第29話「陸上大会について(4)」
「よっ、榎本」
その人物ーー、山吹創は綺麗に整った顔に屈託のない笑顔を浮かべながら秀一の前に立っていた。
「山吹……」
秀一が今日初めて見せる真剣な表情。
その目には自分の憧れであり、ライバルであり、超えるべき目標の姿が映っている。
それに対し山吹は、目の前に競い合う相手がいるというのを全く感じさせない穏やかな表情をしている。
山吹はその顔に笑みを浮かべながら口を開く。
「ん?よく見たら朝霧と羽島もいるじゃん。なんだ、お前ら同じ高校に進学してたのか……ってか、後ろのその子は誰?」
そう言って俺の後ろにいる榊原に視線を合わせる。
山吹と目があった榊原は、少しオドオドした様子で答える。
「あっ、わ、私は羽島君たちと同じ蛍山高校のクラスメイトで、今日は榎本君と莉緒さんの応援に来たんです」
そう言った榊原の表情は少し強張っているような気がした。
榊原がうちのクラスに初めて来た時、初対面の相手にも笑顔で接していた。
それが結構無理をしてやっていたというのは後で知ったことだが、それでも榊原が初対面の相手に対し、ここまで緊張するのはなんだか少し気になる。
おそらく榊原は直感的に山吹が俺たちとは違う種類の人間ーー、『才能に恵まれた人間』であることに気がついたのだろう。
山吹は強張った榊原の顔をじっと見つめ、品定めするように眼を細める。
「へぇ〜、すごく可愛い子だね。榎本の彼女?それとも羽島の?どっちにしても羨ましいな」
「……別に、そういうのじゃねぇよ」
羽のように軽い声で言う山吹に対し、秀一が怒りとも嫌悪とも取れる言葉で返す。
俺も眉間にシワが寄る。
今までも『シェリー』のマスターや妹の由紀に同じようなことを言われたことがあるが、特に嫌悪感を抱くようなことはなかった。
しかし、今の山吹の言葉にはなんだか上手く表現できないような嫌なものを感じた。
自分たちのテリトリーに土足でズカズカと入ってこられるような、そんな気分になった。
山吹は「はははっ、ごめんごめん。ちょっと気になってさ。取って食おうなんて思ってないから安心しろよ」とヘラヘラ笑って言うと、榊原に対しても「ごめんね」と一言謝罪した。
「それで、何か用があったんじゃないのか?」
秀一が山吹に尋ねる。
山吹は一瞬キョトンとした顔をしてから、「あー、そうそう」と口を開く。
「お互い頑張ろうな。……それだけを言いに来たんだ。悪いな、邪魔しちゃって。それじゃあ俺は戻るから。またな、榎本」
山吹はそう言って踵を返すとぷらぷらと手を振りながら自分の陣地へ戻っていった。
山吹が去っていった後、榊原が疑問を口にした。
「ねぇ、羽島君。もしかして、あの方は羽島君たちのお友達?」
「あぁ。山吹は俺たちの中学時代のクラスメイトで、秀一と朝霧とは同じ部活の仲間だったんだ」
「そうだったのね」
俺たちと山吹の関係に納得する榊原に対し、秀一が口を開く。
「ごめんね……榊原さん。嫌な気持ちにさせちゃったかな?でも、あいつも悪気があって言ってるわけじゃないんだ。許してやってくれないかな?」
「榎本君、大丈夫よ。私は気にしていないから」
それを聞いた朝霧は、
「私、昔から山吹ってなんか好きになれないなー。なんで他の女子はあんなのを好きになるんだろーね」
と、ムスッとした表情で答える。
確かに朝霧と山吹は相性が良くない気がする。
朝霧も秀一と同じでかなりの努力家だ。
それに対し、山吹は与えられた才能に頼ってなかなか練習に顔を出さなかった。
もしかしたら俺と朝霧は山吹に対して、似たような感情を抱いているのかもしれない……そう思った。
山吹と少し会話した後、俺たちは蛍山高校陸上部の陣地へ移動し、観客席からトラック上にいる秀一たちの先輩を応援することにした。
「「センパーーイ!頑張ってくださぁーーい!!」」
秀一と朝霧が声援を送ると、トラック上で軽くストレッチをしていた細身で長身の男性がこちらに向けて手を挙げた。
あの人が秀一たちの先輩らしい。
俺はその先輩が2年生なのか、3年生なのかも知らなければ、名前だって知らない。
おそらく今後仲良くなることも、校内で話すこともないだろう。
