第68話「夏休みについて(34)」
秀一から連絡があった翌日。
アーケード街の呉服店で浴衣レンタルの予約をするため、俺は待ち合わせ場所に指定されたアーケード街の入り口で秀一を待っていた。
パステルブルーの空にホイップクリームのような白い雲が浮かぶ夏空を見上げながら、辺りから聞こえる喧騒に耳を傾ける。
賑やかなアブラゼミの大合唱。
街を走る車のエンジン音。
通りを歩く人々の足音と話し声。
それらの音が全て、夏の空に吸い込まれ、溶けていく。
まだ午前中ということもあり、気温はそこまで高くなく、時折、涼風が優しく肌を撫でる。
俺は両手をズボンのポケットに突っ込みながら、絶賛夏休み中の学生たちで賑わう、アーケード前の通りを眺めていると、手を振りながら横断歩道を渡ってこちらに向かってくる秀一の姿を発見した。
「いやぁ〜、ごめんごめん!待ったか?」
「あぁ、待った。20分も遅刻してるじゃねぇか」
「いやいや、そこは『全然待ってないよ。俺も今来たところ』って言うべきところだろ〜」
前髪をかき上げながら声色を変えて台詞を吐く秀一に、少々イラっとしてしまった。
「待ち合わせに遅れて来たのが暑苦しさを具現化したようなお前じゃなくて、もっと清楚で淑やかな女性だったらそう言ってたかもしれないな」
「ふーん……例えば、榊原さんみたいな?」
「どうしてそこで榊原が出てくるんだよ……」
そう尋ねると、秀一はニヤニヤと何か含むような笑顔を見せながら「いやいや、特に意味は無いんだけどさー」と戯けてみせた。
「まぁいい。そんなことより早く行こうぜ。こうしてる間にもレンタル出来る浴衣が少なくなってるかもしれない」
「おっ、そうだな!んじゃ、行こうぜ」
そう言って俺たちはアーケード街にある呉服店に向かって足を進めた。
アーケード街ですれ違う人々は皆、真夏の陽気に当てられて顔に笑顔を浮かばせている。
先ほどすれ違った中学生か高校生くらいの女子グループは、ファッショナブルな服装にそれぞれ身を包み、手にはクレープやアイスクリームを持って楽しげに談笑していた。
今ちょうど前方からこちらに歩いてくる男子学生のグループからは、「昼食はどうする?」だの「カラオケ行こうぜ!」だのと会話が聞こえてくる。
ここには誰1人として暗い顔をする者は無く、皆各々の夏休みを満喫しているのがひしひしと感じられる。
すれ違う人々を横目で見ながらアーケード街を歩いていると、ようやく目的の呉服店に到着した。
店内には俺たち以外の客はおらず、朝顔柄の浴衣や黒を基調とした甚平などを着たマネキンがずらりと並んでいる。
また、店内に店主らしき姿は見当たらず、秀一はカウンターの奥に向かって声をかけた。
「すいませーん!浴衣レンタルの予約に来たんですけどー!誰かいませんかー?」
一度の呼びかけでは誰かが出て来る気配はなく、秀一は繰り返し声をかける。
その間俺は店内を回り、陳列されている商品をサッと眺めていく。
どうやらこの呉服店では、近隣の小学校で使用する名札や体操服を取り扱っているらしい。
その中には俺が通っていた小学校の体操服も陳列されており、思わず手にとって懐かしの小学生時代を振り返ってしまった。
今では制服や体操服もそこら辺の大型デパートで購入することが一般的となる中、こうして地域と密接に関わり、経営を続けている店は田舎町ならではのモノだと、なんだか少し嬉しい気持ちになった。
そんなことを考えていると、ようやくカウンターの奥からこの店の店主らしき老婆が姿を現した。
「はいはい、お待たせしてごめんなさいねぇ〜」
綺麗に整えられた白髪と楕円形のフレーム眼鏡が特徴的な優しそうなお婆さんは、年齢のせいか少し腰が曲がっていて、体を動かすことが億劫そうに見えた。
「こんにちは!……あの〜、浴衣レンタルの予約に来たんですけど、まだ予約可能ですかね……?」
