第67話「夏休みについて(33)」
8月中旬——
長く感じられた、夏休みも残すところあと僅かとなった。
新幹線で初めて1人旅をし、大都会の中にそびえ立つ凪波大学で真柳教授の講義に参加してから3日が経った。
凪波からほたる市に帰ってきてからは、お盆ということで母方の実家に行って墓参りをしたりなど、忙しい日が続いた。
そして、それらの行事も滞りなく終わり、今はこうして冷房の効いた部屋で残りの課題と向き合っている。
夏の暑さはピークに達し、外から聴こえてくる蝉の大合唱も当たり前のものになり、最近はだいぶ気にならなくなった。
けたたましい蝉の鳴き声も生活音の一部になりつつある。
そんな蝉の鳴き声や冷房から漂ってくる冷気を肌で感じとりながら、俺は机の上に広げた数学のテキストに数式を書き込んでいく。
昔の俺なら、答えの分からない問題が出れば考えようとせずに次の問題へ移る傾向があったが、最近は少しでも学力を向上させるため、解き方が分からない問題があっても教科書やノートなどを調べて自力で解くよう心がけるようになった。
しかし、慣れないことをするというのは思ったよりも疲れが溜まり、俺は5分と保たずに持っていたシャープペンシルを机に置き、椅子の上でグッと背伸びをする。
そして、一度休憩を挟もうと椅子から立ち上がり、1階のリビングに飲み物でも取りに行こうかと思ったその時、机の上に置かれたスマホから着信音が鳴り響いた。
スマホを取り上げディスプレイを確認すると、そこには『榎本秀一』という名前と電話番号が表示されていた。
俺は発信のマークをタッチし電話に出る。
「もしもし。どうした?」
「おっす!悠」
その声からは電話越しでも相変わらず元気であることが窺える。
「いやさー、この前みんなで話し合って決めたイベントについて確認しておこうと思って電話かけたんだけど、もしかして今忙しかった?」
「いや、特には。課題してただけだしな」
「……課題…………はぁぁぁぁ〜……………」
スピーカーの向こう側からは、憂鬱さが塊となったような重苦しい溜息が聞こえてくる。
「……それで?何か言い忘れたことでもあったのか?」
「あー、いや……そういうことは無いんだけど、ただ莉緒と榊原さんが当日浴衣着ていくって言っててさ。せっかくだから俺たちも浴衣に着替えて行こうぜーって話をしようと思ってたんだけど……悠、どうする?俺は着て行きたいんだけど」
「まぁ、そうだな……せっかくの花火大会だしな。……わかった。俺も着ていくよ」
「おぉ!いいねいいね!んじゃ、俺たちも浴衣に着替えて行くってことで莉緒たちに連絡しておくよ」
「あぁ、よろしく頼む」
俺たちが今話しているのは、3日後にほたる市で行われる花火大会についてだ。
時は遡り、俺たちが時雨町のキャンプ場から帰ってきてすぐのこと。
ファミレスで昼食を摂りながら、次のイベントはどうするかについて話し合っていた時に、秀一が「約1週間後に行われる花火大会に参加しよう」と言い出したのが始まりだった。
毎年、お盆が終わる頃になると、夜煌川から打ち上げられた約200発の花火が夏の夜空を彩り、紫陽花祭りが行われたほたる駅前の通りに、いくつもの出店が立ち並ぶ『ほたる市 大花火大会』が開催される。
この花火大会には市外からも見物客が押し寄せるため、毎年驚くほどの賑わいを見せる。
この花火大会は、ほたる市で最も大きなイベントの1つであり、市民のほとんどがこの花火大会に参加する。
俺たち学生にとっては夏の思い出を作る絶好の機会となっており、中高生の間では、『2人きりで同じ花火を見た男女は、めでたく結ばれる』などという都市伝説も有名になっている。
去年は確か、妹の由紀にせがまれて2人で花火大会に行った記憶がある。
去年は一応受験生だったため、家から花火を見て楽しむ予定だったが、手足をバタつかせ駄々をこねる由紀に押し負けて渋々会場に赴くことになったのだ。
まぁ、結果としてはかなり楽しめ、受験勉強のリフレッシュにもなったため非常に良かった。
今年は妹のお守りもなく、受験勉強という枷もないため、思う存分心の底から花火大会を楽しむことができる。
しかも、この4人で参加する花火大会は初めてで、榊原に関しては今年この街に越してきたばかりで、まだほたる市の花火大会を経験していないため、お互い良い思い出になることだろう。
そうして俺・朝霧・榊原の3人は秀一の提案に賛成し、4人で花火大会に参加することを決定したのだった。
時は戻り、現在。
浴衣を着ていくことには賛成したが、1つ重要なことを聞いていなかったため、俺は秀一に尋ねた。
「ところで、浴衣ってどこかでレンタルできるのか?俺、多分浴衣持ってないんだが」
「あー、それなら大丈夫。なんか、アーケード街にある呉服店で浴衣のレンタルしてるみたい。ただ、当日レンタルってのは予約が埋まってて出来なさそうだから、悠さえよければ明日あたり、一緒に予約して来ないか?」
確かに、自分用に浴衣を持っているという人はそれほど多くはないだろう。
レンタルできるならレンタルで済ませたいと思うのが人間である。
また、そのレンタル用の浴衣の数も限りがあって、参加者全員に貸し出すなんてことはおそらく不可能だろう。
そう考えると、明日にでも予約しておかないとまずいかもしれない。
花火大会まで残り3日。
既に予約を済ませている客がほとんどだろうから、万が一レンタル出来なかった時のための事も考えておかないといけない。
「あー、分かった。それじゃあ、明日呉服店に行ってレンタル出来るかの確認に行こう」
「りょーかいりょーかい!それじゃあ、また何か連絡することあったら電話するなりチャット送るなりするわ。んじゃ明日、10時にアーケード前に集合ってことで!またな、悠」
秀一はそう言って集合時刻と場所を伝えると電話を切った。
俺は真っ暗になったスマホのディスプレイを見つめながら、秀一との会話を振り返る。
花火大会か……
おそらくこれが今年の夏休み最後のイベントになるだろう。
人生で一度きり、高校1年の夏休み。
やり残したことが無いように、精一杯楽しもう。
そして——、榊原に伝えるべきことをしっかりと伝えよう。
そうして俺は手に持ったスマホを机の上に戻して部屋を出ると、絶え間なく鳴き続ける蝉の声に蓋をするかのように、ゆっくりと扉を閉めた——
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