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悪魔の悪戯  作者: KEITA
4/7


……人間。ひとつ契約をしないか


――契約?


……昔から、人間と悪魔の間で交わされてきた伝統的なやつだよ。


――どういうことだ。お前は誰だ


……わかっているのだろう? お前は人間で、私は悪魔だ。お前は今、死にかけてる。いやもう死んでいると言った方がいいかな


――いやだ


……死ぬのが嫌なら私と契約をすればいい。お前は魔力の無い只人ゆえ、『憑依』の契約足り得ないが『報酬』程度にはなる


――何を言っているのかわからない、とにかくいやだ


……嫌だと何度言おうが他に選択肢は無い。このままではお前は完全に死ぬ。お前をこの地に飛ばしたあの屑どもの思う通り、ゴミのようにな


――いやだ


……ならば私と契約した方がいい。なに、簡単なことだ。私にその身体の「芯」を譲り渡せ。半分以上は魔族化するだろうが、完全なる消滅よりはマシだろう。お前が生きる選択肢は、それしかない


――それで、ぼくの意識はどうなる。お前に呑み込まれるのか


……鈍くさい人間と思っていたが、妙なところで察しが良いな。ただ、私と同化すれば、お前は新たなお前として生きられる。欠けた四肢は魔力で補うゆえ、百年ほどしか器は保たぬだろうが、人間の寿命を装う程度の時間はあるだろう。その程度にはこの世に存在出来るのだ。悪い話ではないだろう?


――いや、だ。いやだ!


……生きたいんだろう?


――生きたい


……生きて、あの女の元に戻りたいんだろう?


――戻りたい


……なら…、


――いやだ……!!


……なぜだ?


  なぜ、私との契約に応じない?




……往生際の悪い人間だ。とっとと身体を明け渡せ……!


――いやだ嫌だいやだジェシカ……ぁ!!




「大丈夫?」


 不意にかけられた声に、男ははっとなって前を向く。そこには心配そうな女の顔があった。その白い頬に手を当て、「大丈夫だ」と微笑み返す。ぽっと淡く目元を染め、女は歩く。

「だ、大丈夫ならさっさと行くわよ」

 そんな女に手を引かれつつ、男も歩く。口元に淡く笑みを浮かべつつ。


・・・


 彼の突然の生還は、当然ながら騒ぎとなった。死んだと思われていた者の凱旋、町長夫妻は強張った顔で歓迎の意を改めて表し、小さな町は平和使者の滞在と重なるよう新たな英雄の出現に騒然となった。

『正直驚いたけれど……めでたいことに変わりはないね。ジェシカに本当の笑顔が戻って良かった』

『ジェシカさん、良かったな。……』

 彼の血縁である実の兄弟ですら、喜ぶというより非常に驚いた素振りだった。誰しも予期しておらず、突然判明した事実だったのだ。


 彼が生きて戻れた理由。それは幸運といっていい偶然が重なったから。

 とある戦地にて悪魔の攻撃で吹き飛ばされた際、偶然にも崖から落ちて気絶した。打ちどころは悪くなかったらしく、総合的な怪我も致命傷未満で済んだとのこと。しかし傷は浅いわけでなく、戦場の悲惨な体験もあってしばらく記憶喪失となった。満身創痍で歩くうち隣国における比較的平和な村にたどり着き、そこで親切な者の世話になり、しばらく静養していたという。


 魔族から受けた魔力による傷は、命を取り留めた男に異能を授けた。異能といっても筋力と五感の精度、自然治癒力が増す程度のものだったが、それでも只人からすると素晴らしく、傷が癒えてからは村で働き手として重宝された。ある時、魔族召喚失敗の反動で溢れた低級魔族の一体が村を襲撃、単身でそれを追い返すという活躍を経て、名声は地域一帯に広まる。動きはやがて領主の目にとまり、そこからの繋がりで身分のある衛兵として働けることとなったのだ。


 彼はそうした中で記憶を部分的に取り戻し、元いた故郷に戻りたいと欲した。そして今回の行脚に自ら志願、民間護衛として町に帰ってきたのだ。ただ、まだ記憶は曖昧なところがあり、婚約者のことも生家のこともはっきりと思い出せたわけではなかった。魔族による攻撃で身分証明の出来るものは既に無く、加えて記憶障害。便りも出せず、国交が途絶えていたころであったので完全なる戦死としてみなされていたし、そして外見も様変わりしたので生まれ育った町に帰っても気づくものが誰一人いなかったのである。

