拝啓、ネギの勇者様
レジナス王国の北方は、国を支える穀倉地帯である。北方とは、東南端に構えられた王都から見てのことである。暮らす人々にしてみれば、険しい山脈に分断された先が北方という認識だ。
王国流通の要、レティアには届かないものの、ラスパという大きな町がある。北方で栽培された、小麦を始めとする穀物を一手に集めるこの町は、何とも騒々しかった。
「変わりませんな……」
中年の男が呟く。厳つい顔つきの中にも、柔らかな笑みが見られた。
町の様子は変わらない。雑踏を踏みしめる足音、そこには金属の磨り合わされるものが混ざっていた――勇者ギルドに属する者たちが、敢えて立てる音だ。男には何とも懐かしさが込み上げてくる。
幾つもの村から物品が運び込まれるため、町は賑々しいを通り越して雑然とした感がある。大量の物流は、そのまま人を支える力となる。受け入れ、管理、交渉、様々に人手を必要とすれば、農民も商人も勇者も、ラスパには溢れる。
「ふむぅ」
顎元に手を当て、男――キョウジは唸った。黒髪黒目と、茶髪に並ぶ平民の出で立ちをしてみせるが、短く刈り込まれた髪に大柄な体躯は平凡と呼ぶには些か大き過ぎた。
いつもは半裸の中年であるが、今は人目を避けるために外套を纏っていた。主を置いて単独行動を取る彼は、壁にかけられた紙を熱心に眺めている。
(荷運び、護衛、周辺の魔物討伐……お目当てはありませんな)
肩を下ろし、軽く男は息を吐いた。潜む場所があるならば、北方しか考えられない。だが、この町にも魔女討伐の依頼は愚か、痕跡も見られなかった。
(かれこれ十五年。見つからないのも、当然と言えば当然でありますが)
変に力が入っていたことを自覚し、キョウジは自嘲する。最愛の家族を探してと言えば聞こえはいいが、今していることは身内の尻拭いだ。こんなことは、主を置いてまですることではない。まして、大恩ある主の父が今の己を見れば、何と声をかけるのか?
「あの――」
「何ですかな?」
不意に声がかけられた。内心には驚きを抱えつつも、中年の男はゆったりと振り返った。
「すみません。何か、お尋ねされたいことがあったのではないかと。あ、私はネラと言います。ギルド受付嬢をしてい……名乗らなくても、制服を見ればわかりますね」
「ふむぅ……」
へへへ、と笑うネラを前に、男は再び顎に手を当てて唸る。
声に震えはあったが、出されたものは毅然としたものであった。彼と同じく黒髪の女性が問い掛けていた。胸元に上げられた手は、残った手に掴まれている――不安を持ったままであるが、ギルドの受付嬢が熱心に業務を行うものであれば、不快に思うこともない。
「あの、余計なこと……だったでしょうか?」
おずおずと言葉が続けられるが、卑屈さは感じられない。ならば何故と男は視線を回すが、自身の大きな身体が彼女を不安にさせていると思い当たった。
「とんでもありませんぞ。人を探しておりましてな」
日頃、オッサンと親しまれる笑顔をキョウジは浮かべた。何の狙いもない笑みであったが、それだけで目の前の女性は幾分か緊張を解く。尚のこと、ギルドの受付嬢であるネラは前へ踏み出だした。
「でしたら、依頼でしょうか?」
ふん、と鼻息荒く詰め寄る黒髪の女。歳の頃合いは二十過ぎであろうか。掴まれていた手は、胸元で握り拳へと変わっている。
「あー……何と言いましょうな」
勢いに押されるままではいけないと、オッサンは後ろに後退る。この地のギルドは、彼が青春時代を過ごした場所によく似ており、随分と尖った気分に引き戻されていた。だが、何かが引っかかり、実に少年勇者が慕うオッサンらしい表情を浮かべた。
「何でしょうか!」
開けた距離をずずいと詰めて受付嬢は問う。瞳は真剣そのもの、業務の熱心さに頭が下がれば、邪険にも出来ないか。中年は頬を掻きながら言葉を紡ぐ。
「依頼、ではないのですな。知り合いを、探しておりまして。これがまぁ、ギルドに頼める部類ではなさそうでして」
「お聞きしにくいのですが、失踪――ですか?」
伏目がちに、受付嬢は重ねて問う。ギルドに依頼が出せないとなれば、本人の意志によるものか、或いは大きな権力に巻き込まれたかの二択であるが、後者は考えにくい。そもそも国が一個人に動くことが稀であるし、実際に動いたとなれば、その関係者も口封じされている筈だ。
「恥ずかしながら、そのようなものです」
心が荒れることを覚えつつも、男には笑みが残されていた。そのことが本人にも不可解であり、つい眼前の女性を見つめてしまう。
何度見ても、黒髪黒目の平凡な受付嬢でしかない。ギルドの受付業務は看板であれば、ネラも思わず目をやる程に美人ではあった。
(ギルド受付嬢には、何かと心配を受けますな)
「……何か?」
「いや、失礼。貴女が知り合いに似ていたように思いまして」
では、と告げて男は身を翻す。こっそりと動きたい彼としては、懐かしみがあれども旅先で誰かと親しくするつもりはない。
一路出口を目指したが、ドンと叩きつける音に足を止めてしまった。
「何でですか!」
音の主は、高い声を上げて抗議する。怒りに震える拳は、受付カウンターに叩きつけられていた。年齢としては成人するかしないか、少年と青年の間にある人物が瞳を右へ左へ振っている。
「……すみませんでした」
苦虫を噛み潰したような表情で、少年は踵を返す。
(穏やかでは、ありませんな)
