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ネギの勇者って、何ですか?  作者: 三宝すずめ
第四話「ネギを讃えよ、吟遊詩人」
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オッサンと勇者、大いに暴れる 1

 雑木林の中に身を置き、ネギの勇者は心を落ち着ける。宿は集落の比較的奥まったところにあり、すぐ近くは木が茂っていた。これ幸いと、日の昇る前から修業に託けて自然の中に身を置く。


 本当はすぐにでも出立したいところであったが、ティアが朝風呂に入ると言ってきかなかったので、やや腐った心持ちにもなる。「宿泊費を出したのは、誰ぞ?」などと言われれば、文無しは黙る他ない。


 黙って担いで連れて行こうとしたが、ティアを覆う掛け布団を捲った少年勇者は見事に固まった。服は着ていてください、との感想が正直な気持ちであった。ともかく、勇者らしくあるために修行に打ち込むことにした。


「よっと……」


 地面に座り込み、胡坐のような形をとりながらも、足は共に反対側の太腿の上に乗せられる。ついでに左右の膝元に手首を乗せて、掌は空へ向けた――姿勢を正して瞳を瞑れば、視覚以外の感覚が鋭敏になり、自然の気配がよく感じ取れた。


 全身鎧を纏ってはリラックスすることへの妨げになりかねない。だが、勇者は常日頃鎧を纏っているのであるのだから、これこそが彼の自然体であった。


(こういうのも、懐かしい)


 この座り方は従者から教えられたものであるが、自然に入ることで集中が高まるのは元からだ。ジオは幼少期から一人で森に入って遊ぶことが多かった。火や風といった初級の魔法が形に出来ない理由も、勇者を目指して只管に鍛えるためだと本人は言っている。


 実のところは、魔法の技術よりも身体を鍛える方が彼の好みであったことに他ならない。鍛えれば鍛える程強くなる、そうネギの勇者は思い込んでいた。


刻印(マーク)


 心静かにしながら、胸の奥で呪文を唱える。愚かなまで繰り返される行い、それは祈りのようでもあった――一心に届けられる魔力は、瞑目する勇者の頭に地図を浮かび上がらせる。


 フルゥエラ大陸の地図を脳内に描き出すも、そこに姉代わりの精霊を見つけ出すことは出来なかった。しかし、存在は確かに感じ取れる。


『あろーあろー、こちらシャロ。どしたジオ。やー、そちらから交信があるとは、お姉ちゃんは驚いたぞ?』


 この大陸に姿が認められずとも、応答があった。答えは至極単純、この世界ではないところへ彼女は身を置いていると知れた。恐らくは、ルファイド神が日頃過ごす別なるところであろうと目星がつく。


「……いや、大したことじゃない。こっちからシャロに連絡出来ないかと思って、試してみただけだ」


 足を組んだ姿勢も、瞑った瞳も揺らすことなく、ジオは魔力の揺らぎに念を乗せる。口こそ開いているが、届けられるのは空間をも超越した先にいる精霊を目標としていた。


『うん? 私はまた、お姉ちゃんが恋しくなったのかと思ったぞ。何か悪い夢でも見たんじゃないかと』

「いや、悪い夢っていうか現実が……それはどうでもいい。単なる実験だ、呼び出して悪かった」

『そうか、実験成功おめでとう。ただちょーっと、声が浮かないな。あれか? ティアに襲われて泣いてるのか?』

「――はぁっ!? おま、見てたのか?」


 姉の言葉に、少年は身を崩しながら大声を張ってしまった。瞬間、集中は乱れて魔法は掻き消える。が、今度はシャロからの交信が始まり、愉快気な笑い声が届けられた。


『わはははは、集中乱してやんの。まだまだ未熟なり!』


 昨夜、幼馴染みが永らく洗い場を独占すれば、湯の外へ出ることも叶わず。結局のところ、長湯をしたジオは湯あたりを起こし、ティアにベッドまで引き摺られるはめになった。


 目覚めれば、裸のままベッドに放り込まれていたことに気づく。隣では幼馴染みがすやすやと寝息を立てていたが、あれも服を着ていないとは思いもしなかった。習慣から夜明け前に目覚めたが、しばらく彼は頭を抱えていた。


