会食の席では、お静かに
王都トトリは東西に門が設けられ、その他は高い壁に囲まれている。人や物の出入りの管理のしやすさが理由であるが、人がおいそれと森へと入らないとするためでもあった。
真偽は定かではないが、神の棲まう森が王都の北部にはある。少なくともアイリス教の神官はそれを信じている。主神アイリスに友好的な神は人間種にも寛容で、特に火に関する恩恵をもたらすとまことしやかに伝えられていた。
「ようしよし、時間だ」
ボロを纏った男が、蜥蜴人を引き連れて森より現れた。髭面で体格のよいこの男の名はラオという――下卑た笑みを浮かべるのは、念願叶う直前にあっては当然。心が逸り、身体には鱗と角を生やしてみせた。
空は曇天、太陽が隠れている絶好機の到来に、ラオは神へ感謝を捧げた。行進途中、装備が照らし出されて見つかってしまう、そんな間抜けを晒さずに済むというものだ。元々は魔法で対策する予定であったが、余分な魔力消費が抑えられるとあれば、ありがたくも思うところである。
「いいかお前ら、ド派手にかますぞ。トトリに入ったら、すぐに竜五体による一斉ブレスを放つ。そしたら俺たちは人間を喰い散らかして行くと。目立てば目立つ程いい、煙でも立ち昇ればなぁ、中立地帯からは更に援軍が流れ込むって寸法よ」
ぞろぞろと続く蜥蜴人、巨体を誇る竜へと作戦が今一度伝達された。ここのところ二回も人間を食らう機会を邪魔されていた彼は、早口で述べると平原を一目散に駆ける。緑のやつも紫のやつも王都に向かっていると思えば、じっとしていることなど出来ない。
(第二王子なんてもんが現れた時にゃ、どうなるかと思ったが……)
アレクセントは闘うことしか能のない竜人だ。その強さは認める。だが、戦場では突撃しか命令が出せないあの男に従うのも、他に選択肢がなかったからだ。王族として生まれ育ち、傲慢な性格ばかり育ててしまったあの第一王子は、外を知っているアグロ王やエドワンよりも遥かに御しやすい。
戦闘狂には、その役割を果たしてもらえば良い。暴れている内に目的が遂行される――そのように仕組める知恵者が居れば良いのだ。
「いくぞ、これからの竜人はどの時代よりも、竜人らしく生きられる。勿論、その時代は竜も蜥蜴人も暮らしやすいものだ」
粗野な風貌には似合わず、配下を鼓舞してラオは腰元から刀を引き抜いた。片刃であるが刀身は随分と分厚い――切ることよりも動物の骨を叩き折ることを主眼に置いた武器だ。ほぼ鈍器と言って差し支えのないそれは、生き物を相手に長時間使用することを目的に作られていた。
「――――っ」
「何だ、気持ちはわかるがいきなり咆えるなよ……ああん?」
竜が一斉に立ち止まり、咆哮を上げた。
理由はラオの予想とは異なるもの、眼前に予定外の敵を見つけ、戦闘態勢に入らざるを得なくなったためだ。居並ぶ竜は指揮官へ警戒するように促していた。
「ヴァリスナード様の読み、外れてくれていればよかったが……仕方なし」
日に焼けた金髪に碧眼、涼やかな顔立ちの青年だ。ただし黄土色の鎧と、異様に大きな弩を携える姿は何とも物々しい。大英雄にカラシ小僧と呼ばれる彼、ウィゴッドはネギ坊主と同様、万一に備えてこの地に待機していた。
「竜人の王が、現在レジナス王と会食中だと聞いているが?」
「そんなもん俺の知ったことじゃねぇわ」
粗野な男は聞く耳を持たない。当然ながら、会食の隙を縫っての侵攻が彼の役割なのだ。
「止まってくれ。直に、射程圏内に入る」
交渉が進まずとも、弓はまだ構えない。青年は手を上げて再度忠告を試みる。しかし、一人の人間を前に竜人が退くことはない。闘いを望むラオは人間をからかい、同様に手を上げて応えた――控えていた蜥蜴人の第一陣が駆け出す。
