緑と橙 2
レジナス王国の前身である国が、フルゥエラ大陸のほぼ全土を牛耳っていたことも今は昔。現在は西に共和国、東の中立地帯の向こうにエスジレーヌ国と、二つの国に挟まれた形で統治がなされている。
王都トトリは東南端に構えられ、そこから見て北方は小麦の穀倉地帯を有する。それ以上の北となると、東西を横断するデジレンス大山脈に阻まれて全容は掴めない。
尤も、山岳地帯があることは悪いことばかりではない。レジナス王国は北方の未踏地の他、西側の共和国とも山岳地帯を持って分かたれていた。王都が端にある以上、離れれば離れる程不便な暮らしとなる。
レティアより西はド田舎、そのような認識がレジナス王国民の間で共有されていた。
「あら、まだいたの?」
西側の代表のような村娘が、呆れたように声を出す。日に焼けた茶髪は、イーシア地方では珍しいものではないが、農作業中心の生活にありながら髪は長かった。
「ええ、わたーしは西部に来ることは少なかったので」
答えながら、お互いがお互いにじろじろと姿形を眺め合う。羽根つき帽子に小洒落た外套、楽器を片手にする様は珍しい。が、その相手が自分をレアな魔物でも見るような目つきを向けてくることに、グリデルタは不満を隠すこともしない。
猫を思わせる大きな瞳を細め、眼前の青年へ言葉でチクリと一突きしてみせた。
「田舎娘が珍しい? 流石は都会の吟遊詩人ね」
「いや、そんなことはなくーてですね……」
両腕で大きな竹籠を抱えているが、中身は溢れんばかりの洗濯物だ。大家族の主婦やその長女ならばいざ知らず、彼女には少々不釣り合いのようにハインドは思った。
「その、何でしょう。美しい方がこんなにも沢山のお仕事をされているのかと、はい」
聞く分には語りには淀みがないようであったが、いつもの彼を知る人が聞けば随分と歯切れの悪い台詞回しであった。自身も北方出身の田舎者だというハインドだが、都だろうが村だろうが、見目麗しい女というものは仕事を誰かに肩代わりさせる――そのような偏見を持っていたのでやや戸惑った。
「はぁ? お世辞ならもうちょっと上手に言ってくれないと。吟遊詩人ってそんなもん?」
「ぐっ、世辞じゃないのですが。そう思われたーのなら、それはわたーしの力量不足です」
美人の睨みは、強面のゴロツキよりも心に刺さる。吟遊詩人は新しい諺をここに生み出した。
「何ですか。私はこう見えて忙しいのだけど、主神に仕える身ですから……あんたが迷える子羊なら話くらい聞くわよ」
憮然とした顔のまま籠を下ろしたグリデルタであったが、再び視線を向ける頃にはシスターらしい博愛に満ちた表情を見せていた。
「……」
「悩み、なかった?」
口を噤む青年を前に、淡白に言葉をシスターは出す。師には“口は悪いが、聞き上手”などと褒められていただけに、相手が黙りこくってしまうのは少しばかり傷ついてしまうものだ。
「じゃぁ、洗濯に行くから。吟遊詩人なら仕方ないけど、あんまりプラプラしないようにね。イーシアの人たちは寛容だけど、余所者に優しいって訳じゃないから」
よいしょ――掛け声と共に少女は大きな籠を持ち上げる。預かった孤児たちは、最年長のローレンを筆頭にヤンチャ盛りだ。泥だらけになるまで駆け巡るのは元気があってよろしいが、洗い物が溜まって仕方がない。
「あ、あの――」
「……もう、用があるなら籠を持ち上げる前に言ってよ」
先程までの愛に満ちた顔は何処へやら。グリデルタは悪態を吐きながら眉間に皺を寄せる。
「用って程ではなーいのですが、この間も貴女をお見掛けした。わたーしが謳う英雄譚を前に、美貌を崩ーしていたことが気になったのです」
訳を教えてくれまいか、そのように吟遊詩人の青年は年下の少女へ頼んでいた。
「えーっと、何て言ったらいいかしら」
真剣に頼み込む男を前に、グリデルタは思わず相貌を崩していた。彼女が笑った理由がわからぬハインドは、真面目腐った表情のまま少女を見つめる。
「あのね、その……」
「はい、何でしょう!」
ずずいと身を前に出しつつ、吟遊詩人は少女へと迫る。己の語りに足りないところがあるのならば、教えて欲しい。シスターを前に、ただただ神へと祈る迷える子羊は確かにここにいた。
「リバーハインドさんの語りがいいとか悪いとかじゃないの」