『見てないぞ、そこまで悪い趣味を持った覚えはない。けどな、二人旅の翌日に態々連絡してくるとなれば、ジオがどうにかなっちゃうんじゃないかと、お姉ちゃんは心配で心配で――』

「何に対する心配か!」


 誰もいない虚空に向かって、少年は声を張った。血のつながりはなかれども、姉から色恋沙汰のような話を、しかも自分のことを話題に上げられるのは勘弁願いたがった。やましいことは何もないが、確実にヘタレ勇者として謳われ兼ねない内容には頭も痛くなる。


『冗談だ。ティアは、アレはお前の厭がることはしないだろうに。もうちょっと幼馴染を信じたら……急に話は変わるがな。そちら、何かと不穏だな』

「どうした?」


 身は既に起こしていたジオであるが、精霊の言葉を聞いて瞳を見開く。現実へと意識が戻れば、微細ながらも地が揺られる感覚に拳を硬く握る。


『オッサンを心配するのもいいけどねー』


 精霊が告げる言葉の真意を汲み取れば、自然と勇者は動き出す。眼前には昨夜世話になった宿の息子、エスタが血相を変えている様が映った。


「お兄さ――弟さん、大変ですよ! 魔物の群れが、お姉さんは何処に――あれ、昨日はこんな鎧を着てました?」


 右へ左へと青年は視線を忙しなく動かしてみせる。この時点で、ネギの勇者としては個人的な戸惑いに踏ん切りをつけていたので、すっくと立ち上がれば強者らしい表情を見せる。


「何が、来ている?」

「ラスパードッグの群れですよ! 高台で見張っていた村の者が見つけました」


 ラスパより東側の穀倉地帯、そこに生息するネズミによく似た魔物だ。ただし、サイズは人間の子ども程にもなる――小麦を狙う害虫を捉え、人間と共生状態にあるのだが、群れを成して集落へとなだれ込むことには違和感がある。


「もう少し北の方で何かがあったのかもしれません……先程、マイロ派閥の勇者たちに討伐をお願いしましたけど、念のため注意をしてください」

「ふむ」


 腕組み後、一瞬ばかりジオは思案した。他の勇者が対処しているのであれば、でしゃばることは控えるべきだ。


「あの、早く逃げましょう。お姉さんは何処へ?」

「風呂だって言ってたな」

「そんな呑気なことを! あ、ちょっと――」


 青年は笑顔を引き攣らせるが、客の安全が確保出来ないのであればそれも当然だ。ただ、鎧を纏った少年が地面を蹴って飛び上がると、呆気に取られたように首を上へと向ける。


「ほう、かなりの数だな。勇者たちも馬に乗って……ん?」


 木々を跳ね回り、背の高いものの頂点に立てば、エスタが恐れる光景が俯瞰出来た。


 集落へと直進するラスパードッグの群れと、斜め斜めに走る勇者の一団。彼らの進路は互いに衝突のしようがないと理解すれば、ネギの勇者は首を捻る。


「エスタさーん、ラスパードッグって、捕獲しないとダメ?」

「そう、ですね。大事な小麦を守ってくれますから。でも普段穏やかなのに、危害が加えられると手が付けられないくらい暴れるんですよ」


 青年の言葉を聞き、「成る程」とジオは溢した。普段穏やかな魔物がこうして猛り狂って走り来る。これを殺さずに無力化せよというのは、なかなかに骨が折れる。


「ちょっと行ってきます。刻印――ティア、魔法いけるか?」


 木をしならせ、ネギの勇者はより上空へ飛び出した。こうしている間に、魔物と人間の群れはすれ違う。依然として、シンセへ一心不乱に突入しようとするラスパ―ドッグたち――彼らもここが目的ではないのだろう、ただ何かから逃げているだけだとジオは当たりをつけていた。