オッサンは、ついそちらへ目を向けてしまう。懐かしさには引かれまいと思うが、黒髪黒目の少年が憤慨する様を見てしまった。短い後ろ髪が千切られんばかりに引かれる想いが渦巻く。
「また来ます」
走りはしないが、足早に少年は出口を目指した。何かを振り払おうとしたようであり、扉以外には目もくれない。
「あ――」
足元に注意を払うことを忘れていた彼は、盛大にすっ転んでしまった。
周囲から嘲笑が漏れるが、それは不注意に対するものではない。転倒する元となったもの、不自然に伸ばされた足は、ギルド勇者のものであった。因縁に対して憐れにも思うが、間抜けな少年がどうなるのか、殺伐とする人々はニタニタと見守る。
「おい、お前……」
カチャリと全身鎧の音を立て、勇者が不機嫌そうな言葉を吐いていた。
鈍色の装備品であるが、腰には剣の他にも棍がぶら下げられている。三十代と見られるが、伊達ではない。広い肩幅に、頬には傷。茶髪は平民の印であるが、荒事に長けていることが一目で知れた。
「すみません、すみません!」
起き上がることも忘れ、少年はただただ謝罪の言葉を出した。それでも、勇者が許すことはない。元から因縁を吹っ掛けるために足を出していたのだ。
「何か依頼があったんだろ? 俺に頼んでみろよ。報酬は慰謝料が含まれるが、良心的な価格にしてやるよ」
営業スマイルが浮かべられるが、それは随分と下卑たものであった。少年の胸倉を掴み、無理に引き上げる姿は勇者らしからぬ。
「やめてください、マイロさん!」
ギルドでの揉め事は日常かもしれない。だが、それは同業同士でのものだ。依頼に来る少年へ力が振るわれるようなことは、許さないとネラはが鳴る。
内容も聞かずして依頼を請け負う、そんなバカな話はない。しかし、それがラスパでは罷り通った。少年を助けるどころか、その顛末を楽しみに人々は目を凝らしていた。
「穏やかでは、ありませんな」
「何だ?」
「ちょ、ちょっと、おじさん! 相手は勇者ですよ!?」
鈍色の勇者は、怪訝な顔を隠すこともしない。それが、中年の男に火を付けた。受付嬢が声を張っているが、その前を大股でキョウジは横切った。
怒れる少年の姿が、真面目な受付嬢の姿が捨て置けなかったのかもしれない。
「この辺では見ない顔だな……オッサン、勇者にケンカ売るとか、正気か?」
「……オッサン、ですか」
棍を手に、マイロは訝しがる男を凄んでみせた。元より腕力に訴えるつもりの彼であったが、周囲の興味は中年と勇者がどう争うかに移っている。既に、退ける状況でもなかった。
携帯用の獲物は三つに分かたれていたが、手早く繋げられて振り下ろされる。無手の男へ過剰とも言える振る舞いであったが、観衆には受け入れられていた。
「迷惑をかけ、すみません」
何を今更――棍が額に迫るなか、人々は愚か、脅されていた少年もそのように感じていた。
首を傾け、謝るくらいならば始めからその首を余計なものへ突っ込まなければよかったのだ。
「もらった!」
バキと、へし折れる音が響く。鈍い手応えに、マイロは口元を歪めた。棍は首元へ確かに打っていた。
「はい、もらいました」
「――っ!?」
急速に視界に回転が加えられ、鈍色の勇者は言葉を失った。続き、石造りの壁へ放り投げられては意識も失った。
わざと首を空け、一発をもらいながら組み付いて全力で投げ捨ていたのであるが、何が起こったかは観客には理解が及ばなかった。
「すみませんでしたな」
静かになったギルド内に、再度の謝罪が継げらる。キョウジとしては、この場を騒がしたことが申し訳なく思っていた。
では、と今度こそ言葉を告げるも、呆気に取られる観衆の中から、怒気を露わにした者が数名立ち上がっている。マイロによく似た鈍色の鎧を纏う男たち、それらを目に収めれば、中年の男は黙って親指を建物の外へ向けた。
(騒ぎを起こすつもりはなかったのですが、私もまだまだ青さが抜けませんな――ん?)
続きは外で、そのようにジェスチャーをした彼を引くものがある。今度は物理的に引っ張る人がいた。
「あ、あのっ――」
黒髪の少年が心配気に見つめている。元から放っておけばよかった、だがどうにもキョウジはこの手の少年に弱い。
一族の滅亡を前に震えるしか出来なかった、非力な己の姿を喚起されるのだ。目の前の少年は、数年前の主を思わせるものであり、幼き頃の彼であった。
「首を突っ込んだのはこちらです。ここはこのオッサンに任せて……まぁ、少しお待ちくださいな」
どちらが少年かと錯覚する程の笑みを中年は浮かべてみせる。満足そうに、うむと漏らせば、男たちを連れて外へと飛び出していた。
先程、マイロに“オッサン”と呼ばれた時に見せた表情は、今や遥か彼方へ。オッサンとは、もっと年若い人物から親しみを込めて呼ばれていたいと実感する。
(うむうむ。やはり、未来ある少年を護れる、そんなオッサンでありたいものですな)
単独行動を取って、早三か月。今回も空振りに終わると思われたが、一つ収穫があった。
ネギの勇者は代を問わず、人助けをしてしまうお優しい生き物だ。態々首を突っ込んでしまう自分は、まだ、あの優しい少年の従者らしくあれる筈だ。そう想えば、キョウジはいつものオッサンらしく笑ってみせる。
この騒動が片付けば、精霊へと連絡を取ってみよう――そのように足取りを軽くして勇者ギルドの外へ踏み出した。




