いざ、王都へ 4
誰かが見ている。
「……お兄ちゃん?」
視線に気づいて灰色の髪をした少女ははにかんだ。
寝起きではあったが、橙色の瞳を瞬かせては身を起こす。兄は相変わらず眉間に皺を寄せたままだ。怖い顔であるなと思うが、彼の優しさを知っていれば笑顔で迎え入れる他ない。
「また変な顔してる!」
これまで何度も繰り返した言葉を、少女は再度届けた。決して口数は多くない。だが、この人が不器用なだけであることは疾うに知っている。
「ふふふっ」
つい、笑みが零れてきてしまう。
くしゃりと髪が梳かれれば、思わず笑おうものだ。壊すことが本来得意であるのに、必死になって何かを造ろうとばかりする。失敗を繰り返してはまた眉間に皺を寄せる彼の姿が何とも言えない程に愛おしい。
一心不乱に何かを為そうとするその姿が、美しく思えて仕方ない。
「……」
「そうだね、お兄ちゃんは諦めないんだね」
泥に塗れ、人間を造り続けようとした兄。その背中へ訥々(トツトツ)と語りかけた。淡々と造ることに挑み続けた彼は、手を止めて顔を上げる。
「スウィータ、食事にしようか」
灰色の頭に橙色の瞳――相似形の人物から言葉が出されて少女は満面の笑みで応える。
「うん、そうしようね」
応えた途端、少女の視界に白みが差した。
「リィ――おい、マリィ?」
「うん?」
マリィは目を瞬かせながら、黒髪の兄へ顔を向けた。記憶が飛ぶことは、度々あった。自覚はこの少年勇者が指摘してくれて初めて得たが、その度にどこか懐かしい想いに捉われるのはどうしてなのか。それはこの少女にも未だわからない。
「あ、それティアが調査中のもんだろ? 不用意に触ったら、あいつに怒られ……あいつは案外寛容か。神殿で拾ったものらしいから、何が起こるかもよくわからん」
元の位置に戻しなさい。兄の指示に従い、少女はそっと橙色の球体オブジェを机の上へと置いた。
「あれ、どうして、私?」
手元からそれを離した途端、マリィはいつものあどけなくも華咲く表情へと戻る。今となっては、先程のことが夢のようですらあった。
「なんだ、変な顔してるぞ?」
「それはお兄ちゃんには言われたくない、かな」
ぶーと頬を膨らませながらも、ジオに腕を絡めてマリィは笑った。初めて見た王都は多くの人が行き交っているし、竜なんて英雄譚でしか聞けない代物にも出会った。挙句の果て、大英雄の邸宅では煌びやかなものばかり見るし、精霊という存在まで目にした。
「む、気をつけよう。それはそうと、もう昼時だし何か食べないと――」
「ジオー、さっき言い忘れてた。ティアも、勇者っぽいのも戻ってきてるっぽいぞ」
兄妹の会話に割り込んで来たのは、ごく薄い藍色の髪をした少女であった。整った顔だちに赤い瞳と神秘的な美しさがないでもないが、相変わらず喋り出すと近寄り難さは微塵もなくなる。
これが精霊でジオよりもずっと長く生きていると聞かされては、マリィも驚くしかなかった。この間に少年勇者は何かを呟くと淡い緑色に包まれていた――何度かマリィも見てきたが、彼が魔法を使う時は緑色の光が現れる。発光が収まれば、何かに納得したか、ジオは顎元に手を当てて思案するような顔をみせた。
「ん? ティアも一緒に食事をと思ったがー……邪魔しちゃ悪いか」
頭の中に広がった仮想地図、トトリの商業区の一点にティアとカンナが示された。ジオが扱う刻印は、町一つ程度の範囲でこれまで出会った人を探すことが可能だ。イメージでは名前の書かれたピンが地図に刺されるようなもので、何をしているかまでは見ることは出来ない。
「んーーと、あれはだらだら喋ってるだけだな。問題なし!」
「あまり人様の暮らしを覗くもんじゃないだろうに……」
一方、同じ刻印でも魔力量の桁が違うシャロが扱えば、その人物がいる周辺丸ごとを小さな空間に再現してしまう――親指と人差し指で作った輪の中に談笑するティアたちの姿が映し出されていた。
「気にするなジオ、お姉ちゃんは気にしない。それに二人は大衆食堂に居るのに、まだ食事はしてないようだ。おあつらえむき……で、合ってるか?」
「使い方はそれで正解だけど、使い慣れない言葉で発音が微妙だな。まぁ、ティアの顔もしばらく見てないし、カンナさんとは――いつ振りだ?」
