ネギが主菜で、何が悪い! 5
会食はコースに従い提供される。前菜の色は鮮やかで、目にした者の食欲を刺激した。
二品目はパスタであった。白身魚をワインで蒸したものであるが、味、ボリューム共に満足のいくものであった。料理の提供は日頃よりも遅かったが、席についた人々は頬を綻ばしていた。これには主催者であるレジーム王も密かに胸を撫でおろしていた。
家庭料理の延長線上にあるこの料理に、王国側から不平の視線を感じていたはいた。だが、このモータリアが作る料理こそが王の食べたかったものであり、人々に食べてもらいたいものでもあった。
竜人種――人間種で言えば一世代分、五十年余り交流のなかった種族との会食だ。人間を食すこともあると囁かれる竜人だが、アグロ王は枯れた相貌に似合わず話の通じる相手であるとわかる。共通の話題があればやり取りは進んだ。
料理に始まり、民の様子、敵対する種族へと話題が広がれば、いよいよ以てお互いの国について語られる運びとなった。和やかに、だが緊張感を持って会合は進められている。
テーブルについた人物は、いずれも両国の主要人物だ。王は勿論、その息子や宰相は息を呑みながら様子を見守った。
「どいつもこいつも辛気臭い顔してるな」
それらの状況を、更に俯瞰して窺うものがいた。声の主はフォークから手を離すことはなく、空いた方の手で虚空をなぞってみせる。指の動きに連動し、机の上に広げられた大きな鏡には会食参加者の顔が順に映し出されていった。
「アっちゃん、あんたんとこの王さん、中々精悍な顔立ちをしている。これ、竜になったらどうなるんだ?」
闘神ルファイドは、旧知の友へ向けるような口調で語りかける。今は瞳を隠す眼鏡も外されていた。誰に気兼ねすることもなく、この神はくつろいでいた。
ここはヴァリスナードに手配された別室。二人の美女が食事を楽しんでいるのだが、問い掛けられた方は友に向けて顰め面を晒す。口が開かれると同時、トロンとした瞳が一気に見開かれる。
「格好良いぞ、竜は存外に格好いいぞ。それは昔からずっと言ってる。だがね、今は久々の食事中なんだ、邪魔してくれるな。後、フォークで人を指すのはマナー違反」
アっちゃんと呼ばれた女性は口早に応え、闘神を睨んだ。
色素の薄い髪は首の中程で短く切り揃えられており、据えられた琥珀色の瞳と強いコントラストを作っている。身につけられたものは、黒い着物姿のルファイドとは真反対の純白のドレス。肩が露出した姿であるが、背の高い彼女が着れば、色香よりも彫刻のような美しさが目立つ。残念なことは、怠惰そうに背中が丸められてしまっていることか。
「いや、手厳しいな。久々にあった友に言う台詞か?」
「友情と食べる事は別問題。食事は感謝を持ってするべきものだから、相手がリックでも関係ない。そもそも、神が生き物に対して制約やら何やらを強いているんだ。暴利貪ってるようなもんなんだから、せめても我々はだねぇ……」
目を瞑り、ルファイドはその言葉を受け止める。フォークはきちんと置いて手は膝元へ、こうなった彼女はなかなか止まらないので、大人しくするしかない。
ギザギザの歯を見せながら、くどくはなくともともかく話が長くなるのだ。理屈っぽい多弁な神――アギト・エギレアを止めるのは至難の業だ。だが、即座に止める手はあるにはある。何だか釈然としないが、他にないので仕方がない。
「ごめん!」
「……許す。わかってくれたら、それでいい」
謝罪の言葉を受け入れて、エギレア神は微笑みを浮かべた。
整った顔立ちであるが、歯を見せて美貌を崩した彼女の表情を、ルファイドは非常に好んでいる。眉間に皺を寄せた顔などは見たくないものだ――ついでに言えば、上級水魔法のように押し寄せる言葉の波を浴びたくないのも本音だった。
「確かに、食事には感謝をするべきだな――シャーロット、いいところに来た」
グラスが空になっていた折に、ルファイドは藍色の髪をしたメイドを見つけた。丁度よく手には白ワインを引っ提げている。
