神様が落としたもの
人間種が――否、その他を含めた生き物が暮らす世界、フルゥエラ大陸とは異なる世界がある。生き物がおいそれとは踏み入れられぬこの地は、世界と呼ぶよりも天界と称した方が通りがいい。
「シャーロットもジオグラフィカエルヴァドスも、ここが分岐点か? はてさて、実に面白いところだが、不安も残る。自分たちで決めた規則だが、基本は眺めているだけというのは……どうにも性に合わん」
切れ長の瞳に鮮やかな緑色を携えた美人が、腕を組んで思案する。ウェーブのかかった黒髪は長く、首元で雑に束ねられては背中へ投げ出されている。
衣服は黒い着物が選ばれているが、これまた着付けはぞんざいなものだ。足が組み換えられれば褐色の肌が覗く。妙齢の女性に見えるこの存在こそが、十三の神の内、人間種からは闘神と呼ばれるヴァンデリック・ルファイドであった。
神々の共有空間に供えられた長机、その上に乗せられた鏡を通して少年勇者の行く末を見守る――見守るとは言うが、片眉を下げつつも口の端は持ち上げられている。
「あら、リックさんたら。煩わされているのに随分と楽しそうじゃないですか」
「ハハハ、サリーはなかなかに鋭い――実は愉しんでいるんだ」
ルファイドの向かい側から、穏やかな声が届けられた。闘神とは対照的なストレートの金髪は長く、少女然とした柔らかな表情によく似合っている。
長い耳を見れば、エルフという種族であると誰もが理解するところだ。だが澄み切った水色の瞳は、彼女が超常の存在であることを示す。
サリーと呼ばれたこの少女こそ、現在のレジナス王国へ大きな影響を与えるサリナ教皇である。白色のローブを纏った姿は、アイリス信仰の頂点と呼ぶに相応しい厳かさが、静謐さが纏われていた。
「闘神なんてご大層な名前を冠しているが、オレが力を発揮する場面は極々限られている。であればな、愛すべき精霊と勇者の苦悩を見守ることすら愉しみとせねば、な?」
「ルファイドさんが悩める子羊を思う……主神が聞けば感涙しそうです」
はへー、と息を吐きながらサリナは感心を告げる。皮肉に聞こえないでもないが、本人にその意図はない。
「相変わらずな奴よ。いやいや、サリーはそれがいい」
仮に皮肉であったとしても、主神は勿論彼女も愛してやまない闘神は、にっこりと微笑んでみせた。
「ご大層と言えば、私も教皇などと呼ばれておりますし。主神の意向で人間種へ加護を与えてますけど、実際勇者に選んでいるのは現今ではウィゴッドだけ――あの子はもう少し悩んでくれたらいいと思うの」
「うちのと交換するか?」
「……シャーロットを? 私に精霊を育てることが出来るでしょうか」
「バカ言え。あれは誰にもやらんぞ」
勇者の方だよ、とルファイドは眉をしかめる。ネギとカラシ――勇者としての在り方が異なる二人であるが、実力はお互いに伯仲していると闘神は睨んでいた。
「どっちみち、お断りです。幾らリックさんの頼みであっても、ウィゴッドを手放す気はありませんから。貴方も、そうでしょう?」
言葉遣いは変わらないが、サリナはやや不機嫌そうに頬を膨らませる。十二の神々が争った時代、それを終結に導いた暁の勇者とこの十三番目の神は苦楽を共にした。直系の子孫であるガッシュは彼女にとって子どものような存在である。
「サリー程人間に入れ込んでるつもりはないぞ。ただな、オレの愛する精霊も勇者も、人の形をした別の何かだ。困ったことに本人らは人間を愛しちまってる……いっそ、こちらへ来てくれたのなら、オレの悩みも減るんだがな」
ふぅ、と息を軽く吐きながら緑の瞳を細めてみせる。
得られた力を誰かのために使おうとする――それは精霊としても勇者としても、在り方としては問題はない。闘神が困るというのは、二人して力の代償を考えていない点であった。
精霊はともかく、人間の少年であるジオが無償の奉仕をどれだけ続けることが出来るのか。見返りを求めないことは美徳であっても、得はない。
いつしか少年の魂がすり減り、身も心も鬼となるのではないかと危惧が残る。大体は、先代ネギの勇者が人間離れしたことをしてしまった所為であるが。
「強い光ばかり見ていると、目玉が焼かれてしまう。なぁ、サリー?」
「……そうですね。私もなるべく、主神なんておぞましいものは見つめないでおきますよ」
ルファイドにならい、主神代行であるサリナは水色の瞳を伏せた。
生きとし生ける者、その全てを苦しみから救う――そう嘯いた主神アイリスの意志は強く美しいものである、彼女もそれは否定しない。
