『case53 入り口ってなんですか?』
僕は自分の力を誤って使ってしまった気がした。雷が落ちて驚くくらいだと思ったのが炎上するまでになるとは思っていなかった。
部屋に帰るまでにコンビニへ行き、飲み物と晩御飯を買おうと思ってあるいていると、コンビニの前に人だかりができている。駐車場とかがなく歩道からすぐに店に入る形の店だったため、数人が歩道にいるだけで店の出入口を塞いでしまうことになる。
集まって楽しそうに話しているだけだが、完全に歩道も店の出入口も塞いでいる。コンビニのなかでは大人しそうな青年が出ずに出られず困っているが、塞いでいる人たちは気づいてすらいない。
実際に僕が近づいてもまったくどく気配すらなかったので
「すみません、通るので退いてもらえますか?」
と声をかけたところ、ほとんどの人は黙って普通に退いたが、一人だけは睨み付けてきた。
悪いのは僕だろうか?
お前らの常識が足りてないから迷惑している人が僕以外にもいたのに僕を睨み付けること自体が間違っている。
それに集団でいるのだから、誰か一人くらい道や入り口を塞いでいることに気づいて注意する人間がいるべきだと思う。
僕はそんなことを思いながら、入口から入ると出られずに困っていた青年が僕とすれ違うように出ていった。その時青年は僕に向かって少し会釈をした。
世の中には、自分の思っていることをはっきりと伝えられない人がいる。友達と上手くいかずに一人でいることが多い人だっている。
そういう人を弱者と仮定するなら、思ったことをはっきりと言える人間や集団を形成していつも友達と一緒にいられる人を強者だとおくことができるだろう。
さっき出ていった青年のように、『退いてください』や店員にどかせてもらうこともできずに立ち尽くすことしかできない人もいるだろう。
何より、集団に対して一人で文句を言うことは怖いことだし、どこからどう見ても自分が正しかったとして、相手を言い負かすだけの勇気やコミュニケーション能力がなければ、怖い思いをして終わるだけになってしまうだろう。
僕が言うのもなんだが、最近の若い人の考えていることはわからない。相手がどんな人間かわからないからもしかしたら嫌がらせされたり、あとになってひどい目に遭わされるんじゃないかと疑って行動に移せなくなるのも仕方のないことだと思う。
集団は力であり、個が勝てるものではないのだと思う。数が多い方が有利で、一人で戦う方が不利なら、断然、不利な方を国や地方公共団体や力のある大人が助けるべきだと思う。
・対象
若者達
・行為
歩道ならびに店の入口を塞ぐ。
・天罰内容
強面のおじさん達が来て、怒られて怖い目にあう。
『実行』
僕が後ろを振り返るとかなりドスの聞いた声で
「お前ら邪魔なんだよ!
道塞いでるんじゃねぇーよ!」
という怒鳴り声が響き、若者達は慌てて走り去っていった。
神の力を使った天罰ではなかったが、あれくらいがちょうどいい気がした。なんでもかんでも神の力を使う必要はない気がするし、使えないのに無理矢理使ってさっきのようになるのも避けたかった。
おじさんがコンビニに入ってきて、僕を見てから肩に軽く手を乗せて
「ああいう奴等にはもっとビシッといった方がいいぞ、兄ちゃん。」
そう言って、店の奥へと進んでいった。
『入り口』とは、人が場所に入るための場所であり、いくつもあればひとつしかないときもある。
1箇所しかない入り口が塞がれれば、その場所にはいることはできなくなる。急いでいる人もいれば時間に余裕がある人だっている。
見た目でその人が急いでいるのかそうでないのかは判断できるときもあるができないときもある。
そして、入り口は出口を兼ねているものだ。
一方通行ではなく、入ることと出ることはお互いにあり、誰かが1度入れば、その人はそこからしか出れないのだから出てくる人がいることも人は想定しなければいけない。
自分が入りたいときに入れないのが嫌なら、他の誰かも同じであり、人に気を配るからこそ、逆に気を配ってもらえるのだ。
周りへの配慮ができない人達が増えているのかもしれないが、集団でいるのなら全員ができなくても数人はそういう配慮ができる人がいてほしいものだと思う。




