-(マイナス)
※残酷描写あり
あるところに、町医者の三人の息子がおりました。
三人兄弟の一番上は頭脳明晰。
小さな町における学校で主席の成績を修め、国の公的試験にも合格。王都より研究職の誘いもあり、家業に留まらずいずれは博士と呼ばれる名誉ある称号を手にすることが約束されていました。そして本人も、自身の優秀さを驕らない温和な人柄と並み以上に整った容姿を持っており、とても人気のある好男子です。
三人兄弟の一番下は勇壮活発。
小さな町における武術道場で子供ながらに大の大人を投げ飛ばし、無論同世代以下は敵なし。田舎の町ながら武勇の評判が評判を呼び、国軍精鋭兵への勧誘も押しかけ、戦時下においては将来は約束されたようなもの。筋骨隆々とした体つきと押し出しの強い見かけ、総じて若くして取り巻きの尊敬を集め、気風の良い兄貴肌と男ぶりからこれまた人気のある快男子です。
そして三人兄弟の真ん中は、平凡以下。
兄のように頭の出来は良くなく、弟のように武勇に勝れているわけでもなく、容姿やその他の能力に秀でてるわけでもない男。平均という言葉でさえ褒め言葉になってしまうような、全てにおいて並み以下の人間です。
ただ。
彼の許嫁は、非常に美しい女性でした。
……小さな町の小さな診療所にはそれなりに世界が密集する。町長には奴と同じ年頃の一人娘がいた。この娘がどういうわけだか奴にベタ惚れで、幼い頃から何かと理由をつけ奴の元を訪れ、何くれと世話を焼いていた。奴も悪い気はしておらず、いつしか絆され相思相愛の仲へと移っていった。
町長の娘は少々気が強かったが、大変容姿に優れていた。都ならば誰もが放っておかない絶世の美女である。中身もかなり優秀で家柄もお墨付き、婿入り時の豊かな生活も保証済み。そんな娘はよく出来る長男でも三男でもなく、一番出来の悪い次男に入れ込んでいる。そして奴当人はかしこまるでも卑屈になるわけでもなく、それが当然といった態度で彼女に接する。娘に想いを寄せる男達は嫉妬した。娘の友人である女達すら首を傾げた。町人は口々に噂をした。
「釣り合わない」
「物好きなお嬢様だ」
しかし彼ら二人は気にもとめなかった。彼らには彼らだけで通じ合う世界があり、他人が入る隙間など無いし外面上で判断するような輩に左右されるほど、絆が脆いわけでもなかったからだ。
奴は美男でも聡明でも勇猛でもなかったが、娘への情は誰よりも深かった。
だが、そんな彼ら二人の世界もとうとう終わりを告げる。国境近くで起きた戦争に伴い国から召集令状が下ったのだ。出来の悪い町医者の次男坊も例外でなかった。
集落ごとに一定数の徴兵制度を設けているこの国は、前線への志願が多い地域ほど恩赦を授ける。奴の住む集落の場合、成人を迎えた男ならば誰でも徴兵の義務があり、所帯を持っていない者ほど前線への送り込みに強制的な意向があった。ただ、それも本人の実力と承諾によるところが大きい。
しかし。
奴の場合、なぜか実力とかけ離れた部隊に配属された。……ただの人間が戻ってこれない、暗黒の激戦地へと送り込まれることとなったのだ。身分ある婚約者がいるのにも関わらず。
奴をそんな場所に飛ばしたのが誰かなど、興味は無い。人間的な悪意と杜撰な処理により、なんの取り柄も無い武力も並み以下の人間は「ここ」にやってきた。そして身を護る術なく援護も無く、瀕死の重傷を負ったのだ。
――戦場に投入された「魔族」という殺戮兵器によって。
・・・
「ジェシカ、じぇしかジェシカじぇしかジェシカ」
壊れた玩具のように、女の名を繰り返し呼びながらそいつは匍匐で前に進む。両脚は吹き飛ばされ、頭蓋も欠け、腹からは諸々が外へと出ていた。中途でとうとう最後に残った腕も千切れ、芋虫よりも無惨な有様で、それでもどこかへと進もうとしている。
「じぇしか、ジェシカ、」
生きているのが不思議な状態で、それでも濁った瞳の視線は何かを求め、宙を彷徨う。絶たれた望みの状況下、それでも生きたいと。足掻く足などとうに無いというのに。
なんと生き穢い人間か。草食動物でさえ、肉食動物に急所を貫かれたら観念して苦しみ少なく糧となるよう努めるというに。醜いその姿に眉をしかめつつ、それでも若干の興味を覚えたので指をそいつの頭に突っ込んだ。そして、覗いてみたのだ。そいつの今までの生き様を。愚かしいまでの生への渇慕がどこからきているのかを。
そして、知った。
「―――リュシー、何してんの?」
私の背後でがすがすと死体の腹を蹴りつつ、私と共にこの地に降り立った魔族の一人は問う。