だが一方で邪神ランギスの考えも間違いではないと思う。全てを救う、その美しい言葉の裏では押し込められたものも確かに在った。
「然り! エリーのことはこやつに任せておくがよい!」
「……ややこしい奴が来やがった」
「あらあら、ロスさん。お久しぶりです」
尊大な声が共有空間に響けば、先に居た二神はそれぞれ異なる様子で応じた。
口元には石で出来たフェイスガード。物々しい装備の上、覗く肌には張りがある。灰色のツインテールを垂らす小さき少女――大きな瞳の色は燃えるような橙をしており、彼女が造形の神であることを知らしめている。
「うむ、苦しゅうない。吾輩の登場に喝采を以って応えよ!」
「何処が苦しゅうないだ、用件述べて帰れ」
しっし、と猫でも追い払うような仕草をしながらルファイドは渋面を切る。
「リック、お前の吾輩らに対する扱い何とかならんのか? 今からカヴを呼んで抗議してやってもいいんじゃぞ」
「……やめてくれ。お前らが揃うと面倒臭くてかなわん」
髪を振り乱しながら騒ぐ少女を見て、ルファイドは目元を手で覆って呻いた。
獣神カヴァン・ウィッツと虚神フィロッサ・ロジェクトは、神々の中でも指折りのトラブルメーカーであった。
サリナは横でくすくすと笑っているが、この苦悩は当事者にしか理解は出来まい。片や意志疎通の取れない獣を暴れさせる、片や壊さねば止まらない泥人形の大量生産――闘神としての力を後片付けに使わされる、これ程情けないこともあるまいとルファイドは眩暈すら覚えた。
「ところで、何か御用があったのでは?」
普段は工房にお篭りさんですのに、と相変わらず悪気のない皮肉まじりにサリナは語りかける。さらりと出された痛烈な言葉であるが、皮肉を理解出来ない虚神は、気にも留めずに用件を語った。
「そうじゃ。リック、お前んとこの精霊、何してくれとるんじゃ!」
「シャーロットか? 話が見えんな」
首を傾けながら、闘神は身に覚えがないと伝える。
「えぇい、誤魔化すでないわ! セルペンティアんとこの魔女と結託して、私の神殿を荒らしておるじゃろ!」
「……神殿ねぇ」
首の位置を戻し、ルファイドは厭そうに相手の言葉を繰り返した。
天界であれば何とでもなる。だが、地上で泥人形を溢れさせては如何ともし難い。闘神の力を振るう訳にもいかず、蓋をしてしまった――それを神殿と呼んでいいかは別問題。
問題は、その神殿が幾つもあることだ。
「廃棄してしまっても問題なかろう。御し切れないものに蓋をする、それは神としてはどうなのだ?」
「否、否、否ーーっ! 絶対に認めぬ! あれは制御出来てないんじゃない、まだ途中なだけじゃ!」
ブンブンと頭を振りながら幼女が喚く。激情のついでに振られた拳は石を纏い、共有空間の机を叩きつけた。
「フィロッサ――」
「う、すまん」
深い緑に睨まれ、ロスは呻く。瞳の虹彩は鮮やかな緑色のままであるが、瞳孔は広がり闘神本来の形に近づきつつあった。
「わかってくれれば、いい。サリーの前で荒事はよしてくれ」
「元はと言えば、リックが……」
ぶつぶつと呟きながら、橙の光を広げる。造形の神の名に相応しく、直ぐに机は元の形へと作り直された。
その端では水色の瞳の少女が困ったように笑ってみせる。
「ロスさんが可哀想ですよ? 神殿が荒らされたとなれば、怒りもするものです」
「そうじゃそうじゃ、サリナ、もっと言ってやれ――やめろリック、その眼で見るでない!」
造り手であるフィロッサ・ロジェクトは、壊すことが得意なヴァンデリック・ルファイドが天敵のような存在である。
「とは言え、シャーロットが足を踏み入れたのなら詫びよう。オレに何を求める?」
ん、と顎をしゃくって相手の出方を待った。よもや謝罪欲しさに闘神の元へ踏み込むようなことはあるまい。
「遥か昔に見失った子ども、吾輩が手ずから作成した泥人形の回収じゃ」
あの精霊に壊されるようなことがあってはならん、橙の瞳を揺らし、ロスは尊大な口振りで応えていた。
ズズン――重々しい音が響き、石造りの壁が壊れては土煙が巻き上がる。
「もうちぃっと、何とかならんのかシャーロット」
神の怒りを買うぞ、と告げるも精霊は聞く耳を持たない。
「リア……彼女に助力を求めた時点で無理な話だろう。何せ精霊は人の理を解さない」
涼やかな声を上げながら、暁の勇者は外套を広げて魔女をすっぽりと包む。格好をつけたいようだが、煙に幾分か咽ていた。
「あのなぁ、私は守らなくて結構じゃ――おい、シャーロット、本当にロジェクト神が殴り込んで来ても知らんぞ!」
「へーきへーき、何とかなるよー」
