第65話「夏休みについて(31)」
真柳教授の講義が終わった後、教授のゼミ生が次々と教室を出て行く中、俺は教授と2人、最後までその教室に残っていた。
「それで羽島君。今日の授業はどうだったかな? 」
授業を終え、教室から出て行くゼミ生たちを全て見送った真柳教授が口を開く。
「その前に……1つ聞いてもいいですか? 」
「なんだい?」
「真柳教授、もしかして今回の授業は俺のために……? 」
そう尋ねると、真柳教授は俺の方を向いてニコッと猫のような笑顔を浮かべた。
「初めて羽島君と出会って、今みたいにこうやって2人で話した時、君は『才能を探している』って僕に教えてくれたよね」
「……はい」
「自分にはこれといった才能が無いこと。心から好きと思えるものが無いこと。そして、それらをどうにかして見つけ出したいと思っていること。……羽島君の言葉には、とても強い『何か』が込められていて、僕はそんな羽島君に、ほんの少しばかりの手助けが出来ればいいと思ったんだ」
そう言って、真柳教授は言葉を続ける。
「でも同時に、羽島君が本当に欲しているものはそれとは全く別なもののような気がしたんだ」
「……別なもの」
「羽島君。君が本当に欲しているもの、心から欲しいと願っているもの…………それは、『自分に価値を与えてくれる誰か』なんじゃないのかい? 」
真柳教授の口から発せられたその言葉を聞いて、俺は自分を覆っていた硬い殻が少しずつ剥がれ落ちていくような、そんな感覚に陥った。
人は誰しも必ず、何かしらの『才能』を持って生まれて来る。
その与えられた才能を一度も使う事なく、死んでいくのは嫌だ。
今までずっと、そんな事を考えて生きてきた。
この世に生まれたからには、与えられた才能を使わなくてはならないという使命感。
周りの人々は、無意識的に己の才能を開花させているにもかかわらず、自分だけが何の才能も見つけられないまま日々を過ごしている。
早く自分も彼らのように何かしらの才能を発揮しなくてはという焦燥感。
そういった感情に心を支配され続けた結果、気がつけば俺は、そんな自分に価値を見出せないようになっていた。
おそらく、才能の有無でここまで深刻に悩む高校生は全国を探してもほんの僅かだというのは、俺だって分かっている。
『才能が無い=自分に価値が無い』ということでは無いことも、頭ではちゃんと理解している。
自分が楽しいように、自由に生きればいいじゃないか!とも、よく思う。
それでも、頭の片隅で誰かがこう叫ぶのだ。
「無能に生きる価値は本当にあるのか?」と——
だから、俺は無意識に『自分にこのままでもいいと価値を与えてくれる人』をずっと探していたのかもしれない。
真柳教授が俺から感じたと言うその言葉をスッと受け入れることが出来たのも、それが理由だろう。
俺はただ、確信に至る言葉が欲しかっただけだったのだ。
しかし、そう考えてみるとやはり、最近の自分の変化に納得がいく。
俺と同じで、自分の『才能』に悩む美しい少女、——榊原麗と出逢ってからというもの、それまで荒々しく、焦りが大きかった才能に対する気持ちが、少し落ち着くようになっていった。
そして、榊原と出逢ったことにより、秀一や朝霧たちとも中学以上に親しい間柄になることができ、最近では「ここが俺の唯一安らげる場所だ」と思うようになった。
榊原たち4人と一緒にいる時だけは、才能のことはすっかり忘れて、ただの高校1年生として楽しく日常を過ごすことが出来ていた。
これも全て、俺に価値を、居場所を、安らぎを与えてくれた榊原のおかげだ。
俺が本当に欲していたものは、俺のすぐそばにあったのだ。
真柳教授の一言で、俺が求めるものの正体がはっきりと分かったところで、俺は教授に向かって口を開いた。
「……真柳教授」
「うん」
「俺の本当に欲しいものは、もう見つかっていました」
「……うん」
「……本当は俺も気づいていたんだと思います。本当に欲しいと思っているモノは『才能』なんかじゃなくて、『才能のない自分を認めてくれる誰か』だってことは……。それでも俺は確信に至るための言葉が欲しかった。そして、その言葉をくれたのが真柳教授、あなたです。……本当にありがとうございました。それと…………とてもいい授業でした」
真柳教授は最後まで俺の言葉を静かに聴いていてくれた。
春の陽射しのように暖かく、優しい微笑みを浮かべながら——
そして、俺が話し終わると今度は真柳教授が口を開いた。
「正直、僕も確信があって言ったわけじゃなかったんだ。だから、今日の授業が全く的外れなものになってしまったらどうしようってずっと不安に思っていたんだ。……でも、どうやら羽島君に気に入ってもらえたようで安心したよ」
そう言って、真柳教授は安堵の表情を浮かべながら笑ってみせると、続けて口を開いた。
「あー、それともう1つ」
「……なんですか?」
「羽島君はこれから、才能のことをきっぱりと忘れて生きることは出来るかい?」
「……それは」
確かに、俺が本当に欲するものが『才能』ではないと言うことは分かったが、それでもやはり才能は欲しい。
今まで、才能を見つけるためにして来た努力も無駄にはしたくない。
しばらく葛藤していると、教授が「あははっ!」と楽しげな笑い声をあげた。
「ごめんごめん。意地悪な質問だったね。……君がまだ才能を諦めきれないと言うんだったら、それが見つかるまでたくさんのことに挑戦してみるといい。心から好きだと思えるものにも必ず出会うことができる。僕も、出来る限りのことはしてあげたいと思っているよ」
「教授……」
「僕は他の教授たちに比べればまだまだ若くて、『人生とは何か』について語るなんて偉そうなことは出来ないけど、これから羽島君たちが歩んでいく『人生』という名の道に、光を与えることくらい出来るよ。……だからもし、羽島君がその道に迷った時は、遠慮せずに僕を頼って欲しい」
そう話す真柳教授は、まるで暗い森の中を彷徨う人々に進むべき道を教えてくれる神様のような、優しい表情をしていた。
「あっ、あとこれはまだ先の話になるけど……」
「……?」
「羽島君が高校を卒業して大学に進学する時は、ぜひうちの大学においでよ。その時は僕が君を推薦してゼミに招待するからね!」
「えっ…!?」
あまりにも突然な提案で俺は思わず怯んでしまった。
「うちの大学」ってことは、俺が今いる凪波大学って事だよな……
名門中の名門と言われる凪波大学に、今の学力で合格できるとは到底思えない。
それでも、もっとこの人の近くでたくさんの話を聞きたいと思う自分がいる。
それにはやはり、今のうちから勉強するしか
他に方法は無さそうだ。
俺は困ったような、嬉しいようなそんなおかしな表情で答えを返す。
「えぇ、是非」
その答えを聞いて、真柳教授は眼鏡の奥の瞳を細め、ニコリと微笑んだ。
こうして、俺は真柳教授と入学の約束を交わし、凪波大学を後にしたのだった——
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