第52話「夏休みについて(18)」
渓流釣り場に着いてから、どのくらい時間が経過しただろう。
俺は左腕につけた腕時計で現場の時刻を確認する。
すると、時計の短針は4を。
長針は12を指し示していた。
渓流釣り場に来てから、既に2時間程経過していた。
火照った体に冷たい川の水が当たり、体の芯から熱が冷まされていく感覚がとても心地よくて、すっかり時間を忘れてしまっていた。
そういえば、先ほどまで身を焦がす勢いで照りつけていた日の光もだいぶ落ち着いている。
大気にはまだ熱がこもったままだが、先ほどに比べると幾分か快適になったように思える。
日が完全に落ちて暗くなる前に、他の場所も見ておきたいと思った俺は、2時間前と変わらず浅瀬の方で子供たちと戯れる秀一に声をかける。
「なぁ、秀一。そろそろ次、行かないか?」
「うわっ!やったなこのやろー!……ん?あぁ、そうだなぁ。そろそろ移動すっか!……てな訳で、お前ら!また今度な!」
秀一はそれまでじゃれ合っていた子供たちにそう言って別れを告げると、浅瀬から陸に足を上げ、両手にサンダルを持ってこちらに向かってきた。
子供たちは「しゅーいちバイバーイ!!」と花のような笑顔で秀一に手を振っている。
それに答えるように手を振る秀一を見て、俺の隣で秀一と同じように足首まで川に浸かって水浴びをしていた朝霧と榊原がニコリと微笑んだ。
「榎本君、子供の相手が得意なのね」
「榎本……ああ見えて子供には人気あるんだよねー。陸部のボランティアでよく小学校に行って、子供たちと一緒に走ったりするんだけど、その時も榎本大人気だし!」
榊原の言葉にそう返す朝霧は、まるで自分のことを話すかのように、秀一の方をジッと見つめて嬉しそうな表情を浮かべる。
朝霧の瞳には、秀一がどのように写っているのだろう。
一見、憧れや尊敬の対象のようにも見えるが、おそらく朝霧が秀一に抱いている感情はそれらよりも上位に位置する感情だろう。
そんなことを考えながら、俺は口を開く。
「まぁ、あいつ犬みたいだもんな。人懐っこいし、人からも懐かれる。それもあいつの才能なんだろうな」
それを聞いた榊原は「それは……とってもいい才能ね」と穏やかな笑みを浮かべて、朝霧と同じように秀一の方に目をやる。
すると、砂利道にくっきりと濡れた足跡を付けながら、秀一が戻ってきた。
「いやぁ〜、あいつら元気良すぎだろ。それに俺のこと『しゅーいち、しゅーいち』って呼び捨てにするし。あれはお母さんたち、大変だろうなぁ」
秀一はそうやってボヤきながらも、どこか嬉しそうに子供たちを見つめている。
「向こうも楽しんでたみたいだし、良かったじゃないか。まぁ、もう少し場を弁えた行動をしてもらいたいところではあったけどな」
そう言うと秀一は、悪びれる様子もなく「いやぁ〜あっはっはっは!」と笑いだした。
……こいつ、そのうちまた同じことするぞ。
そんな秀一を見て、朝霧は呆れ、榊原は少し困ったように笑い、俺は重苦しいため息を吐きながら、こめかみを指で押さえる。
「さて、それじゃあそろそろ移動するか!」
俺たちの表情を無視して、秀一が軽快に話を進める。
「ねぇ、榎本君。次はどこに向かうの?」
「そういえば聞いてなかったねー。このキャンプ場って、他にどんな場所あったっけ?」
次の目的地に向かって歩き出そうとする秀一に、榊原が疑問を投げかけ、朝霧が首を傾げる。
秀一はその場に立ち止まると、2人の方を振り向いて口を開いた。
「次に行くのは展望台。あそこから登って行くらしいよ」
そう言って秀一が指差す先には、周りを木々で囲まれた細い山道が見える。
さらに山道の入り口には、『← 展望台』と書かれたベニヤ板の看板が立てかけられていて、先ほどから数名の利用客が看板の指示に従って山道を登っている。
「結構前から思ってたが、渓流釣り場に展望台もあるキャンプ場なんてなかなか無いんじゃないか? 秀一の叔母さんたちすごいな。従業員がどのくらいいるのかは知らないが、これだけ広大な敷地を管理するって相当大変なことだろうに」
「みんながこうして笑顔でいられるのも、管理が隅々まで行き届いているお陰かしらね」
俺がそう言って感心していると、榊原は川の方に目をやり、目を少し細めて微笑んだ。
「俺も詳しいことは知らないけど、叔父さんも叔母さんもキャンプ場に来るお客のことを1番に考えてるってのは、よくわかるよ」
「……いい叔父さんと叔母さんだね」
そう、誇らしげに語る秀一に朝霧が優しい笑みを向けた。
秀一は少し照れたようにはにかむと、再び口を開く。
「さて!それじゃあ、改めて展望台に向かうとしますか!」
「そうだな。早く散策して、そろそろ夕食の準備に移らないといけない頃合いだしな」
「展望台からは、どんな景色が見えるのかしらね」
「ねぇねぇ! 展望台に着いたらみんなで写真撮ろうよー!」
秀一の提案に、俺たちはそれぞれ言葉を返していく。
「そういえば、今日まだみんなで記念撮影してなかったなぁ。……よし!撮ろう撮ろう! 」
今度は朝霧の提案に秀一が乗り気で答える。
確かに思い出として何かを残しておくことは大切だ。
そういう点で考えれば、写真はいい案だと思う。
どんなに濃く、色鮮やかな思い出であっても、いつかは色褪せ、記憶から薄れていく。
だから、人はその記憶を忘れないために、『写真』という形で思い出を残す。
俺たちが歳をとって大人になり、ふと、その写真を見た時に、この温かい感情をもう一度思い出せるようにという願いを込めて——
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