「あいよー、おかわりだよー」
「ありがたく頂戴しよう」
真紅と琥珀の瞳が交錯し、ワインが注がれていく。上手い具合に話題が逸れたと、緑色の瞳の持ち主は安堵した。エギレア神は何かと話が長くなる嫌いがあるため、シャロの登場は渡りに船であった。
「シャーロット、お前もこっちに来て食べていったらどうだ。ネギはないみたいだが、旨いぞ?」
珍しく働いている彼女へ、声を掛ける。ルファイドなりの労いであったが、精霊は首を軽く左右に振った。
「ダメー、今の私はメイドさんなのー」
わっはっは、と何が楽しいのか胸を張ってみせる少女。一頻り笑ってみせれば、ところで、と己が神へと話題を振る。
「ジオの方は見なくていいの? 竜人にやられないように、エギレア神を呼んだと思ってたけど」
「……エドワンは強いからな。加護込みだと、流石にリックの勇者にも負けない」
こちらはこちらで、ドヤ顔を披露してみせている。それに対してシャロが「ジオはずっとずっと強いんだぞ!」などと張り合い始めてしまったので、ルファイドとしては少々面倒臭さを覚えていた――エギレアもシャロも彼女にとっては愛すべき者であるが、相性はと言えば首を捻ることになる。
「アっちゃん、ちょっとタンマだ。今日はそういった力比べをしに来ているんじゃない」
「というと、また別の謀? 頭を使うの嫌いだと言う割に、リックはよくそういうことするよね。前にもアーニュスに仕掛けられた時は――」
「タンマと言ったろう。オレはアっちゃんのこと好きだが、話が長いのはいかん」
「む、すまん」
話が長いは、本人も自覚するところ。エギレアは素直に黙った。
「じゃぁ、ルファイドはこっちが気になるんだね」
空気を読んでか読まないでか、シャロは机に広げられた鏡を覗き込む。そこでは二品目の皿を空にして語り合う王と王の姿があった。互いの国の様子を語る次第に、共通の問題点が浮き彫りとなってきている。
「気になるな。だが、人間種や竜人の行く末には正直なところ、余り興味がない」
ワインを口にしながら、ルファイドは告げる。言葉の通り、緑色の瞳には政治事に関しての興味は映っていない。彼女が危惧することがあるとすれば一つだ。
「だが、無用な争いに発展するのは、アイツの望むところではない」
「……リックが人間種に肩入れするとは、珍しいと思ったんだ」
尊大な態度を披露していた闘神であったが、ここにきて神妙な様子をとってみせる。それに気づいたエギレアも彼女によく似た表情を浮かべた。
「それで、進化の神、炎の神と呼ばれ、竜に肩入れする私に何を望む? 神は加護こそ与えはすれど、それ以上には干渉しない。そう決めたろう?」
「決めたからさ。オレと違って、アっちゃんは竜人全てに加護を与えている」
「確かにね。質はそれぞれに異なるが……それがどうした? 加護まで与えた可愛い竜たちだ、間引けと言われてもお断りだけど」
そいつだよ、と呟きルファイドは切れ長の瞳を更に鋭くさせた。
「誤った加護の使い方をする者、そいつには罰則与えても問題ないだろ」
「ああ、そうか。そういうことなら、納得だね。私が設けた制約は、竜の方ではなかなか破れない。翻して言えば、破ったならそれ相応――否、それ以上の罰則を受けてもらうよ」
竜の神は語る。眠たげな瞳をしているが、その表情は何かを憂いている。
「あーっ!」
神の間を割くようにして、可憐な声が響く。大人しくしているかと思われたが、やはりシャロはいつものように騒々しいままであった。
「何だシャロ、給仕役の時くらい静かにしないか」
「ルファイドルファイド、これ、これ!」
指差す少女に従い、闘神は鏡を覗き込む。そこには、和やかな雰囲気で進む会食にあって、異なる表情を浮かべる人物がいた。
「第一王子のアレクセントか……」
