ネギを背負ってやってきた 4
今日はよくわからないことばかり起こる。開け放った扉のドアノブを握りしめたままの姿勢で、グリデルタはそんなことを思っていた。
「何なの、これは……」
呆れたような声を出した視線の先で、ゴブリンの襲撃で掘り返されていた地面が埋められている。それだけならば驚きはしない。だが、それがまったく見知らぬ人間の仕業だったらどうだろうか。
上半身裸の屈強な男がスコップを片手に、自宅前の穴を埋めている様を見て驚かない人はいるだろうか。少なくともこの村娘は驚いていたし、それが一周回って呆気に取られていた。
「ようやく追いつきましたよ勇者様。予定よりも早く着いたので、道を整備しておりました――っと、そちらのお嬢さんが今回の依頼人ですかね?」
(アンタらのお仲間か!)
少女がドアノブを握ったまま、首だけを後ろへ向けたところ、勇者とその仲間は笑顔で男へ手を振り返しているところであった。取り残された少女からは抗議の視線が向けられていたが、手を振る二人はまるで気づいてもいない。
再び視線を戻すと、男はニカッっと白い歯を見せて笑っている。爽やかな人が来てくれればと祈った少女であったが、父に近い年齢のおじさんは望んではいなかった。やたらと健康的な姿が印象的な人物だった。
ふわりと浮き上がった緑髪の娘は、この中年の隣へ降り立っては、やいのやいのと話している。
未だこの状況は呑み込めないので、グリデルタはもう少し目の前の男を観察することにした。平民の象徴である黒髪黒目をしているが、勇者より高い背丈に鍛えられた筋肉は平凡とは言えない。イサックもがたいのよい方だったが、比べるのが申し訳ない程に見える。
だが、半裸で胸当てだけをつけているのは何事か。裾がダボっと広がったパンツは何やら軽やかな動きを取りそうな気がしないでもないが。
「ねぇグリオ様、この半裸の人は武闘家か何かなの? それともこの人も、勇者なの?」
考えちゃダメだと己に言い聞かせ、精一杯の笑顔で少女は勇者へ問うていた。現に、剣を持たない勇者が目の前にいるのだ。この人物が半裸でいることで加護が得られるのだと言われても、驚くつもりはない。
男は勇者たちを見ると、親指の腹で鼻先を撫で、ステップを踏んでいる。その横ではシャロがアチョォッと叫びつつ、同様に飛び跳ねていた。
「うんにゃ? 近所のオッサンだけど、それがどうした?」
「……何でもないです」
ならあの格好はただの趣味か? そもそも、勇者一行なんてものを理解しようとしたことが間違いだったのかもしれない。ガクリと頭を落として、グリデルタは本当に考えることを辞めた。
「疲れたら、言ってくれ」
視線を進路に向けたまま、勇者の少年が声を漏らす。ぶっきらぼうなそれは、グリデルタに向けてのものだった。
「山育ちだから、大丈夫です!」
きっぱりと断っていたものの、少女の足取りは遅い。山道を小一時間歩いた程度では疲れることなどない。そのように思っていた彼女だったが、木こりも入らないような獣道を四人は歩いている。慣れない道、いつゴブリンに出会うかもわからない緊張感の中で疲れを見せない方が異常ともいえる。
「ジオー、次はこっちー」
体格では一番劣るシャロだが、宙に浮いているためか疲労の色は見えない。むしろより険しい道を笑顔で指示しているのだ。確かに、ゴブリンが避けられるのかもしれないが、目的地に近づいている気配もなかった。
「何なら、私が背負います!」
「いえ、結構です」
半裸の男に背負われる自分の姿は想像出来なかった――再びきっぱりと断りを入れ、少女は頬を叩く。この場にいるのは父に命じられたからであるのは確か。だが、ここで勇者と冒険をすることで、退屈な生活が変わってくれるのではないか。そのような期待がグリデルタの足を進ませていた。
