第53話「夏休みについて(19)」
俺たち4人は渓流釣り場の先にある展望台へ向かうため、左右を木々に囲まれた山道をゆっくりと歩いていた。
林の中の木々が、まるで俺たちのために作ってくれたかのような、そんななだらかな斜面になっている細い山道を1列になって歩き、俺は辺りから聴こえる音に耳を澄ませる。
弦楽器を激しく弾いたような騒がしい蝉の声は、風鈴のような耳心地のいい涼やかな声に変わっている。
それはまるで、蝉たちが渾身のバラードを歌っているかのように感じられた。
さらに耳を澄ませてみると、蝉の他にも草むらの方でリンリンと鈴のような音を奏でる虫がいることに気がついた。
空気を振動させる甲高い鳴き声が、体の中で波紋のように広がり、音が溶けていく。
耳を澄ませば澄ますほど、様々な音が聴こえてきて、その様子はさながら『虫の音楽隊』と言ったところだろうか。
また、周りには草木の青い匂いや土の匂い、不思議と落ち着く陽の匂いが漂っていて、どれも俺に夏を感じさせてくれる。
他にも、肌を優しく包むひんやりとした木々の影や空気の流れ、枝や葉の隙間から差し込む陽光など、体全体で自然が持つ独特の雰囲気を味わった。
俺たちはそんな自然の魅力に浸りながら山道を登り終え、展望台へと到着した。
山道を登り終えて、まず最初に目に入ってきたのは、淡い太陽の光に照らされて輝く時雨町の景色だった。
立ち並ぶたくさんの住居や、街を走る何台もの車。
遠くには広大な田園やそびえ立つ大きな山々が見え、山の稜線を境にほんのりと橙色に染まった夏の空が、展望台から見える景色を何倍も美しくしている。
「うっわぁー!!すげぇー!!! 」
展望台に着くなり、先頭を歩いていた秀一が腰の高さくらいまである転落防止用の柵に駆け寄り、そこから身を乗り出す勢いで目の前に広がる景色に飛びついた。
「ホント、綺麗だね……ここから見ると、まるでキャンバスに描いた絵みたいだよね! 」
「そうね。前に羽島君にほたる市の展望台に案内してもらったけれど、ここから見える景色もとっても綺麗ね」
朝霧と榊原は恍惚とした表情を浮かべなら、その景色を瞳に焼き付けている。
「悠もこっち来いよ!すげぇぞ!! 」
秀一に手招きされた俺は、朝霧・榊原と一緒に柵の方に近寄った。
「すごいな……これは……」
より近くでその景色を見て、思わず声が漏れた。
普段は俺たち人間を高い目線から見下ろしている大きな建物が、ここからは精巧に作られたミニチュア模型のように小さく見える。
建物の窓ガラスに夕日が反射して虹色に輝いた光は、魔法のように景色をさらに美しく変化させ、見る者の心を奪っていった。
ふと、周りを見回してみると、展望台には俺たち以外にも大勢の利用客がその景色を見に来ていた。
楽しそうに笑う子連れの家族、景色を背景に写真を撮る若い男女グループ、仲睦まじそうに微笑み合う老夫婦。
ここにいる人は、誰1人として暗い顔をしていない。
寧ろ、その景色に圧倒され、感動し、瞳には光が灯っている。
彼らの表情を見ていると、隣で同じように他の利用客の方に目を向けている榊原が口を開いた。
「……彼らはこの景色を見て何を思い、何を感じるのかしらね」
「そうだな……ここにいる人たちは全員、間違いなくこの景色に感動していると思う。だから、きっと、思っていることも、感じていることも俺たちと同じなんじゃないか?」
「私もそう思うわ。……でもそう思うと、なんだか凄いわよね。これだけの人が同じ景色を見て同じ気持ちになるだなんて…………それだけ、この景色には人の心を動かす力があるということなのかもしれないわね」
そういう榊原の表情は、ここにいる誰よりも美しいものだった。
「あっ、ねぇねぇ! 写真撮ろうよ! 写真!」