「……はぁ」
語るは得意であるが、聞くはそれ程でもないハインドは思わず生返事をしてしまう。勝気な表情をしていた少女が、こうして眉を潜めてしまうことがよくわからない。
「貴方の英雄譚、緑の人の話はすごく面白かった、わ。ネギの勇者がイーシアを離れてから、どうやって人を救おうとしていたか、よくわかったもの。相変わらず、不器用な人だわ」
ふふ、と含み笑いをするグリデルタ。まるでジオを見てきたかのような口ぶりに、吟遊詩人の青年は不可解なだらも黙ってその先を待った。
でもね、と少女が言えば、英雄譚を前に渋い表情をした真相もわかろうものだ。
「そんな英雄に渡したボロっちぃスカーフが大事にされてるとかさ。笑っては聞けないじゃない?」
「――え、貴女がジーオの想い人で?」
咄嗟に、思ったままの言葉が出された。
「え?」
「え?」
修道女と吟遊詩人、つながりのなかった二人が二人して間の抜けた声を上げていた。
レティアは交易都市であれば、朝も早い。人口も他と比較すれば多いこの町は、人の流動と同じくして起きている時間帯の違う人たちが、絶え間なく動き続けているに過ぎない。
「ジオー、頑張れぇっ」
可憐な声がカナン亭のごく周辺を満たす。仮宿に身を預ける人たちにしては、まだまだ活動には早い時間帯だ。
そのなかで、マリィは朝から元気よく緑色の少年勇者へと声を張っていた。丁度よく、向かい合った男を軽く殴り飛ばしたところだ。
「ず、ずるい!」
「……聞くだけ聞こうか。何がずるい?」
目の前で這いつくばる男へ、声援を一手に受ける少年は問うてみた。手足の長い男は、これまで文句も言わずにこの日課をこなしていた筈だ。それが観衆である少女が目に入ったところで、急に泣き言を溢し始める。
ジオにはコーディーの呻きがまったく理解出来なかった。
「旦那、どうしてですか!」
「だから、何がだよ」
打ちのめされたにも関わらず、手足の長い男は気迫と共に主へとにじり寄る。背丈が高いだけに、前のメリになるだけで少年へと肉薄してみせた。
緑の勇者の方はと言えば、殺気はあれども攻撃の意志はなしと従者の男を抱きかかえている。彼のことは嫌いではないが、何とはなしに若干イラつきを持ってもいた。
「酷いや、ひどいや旦那。キリカやティア姐さんだけじゃ飽き足らず、またも綺麗なお嬢ちゃんを――」
「ちょっと、黙ってろ」
コーン、と拳で顎を払う。殴るのではなく、手の甲を密着させてから割と本気で振り抜いてみせる。打撃という面では衝撃が少ないが、一瞬で拳が振り切られたのに合わせて頭は振れ、男の脳は盛大に揺さぶられた。
コーディーは物を言う暇もなく、その身を地面に投げ打っていた。
「ジオ、強ーい」
ぱちぱちと手を叩きながら、マリィは喜んでいる。幸薄そうな男がふがいなく泡を吹いたりしているが、残念ながらその姿は視界にも入らない。
「確かに強いな、ジオグラフ殿」
パン、パン――灰色の少女が贈ったものとは異なり、ゆったりとしたテンポで称賛が届けられた。
「暁の勇者に褒められると、どうにもこそばゆいな」
「いやいや、私は世辞が苦手でな……証明となると、実際に闘う他ないが?」
「ほぅ、そうか。ヴァリスのじっちゃんが認めた勇者だ、とんでもなく強いんだろうな」
丁寧な言葉遣いのなか、二人の勇者は静かであるが激しく視線を交錯させた。
主神と闘神、異なれど強き神に愛された勇者がお互いに拳を構えてみせる。同時に放たれたものは衝突間近。
片や暁の勇者、水色の魔力を帯びたものは剣を持たずしてすらりと伸びていく。片やネギの勇者、緑色のそれは篭手のない素手がひたすらに繰り出される。
「旦那ーーっ!!」
激突の瞬間、響いたのはそんな音だった。
「痛そう……」
次に出たのは、マリィの悲痛な声。拳と拳、ゴブリン程度は軽く消し飛ばせる勇者の間に、コーディーが挟まれていた。
本人に割って入る意志はなかった。立ち上がったところが勇者の激突ポイントであったという、ただそれだけの悲劇がそこにあった。
立ち上がった直後に、男は主であるネギの勇者諸共に吹き飛ばされて転がっていく。
「すまんな、コーディー」
「謝ることじゃねぇっすよ。俺が突然立ち上がったのが……俺の所為で、旦那は負けたんで?」
