泥人形が見た夢 6
まばらに白も見えるが、澄んだ青空が広がっている。牛追いの牧歌も響く長閑な農村。決して豊かとはいえないが、イーシアとは穏やかな集落であった。
「おヤっ?」
村へと降りて来た者は、ふと声を上げた。王国の標準語と比べると、語尾に癖があり、言葉には驚きの色が見られる。
皺の多い顔に細い瞳は老人のそれである。腰がやや曲がっており、その上背丈は幼子程。外套をはじめ、衣服はそれなりに整っているが、覗く肌は濃緑色を示している。ゴブリン種族の老人、ヤーロにとっては久々の下山であった。
人間種の文化は大抵、ゴブリンには奇異に映る。それにしても、今日はまた一段と珍しいものを耳にしたと彼は瞳を見開いていた。
「ほうほう、何とマぁ」
ついつい小走りになってしまった。今彼の耳に響くものはリュートが奏でる音だ。しかし目の見えない老ゴブリンには、一体どのようなものが音を出しているのか、まるで見当がつかない。
無論、ゴブリンも音楽を嗜む。嗜むのだが、鼓を叩くなどリズムを刻むものが彼らの音楽であるので、未知との遭遇に興奮を覚えている。竜人種が上手く料理が作れないように、ゴブリンもまた物を作ることを苦手としていた。
「これはこれハ!」
ほぼ骨と皮の細腕をゆるやかに上下させ、ヤーロは思わず踊っていた。老いた魔物でありながら、その姿はどこか愛嬌があるようにも見える。
「おやおや……」
未知との遭遇を果たしたのは、ヤーロだけではない。さすらいの吟遊詩人も、己の演奏で誘われた魔物が踊りやる日が来るとは思いもしなかった。
リュートを爪弾く手を止めることはなく、丸く見開かれた目をゆっくりと戻しながら演奏に専念した。手癖で弾いているようなものだが、こうも愉しげな客を目にすれと、熱も籠る。
「どうした吟遊詩人!」
「ねぇ、それで緑の人はどうなったの!」
リュートに気を向けてしばらく、痺れを切らした子どもたちが英雄譚の続きを求めて口々に騒ぎ出した。ついつい踊る魔物に気を向けていたが、子どもたちは子どもたちで英雄譚を心待ちにしているのだ。
(吟遊詩人冥利に尽きーる話ですね)
イーシアに来て数日。彼にとっての英雄、緑の勇者の冒険を謳い続けて早数日。いよいよ演目はラスト、最新の砂漠蟲との闘いへと移っていた。
「えー……、ごほん。村を丸ごーと叩き潰さんとする巨大な砂、そーれは果たして蟲でありました。あまりにでかーく、あまりに強い。わたーしもみなさんも大好きな緑の人ですが、流石に今回は分が悪かったようです。砂漠蟲が牙を剥き、白色の煙を吐き散らせば、鬼となーった筈の勇者も鎧を剥がされてしまったのです」
相変わらず妙なところで言葉を伸ばしながら、吟遊詩人はお客の様子をぐるりと見回した。自身が好むネギの勇者、その冒険譚を前に子どもたちが手に汗握る――幼き頃、自分の与太話を喜んでくれた人を思い出す。
(嗚呼、私はこれが見たかったんだな)
仕事中に涙は流さない。しかし目頭に熱を覚え、ハインドは少し溜めを作った。リュートが奏でるものは、いつしか彼が幼き頃に何度も見聞きした吟遊詩人のものを再現する。
「む、むぉ、続きハ? 緑の人はどうなったのダ?」
特徴的な語尾を隠すことなく、ゴブリンの老人もいつの間にか身を乗り出して続きをせがんでいた。
(我々が求めたものはこれですね)
献奏の神、アーレンクロイム・ケイマラードへ短い祈りを捧ぐ。種族の異なる者たちであっても同じく愉しむことが出来ると、ハインドは続きを謳った。
「吹き飛ばされた緑の人、庇うように現れた精霊も白色の煙に呑まれて地へと落ちました。ですが、何度倒れても立ち上がるから英雄なのです。緑の人は鎧を纏い直します」
バカでかい砂漠蟲を素手で押し留めた中年の男、緑色の壁に魔物を捉えて暴れ回る勇者……。怒涛の勢いで語られる大型魔物との攻防も、クライマックスを迎えていた。