榊原の横顔に陶酔していると、思い出したように朝霧が口を開いた。
「おぉ! そうだよそうだよ! 写真撮ろうぜー!! 」
「1人、2人ならともかく自撮りで4人と後ろの景色を写すのは大変そうだな。誰かに撮影お願いするか」
「そうだねー。自撮り棒でもあればよかったんだけど……」
撮影方法について話し合っていると、榊原がポケットからスマホを取り出して口を開いた。
「それじゃあ、私が誰かにお願いしてくるわね」
「榊原さんありがとーー!!助かるよ〜」
榊原は秀一の謝辞に微笑みを返して答えると、近くにいた家族連れの父親らしき男性に自分のスマホを手渡し、撮影をお願いした。
「それじゃあ、撮るよー」
榊原のスマホを横に構えた男性が、展望台から見える時雨町を背景に並ぶ俺たちに声をかける。
「はーい。お願いします! 」
朝霧が準備完了の意を込めて声を出す。
真ん中の朝霧と榊原を挟むようにして俺と秀一が傍に立ち、皆それぞれのポーズを取る。
そして、視線をスマホのレンズに向けると、カシャッというシャッター音と共に1枚の写真が撮影された。
「はい。撮れたよ。一応、確認してもらっていいかな?」
「分かりました。…………はい。しっかり撮れてます。撮影、ありがとうございました」
榊原は男性から返却されたスマホで、撮影された写真を確認すると、一言礼を言ってこちらに戻ってきた。
撮影された写真を俺たちも確認する。
「おぉ!すごく良く撮れてる!」
「あぁ、文句なしだな」
「うんうん!後ろの景色も綺麗に写ってるねー」
俺たちは撮影された写真を確認すると、榊原と同じように、男性に礼を言った。
そうして、俺たちの礼を受け取った男性はこちらに優しそうな笑みを向けると、自分の家族の方へ戻っていった。
「優しい人で助かったねー」
「そうね。写真も綺麗に撮れていたし、あの人に頼んで正解だったわね」
そう言って朝霧と榊原が互いに顔を見合わせると、秀一が榊原に対して口を開く。
「ねぇねぇ、榊原さん。撮った写真グループチャットで送ってくれない?」
「分かったわ。少し待って」
榊原は手に持ったスマホを操作し、先ほど撮影された写真をグループチャットに貼り付ける。
すると、榊原以外の3人のスマホからピロリンっという電子音が鳴り響き、グループチャットに写真が送られてきた。
「ありがとう!榊原さん!……どれどれ……うん!やっぱりよく撮れてるなぁ」
「誰も目閉じたり、顔がブレたりしてないしねー!」
「それに後ろの景色もやっぱり良く撮れてるわね。とっても綺麗……」
「最近のスマホはここまで進化してるのか。凄いよな……もちろん撮り手の技術も相まってのものだろうけど」
俺たちはもう一度、撮影された写真を食い入るように眺めた。
右から、白い歯を見せてピースサインを前に突き出す秀一。榊原の肩にぴったり顔をつけて笑う朝霧。少し恥ずかしそうにはにかむ榊原。そして、3人ほどでは無いもののしっかり笑顔を浮かべている俺。
贔屓目に見ても、かなりいい写真だ。
俺は口元に薄っすらと笑みを浮かべると、その写真を保存してアルバムへ入れた。
「さてさて!景色も堪能して、写真も撮れたわけだし、そろそろキャンプサイトに戻ってバーベキューの準備をしないとな!」
「そうね。完全に日が落ちる前に準備しないといけないものね」
スマホをポケットにしまった秀一の言葉に、榊原が言葉を返す。
青かった空は真っ赤な茜色に染まり、白かった太陽も橙色に移り変わっている。
もう少しで空が完全に藍色に染まり、星々が輝き始める。
俺たちは最後にもう一度、茜色に輝く時雨町の景色をその瞳に焼き付け、静かに展望台を後にした——
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