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白の無才  作者: kuroro
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第45話「夏休みについて(11)」

2時間に渡る講演会が終了すると、今まで静かに観客席に座っていた人たちが、一斉に帰り支度に移った。


しかし相変わらず話し声は無く、聴こえるのはガサゴソと荷物を鞄にしまう物音とホール内に響く足音だけ。


次々とホール内から出て行く人の波に呑まれながら、俺も荷物を持って会場を出る。


そのままエントランスに向かうと、ここに着いた時に見かけたベージュのスーツを着こなした男性が、知り合いらしき男性2人と講演会についての感想を述べていた。



「いやぁ、あの若さで確固たる矜持を持って持論を展開するとは見事でしたな」


「戯言ではなく、しっかりと筋も通っていた。我々も見習わなくては……」


「真柳教授の生徒さんたちは幸せ者ですな!あっはっはっ!」



話の内容から察するに、あの人たちも教育関係者らしい。


辺りを見回すと、同じような会話をしているグループがいくつか見受けられる。


どうやら、講演の内容に興味を持って聞きに来た一般人は俺だけのようだ。


少し場違いなところに来てしまったという感じはあったが、とても為になる話を聞くことができた。


それだけで今日はかなりの収穫だ。




俺はエントランスを出る前に施設内の自動販売機へと向かった。


講演時に突然質問を振られたせいか、緊張で無性に喉が渇いていた。


唾液を飲み込むたびに喉がひりつく。



自動販売機はエントランスとは反対の方向にあり、足を進めるたびに賑やかな喧騒が遠のいていく。


そして、突き当たりの角を左に曲がると、小さな起動音を鳴らしながら並ぶ2つの自動販売機が見えた。



そこで俺はふと足を止める。


自動販売機の前に1人の男性が立っていた。



癖っ毛のある髪にメタルフレームの眼鏡。


グレーのジャケットに黒のパンツ。



男性は俺に気がつくと「やぁ」と右手を上げて声をかけて来た。



「あっ……えっと、講演、お疲れ様でした。その……とてもいいお話を聞かせていただき、ありがとうございます」




その男性——


真柳誠教授は、眼鏡の奥の目を弧のように細めると「こちらこそ、ありがとう」と、言って微笑んだ。


俺が自動販売機でペットボトルのお茶を購入すると、真柳教授は『こっちへおいで』と言うかのように、自動販売機前のベンチに座りながら手招きした。


俺は誘われるがままに、真柳教授の隣に腰掛ける。



教授が左手に持った缶コーヒーを傾けると、袖口から銀色に光る高価そうな腕時計がチラリと顔を出した。


そして缶から口を離し、フゥっと一息つくと柔らかい口調で話し始めた。



「いや〜、今日の講演内容は若者に向けたものだったんだけど、僕の講演を聞きに来てくれた若者はキミだけだったみたいだね。それに、みんな難しい顔して僕の話を聞くもんだから参っちゃったよ」


教授はそう言って「あははっ」と自虐的に笑ってみせる。


そして、ゆっくりと俺の方に目を向けると、俺に向かって素朴な疑問を投げかけてきた。



「ところで、どうしてキミは僕の講演会に参加してくれたんだい?」



俺は両手で包むようにして持ったペットボトルを見つめながら、その問いかけに答える。



「……俺、『才能』を探しているんです」


「……ほぅ」


「人は、必ず何かしらの才能を持って生まれてきて、それは俺も例外じゃないはず。必ず何かの『才能』が自分の中には眠っている……そう信じているんです。……でも、それがどんな才能なのかわからなくて、今までとりあえず手の届く範囲から片っ端に色々と挑戦してきました」



どんどんと強く、大きくなっていく俺の声を、言葉を、真柳教授は静かに頷きながら聞いている。



「でも……やっぱり『才能』と呼べるものは見つからなくて、不安や焦りばかりが大きくなっていきました。そんな時、あなたの講演会の広告を見て、この講演会に参加しようと思ったんです。講演会に参加すれば、何か大きなものが得られる気がして……」



一通り話し終えてから、教授が口を開く。



「それで、キミは何か大きなものを得ることができた?」


そう言って優しい微笑みを向ける教授に対し、言葉を返す。



「……俺には、心から『好き』と思えることがないんです。いつも、何をやるにしても中途半端で、何か1つのことに己を賭けて取り組むということをしてきませんでした。ひょっとしたら、『好きなこと』が何もない俺には『見つけるべき才能』もないんじゃないか……そんなことを考えてしまいました」



俺は言葉を続ける。



「……でも、教授がおっしゃったように、これから……いえ、今日から自分が心から『好き』と思えるようなことを探していこうと、そう思いました。こんなことを人に聞くのはおかしいことですが……俺は、何か自分が夢中になれるものに出会えるでしょうか……」