店主のお婆さんに向かって秀一が早速話を切り出す。
もし、レンタル出来る浴衣が無かった場合はまだレンタル予約を受け付けているという隣町のデパートまで足を運ばなければならない。
なるべく労力を消費したいということもあり、ここで予約出来ることが1番なのだが……
すると、お婆さんは目元にシワを集め、口元にえくぼを作って笑い、
「実はね……ちょうど2着余っとるんよ」
と、しゃがれた声でそう言った。
「マジですか!!やったな悠!俺たち運いいぜ!!」
「あぁ。正直、少し諦めかけてた」
僥倖との巡り合わせにより、俺たちはお婆さんの目の前で大袈裟に喜んでみせた。
ちょうど2着だけ残っていたというのは、もう運命的な何かすら感じてしまう。
「あの……早速で悪いんですけど、試着って出来ますか?」
「はいはい、出来ますよ。今、持って来るからちょいと待ってて下さいね〜」
そう言ってお婆さんは、一度カウンターの奥へ消えると男性用の浴衣を2つ持って店に戻って来た。
お婆さんはそれらの浴衣を1着ずつ俺と秀一に手渡すと、入り口の正面にある試着室で浴衣に着替えるように指示を出した。
俺たちはその指示通り試着室に入ると、服を脱いで下着の上から実際に浴衣を羽織ってみた。
袖を通してみるとサイズもぴったりで、浴衣の柄も黒を基調とした落ち着いたもので、かなり気に入った。
それに試着室の姿見鏡で自分の浴衣姿を見てみると、なかなか様になっている。
ただ、帯の結び方だけはイマイチ分からなかったので、そこだけは店主のお婆さんに手伝って付けてもらった。
「じゃーーん!どうだ悠!似合ってるか!?似合ってるだろ!?」
効果音を自分でつけながら試着室のカーテンを勢いよく開けて出てきた秀一は、紺の布地に白のストライプが入った浴衣を身に纏っており、確かによく似合っている。
「なかなか似合ってるんじゃないか?なんだか少し大人っぽく見える」
「俺はいつでも大人っぽいですが?」
秀一は「何を言ってるんだこいつは」という目で俺のことを見つめてくるが、俺から言わせてもらえば、むしろ「お前が何を言っているんだ」という感じだ。
とにかく、お互い自分に合った浴衣に出会うことができて良かった。
そうして俺たちは私服に着替えると、浴衣を持って試着室を出た。
「それじゃあ、この浴衣レンタルします。当日、受け取りに来るのでよろしくお願いします!」
「はいよ〜。それじゃあレンタル料、1人あたり3000円いただきますね〜」
俺たちはレンタル予約をした浴衣と、財布から取り出した1000円札3枚をお婆さんに手渡し、一言礼を言ってから店を出た。
「それにしても、浴衣残ってて良かったな!予約締め切ってたらどうしようかと少し焦ったわ〜」
「まぁ、これで身の回りの心配事はとりあえず無くなったな。あとは天気くらいか」
「そだな〜。天気予報では晴れになってるけど、台風近づいてるらしいからなぁ……」
ここまで準備して雨で中止なんてことだけは避けたい。
そのためにも今のうちから照る照る坊主を作っておいた方が良さそうだ。
ただの雨ならまだしも、台風を逸らすとなれば1つだけじゃ少し心許ない気がする。
20個くらい作っておくか。
そんなことを考えながら俺たちはアーケード街を通って、来た道を戻り、途中にあるファミレスで昼食を摂ってから帰ろうということになった。
腕時計の針は頂点に差し掛かり、ギラギラと白く光輝く太陽は真上から俺たちを見下ろし、夏本来の暑さを取り戻し始めた。
そして、長く続くアーケード街の向こうに見える景色がゆらゆらと炎のように揺れ出し、これからまだまだ暑い日が続くのだと、その陽炎を見て本能的にそう悟ったのだった——
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