手にしているものは棍棒や鉈、今も二十程の数が群れをなしている。その後ろには弓とゴム銃を構える第二陣が用意されていた。町を壊滅させるにはやや心許ないが、たった一人を相手には贅沢過ぎるものだ。それでも予定の時間が過ぎることを避けるため、竜人の斬り込み隊長は迷わず指示した。
「仕方なし。最新鋭の連弩“マスター弩”試させてもらおう」
目線の高さに伸ばされた左の腕に弩が装着された。複数の矢を蓄えた箱は複雑な装填機構を備え、只管に大きなものであった。
「行け、レバーもないハッタリだ。動いたとしても、あんなデカいもん人間に扱えるか、碌に当たりゃしねぇよ!」
怒号交じりに竜人は叫んだ。連続発射を念頭に置いた連弩には矢羽が除外されており、命中精度は下がる。武器を構えた蜥蜴人は不揃いな隊列でカラシ色の勇者へ迫った。
「――――っ!?」
声にならぬ悲鳴が上がる。
命中精度などお構いなしに、大量の矢が放たれていた。速度は通常の弓から放たれるものよりも速いが、驚くべき点はそこではない。蜥蜴人一体につき四、五本の矢を突き立てて連弩は沈黙した。
「矢が尽きるのが早い……が、百の矢を即座に放ち切るとなると凄まじいものだな」
役目を終えた連弩を地面へ転がしながら、青年は呟く。ネーミングからして、カラシの勇者を揶揄する玩具かと思われた。他にも連射性能を向上させるために、機構には魔導器が埋め込まれ発動には魔力が必要とされる。現実的に考えれば、軍事運用にはまるで向かない。
「今のところは、私専用のワンオフ兵器ってことか……」
独り言ちる青年はこの兵器製造を命じた、ヴァリスナードのイカれ具合を改めて噛み締めていた。“今のところ”その言葉通り、この兵器はまだ試作段階である。性能はそのままに、誰でもお手軽に扱える――そこが最終到達点だと言うのだから呆れる他ない。
「一瞬で矢を使い果たすだとか、頭おかしいんじゃねぇかっ! 何なんだよ!?」
倒れた第一陣を目に収め、ラオは吠えた。相手は、竜人の軍勢が控えていると予見していた筈だ。それを前に兵器の試し打ちをしてくるなど、正気の沙汰ではない。
我を忘れるところであったが、冷静に考えれば勝機がここにある。現に第二陣は整い、弓とゴム銃が青年へと構えられている。
「義理は果たした。後は、こちらの流儀でやる」
剣を引き抜きながら、青年は走った。
飛来する物に向かって駆ける姿は、蜥蜴人たちを混乱させた――矢が礫が、ウィゴットを避けるようにして外れていく。涼やかな顔のまま、人間種の勇者は手にした物を横薙ぎに払っては、敵が手にした武器を斬り裂いてみせた。
手近な一体を無力化したところで、未だに第二陣のほとんどは健在だ。そのことを承知で勇者は口を開く。今取られた動きは、あくまでもデモンストレーションであった。
「私の信奉する神は、争いがお好みでない。勇者の単騎で済むようにと、矢避けの加護を与えられている」
これ以上は無駄だから退け、そのように続けられた。
第一陣が粉砕された時点で、最早無力化されているも同義。極めつけには神から授けられた剣が、指揮官によく見えるよう掲げられた。シンプルなロングソードのようであるが、鍔部分には水色の宝石が埋め込まれている。
「ふざ、ふざけ――こっちには俺も、まだ竜もいるんだぞ!」
蜥蜴人が早くも敗走を始めるなか、ラオは顔を真っ赤にして怒鳴った。声に反応するように、五体の竜が空へ舞う。予定が繰り上げられることになるが、ブレスの一斉放出をすべく、竜は大きく息を吸い込んだ。
「退けと言った。加護も、剣も見せた……判断も調べも足りない指揮官だ。惨敗の末、後悔を噛み締めろ」
自信よりも遥かに強固な想い、確信を持ってウィゴッドは告げる。同時、瞳は澄んだ水色へ変われば、手にした宝石が煌く。更なる加護を発動させれば、倍加して溢れる魔力は纏ったカラシ色の鎧を輝かせた――喩えるならば、太陽光のそれである。
