第4話「ほたる市について」
ピピッ ピピッ ピピピッ ピピピピピピッ
けたたましいスマホのアラーム音で目が覚めた。
今日は土曜。
それなのにどうしてアラーム音が鳴ったのか。
俺は寝ぼけた頭で考える。
「あぁ、そうか……」
俺は昨夜の出来事を思い出した。
『もしもし?さっきぶりね。羽島君。明日、羽島君に街を案内してもらいたいのだけれど、可能かしら?』
「は!?」
『実はこちらに引っ越して来てから、あまりゆっくりする時間がなくて、街を歩いて見る機会がなかったのよ。それで、出来れば羽島君にこの街を案内してもらおうと思って。……ダメ……だったかしら?』
「い、いや……別にダメではないが……」
『それは良かった!それじゃあ、明日9時に例の本屋さんで待ち合わせしましょう。明日はよろしくね、羽島君。おやすみなさい』
そうだった。
昨夜、突然榊原から電話がかかって来たと思ったらそんなことをお願いされたのだった。
時刻は8時。
いつもの土曜日ならまだ寝ている時間だが、待ち合わせの9時に間に合うように昨夜、アラームをセットしておいたのだ。
俺はアラームを解除すると服を着替え、水を1杯飲み家を出た。
本当なら昼までゆっくり寝ていたかったのだが仕方がない。
どうやら俺は人の頼みを断るのが苦手らしい。
そんなことを考えながら、昨日榊原と別れた場所まで来た。
天気は快晴。
まだ午前中ということもあって、そこまで気温は高くない。
普段はこんな時間に外出することは滅多にないため気がつかなかったが、休日というだけあっていつもより車通りが少ない。
そうこうしているうちに待ち合わせ場所に指定された書店についた。
この街では1番大きな書店で、あらゆるジャンルの本が並んでいる。
俺は店内を見渡し、榊原の姿を探した。
すると、『店員のオススメ!』と書かれたコーナーに榊原らしき少女を発見した。
榊原は並べられた本を手に取り、細い指でパラパラとページを捲っている。
俺は後ろから近づくと、榊原の肩を軽く叩いた。
「待ったか?一応待ち合わせの時間には間に合ったと思うんだが……」
そう言うと、榊原は読んでいた本を元の位置に戻し、こちらを振り返った。
正面を向いた榊原の姿を見て、俺は目を奪われた。
昨日は制服姿だったが、今日は美しいレースをあしらった白い無地のワンピース姿だった。
後ろから見たときは長い髪で気づかなかったが、こうしてよく見てみると、まるであの有名なモネの絵画から出てきたかのように思える。
榊原に見惚れるのはこれで一体何度目だろうか。
まだ出逢って2日しか経っていないというのに……
そんなことを思っていると榊原の口が開いた。
「おはよう羽島君。私もさっき来たところよ。それと昨日は『明日はゆっくり寝ていられるわね。』なんて言っておきながら、ごめんなさいね」
榊原は少し申し訳なさそうにそう言った。
「いや、気にするな。ゆっくり寝るのは明日でもできるさ」
俺は、私服姿の榊原を見ることが出来ただけでも早起きして得だったな、などと思いながら笑みを浮かべてみせた。
「それじゃあ、行きましょうか」
「そうだな」
そう言って俺たちは書店を出た。
「それで、羽島君は今日どこを案内してくれるのかしら?」
榊原から、そんな当たり前の質問を投げかけられた俺は一瞬フリーズした。
しまった……どこを案内するか全く決めていなかった。
昨夜は早起きすることだけを考えていたから、案内する場所を考えるのを忘れてしまっていたのだ。
焦った俺は、とりあえず俺がよく行く場所を案内しようと考えた。
「……えっと、そうだな……とりあえず俺がよく行く所を中心に案内するよ」
榊原はフフッと笑うと、
「それは楽しみね」
と微笑んだ。
よく行くところを案内するとは言ったが、具体的にどこを案内すればいいのか。
俺は少し考えてから、とりあえずこの街の観光スポットを中心に案内することに決めた。
「それじゃあ、行くか」
俺たちは書店のある通りをまっすぐに歩き始めた。
俺たちが暮らすこの街、「ほたる市」は人口約4万人の小さな街だ。
盆地のため、夏は暑く、冬は寒い。
それでもこの街に暮らす人はみんな明るく活気に満ち溢れている。
主に農業が盛んで、道の駅では地元で採れた新鮮な野菜や果物が良心価格で販売されている。
街の名前にもあるように、ほたる市では毎年夏が近づくと、たくさんの蛍が夜の街を飛び交うのだ。
たくさんの蛍が飛び交う様子は、とても幻想的で見る者の心を奪っていく。
その時期になったら、是非榊原にも見せてやりたい。
そう思っていると榊原が突然俺の顔を覗き込んできた。
「初めてこの街に来た時も思ったけれど、いい街よね」
榊原はその見た目に反し、あどけない少女のように目を輝かせた。
「まぁ、そうだな。俺は生まれてからずっとこの街で暮らしてきたが、確かに暮らしやすいところだよ。親切な人が多いし、食べ物もうまい」
「私……少し不安だったけれど、この街に引っ越してきてよかったわ」
榊原はまばゆいほどの笑顔を見せてそう言った。
それから榊原にほたる市の事を色々と話しているうちに、俺たちは目的の場所へと到着した。
「着いたぞ」
俺は大きなドーム状の建物の前で立ち止まった。
「羽島君、ここは?」
ドーム状の建物を見ながら、榊原は俺に疑問を投げかけた。
「ここは『ほたるふるさと公園』。このでかい建物はその公園の一部だ。この公園は、ほたる市で1番大きな観光スポットでもある。たくさんのイベントがここでよく開かれるんだ。そしてこの建物の中には、フードコートなどが設備されていて、特にここで売ってるソフトクリームは絶品だ」
俺は榊原に簡単な施設情報を教えた。
「羽島君。私、その絶品ソフトクリームというのを食べてみたいのだけれど……」
榊原は輝かしい表情をして言った。
「あぁ、いいぞ。でも、その前に見せたいものがあるんだ」
俺は榊原にそう言うと建物に沿って回り、建物の裏側へと移動した。
榊原はきょとんとした表情で俺の後ろをついてくる。
俺は建物の裏側に着くと、目の前に広がる光景を後ろの榊原に見せた。
「わぁ……とっても綺麗……」
榊原は目の前に広がる光景を見て、感嘆のため息を洩らした。
「この時期になるとちょうど満開になって見頃になるんだ」
俺は目の前に咲き乱れる色鮮やかな満開のツツジを見て言った。
ほたる市では、毎年ツツジが咲く季節になると各所でツツジ祭りが開かれる。
このほたるふるさと公園でも毎年のように、色鮮やかな満開のツツジを見ることができる。
「私、こんなにたくさんのツツジが咲いているところ初めて見たわ」
満開のツツジを眺める榊原は、まるで初めて宝石を見る子供のような顔をしていた。
真っ赤なツツジの花はそれはそれは美しいもので、見る者の心を激しく揺さぶる。
俺も例外ではなかった。
けれどそれを見る榊原の表情は、満開のツツジの花以上に俺の心を静かに、強く、揺れ動かしたのだった——。




