緑の人、旅へ出る 2
レジナス王国の前身とも呼べる嘗ての大国は、東西に長く伸びる大陸全土に影響を及ぼしていた。勿論、そこには他を黙らせる程の武力があった。人の歴史は、魔物との争いの歴史だ。
単純に人かそれ以外に分類された争いも今は昔。十二の種族が一定周期で争いを繰り広げられもしたが、制したのはアイリス神陣営にある人間種であった。この種がある程度のまとまりを得て平穏が訪れるかと思った矢先、魔物との大戦が始まった――うんざりする程の争いの果てに、現在フルゥエラ大陸は主に四つの国に分割統治されることとなった。
神の代理戦争の勝者であった大国は、人間種同士の争いに疲弊してレジナス王国を建国するに至る。東に竜人の住まう国を、西方にはその他の異人種が共存する共和国を認め、互いの共存を目指した。
これが現在の王国を取り巻く環境だと、説明されている。
「ねぇ、四つの国って、残りの一つは?」
「えーと……」
青空の下、甲高い声に率直な疑問をぶつけられ、教師役はやや戸惑った。その国の名を知らない訳ではないが、子どもたちに何と説明をすればよいか、上手く言葉が出て来ない。きらきらと瞳を輝かせる幼子たちを相手にしては、方便を出す気にもなれなかった。
「――東の中立地帯を越えた先にのぅ、帝国があってじゃなぁ」
「神父様?」
それまで静観していた老人が、よっこいしょと立ち上がれば、猫のような目をした少女は思わず声を上げてしまう。一体どのようにすれば、大人の手によって複雑になった話を子どもたちに伝えられたのだろうか。弟子としては興味が尽きない。
「王国と帝国は、仲が悪いんじゃよ。以上」
顎鬚をいじりながら、神父は悠々且つ簡潔に語る。
(そんな説明でいいのっ!?)
声には出さなかったが、教師役の少女――グリデルタは思わず頭を抱えた。彼女に向けられた老神父の瞳は、何とも含みのある色をしているが、それで終わらされては消化不良を起こしかねない。少なくとも、彼女は疑問を抱いている。
実のところ、グリデルタ自身も帝国についてはほとんど知識がない。ただの村娘の頃に比べ、シスターとなった今では、王国の歴史についてそれなりに学んでいる。にも関わらず、帝国に関する記載は軋轢を生んだ部分が見つけられなかった。何故、王国と帝国の仲が悪いのか、それを知る者には制限がかけられている。
「へー、そうなんだぁ」
子どもたちがこうした反応をしているが、大人だって変わりはしない。もう一つ国があるらしいね、くらいのものだ。だからこそ、シスターになった少女は渋い表情を作っていた。
「大人になれば、村を出る者もおるじゃろうて。帝国がどの様なものであるか、それについては自分の目で知りなさい――さて、今日はこのくらいで終いじゃ」
一通り授業が済めば、子どもたちは思い思いに歩き出す。「終わったー」「グリデルタ話長い」などと溢す背中を見ながら、シスターの少女は腕を組み、首を捻った。
「欺瞞かもしれんが、子どもたちにはあれくらいでいい」
思い悩む彼女へ、師であるペスデルゴはそっと口を開く。
魔物に対する知識の共有はあれど、帝国とは凡そ文化交流がない。中立地帯を挟んで王国と帝国が睨み合いをしているが、何故そのようなことになっているのか。幼き子どもたちに理解させることなど、至難の業と言えた。
「余計な知識は、与えない方がいいってことですか?」
「そうは言わん。だがな、我々が語ったところで、それは王国側の視点でしかない。下手な知識は偏見を生む。ゴブリンが最たる例じゃなかったか?」
「うーん……わかるような、わからないような」
今度は反対側へ首を傾けてみせる。
あの一件から三か月、ゴブリンの村とは定期的に文化交流が始まったが、まだまだぎこちないものだ。もっとお互いを知れれば距離も近づくと思うが、神父はあまり積極的でないようにグリデルタには見えていた。
弟子が不満げな顔をしているとわかれば、師としては苦言も呈さざるを得ない。髭から手を離し、真面目に老人は語る。
