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白の無才  作者: kuroro
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第44話「夏休みについて(10)」

昼間に燦々と降り注いでいた日の光は、時間が経つにつれて少し落ち着きを取り戻したが、アスファルトに溜まった熱が空へ向かって放出されているため、相変わらず蒸し暑さを感じる。


背中から汗がじわじわと滲み出る不快感と体にのしかかるように襲ってくる夏特有の倦怠感に耐えながら、俺は講演会が開かれる市民ホールに向かって歩いていた。



市民ホールは先日榊原たちと行った市民プールの向かい側にあり、普段は主に吹奏楽部や演劇部のコンクール会場として使用されている。




俺は15時に家を出ると、最寄りのバス停から市内巡回バスに乗って市民体育館前で下車した。


車内は冷房が効いていてとても快適だったが、その分外に出た時の不快感も大きく感じた。



熱風が体を包み込み、体力と水分を根こそぎ奪っていく。


目の前に見える市民ホールが何百メートルも離れているような……いや、俺がそこに向かおうとするたびに悪意を持って遠ざかっていくような、そんな感覚に陥った。


しかし、実際に建物が意思を持って動くわけもなく3分ほどで目的の市民ホールに到着した。


俺は外の熱気から逃げるようにエントランスに入ると、腕時計で現在の時刻を確認する。


現在の時刻は15時40分。


「20分前か……」


講演会が開始されるのは16時なのでまだ時間がある。



そうして腕時計で時刻を確認していると、エントランスにベージュのスーツを着こなした60代ほどの男性が難しい顔をして入ってきた。


男性は俺を一瞥すると、迷いのない足取りで大ホールの方へ向かっていく。


俺は男性の姿が見えなくなってから、後をついて歩くようにして大ホールへ向かった。



大ホールの前に着き、堅固で重たい扉を開けて中に入ると、会場内には予想していたよりも多くの人が席に着いて講演が始まるのを待機していた。


こんなにも大勢の人がいるというのに、聞こえるのは紙をめくる音と咳払いだけ。


俺は目立たないように足音を消してステージ付近の席に腰を下ろす。



トートバッグを足元に置き、首だけを動かして辺りを見回してみると、どうやらこの会場にいるのは俺よりも2倍以上歳の離れた人ばかりのようだ。


これだけの人がいながら、話し声が一切聞こえないのも納得がいった。



さらによく見てみると、皆スーツやジャケットなど正装らしい服を纏っていて、半袖Tシャツにジーパンというラフすぎる格好の俺は明らかに周りから浮いている。


今までこういった講演会に参加したことがなかったため、勝手が分からず恥をかいてしまった。



しかし、外では熱風が吹き荒れ、アスファルトからは溜まった熱が放出されている。


TPOを考えると、俺の服装は比較的正しいのではないか?



そんなことを考えていると、ステージ上に半袖のワイシャツ姿の男性が現れた。


広告用紙に写っていた顔ではないため、おそらく司会進行を担当する者だろう。



司会の男性がマイクに電源を入れると、スピーカーから大ホール内に低い鳴音が鳴り響く。


しばらくの間、鳴音が鳴り止むのを待ってから司会が口を開き、話し始めた。



「それではこれから凪波大学心理学部教授、真柳誠氏による講演会を開始いたします」


司会の挨拶でホール内のあちこちから拍手が沸き起こる。



それと同時にステージ右手袖からグレーのジャケットをその身に纏った真柳教授が姿を現した。


そしてステージ中央に用意された簡易テーブルとパイプ椅子の前で立ち止まると、司会と観客に向かって一礼し、椅子に腰を下ろす。



拍手が鳴り止むと、真柳教授の後方のスクリーンに広告にも載っていた真柳教授の経歴が映し出された。



「それではまず、真柳誠氏の経歴について説明させていただきます」


そう言って司会の男性がスクリーンに映し出された経歴を事細かに説明していき、それが終わってからようやく真柳氏がマイクを手に取った。



「えー、皆さんはじめまして。改めまして自己紹介を。私は現在、凪波大学心理学部で教授を務めさせていただいております、真柳誠と申します。この度は私の講演会に足を運んでいただき、ありがとうございます」



にこやかな表情で話す真柳教授の声には、あらゆるものをそっと包み込むような優しさがこもっていた。



「早速ですが、本日の講演の内容に移りたいと思います。……皆さんはこれまでの人生で一度でも『才能』について考えたことがあるでしょうか?自分にはどんな『才能』があるのか。どうすれば『才能』を開花させられるのか。そもそも『才能』とは一体なんなのか……今回はそんなことについて話していきたいと思います」