『敵か?』

「そんなとこだ、割と急ぐから考えなしに飛び出してしまった。俺、飛べないからフォローして欲しい」


 頂点を越えると落下が始まる。致命傷には至らずとも、ここでダメージを負っていては、従者の期待に応えられないのではないかと懸念が募る。口を開いて唖然を示すエスタからわかるように、人間種が到達するには無謀な高さに達していた。


『わかった。ヌシの位置は大体わかる』

「よろしく頼んだ」


 バタバタと外套をはためかせながら、勇者は交信を終える。次にはネズミたちの位置を視界に収め、後に瞳を閉じた。これから魔法を展開するのに刻印は邪魔となる。


 広域魔法は魔力と集中力を捧げねばならない。


「我求めるは土の牢獄、ルファイド神に寵愛されし精霊の声を聞け。彼女の願いは我と同じく無血停戦――包め、大地鳴動(グランブリング)


 眼下に広がる緑色大地、それを割って地面が盛り上がっていく様を少年勇者は見届けた。


 魔法が期待通りなされたことを確信し、ジオは宙で足を蹴って姿勢を変える――重力に任せたままでは頭から落下することになる。幼馴染を信じていない訳ではないが、逆さに着陸するのは勇者として不格好に思えていた。が、そんな心配など必要もなく、地面に激突するよりも遥かに余裕を持って身が持ち上げられる。


「う、うおぉぉっ!?」


 鎧を纏った彼の落下を食い止める風が、上空に向けて吹き荒れた。勢いは殺され、見事足から着地を決めたが、上げた声は割と格好つかないものだった。それでも、自身の身長を優に超える土の壁を作ったことには満足がいく。


 四方を土に囲まれ、魔物の戸惑う声を聞きながらジオは刻印の魔法を再度発動した。


「ティア、助かった。こっちは片付いたから、いい加減ラスパに行くぞ? 飛び上がった時に見えたが、ラスパードッグの群れは町の方にも向かっていた」


 格好はつかずとも、勇者らしい顔をしてジオは連れの魔女へと問い掛ける。流石に、もう風呂からは上がっている筈だ。


『ご苦労。すぐに出よう、と言いたいところじゃが、髪が乾かない。ちょっと待て』

「……ぐ、なるべく早く頼む」


 そんなもん知るか! そうも言いたい少年であるが、昨日“女扱いすべき”と言った手前、呑み込まざるを得ない。


『エルが髪を梳いてくれたら、早く乾く気がするんじゃが、どうか?』


 どうかと言われても困る。あどけない顔をしている割りに、紫の瞳を妖艶に輝かせる様が浮かんでしまうのはどうしたものか。エルと呼ばれる少年の顔に戻りつつも、勇者らしくあろうとして頭を掻くに留まる。


「幼馴染みの頼みだ、何でも聞くから、さっさと出立しよう」


 せめても逃げずにいようと、堂々と答えてみせた。


 だが、イタズラっ子を思わせる嗤いが届けば、こめかみを抑えて少年は唸ってしまった。女連れの旅がこれ程大変だったとは……まだまだ苦難が待っているかと思えば、闘う以外に能のないネギの勇者は表情を渋くした。




「あーー、おじさん、おじさんは何処ですか!」


 宿の扉を派手に開きながら、ネラは叫ぶ。夜明け前に迷惑甚だしいことこの上ない。だが、彼女にしても非常時なのだ。黒髪は適当に束ねられ、寝間着の薄い生地に上着だけを羽織った姿は慌てふためいているとよくわかる。


