ネギと村娘 2
手近なベンチに腰を下ろし、少女は頬杖をついていた。勇者に伝えることがあったのだが、本人がいないので仕方ない。他にすることもなく、呆けながら風を受けていた。
(魔物の村にいるってのに、呑気なものだわ)
言葉の通り、緊張感などは微塵もない。ややもすれば上下の瞼がくっつきそうになることに耐え、グリデルタは村の光景を眺める。
勇者と老ゴブリンが一緒にいた時に、ついつい叫び声を上げていたが、伝えたいことはそんなことではなかった。まだやることがあるから、と勇者が離れて行ってしまえば、途端にやることが何もなくってしまう。端的に言えば、少女は暇を持て余していた。
「どうですかな、ゴブリンの村は?」
「んー……微妙」
隣にいる半裸の男へ、正直な感想を漏らす。グリデルタがこうして呑気にしていられるのも、勇者の仲間がいるからであった。道中でゴブリンを相手にしても、まったくものともしない彼だ。小柄な少女とはいえ、人一人を背負って山道を登っても、息を切らすこともない。
「おや、魔物の村も珍しくはありませんかな?」
「珍しくないというか……そうね、つまらない感じだわ」
先程から村を見回しているが、物珍しい気分は早々に失せていた。村に入った時に感じた侘しさは、未だ胸に残っている。むしろ、時間が経つ程に強くなっていったともいえる。彼女は自分の村が田舎だと理解をしていたが、ここはそれ以上のものだと思っていた。自分よりも年上の男が話しかけてきたので、頬杖はやめたものの、その姿は何とも気だるげに映る。
つまらないという表現は、案外的を得ていた。平均身長の低いゴブリンの建物は、スケールが小さく映る。更に、公共の設備は放ったらかされているようでちょっと突けば壊れてしまいそう。何より、人の往来が少なかった。
「ねぇ、他もこんな感じなの?」
建物を眺める趣味のないグリデルタは、暇潰しとばかりに、思ったことを口にしてみせた。子どもらしきゴブリンを見かけるこもあったが、すぐに他のゴブリンに家屋へと連れ込まれてしまっていた。ゴブリンは日中出歩かないものだと聞かされれば、今なら信じてしまいそうでもある。
「村のスケールとしては、こんなものですな。家屋の数から言えば、そこそこ繁栄しているようにも思います。ですけど、活気は他よりないですな」
「ふーん……」
丁寧に語る男の顔は見ず、グリデルタは生返事をしていた。
所詮は暇潰しの世間話だ。それ以上の興味はない。というよりも、日頃から凶悪な存在として聞かされているゴブリンのことを理解するつもりはなかった。彼女が興味を持つとすれば、勇者が何故ゴブリンの町を先程から熱心に見て回っているのか、ということくらいか。
興味がなかったため、少女は気づかなかった。子どもを家へ隠したゴブリンは母親であり、辺りを見回すその姿は、何かを恐れているかのようであったことに。
「オッサン、シャロはどこ行った?」
「なっ――」
不意に聞こえた声に顔を上げ、グリデルタはネコの如き瞳を大きく見開いた。
いつの間にやら、緑の鎧を着た少年がそこにいる。急に隣に現れたことに、少女が驚いた訳ではなかった。ついでに言うと、ほのかに香るネギの香りに驚いた訳でもない。ただ単に少年の姿を見て、言葉を失くしていた。
「……勇者様と一緒ではなかったのですかな? やること出来たからちょっと行って来るー、と仰られてましたぞ」
「俺はてっきり、オッサンと一緒だと思っていたんだがなぁ」
ふむぅ、と考えるような仕草を取って、勇者はベンチへ腰かける。口をパクパクとさせている少女の存在に気づいていないのか、あのバカは何してんだ、などと独り言を溢してもいた。
「ちょっとアンタ!」
「え、何、何?」
見た目以上に短気な少女は、勇者である少年に喰ってかかる。魔物を前にした時でも見せなかったような表情を彼が浮かべているのだが、そんなことはグリデルタには関係ない。というよりも、そんなことを気にしている場合ではなかった。疑問符を浮かべている人物へは一言物申してやらねばならない、と半ば使命感にも近いものに駆られて少女はがなっていた。
「何じゃない。そのオデコは、何なのよ!」
ビシリと指をさした先、勇者の額には、親指の腹くらいの大きさの赤黒い塊がへばりついていた。先程はゴブリンと一緒にいることへの突っ込みに気が削がれてはいたが、彼が随分と酷い姿をしていることに今更ながら気づいたのだ。
平然とした顔をしているが、その額は血糊がベットリとついているのを通り越して、黒いかさぶたが張り付いている。こんな状況でものんびりした表情を浮かべるものだから、お節介な少女の心に火がついてしまった。
「……血なら、止まってるけど」
「そういう問題じゃないでしょ?」
溜め息の一つも吐きたいところであったが、それを呑み込むグリデルタ。何に対して怒られているかわかっていないこの少年のことは、小さな子どもだとでも思うことにした。そうでもせねば、こちらの血管が切れて大変なことになるような気がしていたのだ。
