ネギと村娘 1
巻き起こった風に木々はしなりを作っていた。一直線に突き抜けたものの後を風が追いかけ、身を引き寄せられた木々の姿はトンネルさながら。
「ふぅ……」
開けた場所に出るや、勇者は呼気を吐くとともに身に纏う力を解いた。同時に、彼の背にある山は元のしんとした風景へと戻ってみせる。暴虐を尽くした風であったが、ゴブリンだけを屠る概念であったのか、木々は何食わぬ顔でそこにあった。
「――――」
(まぁ、そうなるよな)
勇者の背とは対照的に、正面からはざわざわとした音が届けられる。シャロが示した位置を目指した結果、辿り着いた場所。果たしてそれは、ゴブリンの住まう村だった。ざわつきの正体は、この村の住人たちが漏らす不安の篭った声だ。
この少年には異種族であるゴブリンの判別はつかないが、恐らくは年寄りと女、子どもなのだろうとあたりをつけていた。木製の家(依頼を受けた村と比べて一段は劣る)から顔を出す者。淵の欠けた井戸に隠れる者。逃げるタイミングを失い、小さなゴブリンを後ろに隠す者。いずれも、戦闘意欲のない――否、異種族と争ったことのない表情を浮かべている。
「あー、そこのキミ」
「――――っ!?」
手近なところにいた小さなゴブリンへ声をかけるも、身を強張らせた姿勢のままで固まってしまって返事はない。子どもなのだろうが、ビクリとした際に上げられた肩が、耳と同化してしまったのではないかと見紛う程だ。
(悪いことしたな……)
頬を掻きながら、勇者はどうしたものかと胸中で独り言ちる。ただ頬を掻くという動作に対しても、何人かのゴブリンが過剰に反応していたことは、流石の彼も少し傷つきそうになっていた。
――当てが外れた。勇者の心中を一言で表すとすればそれである。
異種族と隣接する村において、入り口は重要な意味を持つ。村の顔だからといってしまえばそれで済むが、大抵は敵の侵攻を防ぐために大きな門が構えられている。侵攻を防ぐ以前に、敵を見張るための櫓などがあってしかるべきだ。ド田舎であるグリデルタの村でも申し訳程度に塀が設けられていたが、この村にはそれすらない。
シャロの言う通り、ここにはそこそこ大きな魔物の力を感じている。だが、村の入り口が村民の井戸端会議場になっているとは、流石の勇者も思わなかった。勢いのまま、強固な入り口で待ち構える黒幕だけを倒して帰ろうと思っていただけに、少々落胆してもいた。
「もし、そこの緑ぃノ」
「――はいっ」
思考の途中で声をかけられ、少年は妙にハキハキとした言葉で返してしまった。カチャリと緑色の鎧がなれば、それが合図であったかのように、固まっていたゴブリンたちの緊張が解け始めた。
何事かと思い、声の方向へ顔を向けると、そこには皺が多く背の低いゴブリンがいた。体重を預けていた杖が持ち上げられれば、その切っ先は勇者へと向かう。
「お主、人間のようじゃナ。何故ここに、と聞いた方がいいのじゃろうが、おおよその見当はついておル」
「……」
話の内容はともかくとして、何らかの違和感を覚えて勇者は眉を寄せた。流暢であるが、語尾に訛りのある話し方は彼が今まで見かけたゴブリンのものと相違ない。一体何がそう思わせたのか、視線をさ迷わせる内に答えに辿り着いた。
「あんた、目が見えないのか?」
「ふム。まぁ、そうじゃナ」
それが何か? といった風に老ゴブリンは瞳を彼へと向ける。丸々とした眼球に光はないが、しっかりと少年を捉えるそれには、力が宿っているようにも感じられる。
勇者がそう思ったことは間違いではなく、他のゴブリンたちも恐る恐るといった様子ではあったっが、老ゴブリンに倣って彼を見つめていた。すんなりと怯えを取り払った者たちを見て、勇者は周囲に気取られぬように警戒のレベルを上げた。
(民を率いるに長けた力を持っている……このジイさん、ただのゴブリンじゃないな)
言語を介する能力を持つ種族の大半は、神へ祈りを捧げる。結果、種族としての能力とは別に、受け入れた神からは何らかの加護が与えられる。この老ゴブリンが備えるものは、魅惑か統率か。この状況では未だ判然としないが、見た目とは異なる力を有していることは確かだ。時として個体値以上の力を発揮する加護を侮ることは出来ない。
「ワシの名は、ヤーロと申ス。して、緑の人ハ?」
「グリオと呼んでくれ……でもそんなに呑気にしていていいのか、ジイさん。俺はあんたらの同胞を――」
「知っておる。グリオ殿がここまで来る間に、幾つかの命が消えたことを視ておっタ。ああ、そんな顔をしなさるナ。お主がワシらに危害を加えるつもりがないことも、知っておル」
ま、あやつらはツケを支払ったのじゃナ。毅然と告げる老ゴブリン――ヤーロであったが、伏せた瞳はどこか哀し気な色が含まれていた。しかし、そんな素振りを見せたのは一瞬に過ぎない。
「ここではなんジャ。家へ来なさレ」
「……ああ」
勇者が返事をする前から、ヤーロは背を向け村を進み始めていた。彼らを取り囲んでいたゴブリンたちが輪を崩すと、村の先まで続く道が出来ていた。
最初から人間を襲う腹のないものを、手にかけるつもりはない。だが、ここまで無防備な背中を見せれてはどうしたものか。周囲から少年へと注がれる視線も、いつの間にか恐れから好奇心へと変わっている。当初の勢いを削がれた勇者は、一度頭を掻いて考えるポーズを取ってみせた。
(どうしたものか、と言いたいが、考える時間が勿体ないか)