「ここですか? 違います。ここですか! 扉が開きません。ここでしょ――何で裸の男女がいるんですか!」


 きゃー、と顔を赤らめながら扉は派手に閉められた。騒々しい女が全ての部屋を検分するとなれば、いい加減にお目当ての人も出てこようものだ。


「ネラさん、ちょっと静かに……」

「これはこれはラリィさん、それどころではないのですよ。おじさんは何処ですか!」


 現れた少年に、ギルド受付嬢はずずいと詰め寄る。朝を迎える前に、町には警報が鳴り響いていた。寝所から飛び出してギルドに駆け付けたものの、バタバタとしているばかりで彼女の出番はなかった。


 それでも、何かをせねばならない。使命感に駆られた受付嬢は強い人を求めて宿へ走っていた。


「オッサンなら、もう騒ぎの元へ出て行ったよ」

「へ――」


 だから静かにね、そのように出された言葉にネラは膝をついた。こんな時ばかりはラリィ少年の爽やかさが残酷にも思えるものだ。


「ちょ、大丈夫? ネラさーん?」

「大丈夫ぢゃないです。見ないでください」


 胸元を手で隠しながら、女は涙ぐんだ声を上げた。町の危機かと思っていた時は何ともなかったが、改めて思えば我が身の有り様に顔から火を噴く程の感が押し寄せる。


 へたり込んでしまうが、そこは受付業務も三年目となれば立ち直りも早い。


「行きましょう。直ぐに勇者が駆け付ける筈ですが、おじさん一人に任せるのは違うと思います。あと、何か履くものを貸してください」

「……僕としても、キョウジさんにここで怪我でもされれば困ります。彼には、故郷を護ってもらうんですから」


 一旦部屋へ来てください、と少年が言えば、宿に置いていた荷物からズボンが出される。それをいそいそと履いて、ネラはラリィと共に外へと飛び出した。


「で、何があったんです? オッサンはすぐに跳ねるように出て行ったので、僕も状況が掴めてないんですよ」


 小走りに進み、少年は横の女性へ問うた。身長の低い彼女は歩幅を合わせるために急ぎ足にもなるが、非常事態であれば文句を言うこともなかった。代わりに、一心不乱の表情を浮かべる少年へ情報を提供する。


「ラスパードッグです。しかも群れでこちらに向かって――その他にも周辺の集落、シンセの方へ駆け込んでいると聞いています。人間と共生出来る魔物が暴れていることに、ラスパは混乱をきたしています」


 その言葉に、少年は首を縦に振る。まだ日も明けぬ前から、町にはざわめきがあった。鎧姿の男たちも戸惑いを見せていれば、この町――否、国がどうにかなるのではないかと思えてしまう。


 近づく魔物の群れ、それらは確実に町へと害をなすとわかっているのに、どの勇者も逃げの一手であった。ギルドから報酬が提示されなければ、職業勇者は動くことはない。


「くそ、くそっ、何が勇者だ!」

「ラリィさん……」


 少年の叫びに、ギルド受付嬢は申し訳なさが胸に募る。彼女に何が出来る訳でもないが、ギルドに所属する者として、不条理への嘆きに共感していた。ラリィは自身の村を救いたいと依頼に来ている、それをあしらったのはギルドであり、職業的に生きる勇者たちだ。


「あ、おじさんです!」


 元より町の端寄りに宿は取られていた。少しばかり走れば、門を越えた先にキョウジの背中が見えた。


「オッサン!」


 少年は黒髪で半裸の男へ言葉を飛ばす。迷いなく飛び出したからこそ、見送っていた。だが、目の前に土煙を上げて迫る魔物を見ては、どうしても不安が過ぎる。


「おや、来てしまいましたか」


 困りましたね、と男は広い背中越しに首だけで振り返った。


「オッサ――キョウジさん……」


 思わずラリィは姿勢を正す。思わぬ緊張感があった。


 横では首を垂れ、息を上げているネラが微笑ましくもあった。親しみ易いオッサンとしての姿、緑の人、その従者としての威圧感のようなもの、相反するものを直視せずに済んだ受付嬢には幸運であったのではないかとも、少年は思った。