熱心に聞き入るゴブリンを前に、ハインドは語りもさることながら、リュートを弾く指に全神経を注ぎ込んだ。
緑の鬼が巨大な魔物を斬り裂き、英雄譚は幕を閉じた。リュートの音も止まると、パチパチと拍手が響く。
名残惜しそうにしていた子どもたちであったが、年長者の少年が口を開くと解散の運びとなった。シスターが怒るぞ、その一言は下手な魔法よりも効果があるだろうとヤーロも頷いていた。
三々五々となり、気づけば拍手をしているのは老ゴブリンだけであった。吟遊詩人が楽器を仕舞おうとする様子を感じ取り、声をかけたくもあったが、魔物の彼は少しばかり悩む。
他所から来た人間種を驚かせてもいけないだろうし、約束の時間も近づいていた。シスターに怒られるのは、この老人も勘弁願いたいところ。結局は手を下ろし、教会へと歩み始めた。
「ご老人っ」
「何ですかナ?」
背中の方から声をかけられ、ヤーロは驚くも努めてゆっくりと振り返る。まさかとは思ったが、吟遊詩人の青年が駆けて来る様が感じ取れた。
「わたーしは、さすらいの吟遊詩人リバーハインド。ちょーっとお話よろしいですか?」
「ヤーロと言ウ。見てのとおりの老いぼれゴブリンヨ。こんな私と話したいとは、まぁ変わった人ですナ」
固い表情へと戻っていたヤーロは、思わず相貌を崩した。英雄譚では緑の人と呼ばれていたが、その人がグリオを名乗る勇者だとはすぐに察しがつく。風変わりなあの少年の話が聴けて、老人の胸も躍っていた。
「あの――」
「緑の人のことじゃロ? この村を出ても活躍されていると聞き、嬉しく思うものサ」
「貴方もジーオのお知り合いでしたか!」
「ん?」
「んん?」
共に首を傾げてしまうこと数秒。妙な間が空き、その隙を縫うように村の子どもが走り抜けて行った。
話題は共通である筈も、どこか噛み合わない。戸惑いに負けぬよう、ゴブリンは目玉を忙しなく動かして考えた。
ジーオなる響きにはピンと来なかったのだが、記憶を巡ればよく似たフレーズをシスターが嬉しそうに口にしていたことを思い出す。
「あー、グリオはお父上のものでしたナ。そうそう、ジオグラッフドスとか何とか、そういうお名前じゃっタ」
「ジオグラフィカエルバドスと言うそうですが、親しみを込めて私はジーオと呼んでいます」
うんうん、と頷き合う老人と青年。
「彼には世話になっタ」
村に圧政を敷いたヘスを倒したのは、ジオであった。騒動の最後には黒騎士が現れて一時騒然としたが、精霊や村娘のおかげで事無きを得られた――まさか人間種と友好を築くなど、それ以前の彼では思いもよらないことだ。
「そーうなんですか! 迷惑でなければ、是非とーもその話を聴きたい。赤いスカーフの君、グリデルタ嬢に尋ねても、ちっともまーったく教えてくれないもので」
「お嬢はいい娘じゃが、その話題は嫌がるゾ? あの子が怒るようなことは、私もちょっと、ナ」
眉の薄いゴブリンが、眉間に皺を寄せて表情を渋くする。知らぬハインドに罪はないが、あの少女へジオについて尋ねるのは酷だ。
種族間交流のためにヤーロは村へと降りるが、その度にやれ手紙が来ない、やれ会いに行ったのに空振りした、などと憤慨した様子でグリデルタから聴かされている。ゴブリンに人間の表情はよく理解出来ないが、ともかく怒っていることだけは掴めてしまう程であった。
「ジーオの活躍を謳いながら、わたーしの知らぬ彼の英雄譚を集めようとしているのですが……。初っ端からこれでは前途多難ですねぃ」
ふ、と息を吐きハイドは天を見上げた。永らく留まってみたものの、緑の人がイーシアで何を為したか、その実態を知る人は非常に少ない。
(もっと西へ、彼の生まれ故郷まで向かえば或いは)
そうしたいのは山々であるが、一つ困ったことがある。加護により眺望の瞳を持つハインドも、万能ではない。イーシアよりも更に西、村や集落らしきものが見えたが、そのどれがジオの故郷かまではわからず仕舞いだ。