言うが早いか、緑色光を備えた右の拳が石の床に振り下ろされる――ズズンと再度音を立てて、神殿は五階層まで綺麗に空洞に変えられてしまった。
「まったく、無茶苦茶な」
浮遊の魔法を展開し、騎士勇者共々ゆったりと着地を決めるが、ティアの表情は浮かない。昨日ネギの勇者が連れていた橙の瞳をした少女、それを見た後、魔女は時間が経たない内から地下迷宮攻略を決意していた。
人間種でロジェクト信仰を持つものは、まずいない。造るということに熱狂的で結果を鑑みない神には人間の身ではついていくことが難しい。
「シャーロット、本当に無人なんじゃろうな?」
まずは少女の身元から調べようか、そのように思った矢先に彼女がひょっこり顔を出したため、暁の勇者と精霊を伴った強行軍を敢行した訳だ。
「うん、大丈夫。刻印の魔法で地図化は終わってるし、生命体はスライムくらいのもんだ」
長い髪を揺らしながら、精霊は語る。差された先には橙の光があり、「目的地にすぐ辿り着いたろ?」と得意げな顔をしてみせた。
「ええぃ、そういう問題じゃないと――」
「リア、密室ではキミの魔法は不向きだ。後ろへ」
魔女の言葉を遮り、ガッシュは宝石剣を抜き放つ。
橙の光は彼が三階層から持ち帰った丸石によく似たものから放たれている。しかし、サイズは比べ物にならない程大きく、中央に据えられたそのオブジェクトを護るようにして無数の何かが蠢いていた。
「確かに、生物はなかったな」
勇者の前に立ちはだかるは、人型。手足を振りながら侵入者へと迫るが、不器用に足を震わせながら来る姿は、凡そ人間の成りそこないのようでもあった。泥を固めた顔の上に石くれのような瞳が乗っかり、鼻はなく口のような穴が空いている。
土色の肌に橙の瞳、ただし人間のような生気を宿らせることはない。
「泥人形が大量じゃ……これはもう、確定じゃな。ついでに神の怒りを買ったのも、確定じゃ」
溜め息を吐きながら、ティアは諦めることにした。荒れることになるだろうが、既に山吹色の光と緑色光が駆け出している。
「どうしますか、私としては女性を戦場に立たせたくはないが?」
「生意気、まずは精霊に任せぃ」
手を開いて突き出せば、どこから緑色の光が放たれる。奥のオーブまでびっしりと詰まった泥人形へ、魔力の波が押し寄せ魔法へと昇華された。
「生命爆発!」
「――――っ」
魔法に包まれた人形たちが一斉に口を開く。顎が外れたように穴が広がり、喉元から緑色の塊が吐き出された。
天に向かって伸びるそれは、爆発的な成長を果たしたネギであった。急激な変化の後、枯れ果てる頃には泥人形たちが地面に転がる結果を齎した。
「うん、やっぱり平気だ。この程度で倒れるってことは、ロスさんが作った泥人形じゃないってことだね」
うんうん、と納得いったように頷くシャロ。軽く手を払えば、崩れ重なった泥人形が壁際へ寄せられた。
「……疑っていた訳ではないが、本当に精霊だったか」
目を丸くしながら、ガッシュは辺りを見回した。紅の瞳は高い魔力を持った証であるが、ただ一つの魔法で敵を無力化してみせたことには、単純に驚きがある。
「生命力を吸い取る魔法。流石に暁の勇者も驚いておるか」
「僕にも見たことないものくらい、あるさ。人生のほとんどは鍛錬と魔物退治で、余り見聞は広くもない」
剣を鞘へ納めながら、勇者は歩みを進める。
知らないことなど一杯ある――眼前にあるオブジェもそうだ。人間種の勇者としてどれ程力をつけようが、神を前にした時の無力さは表現出来よう言葉もない。
「かく言う私も、見たことのないものばかりで驚いておる」
安心せぇ、と魔女は辺りを見回しながら青年へ答えた。
橙の特大オブジェの他、奥の扉がティアの瞳に興味深く映り込んだ。シャロが言うには、この五階層が最下層であり、生命体は存在していない。
魔力の詰まった橙のオブジェを泥人形が護っている理由は何となく察せられるが、それでは、あの扉の先には一体何があるのか。
「ティアティア、この橙美味しそうだねー」
「これシャーロット、迂闊に触るでないぞ?」
ビーー、と無機質な音がけたたましく鳴り渡る。
「……もうちょっと、早く言ってくれないかな」
神妙な表情を浮かべながら、精霊はゆっくりと球体から手を離した。
「お前、バ――」
最後まで言葉は紡ぎ切られることなく、神殿は黒に覆われた。
オブジェが沈黙をしたことにより、灯りがなくなった訳であるが、魔力の痕跡が消えては調査も進まない。
真っ暗な闇の中、ティアの溜め息だけが静かに響いていた。




