第2話「榊原麗について」
互いに挨拶を交わしたのを確認した佐倉先生は、ふと思いついたように口を開いた。
「そうだ!羽島。よかったら彼女に校内を案内してくれない?」
「えっ、今からですか……?」
佐倉先生からの突然の提案に少し戸惑いながら、俺は聞き返す。
「私、今からテニス部の様子見に行かないといけないから、お願い!……それとも何か予定あった?」
担任の佐倉先生は女子テニス部の顧問を担当している。
ほとんどの運動部は大会に向けて日々遅くまで練習していて、テニス部も例外ではない。
先生も顧問として練習を見ておきたいのだろう。
俺は少し考えてから、その提案に答えた。
「いえ、特に予定はないので大丈夫です」
それを聞いた佐倉先生は、にこりと笑うと
「ありがとう!助かるわ〜!とりあえず、授業で使いそうなところだけでも教えてあげて。終わったらそのまま帰ってもらって構わないから!」
そう言って急ぎ足でテニスコートの方へと向かっていった。
そうして2人きりになった俺たちの間には、なんだか気まずい空気が流れ出した。
この微妙な雰囲気に耐えきれなくなった俺は、榊原に対し口を開いた。
「……それじゃあ、行くか」
榊原は首を小さく縦に振り、俺の後ろをゆっくりと歩き出した。
俺は佐倉先生に言われた通り、授業で使いそうな教室を中心に校内を案内した。
理科室、音楽室、体育館、図書室、そして俺たちの教室……
大体の教室を案内し終わったところで、俺は榊原に1つ気になっていることを尋ねてみた。
「なぁ、なんでこんな時期にうちの学校に転入してきたんだ?」
すると榊原は小さな口をゆっくり開いて答えた。
「……家庭の事情よ」
榊原は窓の外を眺めながらそう呟くと、再びその小さな口を閉ざした。
直感的にこれ以上ズカズカと質問するのは、あまり良く無い気がした。
「そうか……なんというか、大変だな」
俺は気の利いた返答ができず、そんな曖昧な返しをした。
その後、お互い口を開くことなく沈黙が続いた。
「……それじゃあ、校内の案内も終わったし帰るか」
しばらく沈黙が続いた後、一刻も早く家に帰りたかった俺はそう言って昇降口に向かって歩きだそうと、足を1歩前へ出した。
その時だった。
ずっと窓の外を眺めていた榊原がこちらを振り向いて、再び口を開いた。
「——待って」
急に呼び止められた俺は少し驚いて榊原の方を向き、思わず息を飲んだ。
先ほど初めて榊原を見た時もたいそうな美人だと思ったが、窓から差し込む橙色の夕日と合わさってさらに美しさが増しているように見えた。
同じ人間だとは思えないほど……
それこそ本当に別の世界からきた、人間よりもっと上位の存在なのではないかと、本気でそう思った。
榊原はその黒く大きな瞳で俺を見つめる。
その瞳で見つめられた俺は金縛りにあったかのように身動きが取れなくなり、まるで榊原の黒く大きな瞳に吸い込まれるような感覚に陥った。
「な、なんだ……?」
榊原の目を見つめながら、俺は問いかける。
そんな俺の問いかけに対し、榊原は真剣な顔をして口を開く。
「羽島君……で、あってたかしら?」
「あ、あぁ」
「……あなた、自分の人生について真剣に考えたことはあるかしら?」
「……………は?」
予想もしていなかったことを尋ねられた俺は、自分でも思うくらい間抜けな声を出した。
自分の人生……?
何を言ってるんだこいつは?
哲学者でも目指しているのか?