「距離は詰めればいいものじゃないぞ。人の歴史は魔物との争いの歴史であったと、自分で言ってたじゃないか。こちらがよくとも、相手がどうかは知れん」
「でも――」
好戦的ではないゴブリンが居たことに、反論を始めようとする。彼らと交渉する、その想いに偽りはないが、続く神父の言葉に遮られてしまった。
「そもそも人間種でも争いが続いておるんじゃから、無理することはない。ゴブリンの例がわかりにくかったら、男女に置き換えてもいい……緑の勇者と村娘というわかりやすい話もあるじゃないか。変に距離を詰めようとするから、逃げられるんじゃよ?」
「な――」
何を言うかこのジジイは。突飛な例え話に、グリデルタは口をぱくぱくとさせるに留まった。
「姉ちゃん、フラれたのか?」
「グリデルタ、可哀想」
散った筈の子どもたちが、いつの間にか集結してはシスターへ哀れみの目を向けている。憐憫の眼差しにグリデルタは血管が浮き出ることを覚えながらも、呼吸を繰り返して懸命に呑み込もうとした――ここで怒っては老人の思う壺だとよくわかっている。
「おお、皆が戻って来てしまったか」
「神父様ー、ご本読んでよ」
うむ、と答えながら差し出される羊皮紙を受け取ると、ペスデルゴは咳払いを一つした。神父が応えてくれたことが嬉しかったようで、村のイタズラ坊主は喜色満面の笑みであった。
話題を逸らされた感は否めないが、グリデルタとしては槍玉に挙げられずに済んだと、ホっと一息を吐く。
(幾ら娯楽が少ないからって、人を話の肴にするとか……アイリス神に見捨てられてもしらないわよ?)
神父が子どもたちの気を逸らしてくれるなら、それでいい。こめかみを指で解しながら、少女はシスターらしい表情を作ることに励んだ。視界の端を掠めた羊皮紙は、見覚えのあるもので何とも言えない既視感に駆られてしまうのだが。
「グリデルタ様、お手紙ありがとうございました。残念なことに私はその頃、丁度王都へ行っておりまして、お会い出来なかったことは大変申し訳――」
「や、やめろおおぉ!!」
顔を真っ赤にして、少女が咆える。そこには博愛の神に学ぶシスターの顔はなかった。
「緑色鬼が出た、逃げろ!」
「待って、ローレンが捕まった」
「逃げるんだ、あいつの尊い犠牲を無駄にするなーっ」
蜘蛛の子を散らすように、再び子どもたちが走り出す。グリデルタに捕まった少年も、暴れに暴れてはシスターの腕から抜け出した。孤児たちの中で最高齢であるローレンは走りも速い。
「さらばグリデルタ、俺は捕まらねぇっ」
意気揚々と駆けていたが、二三歩進んだところで、何かにぶつかっては逃げることも出来ずに戸惑う。すぐに体勢を整えてみせるが、四方八方を見えない壁にローレンは囲まれていた。万事休すである。
この世界の空間から切り離されたイタズラ坊主が、必死に壁へ手をつくも、全ては徒労に終わった。
「天誅……」
獣の爪のように構えた指を翳し、目を血走らせたシスターは一言呟く。横からは彼女の師が「そんなことに結界を使わんでもよかろうよ」と窘めてくるが、行動には責任が伴うと教えてやる、これも神の徒である者の務めだとグリデルタは聞こえないふりをした。
流石に子どもが半ベソにもなれば解放してやるが「フラれシスター」などと暴言を吐かれれば、もう一度閉じ込めてやりたくもなった。
「はぁ、あの子らには困ったもんだ」
元気であるのはいいことだが、ローレンのからかいはやや度が過ぎる時もある。教師の務めが果たせたかはともかく、役目を終えれば項垂れ、頭を傾けると伸ばされた髪が肩へとかかった。
「髪が、伸びましたな」
「そりゃぁ、伸ばしてるんですから、そうでしょうね」
生返事をしながら、相変わらず日に焼けたそれを摘まんでみる。農作業が生活の中心であった頃は、邪魔だからと短くもしていた。ただしシスターともなれば、女性らしさも必要かと思って伸ばし始めている。何が女性らしさかはわからないでいた彼女であったが、長い髪は最たるものだと思っていた。
弟子入りから三か月も経てば、それらしい長さにも届く。
『雑談もいいところだが、神ってのは、どうやら髪の長い美女らしいぞ』