彼の勇者としての呼び名は“暁”夜明けにもたらされる朝日が如く、山吹色の光が神剣へと集められていく。
「何をゴチャゴチャと……消し炭になるんだよ、お前は!」
竜人には目もくれない、その様にラオは青筋を立てて叫ぶ。それに応じて上空からはブレスが放たれた。
「汚い言葉遣いだ。行いは、良きも悪きも全て己へ還ると知れ」
涼しい顔のまま、勇者は剣を構えた。このカラシ色の青年こそが、主神アイリスに寵愛される“暁の勇者ガッシュ”である。この国で最も有名な英雄がヴァリスナードであれば、最も有名な勇者が彼だ。
ギルドに属さず勇者になった彼は、曰く、アイリスが選んだ本物の勇者。他の者では得られない加護が起こす奇跡を、吟遊詩人が謳ったことは余りに有名だ――其の宝石は眩い光を放ち、星をも断つ。
「我が神は争いを好まぬが、無辜の民が蹂躙されることは一層好まない。彼女を泣かせたくない、力を貸せ宝石剣」
炎を、その先の竜を見据え、ガッシュは神剣の真価を発揮した。横手に構えた剣が上空に振り切られれば、その延長線上に光が迸る――アイリスの樹を思わせる程、優しくも大きな光であった。
射線上にあるものは全てが呑み込まれる。例外はなく、空に居た竜も炎と共に散り消える。勢いの衰えぬ光は広大な雲に極大の穴を穿ち、彼方へと突き抜けた。
「あ、れ?」
顔を覗かせた太陽の光を浴びながら、竜人は額に汗を滲ませる。目の前で英雄譚の一幕が披露されていた訳だが、まるで信じられない。
森を出たばかりの頃には軍であった。今はただ一人で佇んでいる。これから竜人の時代が始まる、そう嘯いていたことは否定し難く、眼前の光景を眺めるしかなかった。
「逃げずにいてくれて、手間が減った。来てもらうぞ」
呆然とする男の襟首を掴み、ガッシュは無感情に告げる。空を破った宝石剣の光は余りにも目立つ――他にも竜人が潜伏しているのであれば、挑んでくるか逃げ出すか、いずれにせよ用心する必要があった。
「カラシ小僧は間に合ったようだな」
窓の外を眺めていたヴァリスナードは、空を破る光を確認する。取り越し苦労であればと思っていたが、結果は彼の危惧したとおりであった。今この場に不穏な動きは感じられないが、竜人の好戦的な者が、確かに動き出している。
(後はネギ坊主からの連絡待ちか)
食卓へ視線を戻しながら、思惑に耽る。
仕える王は、竜人の王と和やかに会食をしており、外で行われた争いを知るのはまだ先だ。これまで接触を絶っていた種族を前にしても、疑いなく話を始めてしまうレジーム王には、少々心配が残る。
(その姿は、アイリスの信徒としては間違いなく正しい)
歳もそう変わらぬ王は、一介の傭兵であったヴァリスナードにも友として接してくれる。人柄はこの上なく良く、勇者ギルド設立の提案を即決で実行してくれたことには、感謝しかない。
だが、人が良すぎる。疑うことを知らない訳ではないが、信じることを優先する王は、この場に胡散臭い人物を連れて来ていた。
「……何か?」
ヴァリスナードと同じく、会食の席にはつかない人物が居た。長身痩躯の神父はその視線に気づいたらしく、横目で大英雄を見やる。
「いや? このまま何事もなく済めばいいなと思っていたところだ。特に、お前のところの黒騎士が出張るようなことがなければよいと」
「ほう、我々の出番……ですかな」
なるべく話したくない相手であったが、目が合えば言葉を交わさざるを得ない。会食も終盤を迎えようとしている。暁の勇者が気掛かりの一つを潰してくれれば、他の心配事に気が向けられていた。
出来るだけ、アジードとは舌戦を避けるべきであるが。
「大英雄らしくもないお考えだ。貴方の私兵はこの場にジュラス殿だけ、実にらしくない。異種族が城に足を踏み入れているのです。陛下をお守りするために、騎士を呼び集めるのは当然でしょう」