 彼が記憶を完全に取り戻したのは、婚約者と再会した瞬間だったという。

 自由時間の合間、遠くから名を呼ぶ声が聴こえてきた。そして彼女の姿を見つけた瞬間、すべてを思い出したのだ、と。


・・・


 ジェシカはそっと傍らを見上げる。彼は身体つきも顔つきも本当に逞しくなった。顔や首の無数の傷跡が生々しくも、それもすべてが彼が今まで生きてくれた証なのだ。仕立ての良い立派な服装もそうだけど、半年ほど前に町に居た頃とはあまりに様変わりしていて、馴染みのある町人の誰もが気づかなかったというのも頷ける。

 ジェシカがあの時瞬時に彼だとわかったのは、声が変わっていなかったからだった。

「……でも、本当にあなた、変わったわね」

 町に入った時は飾り兜付きの鎧も纏っていたので、そしてジェシカ自身式典以外は部屋に籠りきりだったので、まったく気づかなかった。

 隣国は身分素性に関係無く実力主義、国軍配置も本物の志願制と学校制によるらしい。きちんとした基準を通過している衛兵らは、民間人であっても非常に規律正しい。その一員である彼も、昔より断然顔つきが凛々しい。くすぐったくも、どこか悔しくなる。以前のあの情けない彼が、情けなくなくなってしまった。

「ぼくは、変わらないよ」

 ジェシカのそういった視線を受けるたび、彼は苦笑して答える。

「変わったことがあるとしたら、やっぱりこの身体かな。魔族のせいで、色々変形しちゃったから……」

 目の前でちょっとした傷がすぐに塞がるのを、ジェシカも目撃した。

「魔法師とも違うし、最初は化け物扱いもされた」

「……」

「でも、中身がこれだからね」

 へらっとした笑顔。

「戦後のゴタゴタもあったけど、何より人助けを地道にしていたことが良かった。お陰で記憶喪失の外国人だけどそれなりに信用されて、お偉いさんの中には親切な人も居たから、その縁でこうして護衛に組まれることになったんだ。そしてジェシカの下に戻ってこれた。結果的にだけれど」

 傷だらけの手をさすりながら、記憶に残るのと変わらない笑顔で彼は言う。

「思い出せなかった時も、ずっと、心の奥に大切なものがあるのはわかってた。だから審査の厳しい衛兵基準を通過出来たんだ。そのことが、今となっては誇らしい」

 あまりにその横顔が穏やかで、格好良くて。悔しさが増してきたジェシカはつい、憎まれ口を叩いた。

「……外国で出世したからって、浮気してたんじゃないでしょうね」

「え!? してないよ!?」

「ホント?」

「ホントだよ! なんていうか、その、記憶が無い頃はずっとそういう気にならなかったの! 嘘じゃないからね!? 証言出来る人も沢山いる! ぼく、不能の化け物って陰口叩かれてた時もあったし!!」

「誰もそこまで聞いてないわよ……」

 まあ、彼のこの態度からして本当なのだろう。昔から、彼は焼餅妬きのジェシカに不貞を疑われるたび、こうして自分への悪評を引き合いにして潔白を訴えるのだ。自虐というには開き直り過ぎているそれに、ついついこちらも許す気分になってしまう。

 くす、と笑ってしまったジェシカに、彼もホッとしたように息を吐く。 

「ジェシカ。……待たせて本当にごめんね」

「ホントよ」

 突如生還し突飛なことを言う彼を信じない者も居た。彼に近しい者すら、半信半疑といった視線が大半だ。しかし、ジェシカは信じた。彼の言うことのどこに信じられない理由があるのだろう。