少年勇者からもらった手紙には、そのようなことも書かれていた。白い隼として偶像が描かれるが、アイリス神の実際は腰元まで髪を伸ばした女性らしいと神父からも聞かされている。
(ったく、何なのよ、ほんとに)
摘まんだ髪を離して、少女は胸中で一人毒づいた。
先日にレティアを訪れた際、少女はそれはそれは胸を高鳴らせていた。村を出ることも少ないが、神父の仕事を手伝えるくらいに成長出来たのだという実感があった。更には、成長した自分を誰ぞへと見せられると思っていた――結果は、盛大な空振りであったことが悔やまれる。
腹が立っても、手紙を貰えただけで喜んでいるのは、どうしたものか。グリデルタはやりどころのない想いに眉根を寄せる。
「ここのところ、王都が何かときな臭い。ネギの勇者のような力が必要なのでしょうな」
先程までとは様子を変え、ペスデルゴは落胆した様子の弟子、その肩へと手を当てた。少女としては、またしても村の外からやってくる青年との結婚話を勧められるかと、ややうんざりした表情で抗議をする――が、今日のところはまた趣が異なった。
「グリデルタも直に成人を迎える。人のこと、神のこと、王国のこと、まだまだ学ぶことは一杯あるがー、それらは一度置きなさい。どんな大人になるかを考えるのですよ。どんな大人になるか、己を見つめなさい」
神父らしい言葉に、猫を思わせる目を瞬かせて、少女は困惑した。彼女はもうじき成人を迎えるが“どんな大人になりたいか”などは、描いたこともなかった。
婿をもらって村長夫人になる。漠然とした程度にしか描いたことはないが、それも父親から刷り込まれたものであった。己で決めて良い、そのことに新鮮に驚きがあった。
「――はい、自分に何が出来るか、考えてみたいと思います」
瞳を閉じ、少女は師の言葉を胸の奥で反芻する。シスターになると決めたのは、紛れもなく彼女の意志であった。既に、親が用意していたものとは異なる道を歩み始めているとあれば、この先も己で決めるべきだ。
「その通り。少しずつ、歩んで行きなさい。あ、これ、何をする……」
聖職者の顔から一変、やや慌てたような姿を神父は見せた。颯爽と立ち去ろうにも、不可視の壁に阻まれて進むこともままならない。
「神父様ー、何か忘れていませんか?」
自らが用意した結界へ、グリデルタはにじり寄った。神父が懐に羊皮紙を仕舞い込んだことを彼女は見逃していなかった。
さて、勇者へは何と返事をしたものか。取り敢えずは、自分が怒っていないことから書き始めようか――その前に手紙を取り返すことから始めよう。
シスターは、今日も師の元で懸命に学ぶ。
「ぬっふっふーん」
実に魔女らしくない笑い声が上がる。笑いというよりも、軽快に節を刻むそれは鼻唄であった。いずれにせよ、上機嫌であることに違いはない。
「楽しそうだな」
「ん? まぁのぅ」
ジオが下方へと気を向けると、幼馴染みの少女は紫色の瞳を瞬かせた。馬の速度は緩むことなく、むしろ早まっている。体の小さなティアでは負担があろうと思われたが、むしろご機嫌であることが少年には理解し難かった。
どのように声をかければよいかに窮しての言葉だった。勇者としての振る舞いばかりを続けてきた彼には、人を労わるくらいの知恵しか回らない。
「気にせんでよいぞ。ヌシは好きなようにしてたらよいよい。折角の二人旅、道中楽しくやろうぞ――ああ、エルは音痴だから、歌わんでいいぞ」
小気味良く語ったかと思えば、また少女は鼻唄を始めてしまった。とんがり帽子は脱がれ、代わりに旅装束のポンチョに身をくるんだティアは、少年の胸に頭をどかりと預け直す。日頃は赤髪の少女がすることを真似てみたが、成る程、確かに悪くないとほほ笑む。
「……歌わねぇし。ネギに節がないのは知ってるだろうが」
ジオは飾ることなく悪態を吐いた。これまたいつもの鎧は解かれ、旅用の外套を羽織れば彼も単なる少年にしか見えない。ティアが魔女の装束を脱いで年頃の少女らしくあれば、自身が勇者の格好をしていないのであれば――それはもう、無理に体裁を整えなくともよかった。