呟かれたものは曖昧で、ジオは天井の方へと視線を向けた。どうにも竜人の第一王子を殴り倒した辺りからの記憶が怪しい。何か哀しい出来事があった気がしているが、思い出そうとする度にキリカが泣きそうな顔をするので、そこには触れない方がいいと少年は結論付けていた。
しかし記憶があやふやであることは、どうにも座り心地の悪さを覚えてしまう。この件の話題になるとティアが極端に優しい笑みを向けてくるものだから、ジオとしてはどうすればよいのか、いっそ途方に暮れていた。
「眉間に皺が寄ってるよ」
「お、またか。すまんすまん、ちょっと思い出せないことが――」
腕を引くマリィを見て、少年は思わず息を呑んだ。たかだか十日程度でも記憶の欠落があれば不安になる。記憶がまるでない妹は、一体どのような心境でいるのだろうか。
「どうしたの?」
「いや、何でもない」
特に変わった様子を見せることもなく、マリィは小首を傾げている。つい先程もぼんやりしていた姿を見ているだけに、早く神殿の調査を進めたいと心が逸った。尚のこと、ティアには会っておかねばならないと、ジオの中で踏ん切りのようなものがついた。
「何でもないなら、ご飯だ。料理人のところへ行くのだ!」
さてマリィを連れてティアの元へ、そう決心した矢先に姉の方が強い意気込みを見せている。以前は食事に文句を言うことはなかったが、近頃は舌が肥えてきたのだろうかと、ジオは心内でボヤく――そもそも、シャロは一体何をしにヴァリスナード邸へ来ていたのだろうか。
「行くのだってお前、メイドはもういいのか? ルファイドの頼みとかあったんだろ」
「ルファイドというかー、お姉ちゃんはな、ジオの前ではメイドよりもお姉ちゃんが優先されるんだ」
「よくわからんが、まぁわかった。ルファイドに怒られん範囲で、好きにやってくれ――後、ティアやじっちゃんを困らせないでくれよ?」
「……注文の多い男だ。お姉ちゃんはジオをそんな風に育てた覚えはない!」
気に障った様子で、シャロはビシリと指を立てて立腹を示した。本人なりに思うところはあったようだが、ジオにしてみれば育てられた覚えないというのが素直な心境であった。
久々にあった姉は相変わらずで何よりだが、こうも話の腰が折られると何も話したくなくなってしまうのも人情だ。
「そうやってお姉ちゃんを無視すること、最近多いぞ? 妹よー、お前からも言ってやれ」
「私?」
突然話題を振られたマリィが、目を丸くしながら自身の顔を指差し尋ねた。唐突さもそうであるが、妹と呼ばれたことへ感情が揺れている。不快ではなく、この精霊と姉妹であることに違和感がないことへの驚きであった。
「そうだぞ、ジオの妹であるなら私の妹でもある。流石は勇者と言おうか、いやなに、ジオもこんな可愛らしい子を妹にするなんて、なかなか見所があるんだ」
「お姉ちゃんの言うとおりだよ、お兄ちゃん! 無視はダメなんじゃないかな!」
ノリよく応えたマリィを見て、シャロのワハハという愉快な声が響いた。怒っていたかと思いきや、すぐに笑う――静観していた弟分はなるほど、確かに二人は似ているのかもしれないと密かに思った。
「すまん。久々に会ったのにないがしろにするようなことをしてしまって――」
「許す!」
まだ話しているにも関わらず、有無を言わさぬ形で許されてしまった。頭を下げることはやぶさかではないが、どうにも腑に落ちない感がジオからは抜けない。妙な苛立ちがあったと言ってもよかった。
「まー、俺としてはシャロとマリィが仲良くやってくれるなら、それでいい」
「お姉ちゃんも面白い人だね」
「そうだな……」
こちらもご機嫌な様子で妹が答える。よかったと思うものの、どうしても“お姉ちゃんも”というところに引っ掛かりを覚えるが。
そもそも、食事に行こうというだけで何故これ程時間がかかってしまったのか。ジオは頭を抱えて蹲りたくもあった。話の流れ、分水嶺がどこかにあったが、それはもう覚えてもいない。
姉妹共にご機嫌であれば言うことはない、その通りだ。恐らくはいつも通りにシャロはボケ倒しているし、マリィは笑いかけている。
それなのに、それなのに。
何かを忘れている気がしたのは何故なのか。
「さぁジオ、ティアティアを巻き込んでのお食事だよ」
赤色の瞳をした少女は、弟の心に靄のようなものが掛かっていることでも見抜いたのか、部屋を出る際に視線をちらりと一点へ向ける。机に置かれたオブジェが淡く橙に発光していた。