「何か嬉しそうだねー、ニヤニヤしてるよ?」
「そうか?」
そうだよーと語るシャロへ、勇者は疑問符で応えていた。全くの無自覚だったが、頬に手を当てると口角が上がっている感触を覚える。
それもその筈。十二の頃から勇者をしていたが、きちんとしたギャラリーがつくのはこれが初めてのことだった。やや遅れて爽やかな笑顔を浮かべているオッサンからは、父が立派な勇者だったと聞かされているが、それと同時に世間には知られていないこともわかっている。
活躍をして父を認めさせたい。それもあったが――
「そうだな、嬉しいんだろうな」
懸命に後を付いて来ようとする少女をチラリと振り返り、今度こそ自覚して微笑んだ。ゴブリンに村人を襲われながらも前を向くグリデルタの姿は、かつてのジオ少年とどこか重なって見えたのだ。
知名度こそないが、この少年はそこそこ人を守る力が身に付いてきたと自負している。父の死後、勇者を志したものの師と呼べる人物はいない。近所のオッサンが語ってくれた父の武勲こそが師であった。
大戦を終結させた名もない勇者の後を継ぐ。険しい道を、彼もまた登り続けている最中なのだ。
「成人前の女の子を見て微笑む……ジオ、変態っぽいねっ」
「お前さ、ちょっと黙っててくれない?」
故郷を離れた時から傍らにいる少女であるが、この世間ズレした物言いにはそこそこに困らされてきた。人が思い出に浸っている時くらいは放っておいて欲しいものだ。
「大体シャロ、お前はそろそろ人間とのやり取りに慣れてもいい頃だぞ? お前こそ俺の方を見てニヤニヤして――どうした?」
これを機に文句を叩き込もうとした勇者であったが、異変を感じて言葉を止めた。いつもはお気楽な表情でいる少女が、真剣な顔をしている。
「右へ逸れよう。魔物の気配がある」
「わかった。オッサンと娘、迂回するぞ」
小声でやり取りをしながら、後方へと指示を飛ばす。正直、ゴブリン程度の魔物ならば勇者たちは問題なく倒すことが出来る。だが、ここには戦いに不慣れな者がいた――護衛することに慣れていないこの少年は、避けれる戦闘は避け、リーダー格の魔物だけを倒すつもりでいる。
「あい、わかった。グリデルタ殿、お早くこちらへ」
「ちょっと待ってよ――っ!?」
キャッっという可愛らしい声が山中にこだました。舗装のされていない道で急いだ少女は、木の根に足を取られてしまう。
「いったぁ……やだ、血が出てるじゃない」
自覚をすれば痛みが追いつく。擦りむいた膝は赤く、見た目にはとても今すぐ歩けるようなものではなかった。
「使えないなぁ、村娘。ねー、置いてく?」
「んな訳あるか! ……戻るぞ」
表情の上では相変わらずにこやかだが、時折シャロは薄情な言葉を溢す。少女二人を心配しながら、勇者は少し道を引き返した。
山で暮らすグリデルタでも困難な道を、一息に少年は渡ってみせた。横で申し訳なさそうな顔をしているオッサンには、片手を上げて言葉を制する。ネギの神なんてふざけた存在であっても、神の加護を受けた勇者にとって、この程度の移動などは何てことはない。
「痛そうだな。おぶっていこうか? それとも、村に引き返すか?」
「どっちも嫌よ」
ネコを思わせる瞳を鋭くさせ、少女は吠える。
ここで戻ってしまえば、いつもの退屈な日常にもどることになる。それだけはごめんだと思っている。少なくとも、神父や村人を傷つけたあの魔物を倒す姿を見るまでは帰ることは出来ない。
「元気があるようで結構だ。シャロ、回復出来るか?」