その人生において勇者という役割しかしてこなかった少年には、この状況をどう落とし込めばよいかがさっぱりとわからない。
勇者や魔女を思わせる装飾は、旅に向かないことは確かだ。実際に、途中立ち寄った集落で出会った商人は「新しい魔物でも出たのですか?」などと彼らに探りを入れる始末であった。
「辛気臭いぞ? まぁ、いつもの通りっちゃ通りなんじゃろうが。ただな、折角可愛い女の子との二人旅なんじゃから、楽しくやろうぞ。な?」
「そんな場合じゃないと思うけどな……今日はやけに二人旅を強調するね」
「あーーーっ!」
「――びっくりするんだけど、何?」
急な大声に、思わずジオは肩をびくつかせてしまった。何処かに琴線へと触れるものでもあったか、ティアは彼の外套を握り締めてまで身を捩る。無理にでも顔を覗いてやろうという姿勢だ。
だが、ジオとしては馬が身じろぎするものだから堪ったものではない。跨るものへと気を払いつつも、それでも久しぶりに幼馴染みと二人きりであれば、話を聞いてやりたいとも思ってしまう。
「それ、それ! その話し方! エルじゃ、昔のエルが帰ってきたーーっ!」
「よせ、ティア、暴れるなっ」
「……ああ、今のエルに戻ってしまった」
水気を抜かれたスライムのように、しゅんと縮こまる少女。憧れの騎士が冑を取ったら素顔がブ男だった――そんな乙女の夢が壊されてしまったとでも言いたげな表情であった。
「昔の俺たって……そう? 特に意識してないよ。ていうか、話し方一つでそんなに態度変わる?」
「勿論じゃよ! 僕って言って、僕って言っておくれーー」
「嫌だよ、今更恥ずかしい。あー……でも、何かこうしてティアと喋ってると懐かしいね」
鎧を着ていないからか、幼馴染みと二人だからか。これまで肩肘張ってきた勇者らしさが、今のジオ少年からはすっかりと抜けていた。
「レティアの町はそう悪くないが、どうしてもファディアの里に比べると、自然が足りんのぅ」
「あー、そうだね。確かに、俺もそれは思う。何ていうかさ、オッサンには悪いと思うけど、今、凄く晴れやかなんだ」
まだまだ先であるが、遠くには小麦の黄金色が果てしなく広がっている。レティアを少し離れるだけで、こうも人工物が減るとは……永らく旅を続ける勇者であったが、自然を前に心が弾むことが抑えられない。
「なぁエルー、ここらでちょっと寄り道――は流石にいかんから、行程を繰り上げてでもちょっーといい宿に泊まらんか?」
「いや……流石に、この場面で休むのはどうかと思うんだ」
幼馴染みの少年の回答に、ティアは一度は顔を横へ背ける。ちぃっ、と割と大きな舌打ちをしつつも、彼女は諦めなかった。
「ヌシな、この間までヘタレきっていたじゃろ? リハビリが必要じゃてな。な、な? この先にはよい湯治場があるんじゃよ! ペースを落とさなかったら、一泊しても予定より早くラスパには着くから……幼馴染の頼み、聞いてくれんか?」
「んー、予定より早くなるなら、いいかな」
自然が増す北方、その地に向かうことで森司祭でもある少年はいつになく気分がスッキリとしていた。従者の元には今すぐにでも駆け付けたい想いがあるが、人間の身勝手な理由で馬を潰してしまうことも本意ではない。
「よっしゃーーーっ!」
少年に抱えられながら、紫の瞳をした少女はガッツポーズを取った。
思えば、エルと呼ぶ少年と二人で出掛けることは、かれこれ六年以上の歳月を経ている。いつもの装束がなければ、というのは何もジオにのみ当てはまることでもない。ティアもまた、実年齢以上の浮かれをみせていた。
「おい、だから暴れるなって」
「ぬっふっふーん」
誰かの身の危険を覚えれば、少年はこうして勇者らしいと思い込んでいる口調へと戻ってしまうが、機嫌をよくしたティアは素知らぬ顔で鼻唄を口ずさんでいた。硬い鎧ではなく、少年の腕に抱かれ、輝く瞳は一つ先の集落を見つめる。
初夏を迎え、少年勇者はまた一つ歳を取る。今年こそはそれを祝うのだ――誰にも告げることはないが、少女は幼馴染と一緒に過ごす時間を満喫していた。




