第62話「夏休みについて(28)」
警備員から通行証を受け取った俺は、1階エレベーター付近に設置されている構内マップで真柳教授の研究室を探す。
凪波大学は広大な敷地内に1から4号館までの建物が存在する。
その全てにいくつもの教室や研究室が入っているため、見つけるのは困難を極める。
どうせなら、さっきの警備員に真柳教授の研究室を聞いておけば良かった……
そんなことを考えながら俺はマップを指でなぞりながら、真柳教授の研究室を探す。
もし、この棟に真柳教授の研究室が無ければ、別の棟を探す必要がある。
そうなればかなりの時間を要することになってしまう。
やはり先ほどの警備員に聞いた方が早いのではないだろうか、と思ったその時。
「あっ、あった」
3階の20号室に真柳教授の名前があるのを発見した。
俺はホッと安堵の溜息を吐くと、そのままエレベーターに乗り込んで3階の20号室を目指す。
エレベーターを降り3階に着くと、付近に人の気配はまるでなく、辺りは閑散としている。
館内には、リノリウムの床の上を歩く俺の足音だけが響き、妙な緊張感が体を覆う。
俺は廊下の左右にある部屋の番号を1つ1つ確認しながら奥へと進む。
そして廊下の突き当たり、1番奥に真柳教授の研究室である20号室があった。
電話でのやり取りはしたが、実際に真柳教授と会って話すのは結構久しぶりなので、少し緊張している。
俺は扉の前でフッと軽く息を吐き、意を決して扉をノックした。
コンコンと扉を二度叩くと、中から「はーい。どうぞー」と、真柳教授の声が聞こえてきた。
真柳教授から入室の許可を得た俺はドアノブに手をかけ、ゆっくりと扉を開く。
「失礼します」
そう言って部屋の中へ入ると、正面のデスクでパソコンを使い、何やら作業をしていた真柳教授がその作業を一度中断して俺の方に目を向け、口を開いた。
「おぉ!羽島君!久しぶりだね。遠くからわざわざ来てくれてありがとう。ここまで、迷わずに来れたかな?」
真柳教授はメタルフレームの眼鏡の奥に見える目を細め、柔和な笑みを浮かべた。
「お久しぶりです、真柳教授。こっちはほたる市と違って、どこも広くて入り組んでいるので、少したどり着くのに時間がかかってしまいました……お待たせしてしまって、申し訳ありません」
少しはにかみながらそう言うと、真柳教授は「あははっ!」と笑って言葉を続けた。
「そっかそっか!でも、まぁ、無事にたどり着けたようで良かったよ。さぁさぁ、座って座って!」
真柳教授に言われ、部屋の中央にあるシックなソファーに案内された俺は、静かに腰を下ろす。
すると、俺の体に合わせてソファーの形状が変化し、まるで沈み込むような心地のいい感覚に支配された。
某家具店でもこんなに座り心地のいいソファーは売っていない。
かなり高価そうなソファーだが、一体いくらするのだろう。
そんなことを考えていると、デスクトップのパソコンにキーボードで何かを打ち込みながら作業をする真柳教授が口を開いた。
「ちょうどこれから、僕の授業が始まるんだけど、夏休み中の特別講義ってことで、僕のゼミ生たちに集まってもらってるんだよ。まぁ、授業といっても単位に関わるものじゃないから本当は来なくてもいいんだけどね」
そう言って「あははっ!」と笑う真柳教授は、どこか悪戯っ子のように見えた。
強制参加でないにもかかわらず、しっかりゼミ生が参加するということは、それだけ真柳教授が生徒から慕われているということなのだろう。
学生生活の中で、どれだけいい指導者に巡り会えたかというのは、俺たち学生にとってはかなり重要なことで、大袈裟に言えば、それは俺たちの今後の人生に関わってくるとも言える。
俺たち学生からしてみれば、親や教師といった身近な大人の持つ言葉にはそれなりに大きな力があり、俺たちは少なからずその影響を受けることになる。
いい指導者に恵まれ、プラスになる言葉をかけられれば、生徒は自ずとプラスの方向に向かって歩みを進めようとする。
また逆に、悪い指導者にマイナスの言葉をかけられれば、生徒たちはいつしか自分の持つ夢を忘れ、つまらないマイナスな人生を歩んでいくことになる。
もちろん例外もあり得るが、少なくても親や教師といった子供を見守る立場の大人には、子供に夢や希望を与えるという使命や義務があると思う。
「現実を見ろ」
「夢だけじゃ腹は満たされない」
「現実はそんなに甘くない。諦めろ」
理屈はそうなのかもしれない。
それこそが賢い考えなのかもしれない。
しかし、子供に現実ばかりを考えさせようとすれば、自分が何になりたいのか、何をしたいのか、どう生きたいのかということすら、子供は見失ってしまう。
夢物語でもいい。
叶わなくてもいい。
肝心なのは、『夢を持つ』ということだ。
そういった点で真柳教授のような、生徒たちに夢や希望を与えるいい指導者に巡り会えたゼミ生たちは、とても幸運だと、俺は羨ましく思った。
「よし!それじゃあ羽島君、そろそろ教室へ移動しようか」
真柳教授はそれまで使用していたパソコンの電源を落とし、壁に掛けられているアナログ時計に目をやると、口を開いてそう言った。
「あっ、はい」
そうして俺はソファーに沈んだ腰を上げてその場に立ち上がり、真柳教授の後ろについて研究室を後にした——
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