あまり西へ行くと亜人種たちの共和国へ辿り着いてしまう。闘神信仰が強い地域は限られているため、自ずと絞られはするものの気は向かない。
「いやいや、当てずっぽうに動くのもなぁ……。この間に東でのジーオの活躍を見逃してしまいますし」
目を閉じて、うーんと唸る吟遊詩人の青年。よく見える瞳も今は役目を果たせず、大げさに手を振る老ゴブリンの姿が映らない。
「赤いスカーフの君も見つかったことですし。やはりここは、ジーオがこの村に現れるのを待つべきか? わたーしが見たところ、ティアさんの性格はキツい。姉さん女房の尻に敷かれていては、息が詰まるんじゃないですか? えぇ、そうでしょうとも」
小さな魔女の姿を思い返すと、友の苦労が目に浮かぶ。可愛らしい風貌であるが、目つきは鋭く、ジオに対する独占欲も強く感じられた。
「ティアさんのところからちょちょいと抜け出して、グリデルタ嬢の元へ。これだけの美人です、十分に有り得ーるでしょう。だとしてもあちらのお嬢さんは美人ですが、これまたキツい……。まさかっ!?」
ぶつぶつと呟く吟遊詩人が、驚きに瞳を見開く。ちょっとお待ちなさいと思いつつ、辿り着いた考えが口にされた。
「ジーオは、マゾヒストなのでしょうか」
「おーい、吟遊詩人ノ」
幾多の苦難を乗り越えて来た三代目ネギの勇者は、富みも女も求めない。疑うようなことはしたくないが、困難な状況そのものこそを喜んでいるのだとすれば、腑に落ちるところだ。
老ゴブリンが依然として手をヒラヒラと振るが、ハインドには届かなかった。お喋りな青年は早口で独り言を続けている。
「いやいやいや、友から直接聴いた訳でもなく、かような憶測をしてはなりませんでしょう。取りあえず、ジーオが恋い焦がれて彼女に会いに来るまでは辛抱か? 待て待てお待ちなさーい! その場合、待っている間にグリデルタ嬢を何と表現して謳えばよろしいのでしょうか。愛人、情婦、側室……、どれもピンと来ませんねぇ」
「リバー殿、吟遊詩人殿! 後ろ、後ロ!」
「何ですか? わたーしは今考え事をしていまして……」
訝しがって振り返った先には、笑顔を浮かべるシスターが居た。焦るヤーロの姿をようやく認め、ハインドは台詞を呑み込んだ。
「お……」
満面の笑みが浮かべられているにも関わらず、吟遊詩人の青年は怖気を感じ取ってしまう。そのシスターの口は真横に引かれ、こめかみには筋が浮き上がっている。
「グリデルタ嬢、ご機嫌麗しゅう。今、ジーオと貴女の恋模様を――」
ハインドの見え過ぎる瞳には、シスターの右手が握り拳を作って引き絞られている像が鮮明に映っていた。そうとわかれば、先に呑み込んだものに代わってあれこれと言葉が出された。
尚も止まることのない拳。真っ直ぐに打ち出されるものは、何処かで見たことのある光景だと、彼は思った。背中に向かって突き進むそれが直撃するまで、他人事のように見送るのみ。
「勝手に謳おうとするなっ!!」
「ああ、すごく痛そウ」
見事な中段突きであった。膝を折るハインドの行く末を見つめ続けることも出来ず、ヤーロは目元を手で覆って嘆いた。
(正にこれは……)
容赦ない一撃は、正にネギの勇者が如きものに映る。衝撃を受け、ハインドは意識を飛ばしてしまった。
「リバー殿、リバー殿ッ!」
老ゴブリンは青年の肩をガクガクと揺する。背の低い彼だが、膝を突いたハインドであれば抱き留めるには十分であった。
(むむ、私が揺すられている)
当のハインドは、その様子を他人事のように見つめていた。呆けた表情の己がヤーロに揺すられており、すぐ傍では腕組みをしたグリデルタが足を鳴らして不機嫌さを露わにしている。
自分を自分で見つめる。これはまるで――
(臨死体験、でーはないですか?)