「お前こそ何をしている、キーリカ」
「だって、こいつら硬いし。骨があると食べにくいんだよね。一旦砕いておこうかと思って。すっごいメンドくさいけど」
まるで小骨の処理を面倒がる調理人のような物言いをしつつ、見た目は年端もいかない幼い少年は首の無い死体の腕を掴み、蹴り続ける。あってないような体重の軽やかな肢体、しかしその実は人智を越えた力により、彼が掴んでいる彼より大きな人間の死体は関節があらぬ方へと曲がり全身が変色していた。肉が潰れる音の他、ごり、ごきんと内部から鈍い音。言葉通り、骨を砕いているのだ。
周りを見渡すと、私達の他にも数体の魔族が同じようなことをしていた。尤も、人型でない者の多くはごく普通の咀嚼でその手間を省けるようだが。
「あーーめんど。どうしてこんな場所に喚ばれちゃったんだろう」
「仕方あるまい。古代契約の一環だ。これも世界平和だよ」
「リュシーが言うと胡散臭いなー」
キーリカも私もあいにく人型種であるので、咀嚼で動物の骨をすべて砕くことは出来ない。せいぜいこうして外から圧して潰し、物理的に小さくする程度だ。私と違い、彼は別の方法でも糧を得ることが出来るが、この場では出来ない。なので、面倒だなんだといいつつ手間を省くことが出来ないのだろう。
死体まみれの戦地にて、肉の内側で何かが折れ、砕けて突き刺さるような、鈍く鋭い音が際限なく続く。あちこちで上がる、獣めいた断末魔。
「だいたいー、魔力無い人間って食うの面倒。でも報酬がこれだもんなー下級魔族は辛いよ」
「気高き『ソリオット』の言いぐさとは思えんな」
「僕、その家名嫌いだから呼ばないでって言ったよね?」
「ああそうだったな。悪かった」
「別にいいけど。……はあー本当面倒。豚肉のミンチとか魚のタタキ作ってた方が何倍もマシ」
ぺいっ、と面倒そうに掴んでいた腕を放り、残りの骨を砕く少年。肉筋が潰され断面より内臓が吐露され、人間だったものは彼の足元でただの肉塊と化していく。捕食者たる魔族には、被食者の「芯」が視えるので、そこを残せば獲物がどんな形になっていてもいい。このあと魔力で外殻を削って食するのだ。
魔族の力は捕食の力。ただ、人界においては狩りから食事へと移る手間が多少かかるだけ。その手間が面倒と言えば面倒である。
尤も、人間はその「手間」を時間稼ぎに使っているようだが。
「僕、人間の作った料理は結構好きなんだけどなー」
「人間を料理するのは苦手か」
「そういうことー。やっぱり糧として食うなら魔力ある人間か、女の子に限るよ。こんな野蛮で面倒なことしないで済む」
飛び散る臓物と血飛沫が、乾いた地表を汚泥へと変えていく。隣では原型を留めていた最後の人間が、人型でない魔族に嚥下され終わったところ。
なんのことはない、ごく単純な弱肉強食の光景だ。
「あれ、それってもしかして生きてんの? だいぶ削れてるみたいなのに、まだ食ってないの?」
「まあな。なかなか死なないのが興味深い」
この界を数で制するは、人間。我らと同じ人型種であり、我らの糧となり得る中間的器の生命体。かの生き物は総じて面倒な決まりを群れごとに作り、そのしがらみで意味も無く争う。小手先の賢しさと数で界を制していようと、すぐ手前の利に転ぶ。欲が深く、浅はかで、脆い。
「両手両足無くなって腹抉られて視力あってまだ意識死しないとか、ただの人間にしちゃ生命力ある方なんじゃない。そろそろ死にそうだけど」
「……そうだな」
私の足元で這いつくばり明後日の方角に逃げようと蠢く芋虫。私は頭部に突っ込んでいる指を抜かず、そのまま観察する。確かにもうすぐ死にそうだ。
人間は、かくも脆く弱い。
しかし。
「じぇし、か、」
「ねーリュシー、そいつ食わないんならこっち手伝ってよ。人間の男って骨ゴツいから砕きにくい」
やっぱり食うなら魔力たっぷりの女の子がいいよねー気持ちいいし、などと言いつつ、続けられる下処理の音。それを背後で聴きつつ、私は少し考え、そして決めた。
「よし」
「何が『よし』なの。リュシー、暇なら手伝って……、」
背後で聴こえていた気だるげな少年の声が、中途で止まる。振り返ると、彼にしては珍しい驚きの表情でこちらを見ていた。血と内漿に浸された足が肉塊より退かれ、びちゃり、と雫を垂らして地面を踏みしめる。
返り血滴る幼い悪魔は、きょとんと首をかしげた。
「………リュシー。何してんの?」
再度の問いかけに、私は笑って応える。
「―――なに、単なる悪戯だよ」