第10話「学校生活について」
………ちゃん…… ……に…ちゃん………
……誰かが呼んでいる気がする。
あぁ……夢か……。……もう少し寝ていよう……
……おに……ん…! ……ちゃん………!
……頼むから静かにしてくれよ。
「ねぇ……!お兄ちゃんってば!!」
妹の由紀の声が聞こえる。これも夢なのだろうか……
「……はぁ、仕方ないなぁ。それじゃあ……えいっ!!!」
「うっ!……な、なんだ!?」
羽島悠は突然何かに押しつぶされたようなとてつもない圧迫感で目を覚ました。
まるでプレス機に圧し潰された金属になった気分だ。
「やっと起きた!早くしないと遅刻するよー!」
俺は鉛のように重たい瞼を何とかこじ開け、一体何が起こったのか確認する。
すると、妹の由紀が横になっている俺の上にのしかかっているのが見えた。
圧迫感の正体はこいつか。
「お、重い……。早くそこをどいてくれ……」
俺が目を覚ましたのを確認すると、由紀はスッと立ち上がり俺の部屋のカーテンを勢いよく開けた。
圧迫感から解放された俺はもぞもぞとベットから身体を起こす。
一体朝から何なんだ。アラームもまだ鳴っていないし、もう少し寝ていたかったのだが……。
そんなことを考えながら、枕元に置いてあるスマホで現在の時刻を確認する。
「………えっ」
スマホに表示された時刻を見て、俺は目を疑った。
「8時……!?」
おかしい!昨日しっかり7時15分にアラームが鳴るように設定したはず。なのにどうして……!!
「私、もう学校行くねー!お兄ちゃんも早くしないと学校遅れるよー」
由紀は、焦りであたふたと慌てふためいている俺を見てそういうと、勢いよく階段を駆け下り、「行ってきまーす!」と、今日も元気に学校へと駆けて行った。
アラームが鳴らなかった原因はわからない。
もしかしたら、寝ている最中に間違えてアラームを止めてしまったのかも……
しかし、今はそんなこと考えている場合じゃない!
俺はいつもの3倍のスピードで身支度を済ませ、家を出た。
流石に朝食を悠長に食べている暇はなかったため、せめて飲み物だけでも……と思い、水を1杯だけ口に含んだ。
家から学校までは徒歩で約25分。
始業のチャイムが鳴るのが8時30分だから、歩いていては到底間に合わない。
俺は学校まで走った。
今の俺なら駅伝の選手にも引けを取らないんじゃないか、というくらい全力で走った。
まさか月曜日の朝からこんなにハードな運動をすることになるとは……
このままいけば、時間的には何とか始業のチャイムに間に合う。
しかし、今日の俺は運がなかった。
家から学校まで、幾つかの信号付き横断歩道を渡る必要がある。
俺はその全てで足止めをくらってしまった。
俺が急ごうとすればするほど、学校が遠ざかっているような気がする。
もし、信号の神がいたのなら、なぜこんな酷い仕打ちをするのか是非聞いてみたい。
横断歩道の信号が赤に変わるたびにそう思った。
そうして俺はようやく全ての横断歩道を渡りきり、ラストスパートを駆けた。
校門を視認すると、俺は最後の力を振り絞って足を動かす。
そして、見えないゴールテープを体で切ると、俺は腕時計を確認した。
時刻は8時25分。
なんとか間に合ったようだ。
俺は急いで昇降口に向かい、靴を履き替えると小走りで教室へ向かった。
「はぁ……はぁ……、間に……合った……」
俺は教室のドアを開け、体全体で呼吸をし、息を整えると自分の席に着く。
「よぉ!悠。時間ギリギリの登校とは珍しいな!」
「あぁ、おはよう、秀一。……ちょっといろいろあってな」
席に着くなり、俺は前の席の榎本秀一に声をかけられた。
髪は短髪で、まだ5月だというのに肌は少し黒く焼けている。
細身ではあるが、しっかりとした筋肉が付いていて、結構がっしりしている。身長は俺とほぼ同じ170cmくらい。
部活は陸上部に所属していて、性格はとても明るく、大抵いつもくだらないことを言っている、まるで真夏の太陽のみたいなやつだ。
俺と秀一は同じ第一中学校の出身で、中学では3年間ずっと同じクラスだった。
まさか高校でも同じクラスになるとは思っていなかったが、コミュニケーション能力の高いこいつのおかげで俺はある程度クラスに馴染めている。
「そういえば聞いたか?今日うちのクラスに転校生が来るらしいぜ。でも、こんな時期に転校っておかしいよな。何かあったのかもしれないな!」
秀一は期待に満ちた表情をすると、囁くように言った。
「そうみたいだな」
俺は適当に相槌を打つ。
