第70話「夏休みについて(36)」
第70話目です。
駅前からほたる通りへ移動すると、喧騒は激しさを増し、祭りの熱気や圧がひしひしと肌に伝わってきた。
屋台が立ち並ぶ通りは、3メートル先が見えないくらいに見物客でごった返しており、すれ違う人と体がぶつかるほどに混雑を極めている。
本日の目玉である打ち上げ花火が開始するのが20時から。
現在の時刻は18時20分。
花火が打ち上がるまで、まだ時間がある。
俺たちはそれまでの間、屋台や出店が立ち並ぶ通りを歩いて周り、夏祭りを満喫することにした。
カランコロンと音を立てながら隣を歩く榊原の姿は華のようで、眺めているだけで心が綿のように軽く、そして温かくなる。
たとえ、この人波の中に榊原が紛れてしまってもすぐに見つけ出せる自信が、俺にはあった。
俺たちは通りを歩きながら、いくつもの屋台の列に並び、焼きそばやたこ焼きやラムネやりんご飴などを買って周った。
その途中で射的や金魚すくいなどにも挑戦した。
こういう遊び系の屋台は秀一の得意分野で、自分の腕前を俺たちに見せびらかそうと張り切って挑戦していた。
朝霧は射的に、榊原は金魚すくいに秀一の見様見真似で挑戦するが、遊びのプロである秀一のようにはいかなかった。
榊原は3回ほど金魚すくいに挑戦するが、どれも金魚を掬う前にポイが破れてしまう。
なかなか思うようにいかず、少しムッとする榊原の表情がとても愛らしくて、俺は思わず吹き出してしまった。
そんな俺を見て、榊原はさらに不機嫌そうに頬を膨らませる。
榊原のこういった顔は見たことがなかったため、なんだかとても新鮮で、少し得をした気分になった。
結局は俺が、鮮やかな橙色をした小さな金魚を2匹掬い、それを榊原に譲ったことで榊原の機嫌を取り戻すことに成功した。
透明な金魚袋に入った2匹の金魚を見た榊原は、あどけない少女のように辺りをパァッと明るく照らすような笑顔を見せた。
朝霧の方も秀一から取ってもらった景品のクマのぬいぐるみを大事そうに胸に抱えていた。
そうして、射的と金魚掬いを堪能した俺たちは紫陽花祭りの時と同じように、通りの縁石に腰掛け、購入した焼きそばやたこ焼きなどを夕食代わりに口にした。
祭りの雰囲気も相まって、冷めきった焼きそばやたこ焼きもとても美味しく感じられた。
通りを行き交う人々の声や足音。
夜の空気に乗って漂う、香ばしいソースの匂い。
優しく肌を包み込むような生温かい夜風。
屋台を照らす裸電球のノスタルジックな灯り。
夏祭りを彩る多くのものが、五感を通してしっかりと伝わってくる。
空は茜色から濃藍に変わり、小さく光り輝く星々がその姿を現し出した。
ここからでも、かの有名な夏の大三角が視認できる。
時雨町のキャンプサイトで見たものよりは、少し輝きが控えめだが、それでもはっきりと夏の夜空に大三角形を確認できた。
俺たちは満点の星空に見下ろされ、祭りの雰囲気を全身で感じながら、購入した夕食を全て平らげた。
「はぁ〜美味かった。でも、まだ足りねぇ!」
「まだ食べるの!?」
秀一の発言に朝霧がツッコミを入れる。
「今日の俺は夏祭り仕様になってるから、こんなもんじゃ腹は満たされない!ってなわけで、ちょっと食べ物買ってくる!」
秀一はそう言って、再び通りを歩く人混みに向かって走っていった。
「ちょっと!待ちなよー!……ごめん!麗ちゃん、羽島。私、榎本のこと連れ戻してくるから少し待ってて!」
「ふふっ、わかったわ。何かあったら私か羽島君に連絡してくれればいいから」
「はぐれないように気をつけろよ」
俺と榊原はそう言って秀一の後を追って人混みに向かっていく朝霧を見送った。
「あいつはホント、小学生がそのまま背だけ高くなったみたいだよな。……まぁ、ああいう自由奔放なところもあいつの才能なんだろうけどな」
「そうね。私にも榎本君の元気を少し分けてもらいたい気分だわ」
榊原はそう言ってふふっと笑う。
榊原の笑った顔は、いつ見ても心が癒される。
そんな榊原の笑う横顔を見ながら、俺は例の話を切り出した。
「あー、そういえば……」
「……?」
「……この前、知り合いの大学教授に誘われて、その人の講義を見学しに行ったんだ」