そんなことを思いながら、俺は榊原の質問に答える。
「いや、そこまで真剣には……どうしてそんなことを?」
すると榊原は、きょとんとした顔でこう続けた。
「あら。そうなの?てっきり、あなたは私と同じなのかと思ったわ」
「どういうことだ?」
榊原の言っている言葉の意味がわからず、俺は首を傾げる。
「あなた、自分の人生に満足していないように見えたから。勘違いならごめんなさい」
そう言うと榊原は軽く頭を下げた。
俺は、今の榊原の言葉を聞いて心臓がバクバクと激しく脈を打っているのを感じ取った。
確かに俺は自分の人生に満足していない。
俺には自分の人生を彩る『才能』が無いのだから。
しかし、榊原は「私と同じ」と言った。
俺には榊原が、自分の人生を不満を抱いているとは到底思えなかった。
「……どうして、俺が自分の人生に満足してないと思ったんだ?」
俺は声が震えるのを抑えながら、榊原に聞き返した。
「特に理由はないのだけれど、そうね……私とどこか似ている気がしたのよ」
榊原は先ほどとは違うどこか悲しげな目をして続ける。
「……私、才能が欲しいの。ナンバーワンじゃなくて、オンリーワン……世界で私だけの才能……」
それを聞いて俺は素直に驚いた。
榊原と出会ってまだ1時間も経っていないというのに、こいつは俺が『才能』を渇望していることに気がついたのだ。
俺が才能に執着しているなんてことは、俺以外の誰も知らない。
誰かに相談したところでバカにされて終わるだけだと俺は知っている。
だから、今まで家族や数少ない友人にも言ったことはなかった。
それなのに榊原は気づいた。
俺が『才能』を渇望しているということに。
俺は驚きを通り越し、恐怖すら覚えた。
しかし、それでもやはりおかしいと感じた。
榊原は俺が見てきた誰よりも美しく、それだけでも十分な才能だと思ったからだ。
俺は榊原に尋ねた。
「お前はそこら中にいる女子とは段違いに美人じゃないか!それはもう十分な才能なんじゃないのか?」
そう言った後で、自分がかなり恥ずかしいことを口走ったことに気がつき、顔が熱くなった。
榊原はそんな俺を見てクスクスと静かに笑うと、こちらを向いて言った。
「ありがとう。そんなこと言ってもらえるなんて光栄だわ。……でもね、それじゃダメなの」
再び俺は榊原に対し、聞き返す。
「何がダメなんだ?」
すると榊原はゆっくりと口を開き、小さく呟いた。
「私より綺麗な人なんて、世界中には沢山いるわ。私は、世界中で私にしかない才能が欲しいの。……強欲だと思う?でもね、そうじゃないと私は自分の人生を満足いくものにできないのよ」
俺はそれを聞いて、こいつは俺以上に『才能』を欲しているんだなと感じた。
こいつになら……榊原になら、話してみてもいいかもしれない。
「……俺もだよ」
「えっ?」
「……俺も才能を欲している。俺にも必ず何か才能があるはずなんだ。でもそれが何なのかわからないまま、今もこうしてつまらない高校生活を送っている」
そう言うと、榊原は少し微笑んだような表情をして言った。
「やっぱり……だと思った。私たち、似た者同士ね」
俺もつられて表情が緩む。
「こんなことを他の奴に言ってもどうせバカにされるだけだと、そう思ってた。……でも、榊原に言えてよかった」
それを聞いた榊原は何か閃いたように口を開いた。
「ねぇ、羽島君。私たち、友達になりましょう。そして、お互いの才能を見つけ合いましょう。1人では気づかない才能もあるかもしれないし。……どうかしら?」
考える時間は必要なかった。
もともと友人は多い方ではなかったし、ましてや共通の悩みを持っている友人など今までに存在したことがなかった。
俺は一呼吸おいたのち、榊原に向かって口を開いた。
「あぁ、いい提案だ。榊原、これからよろしく」
「えぇ。こちらこそよろしく、羽島君」
榊原はホッとしたような顔をして、こちらに右手を差し出した。
俺はその手を取り、榊原の右手を軽く握る。
白くて柔らかいその小さな掌からは、榊原麗という1人の少女が持つ体温をしっかりと感じ取ることができた。
こうして俺と榊原は互いの『才能』を見つけ合うという目的のもと、奇妙な友人関係を築くことになったのだった——。