「魔物の探知切っていいなら出来るよー」
仲間の返事は、即決で賛同出来るものではなかった。ただでさえ後手に回っているというのに、探知まで止めてしまうのは愚かなことだ。魔法で回復出来ないとなれば、残る手段は一つしかない。
勇者はカバンから飛び出しているものを掴んで、グリデルタへと突き付ける。
「何?」
「食え。ケガが治る」
「そうじゃなくて、それは何? って聞いてるの」
怒りっぽい娘だなぁ、と思いながらも少年は再度手にした細長い植物を突き出す。
「ネギだけど?」
「見たらわかるわよ! 何でネギを突き出してるのか聞いているのよ!」
わーわーと騒ぐ少女へはどう対応したものか。ネギ神の加護により、勇者が差し出すネギには薬草以上の回復効果がある――口にするのは簡単だが、この説明を信じてもらえたことのない少年は、困って頬を搔いていた。こうなれば、探知を諦めてでもシャロに彼女を治してもらう方がよいか。
「おい、シャロ。探知は諦めて彼女の回復を頼む」
少しばかり時間を要したが、よくよく考えれば悩むべくもなかった。不要に人が傷つくことを避ける。そのために彼は勇者になったのだし、父もそうだった筈だ。
「探知は一旦必要なくなったねー、ゴブリン来ちゃった」
「ちっ、もう少し早く言えよ!」
ネギから手を離し、勇者は気持ちの切り替えにかかった。判断としては早いが、毒づいてしまう辺りまだまだ未熟とも言えた。
視線を回せば、三体のゴブリンが視界に入る。その中で、勇者は迷いなく一番離れたゴブリンへ狙いを定めた。
「オッサン、近いやつは任せた!」
横合いから飛び出してきたゴブリンは、既にグリデルタへ届く位置にいる。こん棒が大きく振りかぶられていたが、勇者程でなくとも加護を受ける中年の男は、打撃武器の一撃で死ぬことはない。むしろ、一番遠くから弓を番えている魔物こそ、早急の対処が要された。
遠く離れたゴブリンを見据え、勇者は奇跡を起こすべく短い祈りを紡ぐ――
「拘束っ」
瞬間、ギギっという音を漏らしてゴブリンは弓を取りこぼしている。爆発的に成長を遂げた蔓が魔物の四肢を絡めとられていた。自然と共に生きる神官にこそ許される魔法。それを勇者は行使してみせる。
一つ目の脅威が取り除かれた。何が起こったかもわからぬまま、ゴブリンはもがくに留まる。
「勇者様、こっちは大丈夫ですぞ!」
二つ目も、オッサンがこん棒を受けつつも羽交い絞めで制圧済み。残るは中間地点に現れたゴブリンであったが、弓を持っている訳でもない。魔法を使うまでもない。二呼吸の内に、勇者が殴り倒すことの出来る距離だ。
「ギッ、貴様らっ!」
四対一、圧倒的不利な中で、ゴブリンは自棄になって叫んだ。
魔物は生まれついて人間よりも優れた身体能力を有している。ゴブリンであれば、通常は成人男性が二人がかりで対処するものだ。勇者の力の底を理解してはいないものの、数の差からこのゴブリンが悪あがきをすることは、自然と言えば自然なものだった。
「えっ?」
間の抜けた声をグリデルタは上げる。驚きに揺れる瞳は、拳を上から下へ振りぬいたゴブリンの姿をしっかりと捉えていた。だが、その手に握られたこぶし大の石が一直線に放り出されていることには、理解が追いつかないでいる。
「くそがっ!」
少女の瞳では終えなかった軌道を、勇者はそのモーションの段階から読んでいた。読んでいたからこその毒づきだ。
魔法にはラグがある。投げる前に止める、そんなことは神でもなければ出来まい。この勇者に成せることと言えば、せいぜい少女と石の間に入って射線を塞ぐのが関の山だった。
ゴシャ――不快な音に、一堂は顔を顰めた。