 彼は、ジェシカにとって唯一の真実なのに。

「――どれだけ寂しかったのか、これから嫌ってほど教えてあげるんだから」

 恋人達は今までの穴を埋め合うよう寄り添う。そして微笑み合った。



 腕を組んで歩く二人を、町人らは戸惑ったように見やる。男の変わった外見や雰囲気もそうであるが、女の表情もそうとわかるほどに変わったからだ。

 男の腕に腕を絡めて微笑む姿は、数日前と比べるとはっとするほどに美しく、そして、奇妙なほどに明るい。


――のちに、心無い誰かは言った。町長の娘さんはまるで悪魔に魂を売り渡したかのようだった、と。



……人間の身体とは本当に、動きにくい。魔法師ならばともかく、只人の器は呆れるほどに脆い。少々補強してやらねばすぐに崩れてしまう。戦地帰りの者が無傷であるのも不自然なので、適当に傷跡を小細工もしなければならない。キーリカではないが、本当に只人は面倒だ。


……この社会自体つくりが面倒でややこしい。異形を異形としてしか扱わず、大した力の持たぬ者の差別主義がまるで公の正義のように蔓延している。純粋な力に寄らぬ階級制のなんと面倒でつまらぬことか。しかし、その辺りを理解しなければ群れの理に外れ、意思疎通もままならない。それが人間という弱く脆い人型種の在り方らしい。


……面倒な枠組みを壊さないよう決まりのいくつかを通過し、知り合いに演技も頼んで身分ある者に恩義信用という名の貸しを作り、やっと元の群れには戻れた。しかしつまらない。思った以上に弱い人間しかいない。再会した女も拍子抜けするほどに愚かだ。まあそれは想定内とはいえ、「自分」をあの戦地に追いやったつまらない悪意がまだ残っている。どうでもいいが、今後の生活に支障をきたす恐れがあるのであとで殲滅しておくことにしよう。


「ねえジェシカ、ぼくが居ない間、兄さん達と何か話した?」

「え? 何かって……、ああ、優しくしていただいたわ。診察も受けたし、都の素敵なお土産もいただいたし。……それだけよ?」

「――そうか。わかった」


……この心が壊れた女もそれを無意識に喜ぶだろう。自分の両親と結託し自分たちを嵌めようとしていた者の正体に薄々と気づいている。それでも深く追及をせず、甘んじて世界を受け入れ、そして奴らに表面的に期待を持たせそれを壊す機会を伺っていた辺り、愚かでいて強かな人間だ。


「ねえ、時々ぼうっとしてるけど大丈夫? 記憶が戻ったばかりで、具合が悪いの?」

「ぼくは平気だよ、ちょっと昔を思い出してただけ。それより、ジェシカこそ大丈夫? 家を出るなんて……」

「結構前から考えてたことだったの。やっぱりこの家は、っていうかこの町は、私にとって合わない。私はあなたがいるところなら、どこだっていいの。だから、家出する。跡取りなんて知ったことじゃないわ。お父様もお母様も勝手に嘆いて、勝手にまた新しい跡取りをあてはめるでしょうよ。あなたはもう異国で地位を築いているし田舎の町長の圧力なんて意味無い立場にいる。結婚するのに、今度こそなんの問題は無いでしょう?」

「そうだね。でも……」

「大丈夫、私だってツテが無いわけじゃないし、大人しくしてる間に国籍を移す準備はしたし、お父様の弱みも掴めるだけ掴んだし、あなたのお荷物にはならないわ。私、一刻も早くここから脱出したいの。私の居場所はここじゃないって、この数か月で思い知ったから、さっさと勘当されたい。……ねえ、こんな無責任な私は、きらい?」


 そしてやはり、愚かで憐れで、――どこまでもきれいだ。


「きらいじゃないよ。ジェシカがそうしたいなら、それでいいと思う。ぼくは、ジェシカと暮らせればなんでもいいから」


 きれいなジェシカ。「ぼく」のジェシカ。


「愛してる」

「……ありがとう。私も愛しているわ、リュシー」




――そう、これは暇つぶし。

幾年を生きた力ある悪魔の、悪趣味な暇つぶしであり、ただの悪戯いたずら


 悪魔は笑う。あわれな女と手を繋ぎ、優しくほほえみかけてやりながら。自分と『契約』した人間が奇しくも同じ名前であったことも、ある意味巡りあわせだろう。

 人間の寿命など、大抵百年にも満たない。

 あと五十年余り、人間の「振り」をしてやるのも悪くはないだろう。



 男は昔と変わらない態度で、愛しい女に笑いかけた。





悪魔の悪戯  了



あと一話でエンドマークです

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