なるようにしからならないし、なるようにしてみせよう。仲間のオッサンが聞かせてくれた父の口癖に倣い、少年は老ゴブリンの後を追った。
近くて遠い存在であったゴブリンの村を歩きながら、少女は視線を巡らせる。初めて見る異種族の村であったが、随分と侘しいものだという印象を、彼女は受けていた。
山と暮らす。自然と共に規則正しい生活を送る。そう言えば聞こえはいいが、この世界で実践するのはなかなかに難しいものだ。
望む望まざるにかかわらず、外敵に囲まれて暮らすことになるのだ。グリデルタは山育ちだというが、実のところ山の中腹へ入ったことも、それを越えた先へ来たことも、これが初めてのことだった。
山の中にある田舎の村で育った彼女だが、その村は木々が茂っているだけで、標高の実質は小高い丘程度のものだ。すぐ傍には農耕可能な平地があるし、少し山へ入れば山菜も取れる。共生がうまくいっているのか、乱獲さえしなければ動物性たんぱく質にもありつける。
「何というか、魔境って感じね」
「あまりキョロキョロしませぬように」
ゴクリと唾を飲みながら、グリデルタは漏らす。その言葉は誰に向けたものでもなく、がたいのいい男からの返事など耳に届いてはいない。だが、何事かを話していなければ理性を保てる気がしていなかった。
自分たちが招かれざる客だとはよくわかっているつもりであったが、村のあちこちから注がれる緑褐色の肌をした魔物の視線に、全身の毛穴が開く感を少女は覚えていた。
“不用意に山へ入ってはならない”村の老人たちがそう言っていた理由を、感覚的に理解する。ここにいる幼子ですら、グリデルタを引き裂くことが出来る存在なのだ。
「大丈夫ですか、グリデルタ譲?」
「……正直、怖いわね。だけど、平気な気がするから、行ってちょうだい」
男の嫌に紳士的な言葉遣いが気にかかったが、少女は隠すことなく答えていた。父親に指名されたからとはいえ、勇者に依頼をした村の代表として彼女はここに背負われているのだ。
事実、平気な気がするというグリデルタの直感は当たっていた。村にいるゴブリンは視線を彼女らへと注いでいるが、そこに敵意というものはほとんど含まれてはいない。あったとしても、何者かが抑えているのか襲いかかる気配もない。遠巻きから眺められている、その程度でのものあった。
「あんたさ、勇者と旅してたら、こういうところにもよく来るの?」
「んー、そうですな。魔物の村に入るってことは稀ですが、何度かありましたな。ゴブリンの村らしいといえば、ここもゴブリンの村らしいですな」
何が面白いのか、ハッハッハ、と豪快に笑いながら半裸のオッサンはゴブリンの村を大股で歩く。勇者と別れた時には、特に示し合わせた様子はなかったのだが、その足取りは確信をもっているように少女には思えた。
勇者の従者に背負われていることが安心につながった――とは思いたくもなかったが、グリデルタは次第に余裕というものを持ち始めていた。村に入った時に感じた、侘しさについて考えるゆとりも生まれていた。
(山での生活が厳しいというのは、人間に限ったことじゃないのね)
ぼんやりと、そのようなことを考えていた。ゆとりが出たからか、多少のことでは最早動じる気も起きない。というか、動じると負けなような気もしていた。
ヒエラルキーでいえば、ゴブリンは下から数えた方が早い。言語を介するものの、人間程の器用さは持ち合わせていないのだ。
道具を使うことは比較的得意としているが、加工する技術に乏しい。魔物という在り方がそうさせるのか、この地域のゴブリンは特にそれが顕著だった。家屋のようなものは、何とか木を組んだ程度で、雨露を凌ぐことに重きが置かれているように少女の目には映っていた。
村から山へ出れば、クマに襲われる可能性もある。シカもいる。外敵に囲まれながら生きるゴブリンが人里を襲うのも無理はないかと、村を出たことのない少女ですら思い当ってしまう。何となくそのように考えついていたが、考えついでに新しい疑問が浮かんでいた。
「ねぇ、途中で見かけた手の入った土地って、何だと思う?」
「農作地じゃないすかね。グリデルタ殿の村のものでは?」
「……」
オッサンの言葉に、漠然とした疑問が疑念へと変わり始めた。村の政はよくわからない。だが、これでも村長の娘であるので、あの畑が村の人間が拓いたものではないことくらいわかる。では、あれは一体誰が?
「――わぷっ」
大きな瞳を白黒させて、グリデルタは驚きの声を上げる。大股で進んでいたオッサンが急に立ち止まったため、その背中に顔を埋めてしまったのだ。
「もう、何を……」
するのよ、と言いたかったが後半は喉の奥に仕舞われた。巨漢の肩越しに状況を確認にかかったところ、何とも言い難い光景が目に入ってしまう。
「よ、追いついたか」
「グリオ殿のお仲間ですか。お強そうな方ですな」
女児の方は平均程度ですが。そのようなやり取りを聞きながら、少女は肩をわなわなと震わせる。勿論その理由は眼前の人と魔物に由来する。
「何であんたら、仲良く並んでるのよっ!」
多少のことで動じる気はないと思った村娘であったが、勇者とゴブリンがのほほんと居並ぶツーショットには怒鳴り声を上げてしまった。いや、だってゴブリンだし。というか、働けよ勇者! とは思ったものの、肩越しに見えたオッサンの横顔、その唇に人差し指が添えられている姿を見れば、少女は黙る他なかった。
(もう、本当に訳がわからない)
訳がわからないといえば、足のケガも治っているのだから、いい加減背中から降ろして欲しいと思うグリデルタであった。