 固まるラリィを見て、中年は不自然にならない程度にゆっくりと言葉を紡いでみせる。


「あれが、貴方の村を襲うものですかな?」

「いいえ、違います。ですけど、あれは前兆なんだと思います。十五年前、あいつが現れた時もラスパードッグが狂ったように走っていたと聞いています」


 立ち姿とは異なり、穏やかな言葉を出す中年へラリィは呻くように応えた。


 吟遊詩人が語る村の災厄。それは大人しい魔物の変貌に端を発する。やはりと、村の危機へ思いを馳せながらも今はラスパが心配でもあった。真っ直ぐな少年は、あれもこれも気にかけてしまう――それは何とも青臭い話であったが、オッサンとしては口元をついつい緩めてしまう。


「わかりもうした。では、このオッサンにお任せあれ」


 ふっと笑みを浮かべて、半裸の男は首を正面へと戻した。今更ジタバタしても仕方がない。ならば腹を据えて、一撃の元に巨ネズミの群れを鎮静すべしといったところだ。


「おじさん、一人で大丈夫なんですか? あの、私がギルドに――」

「ご助力ありがたし。ですが、今からでは間に合わないでしょうし、職業勇者に仕事を回すと、それはそれで面倒なものです。ええ、二人とも少しお下がりくださいな」


 顔を向けることもしないが、オッサンは両腕を広げて大したことないとアピールをしてみせる。緑の人、その従者は十分な策があるらしいと見ているものにそれなりの安心を届けた。


「おじさ――何ですか?」

「下がりますよ。キョウジさんに任せるべきです」

「ですが……わかりました」


 二人はやり取りをしながら、その場から十歩程後ろへと退いていた。ギルド受付嬢としては了承し難いものがあったが、少年の瞳に強い光を認めれば反論する余地もない。職歴、職能も途上の彼女であるが、これまでの経験から確信も覚える。


 一般人には困難な状況に見えても、乗り越える。それが勇者であり、そのような人物は往々にしてこの少年のように真っ直ぐに信頼を向ける瞳に応えるものだ。


「ラリィさんは、幾つですか?」

「は? いや、僕は十四ですけど、それが何か?」

「聞いてみただけです。因みに私は十七ですよ」


 にっこりとネラは微笑んでみせた。腹が決まれば、多少の余裕が出ても来る。いつも勇者を見送るだけの彼女としては、この少年がどのような想いを持って中年の男へ期待を注いでいるのかが知りたかった。


 雑談のようなやり取りであったが、それがむしろ良い。成人前の彼はすっかり毒気を抜かれた顔をしている。魔物の群れを前にしながら、それ程に気を落ち着けられる何かが、あの中年の男にあるのだと理解すれば、受付嬢らしくクエストの達成を待つばかりだ。


「おじさん、気張ってください!」


 難易度としては本来はそこまで高くはない。だが、一人でこれだけの数を相手に、しかも人類種の助けとなる巨ネズミを無事捕獲となれば、どうしても跳ね上がってしまう。ともすれば、町の、国の護りに従事する彼女としては叫ばざるを得ない。


 今や、ラスパードッグは一般市民の肉眼にも捉えられる距離にあった。


「もう少し、お下がりなさい。後、耳を塞いでくださいな」


 振り返ることもなかった、中年の男は調子を崩すことなく呟いた。広げられていた腕は眼前に構えられ、さながら魔法の行使を思わせる。大気はこの男の所業を見守るためにか、風の流れを止めていた。