「レジーム王は博愛の教えを体現される方、兵力をひけらかすようなことを避けられたのだ。それは、司教であるお前の方がよくわかっている筈だろ」
「然り。ですから、黒騎士が控えているのです。彼らは有事には戦力となりますが、平素は敬虔なるアイリスの徒。枢機卿である陛下のお傍に仕える者としては、これ以上相応しい者もおりますまい――我々の出番がないこと、在り得ない質問だとは思いませんか?」
丁寧な言葉であるが、眼鏡の下には有無を言わさぬ迫力を備えた瞳が見え隠れする。弁で争うことはどこまでも不毛なものだ。論理で丸め込まれ、果ては神父の言葉に同調を強制されてしまう。
「……失言であったよ。真意が伝わらなかったので訂正しよう、戦闘にならなければよいと思う。それだけだ」
謝罪はするが、同意はしない。下手な反発をして、王都で名を聞かなくなった人物は幾人もいる――決まって正義感の強い若者であった。一方で、意に沿わない権力者は搦め手で懐柔を行っていると、ジュラスから報告を大英雄は受けていた。
既に太い釘を刺し終えた黒衣の神父は、口元に笑みを浮かべて佇む。
(小悪党であるが、その癖、手は長い。巻かれぬように一定の距離を保ちたいが……)
渋い表情をして、ヴァリスナードは神父から視線を外した。
褒めたくもない相手だが、その手腕は見事と言わざるを得ない。アジードは権力者との距離感が抜群なのだ。兵の数はヴァリスナード派が主流、にも関わらず中央には黒衣の騎士が居並んでいる――信じ過ぎる王を護るには、安全な距離まで退くことは出来ない。
『ヴァリ助、ヴァリ助……聞こえていますね? 慌てずに聞いてください。私は今、貴方の心に直接語りかけて――』
「くだらんことをするな、シャーロット」
突然の連絡であった。精霊のやることは唐突が常であり、慣れたヴァリスナードは無視も心得ていた。胡散臭い神父の前での交信は避けたいところであったが、緊張感もクソもない冗談に苛立ちが隠せない。
「おや、どうしましたかな?」
「魔導器による定時連絡だ。少し場を離れる」
『ヴァリ助、お前ノリ悪いぞ?』
「離れたところから会話出来る魔導器、ですか……そのような物があったとは」
『おーい、返事しろーい』
「まだ試作段階だ。実験も兼ねている」
今度こそシャロのことは無視をして、神父とやり取りを行う。魔導器のことは口から出まかせであるが、こうでも言っておかないとアジードに要らぬ詮索を受けてしまう。
(む、思いつきであったが、通信の魔導器は今後の研究課題だな)
部屋の隅へと移動しながら、ヴァリスナードは商才を備えた豪傑らしい表情を作る。今は魔物との大戦で兵器開発を進めた方の顔をしている。
『残念だ、ヴァリ助に私の言葉が通じなくなってしまうとは……』
「聞こえとるわ。人間には人間の都合があると、いつも言っておるだろうが」
人間の都合なんて知らないよー、などと間延びした声を受けては頭を抱えた。精霊相手では然しもの大英雄も形無しか。
「用件だけ伝えてくれ。お前とはまともに会話出来る気がせん」
『わー、冷たい。そんなだからハゲるんだぞ! え、何だよジオ――ちゃんと喋れって? わかったわかった。お姉ちゃん遣いの荒いヤツめ……』
注意をした矢先から、脈絡のない言葉が続けられる。まずはネギの勇者の無事も知れたが、もう通信を強制的に切る術はないかとヴァリスナードは思案していた。
『吟遊詩人にも謳われぬ、勇気ある者の話をしよう……中立地帯に降り立ったネギの勇者、相手は竜とトカゲの混合部隊。これを前には、流石のジオも苦戦を強いられるのでした。だがその時、美しい精霊が降り立ったのです――痛っ、何で叩くのー?』
「ネギ坊主、もっとやれ」
届かないとは思ったが、口にしてしまう。恐らくシャロは吟遊詩人に影響を受けたのだろう、目星はついても話はまるで進まない。
