第28話「陸上大会について(3)」
沈黙の中、俺たちは恥じらいを隠しながら目的地である運動競技場へ向かって歩いている。
なんとなく気まずい空気が漂い、お互いに顔を合わせようとせず、口を開くこともしないまま黙々と前へ進む。
こういう場合、俺から話しかけた方が良いのは分かっているのだが、なかなか話題見つからない。
ついさっきまで普通に会話できていたのに……
俺は汚れた靴のつま先に目をやりながら、そんなことを考えていた。
すると、唐突に榊原の口が開いた。
「あっ、ねぇ羽島君。もしかして、あれが運動競技場かしら?」
顔を上げると、榊原は真っ直ぐに前方を見つめている。
榊原の見ている方向には、屋根の付いていない大きなスタジアムのような建物が見えた。
「あ、あぁ、そうだよ。あそこに見えているのは陸上競技場だな。秀一たちはあそこで大会の準備をしているみたいだ」
そう言って俺は腕時計で現在の時刻を確認する。
「今はちょうど9時だから、向こうでは開会式が始まっているところだろうな」
「榎本君と莉緒さんが出る種目は何時頃から始まるのかしら?」
俺はトートバッグの中から、持っていたタイムスケジュール表を取り出し榊原に見せる。
「秀一の出る男子100Mは10時から。朝霧の出る女子100Mは昼休憩を挟んで14時かららしい」
「どちらも間に合いそうね。私、こうやって友達の応援をするのって初めてなの。……だから、少し緊張しているわ」
榊原は自分の胸に手を当てて言う。
「大丈夫だ。秀一も朝霧も、榊原が観戦しているってだけで間違いなく喜ぶ」
「そうかしら……そうだといいのだけれど」
不安そうな顔をしていた榊原は、そう言うといつもの明るい顔に戻って微笑んだ。
実際、榊原が見ているというだけで秀一も朝霧も絶対に喜ぶ。むしろ、テンションが上がりすぎてレースに支障をきたさないかが心配だ。
そんなことを話しているうちに、目的地である運動競技場に到着した。
開会式が終わったのか、運動競技場の周りにはチラホラとジャージ姿の生徒が見受けられる。
紺色のジャージを着ているところを見るに、あれは蛍山高校の生徒だろう。
と、いうことは中に入れば秀一たちも既に準備を終えて、俺たちを待っていることだろう。
俺たちは敷地面積の広い駐車場を抜け、陸上競技場へと向かった。
どうやら今日はテニスの大会もあるらしく、陸上競技場の隣にあるテニスコートからテニスボールを打ち合う快音と多くの声援が聞こえてくる。
テニスコートから聞こえてくる喧騒に耳を傾けながら、俺たちは陸上競技場の中に入った。
中はジャージやユニフォームを着た選手や保護者、大きなカメラを持った報道陣で溢れかえっていた。
「すごいわ。こんなにもたくさんの人が応援に来ているのね!」
雑踏に榊原が目を輝かせる。
「たぶんこの上にはもっと人がいるぞ」
俺は2階の観客席に繋がる階段を指差して言った。
「それじゃあ、早速榎本君たちのところへ向かいましょうか」
「そうだな」
俺たちは人ごみの間を通り抜け、外の観客席に繋がる階段を上る。
コンクリート製の壁に手を付きながら登ると、手がひんやりとしてとても気持ちがいい。
火照った体が冷まされていく。
コンクリートの壁に触れながら階段を上りきり、外の観客席に出ると鮮烈な太陽により冷まされた体に再び熱が溜まっていくのがわかる。
それに加え、先ほど以上の喧騒。
自分のレースが近づいているのか、落ち着きなくソワソワと動き回る選手が何人か見られる。
俺たちはその中から秀一たちの姿を探そうと周囲を回視する。
すると、左側から大声で俺と榊原の名前が呼ばれた。
「ゆーーーーう!榊原さーーーーん!!」
声のする方を向くと紺色のジャージを着た秀一がこちらに手を振っているのが見えたため、俺たちは秀一の元へと向かった。
「よっ!悠、榊原さん!」
秀一は緊張など微塵も感じさせない笑顔を見せる。
「おう。朝霧は?」
「あー、莉緒ならあっちで先輩のストレッチ手伝ってるよ。それにしても、本当に榊原さんが応援に来てくれるなんて嬉しいなぁ〜!俺が1位でゴールするところしっかり見ててね!」
秀一は人懐っこい犬のようににやけきった表情をしながら言うと、榊原に向けてバチッとウインクを決める。
「えぇ。榎本君と莉緒さんが100%の力を出せるように、私頑張って応援するわ」
榊原に微笑みながらそう言われた秀一は、「うわぁぁぁ!テンション上がるぅぅぅ!」と飛び跳ねたり屈伸したりと、全身で喜びを表現した。
「レース前にバテるなよ」
そう忠告すると、「大丈夫だって!むしろ、力がこみ上げてくる!」と秀一の動きは一層激しさを増した。
呆れ顔で秀一を見ていると、再び大声で名前を呼ばれた。
「麗ちゃーーん!羽島ーー!」
声のする方を向くと、こちらに向かって手を振りながら走ってくる朝霧の姿が見える。
朝霧は俺たちの元まで来て息を整えると、勢いよく榊原に抱きついた。
「麗ちゃん!見に来てくれてありがとー!!私が出るのは午後からだけど、頑張るから応援してね!」
観客席にいた人々の視線が朝霧と榊原に向く。
「り、莉緒さん……」
見られていることに気がついた榊原は顔を赤らめる。
それに気づいた秀一が朝霧に声をかけた。
「おい莉緒。榊原さん困ってるじゃねぇか!離してやれよ」
朝霧は「えぇー」と不満そうにしながらも榊原から体を離した。
「ごめんねー、麗ちゃん。麗ちゃんが応援に来てくれたのが嬉しくてつい……」
朝霧は舌をチラリと出して榊原に謝罪する。
「ふふっ、私も莉緒さんの応援に来ることができてとても嬉しいわ。頑張って応援するわね」
そう言って微笑む榊原は、まるで天上から戦いを見守る女神を思わせる。
「あと、羽島も応援来てくれてありがとね!」
「おう。朝霧も頑張れよ」
そう言って激励の言葉を送ると、朝霧は空に輝く太陽のごとき笑顔を俺に向けた。
その時、場内に設置されたスピーカーから競技場内にアナウンスが鳴り響いた。
「 まもなく男子110Mハードルを開始します。選手の方は準備を始めてください 」
アナウンスが終わると、観客席に座っていた選手たちはジャージを脱ぎ捨て、ゼッケンをつけたユニフォーム姿でトラック上のスタートラインへ移動し始める。
「俺たちも向こうに行って応援しようぜ」
秀一が蛍山高校の陸上部員が集まっている奥のエリアを指差す。
「そうだねー。私たちの先輩も出るし」
秀一の提案に朝霧が賛同した。
俺と榊原は陸上部員である2人の後ろについて歩く。
蛍山高生の集まっているところに目をやると、『 翔けろ 誰よりも疾く 』と達筆で書かれた横断幕が飾ってある。
他の学校もそれぞれ横断幕を飾っているが、うちの高校のものが一番力強く書かれた言葉だと思った。
そんなことを思いながら秀一たちの後ろを歩いていると、突然秀一が足を止めた。
一体どうしたんだ?
そう思い秀一の方に目をやると、秀一は目の前に立つ人物に対し真剣な眼差しを向けていた。
「よっ、榎本」
その人物ーー、山吹創は綺麗に整った顔に笑みを浮かべながら秀一の前に立っていたーー。
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