俺の話を聞いた教授はしばらく沈黙を続け、それから盛大に吹き出した。



「あっはっはっはっはっはっは!」


突然声を出して笑う教授を見て、やっぱりおかしなことを言ってしまったと自分の行為を後悔し、あまりの恥ずかしさに消えてしまいたいと思った。



「あっ、あのっ……!す、すみません!変なこと聞いて……」



自分の言葉を無かったものにしようと手を左右に振りながらそう言うと、教授は笑いすぎて目に浮かんだ涙を綺麗な指で拭い、息を整えてから口を開いた。



「キミの言っていることはとても難しいことだよ」


「えっ?」



教授は手に持った缶コーヒーを一気に飲み干し、自動販売機の横にあるゴミ箱に空の缶を投げ入れると、両手の指を交互に組む。


そして、ゆっくりと柔らかく、優しい声でこう話した。



「『好きなこと』を見つけられるか、という話だけど、それは見つけられない方が難しいことだよ。『好きなこと』を見つけるのはとても簡単だ。むしろ、難しいのはその後」



「その後……?」



「どんどんと大人になるにつれて、自分の時間というものが取れなくなってくる。仕事だったり、家事だったり、子育てだったり……。僕が講演中に『1万時間の法則』について話していたのを覚えているかな?」


「えぇ……」


「その『1万時間の法則』は、例えば1日に9時間何かに取り組むと仮定すると、1万時間経過するまでに約3年かかるんだ。たった3年でプロレベルになれるなんて簡単だ!と思ったかい?……でも、これは机上の空論なんだよ。理論上は1日9時間を3年続ければ1万時間の法則に則ってプロの領域に達することができる。でも、人生そんな順調に進まないよね。集中力だって続かないし、何より飽きが来る」



真柳教授はそう言って言葉を続ける。



「自分が仕事にしていることなら就業時間の8時間+残業1時間で9時間。土日は休むとしても、4〜5年で1万時間に到達するね。でも、それとは別に何か違うことに取り組んでプロレベルになりたいとなると、どうひねり出しても時間が足りない。時間が足りなければ、1万時間に到達するのも遅くなる。……そして、人は次第に諦めて行くんだ」



俺は少し悲しそうな顔をして話す真柳教授の横顔を見つめながら、言葉に耳を傾ける。



「でも、それが自分の『好きなこと』なら。どんなに時間がかかっても、どんなに道が険しくても、人は不思議とそれを続けることができる。……僕が『才能』を見つけるなら、まず『好きなこと』を探せと言ったのは、つまりはそういうことなんだよ。キミたち学生は、まだまだ『好きなこと』に時間を使える。まだそれが見つかっていなくても、限りある学生生活の中できっと、自分の『好きなこと』に巡り会える」


真柳教授は眼鏡の奥に光る温かな瞳を俺に向けて言った。



真柳教授の言葉の意味を理解した俺は、これまで心に沈んでいた錨がゆっくりと引き上げられていくような、そんな感覚に陥った。


胸のあたりが熱くなり、心臓が激しく脈打つ。



俺は急に体が軽くなったかのようにベンチから勢い良く腰をあげると、ベンチに座る教授の方を向き、口を開く。



「真柳教授……ありがとうございました」



もっと言わなければいけないことがある。


もっと熱い想いが、伝えたい想いがある。


けれど、そんなことが考えられないほど、俺は教授の言葉に心を打たれた。



教授は変わらず柔和な笑みを浮かべて「どういたしまして」と、それだけを口にした。



真柳教授に深く一礼し、エントランスに向かって歩き出そうとしたところで、再び呼び止められた。



「あっ、そういえば」


「なんですか?」



「キミ、名前は?」



俺は教授の正面を向いて答える。



「悠……羽島悠です」



「羽島悠君か……覚えておくよ。それと……」



「……?」



「羽島君さえよければ、今度うちの大学の授業に見学に来ないかい?」



「け、見学ですか!?」



あまりに突然の提案に、俺は素っ頓狂な声をあげる。



「今は夏休みだろ?僕のゼミは夏休み中も授業を開催しているんだ。だから、少しゆっくり考えてみてよ」


そう言って真柳教授はジャケットの胸ポケットから名刺を取り出し、俺に手渡した。



「羽島君、キミはきっと己を賭けられる『何か』を見つけることができるよ。僕が保証する」


そう言って白い歯を見せて笑う真柳教授は、まるであどけない少年のようだった。





俺は嬉しかった——



存在が認められたからか、可能性を期待されたからか……



具体的な理由はわからなかったが、とにかくそう言って貰えたことがとてつもなく嬉しく思えた。



俺は目頭が熱くなるのを感じ、とっさに俯く。


手が、足が、顔が、胸が、どんどんと熱を帯びていき、眼に映る世界がぼんやりと歪む。


俺はそんなみっともない顔を見られたくないという一心で無理やり笑顔を作って顔上げると、震える声をなんとか抑えながら精一杯の感謝の言葉を送った。



「はいっ……!ありがとう……ございます……!」




教授の顔は歪んでよく見えなかったが、口元に薄っすらと笑みが浮かんでいるのだけはしっかりと見て取れた——





























読んでいただきありがとうございます。

評価・感想・レビューお待ちしております。


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