色のカーディガンを羽織った佐倉先生が教室に入って来た。
「はいはーい。席についてー」
先生の呼びかけで、席を立っていたクラスメイトが各自の席へと戻っていく。
「んじゃ榎本、羽島、またあとでね」
そう言って朝霧も自分の席へと戻っていった。
クラスメイトが全員席についたのを確認した先生は教壇に立ち、教室内をぐるっと見回してから口を開く。
「えーっと、まずはみんな久しぶり!高校に入って初めての夏休み、思う存分楽しめたか?」
明るい笑顔で俺たちに問いかける佐倉先生に対し、教室内からは「課題が多いよ!」だの、「あと1ヶ月は休みたかった」だのと文句の嵐が巻き起こる。
佐倉先生はそれらの文句を笑い声で搔き消し、話を続けた。
「でもまぁ、みんな元気そうで何より!この調子で2学期も頑張っていこう!」
そんな不自然なくらいにテンション高めな先生の掛け声に、先ほどまで文句を垂れていたクラスメイトたちはノリよく声を返す。
教室内には賑やかな笑い声が響き、今日から始まる2学期は幸先の良いスタートを切れたと、誰もがそう思った。
しかし、そんなクラスメイトとは対照的に、先ほどまであんなに明るい笑顔を見せていた佐倉先生の顔に影が差した。
先生の異変を感じ取ったクラスメイトは次第に口を閉じていき、教壇に立つ先生に視線を向ける。
佐倉先生は、しんと静まり返る俺たちに顔を向けてゆっくりと、こう口にした。
「その前に、みんなに話しておかなきゃいけないことがあるの」
「『話しておかなきゃいけないこと』って、なんすか?」
教卓の1番近くに座っている男子が先生に尋ねる。
その問いに、先生は一度深く息を吸ってから答えた。
「……みんなの中には、もう気付いている人もいるかもしれないけど、榊原さんは2学期から別の学校で過ごす事になりました」
…………なんだって?
今、佐倉先生はなんて言ったんだ?
榊原が2学期から別の学校で過ごす事になった?
一体先生は何を言ってるんだ。
そんなわけがないだろう。
だって、つい先日まで俺たちは榊原と一緒に過ごしていたんだ。
夏休みの課題だって終わっていると言っていたし、花火大会の夜には「また来年も来よう」と約束もした。
そもそも榊原が俺たちに何も告げずに転校なんてするわけがないだろう。
心の中で先生の言葉を全力で否定しようとする俺を差し置き、佐倉先生は言葉を続ける。
「榊原さんは元々、ご両親の仕事の都合で転校が多かったの。だから、この学校に来た時も、早い段階で次の転校が決まっていたのよ。……けれど榊原さんには、『自分が転校することは秘密にしておいてほしい』と頼まれてしまってね。それで、みんなに報告するのも遅れてしまったの」
先生の口から出たあまりにも衝撃的すぎる言葉に、クラスメイトは驚きを隠せずにいた。
「うっそだろ……」
「マジかよー!俺もっと榊原さんと話したかったのにー!」
「えぇー!なんで!ってかマジなの!?」
「榊原さん、どうして言ってくれなかったんだろう……」
先生とクラスメイトの反応を見る限り、どうやら嘘ではないらしい。
「マジかよ……榊原さん、なんで……」
秀一の口からも驚きと疑問の言葉が溢れる。
朝霧は両手を口に当て、信じられないという目で先生の方をジッと見つめている。
本当に嘘じゃないのか……
冗談じゃないのか……
それじゃあ、なんで……!
どうして、何も言わずにいなくなってしまったんだ、榊原!
俺にあったのは驚きでも、疑問でも、ましてや悲しみでもなく、怒りだった。
どうして!どうして!どうして!どうして!
これから待ちに待った体育祭に文化祭、来年になれば修学旅行だってある。
まだ榊原に紹介していないほたる市のイベントや景色も山ほどある。
それなのにどうして……
なぁ、榊原……
俺にはお前が何を考えていたのか、全然分からないんだ。
俺たち、友達じゃなかったのか?
互いの『才能』を見つけ出すまで、一緒にいるって約束したじゃないか。
榊原、頼むから教えてくれよ……
こうして何一つ理解できないまま、榊原麗のいない蛍山高校で過ごす、高校1年の2学期がスタートしたのだった——
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