「凄いわね!……それで、どうだったの?」
榊原は興味津々という感じで、俺の話に耳を傾ける。
俺はそんな榊原に、事の経緯を全て話した。
講演会で真柳教授と知り合ったこと。
話を聞いてもらったこと。
初めて入る大学で、大学生に混ざって人生初の講義を受けたこと。
そして、自分の本当に欲しているものが何だったのかを——
俺は全て、隣で静かに話聞く榊原に話した。
「……そうだったのね。それで、羽島君の本当に欲しいものは見つかったの?」
話を聞き終えた榊原は、いつもの変わらぬ優しい声でそう尋ねた。
「あぁ」
「そう……それは良かったわ」
「……でも」
「でも?」
「俺はやっぱり……『才能』が欲しい。榊原とこうして親しくなれたのも全て、才能を見つけ出すという共通の目的があったからだ。だから……」
そうして次の言葉を探していると、榊原がゆっくりと口を開いた。
「ねぇ……羽島君」
「……?」
「羽島君は『共通の目的』があったから、私とずっと一緒にいてくれたの?友達でいてくれたの?」
「それは……」
「私はね、たとえ、共通の目的なんて無くても、きっと貴方と親しくなれていたと思うの。……友達になれたと思うの」
「榊原……」
「だからね、羽島君。才能があるとか、無いとか、見つけ出すためとか、そういう見えない糸で繋がれたような友人関係はもうやめにしましょう。……私は、羽島君がどんな風に変わっても、貴方と一緒にいたいと思うわ」
その言葉には、声には、表情には、榊原の熱がこもっていた。
じんわりと温かくて、とても安心できる、そんな熱が確かにこもっていた。
「俺も——」
言葉を言いかけたその時。
夏の夜空に大輪の花が咲いた。
弾けるような大きな音を轟かせ、次々と夜空に花火が打ち上がる。
気づけば時計の針は20時を回り、本日のメインイベントである打ち上げ花火が始まった。
「わぁ〜……綺麗ね」
そう言って夜空を見上げる榊原の瞳には、濃藍の空を彩る色とりどりの花火が反射して映っていた。
赤い花が、橙の花が、黄の花が、緑の花が、青の花が、紫の花が、榊原の白い肌を染める。
それまで屋台を見ながら通りを歩いていた人々も足を止め、皆一同に空に咲く大輪の花々を見上げる。
炸裂音と共に花火が打ち上がる度に、あちこちから感嘆の声が上がり、一瞬のうちに夜空に消えてなくなる儚い花に皆、心を奪われた。
俺も周りの人々と同じように夜空を見上げ、パッと弾けて夜空に一瞬の煌めきを残す花火を、大層綺麗だと思い眺めていた。
「綺麗だな……」
そんな言葉が無意識に口から溢れ出た。
隣では泣きそうになるくらいに優しい表情をした榊原が、ポッと小さく口を開けながら空に咲く色とりどりの花火を眺めている。
暗闇の中で時折明るく照らされる榊原を見て、「あぁ、そうだったのか」と心の中で呟いた。
初めて榊原に出逢った時、こんなにも真っ直ぐで、儚げで、美しい少女が存在するのかと衝撃を受けた。
いざ話してみると、外見からは想像がつかないほど明るくて、温かくて、優しくて、そして感性が豊かでさらに驚いた。
心を揺さぶるような愛嬌のある笑顔が素敵で、優しく頭を撫でるような優しい声がたまらなく好きで……
思えば、出逢った時からこの気持ちはあったのかもしれない。
そして、この気持ちが何なのかにも、俺は気づいていたのだと思う。
ただそれを意識してしまえば、今のような心地の良い関係が壊れてしまいそうな気がして、ずっと気づかないふりをしていたのだ。
けれど今、隣で空に咲くいくつもの花火を見上げる榊原を見て、その気持ちが本物であると確信した。
これがいわゆる『恋』であるということに。
「榊原……」
「……羽島君?」
『二人で花火を見た男女は結ばれる』
そんな迷信を信じたわけではない。
夏祭りと花火という、普段とは異なるシチュエーションで判断力と冷静さを欠いていたのかもしれない。
俺は花火に照らされて淡く輝く榊原の方を向いて口を開いた。
「好きだ」
同時に今日1番の大玉が夏の夜空に打ち上がり、ドンという爆音を轟かせて弾け、炎の雫がパラパラと地面に向かって降り注いだ——
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