『溶岩竜、強かった。ドラゴンプリンス、瀕死。残りはジオがぶん殴ったら逃げ帰った。竜のおじいちゃんと一緒に城に戻る――以上』
「は? 何、何だって? おい、シャーロット、説明になってないぞ。聞いてるのか?」
待てども呼びかけども、返事はなかった。読み取れたものは、今から戻るということだけだが、これが曲者だ。
(シャーロットが態々連絡してきた。ネギ坊主が急いで戻るべき事情がある、そう考えた方がいいな)
ドラゴンプリンスという単語から、そのまま竜人の王子が瀕死になっており、そのことが関係あるか――などと汲み取ろうと試みたが、段々と腹立つ感情が湧き上がってくることを自覚する。
昔からヴァリスナードはあの精霊と相性が悪く、過去のやり取りも手伝って機嫌はすっかりと損なわれていた。老年に達した大英雄をこれだけ苛立たせるのは、一種の才能のようでもあった。
「アジード、連絡が入ったのだが、何やら王都の外がきな臭い」
普段ならば話しかけたくもない相手だが、不測の事態にあっては王の安全が最優先となる。因縁の相手であっても、この場で何かを起こすとは考えにくく、素直に助力を求めるために黒鎧の老兵は動き出した。
「……城内でだと? わかりました、すぐに行きましょう」
ヴァリスナードが声をかけるも、当の神父は黒騎士との会話に気を取られていた。珍しく慌てている姿は痛快であるが、この状況で更なるトラブルが起こっていることは笑えたものではなかった。真面目腐った、英雄らしい顔をしてアジードに詰め寄る。
「そちらも何かありましたか? 場内で戦闘が行われていると報告がありました。城の内外の警戒を引き上げますから、貴方は陛下のお傍を離れないでください。この場で最大の兵力は大英雄ヴァリスナードなのですから……異論は?」
「ない。すまないが、任せたぞ」
簡潔に答え、歩き出す神父をヴァリスナードは見送った。
難敵であるが、味方であると行動の早さが何とも頼もしいものとなる。素直に謝ったことも、神父が今回の一件に絡んでいるのではないかと勘繰りをした、その事への詫び代わりであった。
「少し状況が変わって参りました」
会食を今中断させる訳にはいかないが、いつでも抱えて逃げられるよう、王へ耳打ちするヴァリスナード――いざとなれば誰が相手でも闘う気概は持っている。だが、老年を迎えた男は、己の限界も感じつつあった。
魔力、体力が回復し切っていない今、連戦は避けたいと思うのが、彼の正直な心境である。
(ネギ坊主、早く戻って来い)
次代を担う若者を想いつつ、気を張り始めた。視界に入った竜人の王、それは穏やかな老人に映ったが、今起こっている争いの張本人かもしれない――老英雄は、その心内を誰にも悟られないよう、静かに待った。
姿勢を低く、頭を庇った姿勢をカンナは取り続けた。彼女の上を鋼と光が行き来すれば、身じろぎ一つ取ることも許されないように思われる。
「刃が通らん、面白い、面白いぞ!」
茶の混ざった、黄色の瞳が爛々と燃え滾る。手にした武器は鉈を伸長させたような代物だ。それがメイドに肉薄するも、肌に切れ目を入れる前に弾かれていく。
アレクセントにはこの魔法の原理が何かはわからない。ただ、魔力が有限であることは十分に理解している。それに比べ、進化の加護を得た彼の体力は無尽蔵――今も身体を一段階大きく作り変えて鉈を振るう。
「ひぃ、ひぃぃっ」
頭上を鉈が通る度、風圧に身体が押される。料理人の女は目を瞑って堪えようとしていたが、ついに悲鳴が漏れ出ていた。
「ちっ――と、エルの悪い癖が移ってしもうたわ」
杖がないことが悔やまれた。メイド姿のティアは掌に魔力を集め、竜人の猛攻をいなす。鉈を弾く度にじわじわと後退をした結果、背後に隠していたカンナが竜人と彼女の間に位置してしまっている。