けれど、秀一や朝霧、陸上部のメンバー全員が本気で心から応援している。
それだけで、俺も精一杯応援しようと思えた。
「頑張ってくださーーい!」
俺の声援は他の陸上部員の声に掻き消され、おそらく先輩の耳には届いていないだろう。
しかし、先輩はその声援1つ1つに手を上げて応える。
「お前たちの声はしっかり聞こえているぞ」とでも言うかのように。
俺が声を出すのを見て、隣の榊原も精一杯の声援を送る。
「頑張ってください!」
大きな声を出すことに慣れていないのか、少し声が上ずっている。
そんなところも合わせて、俺は榊原の精一杯応援する声が好きだと思った。
他の学校の陣地からも、たくさんの声援が弾けるように聞こえてくる。
競技場内は喧騒で包まれた。
しばらくして、競技場内のスピーカーからアナウンスが鳴った。
「 On your marks 」
アナウンスと共に選手がスタートラインに一斉に着く。
競技場内からはそれまでの喧騒が消え、一気に静まり返った。
選手がそれぞれのレーンに入り、スターティング・ブロックに足を掛ける。
そして両手の指先を合わせたり、目を閉じて深く息を吐いたりなど各々《おのおの》のルーティンを行う。
「 Set 」
その合図で選手たちは地面に描かれている白線に合わせて指を置き、腰の位置を高く上げる。
緊張感が観客席まで漂ってくる。
息をするのも、瞬きをするのも躊躇われた。
そしてーー
パンッ!!
その弾けるような音と共に選手が一斉に走り出した。
選手は全員目の前のハードルとゴールラインだけを見つめている。
駆けて、跳んで、また駆ける。
真っ先にゴールラインに自分の体を届けるため、全員が全力で前へ進む。
50メートルを過ぎたあたりで、横一直線だった選手たちが徐々にずれ始める。
中央のレーンを走る2人が他の選手よりも前に出ている。
その1人が秀一たち陸上部員が応援するあの先輩だった。
「いっけぇぇぇぇぇ!!!!」
「頑張ってぇーー!!!」
「あと少し!!!」
部員の声援が後押しとなり、拮抗していた2人に変化が現れ始めた。
秀一たちが応援する先輩がほんの少し、前に出ている。
残りは20メートル。
俺は声を出すのも忘れ、息を飲んで最後の瞬間を見守る。
隣の榊原は両手の指を噛み合わせ、祈るようにして見守っている。
声援がより一層大きく、強くなる。
そしてーー
1人の選手がゴールラインを駆け抜けた。
その瞬間、競技場内に歓声が湧き上がる。
喜び、落胆、安堵、屈辱……
様々な感情の声があちこちから洩れ出す。
そして、蛍山高校陸上部の陣地からも競技場が震えるほどの歓声と雄たけびが上がった。
勝ったのは秀一たちが応援する先輩だった。
先輩は両手を高く上げ、俺たちのいる観客席に向かって満面の笑みを見せる。
隣では秀一が、朝霧が、他の陸上部員が肩を組んだり共に涙したり、まるで自分のことのように心から喜んでいる。
最後の最後で先輩に負け、惜しくも2位となった他校の選手はタオルで目元を隠していた。
その口元は悔しさで歪み、嗚咽を洩らさないよう必死に下唇を噛んで堪えている。
悔しいのは当然だ。
彼らも同じように長い時間をかけ、努力を重ねてきたのだろう。
しかし、あと少しのところで1位に及ばなかった。
どこにもぶつけることのできない怒りが、悔しさが、彼の表情には現れていた。
そうだ。俺が今見ているのは勝負の世界なんだ。
厳しいに決まっている。
どんなに努力し、頑張っても最終的には結果という形で1位と最下位が決まる。
俺はふと、喜びに満ち溢れた秀一の横顔を見る。
あと20分で秀一にも勝負の時が訪れる。
俺は秀一の努力を、気持ちを、そして超えるべき目標である山吹に対する『想い』を知っている。
だからこそ、秀一には絶対に勝ってもらいたい。
『才能』に『努力』で打ち勝つところを見せて欲しい。
俺は秀一の顔を見て強く、強く、そう願ったーー。
読んでいただきありがとうございます。
今回の話どうだったでしょうか?
自分は陸上に詳しくないので、自分なりに色々調べて書かせていただきました。
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