彼の言う通り、血は止まっている。だが、処置もせずにそのままでいることなど、この少女にはまったく理解が出来ない。彼女がケガをしようものならば、村の中の誰かが心配をしてくれたものだ。大したケガでなくとも、神父のところで治癒魔法を受けるように勧められていたものだ。
だが額に大きなケガを負ったこの少年は、それがどうしたという表情を浮かべているではないか。ゴブリンを前にした時に見せた表情は、確かに恐ろしいものであった。そんなものはどこへやら。こうして見れば、ただの少年どころか、何も知らない幼子にしか見えない。
(ケガを放っておくとか、こいつ何を考えて――いや、違うのね)
ケガをしたら処置をする、この当たり前を少年がしないことに対して、怒鳴りつけてやろうかと。
頭に血が上ってきてはいたものの、グリデルタは自問自答の際、あることに思い至った。考えていないのではなく、彼は知らないのではないか、と。誰も、彼に当たり前のことを教えなかった――そう思えば、怒ることは違うことではないかとも考えついていた。
「はい、これ」
「ん?」
沸き立った感情のやり場に困った少女は、頬を少しばかり膨らませていた。懐からあるものを取り出すが、勇者はそれにも疑問で答えている。
(あー、そうなるのね)
相手が浮かべる表情から、やはり何も知らない子どもが相手だったと、グリデルタは気に留めることを止めた。わからないのならば、教えればいい。有無を言わせぬ内に、懐から取り出した布をその額へと巻いてみせた。
「何これ?」
「勇者って頑丈なんでしょうけど、普通はケガしたら処置をするのよ。自分のためにも、心配してくれる周りの人のためにも、ね」
「……そうか、そんなもんか」
ポツりと言葉を漏らした巻かれた少年は、巻かれた赤い布に触れながら、何ともいえない表情を浮かべていた。ぼんやりしている表情に変わりはなかったが、その頬は少しばかり緩んでいる。少なくとも、少女の目にはそう映った。
成人しているだろうが、まだ十七程度の少年がそのような顔をしていることはどういう訳か。グリデルタは、他人事ながら心配になってしまう。
「ねぇ、オッサン。あんたもこいつの仲間なら、ケガの処置くらい教えてやりなさいよ」
横で事の成り行きを見守っていた半裸の中年を睨むが、彼女の言葉を意に介さなかったようで小首すら傾げていた。勇者の仲間とは、かくも常識離れしたものの集まりなのだろうかと、少女は胸の中で反芻させる。
「いやいやグリデルタ譲、勇者様はネギ神様の加護を受けているから、平気ですぞ?」
前言撤回。常識離れでは済まない話だったと、少女は頭を抱えそうにもなる――諸悪の根源を見つけてしまった。それがわかれると同時に、グリデルタのこめかみの血管がプクりと浮き立つ。気づけば、彼女はベンチの上に立ち上がっていた。
「アンタの所為かっ!」
「何ですか、何ですかっ!?」
首を掴みたいところであったが、何せ上半身が裸なので掴むところがない。諦め切れなかった少女は、肩当てを掴んでは、これでもかと揺すってみせた。だが悲しいかな、鍛えられた男を細腕では揺さぶることは出来ず、当のオッサンは困惑の表情を浮かべるに留まった。
「ああ、オッサンを責めないでくれ」
「……ふんっ」
申し訳なさそうな声を聞き、少女は鼻を鳴らしてはオッサンを突き放した。ダメージのまったくない中年や困り顔の少年を見ると、益々怒りが湧いてしまう。否、むしろ自分が怒ってやらねばとすら思っていた。
グリデルタがゴブリンに襲われた時に身を挺して守ってくれたこと、その後に拳の一振りで魔物を屠ったこと、それらから勇者がただの村人からは想像もつかない程の力を持っていることはわかった。
強さと引き換えだったのか、この少年は人として当たり前のことすら知らなかったのだ。人を心配することばかりに注力して、この少年は人から心配されることを知らなかったのか。ならば、自分が代わりに怒ってやるべきだ。怒りっぽいが気の優しい少女は、勇者に伝えたかった言葉も忘れて憤慨していた。
「グリオ殿、いいですかな?」
低い声が、人間たちの間へ割って入った。現れたのは、先程勇者と話をしていた老ゴブリンだ。
もう少し待てよと思うグリデルタであったが、その老人の相貌に緊張の色が浮かんでいることを感じ取り、文句を言うことは控えた。
「勇者殿のお目当てのゴブリンが、巡回から戻りましたぞ」
少女には、老人の緊張もさることながら、何故声が震えていることもよくわからない。ただ、今までぼんやりしていた少年が、その表情を引き締めたことはわかった。
「穏便に……とはいかないな。だけど、なるべく迷惑をかけないようにするよ」
ベンチから立ち上がる頃には、すっかり勇者のそれだった。傍に控えるオッサンですら、神妙な顔つきへと変わっている。何があったかは理解出来ずとも、これから戦闘が行わることくらいは少女にもわかった。
「ちょっと、あんた――」
この場所へは、勇者に助けてもらった礼を言うために付いてきた。そのことを思い出したが、伝えるべき言葉を最後までは聞いてもらえない。
「頭のこれ、ありがとな」
歳相応の笑顔を浮かべ、勇者は村娘に背を向ける。ちょっと行ってくるわ、などと軽口を叩く姿に、ただの村娘はそれ以上の台詞を続けられなかった。