(逃げてくれると思うたが……一般人にそれを期待するのは、お角違いじゃな。間に入った途端、私を押しやることを辞めおるとか、こやつただの筋肉バカではないか)
加護の発揮ではなく、悦楽から瞳を輝かせる竜人をティアは睨みつける。何とも愉しそうで、苛立ちが増してしまう。
「どうしたどうしたーっ!」
魔女を押し出すことは止め、力の代わりに速度を上げて竜人の王子は鉈を振るい続けた。手を休めれば、足元の女を切り刻む――攻防のなかできっちりとメッセージが伝わったと、アレクセントは口角を持ち上げた。
男の体力は無尽蔵、獲物を振るい続けるだけで魔法の詠唱も止められる。じり貧になるメイドが苦悶の表情でも見せてくれれば、言うことはない。
「鬱陶しいヤツじゃのぅ……エルが嫌うタイプじゃな」
手を鉈に合わせながら、小さな魔女は独り言ちた。早いが、大きな鉈は一本しかない、両手が自由に使える彼女は冷静に刃に触れ続けていた。
防戦に追いやられていると相手が勘違いしてくれているならば、それでいい。後は時間が過ぎれば、最初の衝突の際にこっそりと放った加護が効果を表してくれる。
「ぁ、ぇぅ――」
「カンナっ!?」
足元から苦悶の声を聞き、思わず魔女は声を上げた。視線を下げれば、男の足がカンナの腹にめり込んでいる様が見える――次いで、肩口に衝撃を覚えた。
確認に瞳を動かせば、刃を返した鉈がティアの肩から離れて行くところであった。瞳を歪め、男は嗤う。
「いい加減、飽いてきた。何か別の手を見せないと、下のお嬢ちゃんがカエルみたいに潰れるぞ?」
蹴った足をゆったりと引き戻す様は、あからさまな挑発である。攻め手を緩め、鉈を肩に担いで魔女の出方を窺っていた。何か新しいものがなければ、これで最後だというポーズでもある。
「……訂正じゃ。エルどころか、私も嫌いなタイプじゃ」
左の腕をだらりと下げ、ティアは渋面を切った。咳き込むカンナから液体が吐き出されるような音を聞けば、尚のこと表情は険しいものになった。
「いいぞその顔、片手でどこまで防げるかっ!」
一度で終わってもらっては困る、アレクセントは大きく振りかぶって鉈を打ち下ろした。速さよりも力を――人質は最早要らぬと、魔女を追い詰めることに興味を移す。
受け止められるようにと、頭を狙っての一撃であったが、鉈の軌道は彼の予想を外すことになった。
「辞めじゃ」
額の前で鉈を止め、一言呟いた。億劫そうな声音を上げる少女は、困惑する竜人を見てもいなかった。
「辞めじゃ、辞めじゃ辞めじゃ――魔力効率だとか考えてやるものか! 武器ならともかく、闘わない者を、女を足蹴にするような下郎がっ!」
あどけなさの残る顔を、魔女のそれへと変えてティアは吠えた。瞳を再び強く輝かせては、加護を切り替える。魔力を抑えつつ無力化する、そのような悠長な考えは辞めだ。
スカートの裾を引き上げると、晒された足にも古い文字が現れて白い光を放つ。魔力の使用量を一段も二段も引き上げ、ティアは魔法を連続して運用する――一つは、レティアで見かけた竜人にかけた拘束の魔法だ。
それは、ジオの扱う森司祭としてのものとは異なる。生き物の神経に直接作用して動きを止める。脳が如何に指示を出そうが、命令を書き換えてしまう荒業であった。今は首から上を残して動きを止めている。
「今まで、手加減をされていた?」
空中で止まってしまった鉈を引き戻そうとするが、ビクともしない。状況が突然に変化したことを受けて、傲慢な男の頭に血が上る。
「知るか! 賊とは言え、王族を殺してしまわんように調整していたんじゃ。お前こそ、こっちの苦労を知れ!」
「な――」
怒鳴る台詞の音韻を持って、二つ目の魔法を発動せしめる。こちらも神経への作用であるが、対象はアレクセントではない。