それから真柳教授はスクリーンに映し出される資料と共に、『才能』について持論を交えながら高校生の俺にもわかるように説明を続けた。


周りでは教授の話す内容を聞いて、熱心にメモを取っている人の姿が多く見受けられた。


俺も貴重な機会を無駄にしないよう、全神経を耳に集中させて真柳教授の言葉を頭に刻みつけた。




それからあっという間に時間が過ぎ、真柳教授の講演が始まってからそろそろ2時間が経過しようとした時、話は俺が最も気になっていた『才能とは何か』という議題に入った。



「さて、これまで『才能』について話してきましたが、そもそもの話『才能』とは一体何なのでしょう。個性?遺伝?それとも神から与えられた特別な力?皆さんはどう思われますか?」


教授はそう言って観客席をぐるっと見回し、ステージの近くに座っていた俺に視線を合わせると、「キミはどう思う?」と質問を投げかけてきた。


まさか自分がかけられるとは思っていなかったため、俺は完全に動揺してしまい目を回しながらその場に立つと、俺の元に司会の男性がマイクを持ってやってきた。



俺は司会の男性からマイクを受け取ると緊張で唇を震わせながら、こちらを見つめる教授の質問に言葉を返す。




「……えっと、そうですね……生まれ持った能力……でしょうか……」


真柳教授は相変わらず柔和な笑みを浮かべて俺の答えを聞くと、うんうんと頷き、再び口を開く。



「ありがとう。……生まれ持った能力……そうだね。確かに『才能』と言われればそう考えるのが自然だよね。でも、それは『才能』の中でも珍しい部類に入るものだ。人はそれを『天性の才能』なんて呼ぶ。僕が言う『才能』っていうのは、そう言った『天性の才能』のことではなく、『誰もが持っていて、見つけるべき才能』のことです。それじゃあ、『見つけるべき才能』とは一体何なのか。……それは、『好きなこと』です」



『好きなこと』……?



「皆さんは『1万時間の法則』というのをご存知でしょうか?」



真柳教授は俺からホールにいる観客全員に視線を戻して尋ねる。



「『1万時間の法則』とは、どんな分野のことでも1万時間努力すれば、プロレベルになれるといった考えのことです。これが『才能』と何の関係があるのか。先ほど私は、『見つけるべき才能』は『好きなこと』だと言いました。……そうです。あなたの『才能』は、あなたの『好きなこと』の中に眠っているのです。そのためには、闇雲に手を伸ばして『才能』の有無を確かめるのではなく、自分の『好きなこと』にとことん向き合うことが大切なのです」



そう話す真柳教授の言葉に、俺は矜持を感じた。




俺は今まで『才能は自分がまだ挑戦していないところに眠っているに違いない』と信じ、手の届くところから片っ端に挑戦しては、『才能』の有無を確かめていた。


そのせいで、俺は何か1つのことに真剣に向き合うということを今までしてこなかった。


そして、自分の本当に好きなものすら見つけられないまま、俺は高校生になった。



教授は「『才能』は『好きなこと』の中にある」と言った。


しかし、俺にはその『好きなこと』が無い。


それはつまり、見つけるべき『才能』が俺には無いということだ。



教授が確固たる自信を持って話す言葉が、俺の心に強く響いたと同時に暗く深い絶望を与えた。



目は焦点の合わせ方を忘れてしまったかのように虚空を彷徨う。


そして俺の見ている世界は支柱が崩れたかのようにグラグラと揺れ出し、俺は思わず俯いた。



すると、真柳教授が続けて言葉を繋げた。



「しかし、今の若い世代はその『好きなこと』が何なのかわからないといった人が多いようです。私が担当する授業でも、そう言った悩みを持つ生徒が多くいます。……しかし、何も心配する必要はありません」


真柳教授はまるで俺の頭を優しく撫でるかのように、慈愛に満ち溢れた声でそう言った。



「これから……いいえ、今日から見つけていけばいいんです。いつもなんとなく過ごしている日常の中に、きっとあなたが心から好きだと思えるものがあるはずです。まずはそれを意識して生活してみてください」



そう言うと同時に、時計の針は予定されていた講演時間の18時を指し示した。


真柳教授はマイクを簡易テーブルの上に置き、司会の男性が講演会を締めに入る。



「それではこれで真柳誠氏による講演会を終わります。皆さん、盛大な拍手でお送りください」


司会に煽られ、観客席からはステージ右手袖に退場する真柳教授に対し、文字通り盛大な拍手が送られた。




こうして、真柳誠教授の2時間に渡る講演会は幕を閉じたーー

































読んでいただきありがとうございます。


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