もっと言えば幽体離脱か。超常を謳う吟遊詩人であるからか、上から見つめるハインドは妙に冷静に観察してみせる。身体を自由に出来ない感覚は心許ない、その筈なのにこの貴重な体験を後世に如何にして伝えるか、そればかりに心が割かれてしまうのは職業病もいいところであった。
「いい加減、戻って来なさいっての!」
お――と言葉を戻す暇もない。
グリデルタが再び彼の背中へ喝を入れた途端、ハインドの意識は肉体の方へと吸い込まれていった。
「お、おぉ……」
グーパーを繰り返すハインドは、それに飽きれば手の平と甲をくるくると回して感覚が戻ったことを確かめてみせる。不思議体験から戻ったばかりの彼は、肩を抱くヤーロが涙ぐんでいることには気づかなかった。
「死んだかと思ったゾ」
「んな訳ないでしょ。私はこれでも神に仕える身なのよ?」
腰に手を当てた姿勢で、少女は抗議の視線を送る。
「いや、目が死んでおっタ。お嬢は短気なところがあるシ」
「バ、バカおっしゃい。私がそんな……」
「ペスデルゴ神父にも、言われておったでショ?」
「うーん、そう言われると、そうなのかな。うん。ごめん、ハインド!」
怒り、逡巡した結果、さっぱりとした表情で謝罪の意を示す。全く悪びれもしない様子にヤーロは閉口するしかない。
「いえいえ、全然構いません」
「いいのカ?」
「いいでしょ、本人がそう言ってんだから」
むしろ、貴重な体験が出来ました、などとハインドが笑って応えるのでこれ以上問われることもなかった。
「アイリス信仰の妙とでもいいましょうか。魂を抜き出す程の一撃とは。やー、グリデルタ殿は素晴らしーいですね!」
「ああ、うん、ありがと。多分、師匠がいいんだわ」
これまたどこぞのネギの勇者のように、少女は頬を掻いて照れを誤魔化す。問答無用で殴りかかったことも不問とされれば、咳払い一つしてシスターらしい顔を取り繕ってみせる。
「んで、あんたヤーロさんに何かようなの? 何もないなら、さっさとどっかに行ってよね。打ち合わせがあるんだから」
つっけんどんな言葉を出しながら、グリデルタは吟遊詩人へと促した。
「……用? えーと、何でしたっけね」
顎元に手をやりながら呟くハインドには、謀略を巡らせる仕草は認められない。魂が肉体を離れたことで、直前の記憶が曖昧になっているのだが、それは彼の知るところではない。
「よしよし、いいでしょう」
「何でしょうか?」
「お気になさらず」
今度こそ、満面の笑みでグリデルタは返した。自身の恋模様を吟遊詩人に謳われることが無事阻止出来たのだから、無理もない。
「じゃ、そろそろ行くわ。ヤーロさんも、いい?」
視線を向けられたゴブリンは、黙って頷き返す。前々から知っていたが、この少女は直情的であるので、あれこれ言っても良い結果は生まれないものだった。
打って変わって上機嫌のグリデルタ。それじゃーね、と手をひらひらとさせた後、何かを思い出したようにして未だぼやっとしたままのハインドへと振り返った。
「あんたさ、吟遊詩人よね?」
「一応そーうですよ」
「ちょっと聞きたいんだけど、ね」
口を衝いたのは、先日子どもたちへと語ってみせた物語の結末について。陶芸家の男の元へ送られた泥人形の顛末のことだ。
「あの彫刻家、何がしたかったんだと思う?」
「んー……、そうですね」
どうでもいい疑問にも、吟遊詩人は真面目腐って考えてみせた。腕を組む姿勢は大仰過ぎる。その後出された言葉は、態度に反してシンプルなものだった。
「贅沢にも迷った、これに尽きると思います」
英雄譚を謳う時と同じく、邪さの欠片もない顔でハインドは応えた。
「贅沢……」
グリデルタは思ってもいなかった回答に、思わず反芻して噛み締めた。青年と同じくして神妙な顔つきになった少女は、この時に何を考えていたのか。
だがその思考も、ハインドが続ける言葉に破られた。
「その男の考えについては憶測を出ませんが、物語の続きならば紡ぐことも出来ましょう」
「続き?」
考え耽り下げた頭を、グリデルタは持ち上げて呟いた。老ゴブリンを待たせていたが、それが気になって仕方がない。
「消えた陶芸家のことはわかりません。ですが、今この時も弟子の泥人形は人間を造り出そうと足掻き続けているのです。無限に湧く泥人形はその副産物……、ずっとずっと造り続けるのは憧憬と言いますかね。手に入らないものへ手を伸ばし続けた主人の姿を追っているからなのでしょう」
「そう、なのかな。よくわからないけど、あんたの言うことが何となく当たっている気がするわ」
ありがと、と短く返し、グリデルタはハインドに背を向けた。手を振るハインドを後ろに少女はゴブリンと歩み出す。
「ローレンへの土産話はこれでいいかな」
「……何ですかナ?」
「何でもないわ」
ヤーロへ微笑みを返し、シスターは胸中で言葉を噛みしめた。吟遊詩人が告げたものが、遠からず彼女の英雄を苦しめるような気がしてしまっていた。
己が造りたいものを知りつつも叶えられなかった陶芸家、その姿が、父親の背を追って足掻く少年勇者に重なって仕方がない。
ましてや陶芸家が望まぬ形で生まれた人間の像までも、物語の中にはあった。鮮やかな橙の瞳をした人形、その者が見る夢とは一体何であるのか――博愛の神の徒である少女は、ネギの勇者が夢追い続けられるよう、密かに祈る。