「痛みは感じなくなったろう。すまんかったな、もう少し後ろに――あっちにキリカがおるだろ?」
「あ、はいっす!」
痛みが誤魔化され、カンナは今度こそ走って大きく距離を取る。犬耳を生やした赤髪の少女も、何やらご立腹の様子であったが、ティアと竜人がどうなるかが気になっていた。
何しろ、魔法を見るのは初めてだ。
「こんな魔法、知らないぞ……」
鉈を振り下ろした姿勢のまま、男は唸る。頑強な身は並大抵の魔法を受けても、問題がなかった。熱や氷への完全な耐性はなくとも、竜人の身は初級の攻撃魔法では揺るがされない。
「知らない、そりゃそうじゃろうて。私の使う魔法は一般とは系統が違う」
品が良くないとは思うが、紫の瞳を持つ少女は嗤った。傲慢な生き物が呆気に取られる姿は、可笑しくて堪らない。
「お前が力で押すタイプで助かったぞ。他人を制御する魔法は、魔力量が拮抗しておると掛かりづらいからのぅ――まぁ、それも加護で魔力が底上げされるから、問題はないんじゃがな」
アイリス、ウィッツ、エギレア……それら主要な神とは異なる神の恩恵をティアは受ける。邪神からの加護、それ故に彼女は魔女と呼ばれる。王国北端ではブラックサレナと恐れられたものだ。
「貴様っ、何、を……」
動けなくなった男は、言葉も鈍らせる。身体を支配されて感覚も奪われていたが、毒が頭にまで回ったことでようやく異変に気付き始めた。
「魔力を引き上げたから、回りが早くなったな。何をされたか、気づかなくとも恥ではない。こんな加護、聞いたことなかろう?」
加護は一般的に、神より与えられた恩恵である。自身の能力を向上させるものが主。他者に影響を及ぼす加護は希少であり、扱える者も少ない。
「私に力を寄越すのは、主神と同格の邪神じゃ。アイリス神が健やかさを民に与えるならば、ランギス神は生ける者へ病を届ける」
しばらく悶え苦しむがよい――身動き一つ取れない竜人へ、淡々と台詞を吐き捨てた。
騒ぎを知ってか、それとも騒ぎが収まったと知ってか。黒衣の兵がわらわらと集まれば、角や鱗を保てなくなった男は拘束されていた。他国の者とはいえ、王族をどう扱えばよいのか、兵たちは互いに顔を見合わせ困惑した表情を浮かべる。
そんなことは知ったこっちゃない、悪態は口には出さずにおく。
「うげぇ――」
その代わりに、魔女は呻き声を上げていた。
カンナの傍に歩み寄ろうとして、逆に勢いよく飛びつかれていた。「カエルみたいに潰れる」とは、竜人がカンナへ出した言葉であったが、その彼女に代わってティアが潰されるのは何の因果か。
「痛かったすよね、肩が、肩が……可哀想に!」
おいおい、と泣き崩れながら料理人の女はカタカタ繰り返す。戦闘の緊張感は、コンテストでのものとは種類が異なる。剣や魔法からは無縁の暮らしをしていたカンナは、緊張から解かれ嗚咽混じりにティアを抱き締めていた。
「ん、なんすか?」
彼女の服の裾を引く者がいた。キリカであるが、戦闘が終わったので犬耳も引っ込んでいる。ただ、もう脅威は去ったというのに表情は険しい。
「カンナの姉ちゃん、その辺にな。ティアが死んじゃうぞ」
「ああっ、ティアさんティアさん!」
胸で顔を塞ぎ、脱臼した肩を握る形になっていた――ようやくそのことに気づいた彼女は、慌てて揺さぶってみせる。だが当の魔女はどこか遠い目をしていた。
「平気だから、もう揺すらんでくれ。これでも無傷で帰してやれんかったこと、すまんと思っているんだ」
揺さぶりは止まったが、怒涛の泣きつきが始まる。余程怖い思いをしたのだろうと、しばらくは放っておくことにした。
(後はヴァリス爺に任せればいいか……しかし、何かを忘れている気がするな)
まずは周辺の人が安全であることが優先される。その場から一人人物が失せている、そのことに気づくものは、ティアを始め一人もいなかった。