「あれが、英雄の従者……」


 耳に手を当てながら、ラリィは男の姿に、言葉にならぬ想いが胸を突くことを覚えていた。幼き頃より聞かされてきた英雄譚をこれから彼は目にするのかもしれない。


 人間は愚か、生きとし生けるものには魔力が備えられている。種族差、個人差の大小はあるが、それを魔法にまで昇華出来るのは一部の存在のみだ。この男が、限られた一部かと思えばその所作全てを見届けねばならぬと、成人前の少年は思ってしまう。


「いきますかな。主人が直にやってくるのです、その時にこの町が平らになっているのは、まぁ何と言いますか、さもしいものですからな」


 独り言のように呟く男は、地を踏みしめて動くことはない。目の前には、遠方からもわかる程に土煙を上げる魔物の群れが迫る。それでも、やはりキョウジは揺るぎない。


 魔物が町の門に差し掛かったところで、一呼吸。大きく座れた息は、すぐさま魔力を乗せて形になる。


「鎮まりなされぃ!!!」


 大群に向けて出されたものは、何の捻りもない大声であった。建物を震わすその声は、確かに魔物たちへも届いていた。勿論、後方に控える少年たちにも刺さる程に届いた。


「うわ、うるさ……けど、凄い」


 耳を塞いだままの姿勢で、少年は眉間に皺を寄せていた。声量は凄まじかったが、本当に恐れるべきは結果であった。


「えーっと、凄いのはわかります。けど、あのおじさんが人間かどうか、ちょと私は疑っています」


 目尻に涙を浮かべながら、ネラは辺りを見回す。町へ駆け込んで来ていたラスパードッグは、静かになっていた。それどころか、腹を空に向けてぴくぴくと震えているではないか。


「ねぇ、あれは本当に魔法だったのかしら?」

「知りませんよ、僕に聞かないでください!」


 素朴な疑問であっても、魔法を知らぬ少年は半ばやけくそになりながら応えた。答えにもなっていないが、白い歯と共に笑みを見せる中年を見れば、言葉もない。


「さて、一時期はこれでもつでしょう。ただし、この後は片づけやら町の警備の引き上げなど、忙しくなりますな」


 にこやかな面持ちとは裏腹に、彼はこの後に待つ事態へ想いを馳せる。ラリィが言う危機、魔物を追い立てる存在は確かに脅威だ。だが、町に魔物が流れ込むことになろうとも静観をしたギルド勇者たちへは、懐疑的な視線を投げかけずにはいられない。


 結局のところ、人の敵は人なのであろうか。そのように考え至れば、目の前の少年や主のような真っ直ぐな人物が割りを喰う――それが大人としては許し難くもある。


「はい!」

「何ですかな、ネラ殿?」


 元気よく手を上げた女性へ、オッサンはいつもの調子で言葉を返した。護るべき人々を前にすれば、自動的に心は穏やかなところへと引き摺り戻される、それは彼が恩を受けた勇者が教えてくれたことであった。


「私、緊急クエストを発注してきます! ネズミさんたちは、さっさと回収しないといけないですね!」


 ふん、と鼻息荒く受付嬢は勇む。握り拳を作るのは意気込みが見られて素晴らしいが、その姿は男物のズボンに寝間着、その上に女性ものの上着を羽織った、何ともちぐはぐなものだった。


 つっこみの入れどころでもあったが、敢えてオッサンは黙った。姿で言えば、彼も半裸であるし、何より懸命に務めを果たそうとする者に水を差す必要はない。


「よろしくお願いしましたぞ」


 目一杯の笑顔を護るべき人たちへと向け、息を吐く。この程度は、と思っていたが、やや呼吸が荒くもなっていた。歳を取ればこそ、若者たちをサポート出来ようものである。しかし、魔物を前にするとどうしても人間の矮小さに直面せざるを得ない。


(主人には、このような憂いもなく走り続けて欲しいものですな)


 誰にも溢すことなく、緑の人の従者は頭を掻いた。


 まずは駆け寄る少年と朝食を摂るところからか――キョウジはこの先に控えた大事を前に、意識的に肩から力を抜いてみせた。




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