「男子かな?それとも女子かなー?俺的には女子であってもらいてぇなぁ……」
その転入生が、榊原麗という超絶美少女だと知っているのは、今の所クラスで俺だけらしい。
わざわざ秀一に言わなくても、どうせもう直ぐ分かることだ。
こいつは榊原を見てどんな反応をするだろう。
いや、秀一だけでなくクラス全員がどんな反応をするのか、俺は胸が高鳴った。
そんな話をしていると始業のチャイムが鳴り、教室に担任の佐倉先生が入ってきた。
「もうチャイム鳴ったぞー。早く席に着けー」
佐倉先生は教卓の後ろに立つと、手に持った生徒名簿を教卓に叩きつけながら言う。
佐倉先生の一声で先ほどまでの喧騒が消えた。
教室内がしん…と静まりかえり、全員が席に着いたのを確認すると佐倉先生は教室を見渡し、口を開いた。
「えー、知ってる人もいると思うが、今日からうちのクラスに新しい仲間が増える。みんな仲良くね。それじゃあ、榊原さん。入って」
佐倉先生が教室前の入り口を向き、釣られるようにクラスの視線が教室前の入り口に集中した。
そして佐倉先生がその名前を呼ぶと、入り口のドアが静かに開いた。
廊下からその転入生——、榊原麗がゆっくりと教室内に入ってくると、先ほどまでとは打って変わり、教室内はまるでライブハウスのように歓声で震えた。
「「「うおおおおおおおおおお!!!!!すっげぇ美人!!!!」」」
榊原の姿を初めてその目で見た男子たちは、立ち上がりこれでもかというほどの歓声を上げ、大いに盛り上がった。
ここまではあらかた予想がついていた。
榊原を見た男子が落ち着いていられるわけもない。
しかし、意外なことに歓声を上げたのは男子だけではなかった。
「「「きゃーーーーー!!!!きれーーい!!!お人形さんみたーーい!!!」」」
女子も女子で榊原を見て、テンションが上がっているようだった。
あまりの歓声に隣の1−2クラス担任で社会科担当のイケメン教師、山下先生が慌てた様子で教室に飛び込んできた。
「さ、佐倉先生、どうしましたっ!?」
こいつら、今がホームルームの時間だってこと完全に忘れてるよな……
隣のクラスの担任が入ってくるなり、佐倉先生は静かに息を深く吸った。
それを見ていた俺は両手で耳を塞いだ。
「うるせぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!」
佐倉先生の怒号がクラスの歓声を掻き消した。
クラスの生徒はもちろん、教室に入ってきた隣のクラスの担任まで佐倉先生の怒号で固まってしまった。
「今はホームルーム中だろうが!!!静かにしろ!!!」
佐倉先生の声の方が何倍も大きかったことについては、誰一人突っ込もうとはしなかった。
立ち上がっていた男子や数名の女子は口を閉じると、無表情に近い顔をして椅子に静かに腰を下ろし、隣のクラスの山下先生はいつの間にか自分のクラスへと戻っていた。
佐倉先生は校内の教師の中で最も若く、普段は美人教師として周りからの人気が高いが一度怒らせるとセミロングの黒髪を振り乱し、まるで般若の面を被ったような表情になることで有名だ。
佐倉先生は教室内が静まり返ったのを確認すると、
「榊原さん、ごめんなさいね。自己紹介お願いできる?」
榊原に対して一言謝罪し自己紹介を始めさせた。
クラスの視線が榊原に集中する。
榊原は、「はい」と小さく返事をすると、一呼吸置いてから自己紹介を始めた。
「初めまして。この度、蛍山高校に転入してきました、榊原麗と言います。よろしくお願いします」
榊原はシンプルで飾り気のない自己紹介を終えると、深く頭を下げる。
クラスからはパチパチと盛大な拍手が送られた。
「それじゃあ、榊原さん。とりあえずそこの空いてる席に座って」
佐倉先生はそう言って教室の一番窓側先頭を指差す。
俺の席は教室の一番後ろ、真ん中の列にあるため、榊原とは距離が離れている。
榊原は指定された席に移動すると、カバンを机の脇のフックに掛け、椅子に着席した。
榊原が席に着いたのを確認した佐倉先生はコクリと頷く。
「それじゃあ、朝のホームルームはこれにて終了。解散!」
佐倉先生がそう言うと、クラス委員は号令をかけた。
「起立。礼。着席」
号令をかけ終わった後、ちょうど始業終了のチャイムが鳴った。
そしてホームルームが終わるなり、早速榊原の机の周りには人集りができていた——。
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