吹き飛んだにも関わらず、従者はピンピンとしていた。殴られた筈なのだが、ダメージはない。最早闘神の加護以外の恩恵を受けているのではと、邪推してしまう程だ。
「それこそ、お前が気にすることじゃない。ネギの勇者は負け知らずだったが、相手が相当に強かった……それだけさ」
左手の痺れを隠しながら、ジオは笑う。宝石剣というわかりやすいシンボルを持った勇者、それを前に侮っていた訳ではない。ただ素手での相手に遅れをとることはないと高を括っていた。ガッシュの一撃は、今まで相手にしてきた魔物よりも重いものであった。
「すまない、ジオグラフ殿。つい、ムキになってしまった、私はただ伝言を伝えに来ただけだったのにな」
「いや、いい。流石に暁の勇者は強かった。俺もまだまだ鍛えねばなるまい」
差し出された黄土色の篭手を握り、ジオは立ち上がる。従者を護ろうとしたものの、弾き飛ばされたことには言い訳のしようもない――吟遊詩人が謳う勇者の実力を前に、ただ感心を告げていた。
「水が差された。次は、本気のジオグラフ殿と闘いたい」
目線を真っ直ぐに、誰もが慕う勇者は辺境で活躍するジオを見る。
「俺はいつだって本気だが? それでもあんたがやりたいと言うなら、またもありだな」
少年自身、同世代の勇者とこうして語り合う機会はこれまでなかった。英雄譚が語るように、清廉潔白としたガッシュを見ていると勇者談義も交わしたくなる。
「再戦を楽しみにしている。その時は、リアを――フラティラリア譲をかけよう。伝言だが、今日も帰らないと彼女が言っている……確かに、伝えたぞ」
「はぁ?」
素っ頓狂な声を上げるジオを余所目に、肩に軽く手が触れられた。
さらりと立ち去る背中には昇りつつある朝日が差し込み、山吹色の光を届けるが、緑色の勇者は眉間に皺を作っていた。
「旦那、怒っているのですかい?」
「……多分な」
不機嫌なことにはそれなりの理由があった。自身が目指すべき立派な勇者を見ながら、少年は瞳を鋭くさせる。
昨日は何かと慌ただしかった。弟子と修行に出て、道中で灰色の髪をした少女と出会った。暁の勇者とも合流しレティアへと持ったところ、結局のところ助言を求めた魔女はカナン亭に戻って来ることはなかった。
そして早朝にコーディーと殴り合っているところへ、その勇者が現れた。心配しているだろうから、そのように彼はフラティラリアと同じ宿にいると教えてくれたが、どうせなら黙っていて欲しいと少年としては思ってしまう。
「怖い顔をしてるよ?」
眉根を寄せ、マリィはジオの右手を握っていた。今この時、篭手に包まれているのは左腕のみであり、少女の温かさが彼へと伝わる。
「……心配をかけるな」
「全然、いいんだよ!」
空いた左手で頭を撫でると、嬉しそうにしながらも少女は「ちょっと、痛いかな」と声にしていた。
「旦那、俺には?」
物欲しそうに、幾らも年上の男が指を咥えながらジオを見る。
「……心配をかけるが、コーディーは自分でなんとかしようよ」
「ひでぇ! 旦那、ひでぇ!」
首を絞められたような、悲痛な声がカナン亭の庭に響く。ついでに、飛んできた金属片が男の側頭部をしたたかに打ち付けた。
「朝っぱらから、うるさい!」
利き手を振り抜いた姿勢で、看板娘のアビーが怒鳴っていた。
炸裂したのは彼女の父が愛用するフライパンであり、コーディーの安否と共にモータリアの機嫌がどうなるかをネギの勇者は憂いてしまう。
「お兄ちゃん、すごいすごい!」
可憐な声がレティアの広場に響いた。ちょっとした人だかりが出来るなかで、マリィは感嘆の声を上げる。
「――?」
道中で手にした草の葉を口にあて、ジオは軽快な音を立てる。本人の音痴さに比べ、草から出される音色には十分に節があった。
「ネギ、どうやってるの?」
「魔物と闘ったんだろ、話を聞かせろよ!」
「友達に吟遊詩人がいるって、本当?」
いつしか広場には、子どもたちが集まっていた。
レティアは栄えた都市であるが、裕福な家庭の子どもは限られる。主要な道を外れれば、郊外まで出れば労働力になろうとする小さき人たちに出遭ってしまう。
「お前ら、家の手伝いはいいのか?」
草から口を離し、ジオは集まった少年少女へと問うてみる。音色に誘われたかと思われた彼らであるが、思いの外、勇者へと真っ直ぐに言葉を投げかけてもいた。
手伝いは終わった。まだ途中だ。そもそも手伝いを頼まれていない――それは様々であったが、勇者に向けて関心が告げられている。
「わかったわかった。にしても、お前らも変わりもんだなぁ。今、この町には暁の勇者がいるんだぜ?」
自嘲するように笑い、誤魔化すようにネギの勇者は草を唇へと運んだ。
「なーネギ、聞いてくれよ!」
草笛を吹く少年の周りに、子どもが次々と口にする。彼ら彼女らにしてみれば、伝え聞く勇者よりも、目の前の勇者の方が実感を伴う――この人の方が、自分たちの困りをわかってくれると、そんな感覚が得られていた。
纏わりつく子どもたちに為すが儘にされながら、ジオはぼんやりと昼間までをやり過ごした。
「さてマリィ、そろそろ帰ろうか」
腰を上げてジオは歩み始める。それを追う形で、少女は小走りになった。灰色の髪が風に揺れる。
「おっと、そんなに走ると、な」
石畳の窪みに足を取られたマリィへ、腕を広げて受け止めてみせる。平地で半ばダイビングしてみせた形の少女は、へへへと笑っていた。
「え、何で楽しそうなの?」
思わずネギの勇者は問うていた。
大抵の子どもは転んでから泣いてみせる。それを喜ぶような顔を見せる少女を見ると、疑問も湧き上がる。
「お兄ちゃんが捕まえてくれたから」
「お兄ちゃん?」
応えられた言葉に、緑の鎧を纏う少年は更なる疑問を発していた。時刻は昼過ぎ、集まっていた子どもたちも家路と着く。残ったのは、ジオとマリィの二人だ。
子どもたちのネギ呼びに対して、お兄ちゃんという呼称はくすぐったくて仕方がない。
「ジオとかネギとか、みんなが言うじゃない? 私、お兄ちゃんて呼びたくなった。何となく、猛烈に!」
ぐいっと腕を引きながら、じゃれつくようにしてマリィは笑ってみせた。灰色の髪が腕に当たるも、そこに不快感はなかった。
「わかった、俺もマリィは妹のように思うからな。しばらくは、兄ちゃんになろう!」
いつもは周りの様子を伺う少年であったが、兄らしさを見せたかったのか腕を伸ばしてそれ以上を制止してみせる。
最早、暁の勇者に敗北を喫したことすら、この時点で忘れていた。マリィが向ける笑顔を見ていると、何はともあれ頑張らねばと思えてしまうから不思議でならない。
「お兄ちゃんはさ、私が怖い?」
「何を、急に……そんなことはないさ」
不意に大人びた顔を向けられ、ジオは戸惑いながら溢していた。
記憶喪失の少女であるが、怖がる必要が何処にあるのか。
「うん、そうだよね。そうなんだよね。でもお兄ちゃん、今日子どもたちを怖がっているように思ったの」
間違ってたらごめんね、そのようにマリィは告げる。燃えるような橙の瞳は、正面に向かう勇者から言葉を絞り取ってしまう。
「いいや、間違ってなんかなさいさ」
問われた勇者はカナン亭への帰り道のなか、少女の手を離すことなく返事をしていた。
こんな時ばかりは、上手く言葉を作れない己の頭を呪ってもしまう。急にお兄ちゃんと呼ばれたこと、不意に子どもたちを避けていると言われたこと――それらは三代目ネギの勇者が意識的に逃げていた課題であった。
「……そうだな、マリィに意地張るようなことしても、仕方ないな」
ふぅと息を吐きながら、魔物を軽く屠る勇者は口を動かす。
「怖いんだ」
「うん?」
出された言葉に虚偽はなく、そのため小さな少女には呑み込めないものであった。
「俺はな、闘うしか能がない――それはもう、どうしようもなく。この悩みを聞いてくれた人はさ、みんな“そんなことない”て言うんだ」
下を向いて出された言葉は、まだ続く。
「怖いんだ。俺の腕は触れるものを何でも壊してしまう……だから、ダメだな。子どもなんて、とてもじゃないけど触れられないよ」
ここまで紡がれた言葉を前に、マリィは大きく首を傾げていた。訝しがるようなものではなく、素朴に疑問を上げてみせる。
「変なの――お兄ちゃんは、変なくらい真面目だね」
そう言って、少女はジオの手を握り締めた。
「んあー、どうやら俺は変なんだ。その辺はまぁ、諦めてくれ」
さっぱりとした笑顔を向けながら、少年は出された手を握った。
表情は幾分も間の抜けたものであったと思われる。ただ、闘うしか能のない男も、花咲くような笑みを向ける少女には笑みで応えるしかなかった。