シャロが指差す人物は、色素の薄い髪色をした男であった。長めの髪は全て後ろへと流されており、眉が薄いことから浮かぶ表情は一層に険しく見える。会食の席につく人たちのなかでは唯一の鎧姿ということも手伝って、何とも言えない異物感がそこにあった。
「それで、このアレ何某がどうした?」
「うん。こいつ、何となく嫌い」
「そうか。嫌いなもんは、仕方ないな。ところで――」
ただの直感で語られたものであったが、ルファイドも心内で同意していた。映し出されたこの男は、どうにも目つきが気に入らなかった。しかし竜人を愛でるエギレアを前に、実際に声にすることは憚られたため、話題の転換を図る。
「ところでお前、何か用があったんじゃないか? ワインを注ぎに来るなど、シャロにしては気が利き過ぎている」
あっ、と一言を溢してメイド精霊は顔を上げた。失礼な! と頬を膨らませてこそいたが、用を忘れていたことに間違いはなかった。
「メインディッシュのお肉がね、すっごく癖の強いものしか手に入らなかったんだって。シェーフが困っているよ」
「おいおい、食の提供が遅れては困る。そうだな……これでも持っていけ」
胸元からずいっと何かが取り出され、シャロに手渡された。全体的には緑がかり、根本が白い植物は、紛れもないネギであった。
「ルファイドー、メインディッシュの話をしてたんだよ? お前、ほんとにネギ好きだなー」
「ネギが主菜で、何が悪い!」
くわっ、と目を見開いてネギ神様は堂々と言い放った。精霊が酷い口の利き方をしていたが、この神はこの神で自分本位に生きているので、問題はなかった。
「さて、高みの見物ではないが、料理を楽しみながら待たせてもらうとするよ」
二人のやり取りを見ながら、竜の神は鏡へと視線を向けた。肩入れする竜人の未来がどちらへ転がるか。出来ることならば、アイリス神が愛する人間種とはぶつかって欲しくない、この想いはルファイドと同じものであった。
「魔力塊っ!」
迫る赤黒い爪へ魔力の壁が放出される。ジオが信頼を置く魔法であったが、直ちに彼は後ろに向かって飛び退いていた。
「貫け、エディンっ」
竜騎士の言葉を受け、その双眼が一層に輝きを放てば、出現したばかりの緑色光は砕けて消えた。勢い止まらぬ爪はジオの居た場所へと突き刺さり、地を赤く染める。溶岩竜に相応しく、皮膚から漏れ出る熱気は周囲の温度も上げていた。
「距離を取っても、無駄!」
エドワンから声が紡がれれば、竜は口を開く。
「しまったっ!?」
大きく跳躍してしまっていたジオは左手で顔付近を庇った――次の瞬間にはネギの勇者は膨大な炎の中に呑み込まれてしまう。
「やった、王子、やりましたな!」
竜が強いには訳がある。
巨躯と頑強な爪や牙、その他に代名詞とも言われるブレスをこの魔物は備えている。溶岩竜にあっては、熱と一緒に純粋な魔力が吐き出されるともあり、ただの人間にはとても耐えられたものではない。
老竜人はこの結果に、両手離しで喜んでみせた。
「まだだ。あまりはしゃがないでくれ、ロン爺」
「何で――バカな」
地面が煙を上げるなか、エドワンに促されて見た先には片膝をつく人間の勇者がいる。外套こそ焦げているが、まだまだ健在であることは誰の目から見ても明らかであった。
「痛ってぇ……」
ジオは膝に手を当てて、ゆっくりと立ち上がった。加護を発揮したネギの勇者は熱への耐性を得る。とはいえ、竜の魔力をぶつけられては流石に無事では済まない。泣き言は漏らすまいと思うが、全身を打ち付けられたような痛みに思わずボヤいてしまっていた。
「エディンのブレスを受けて平気とは、驚いた」
燃え盛る竜の上で、竜騎士は琥珀色の眼を瞬かせる。炎と魔力の同時放出だ。ダブルフェイスとも呼ばれるエギレア神、その加護を得たこのブレスを耐える者がいるとは思えない。
「いや、痛かったさ。もう何回か喰らったら動けなくなるだろうよ。それより――」
素直に返しながら、少年勇者は相手を見る。戦闘のなか、緊迫した空気が張りつめているが、どうにも疑問が浮かんでしまう。
「あんた、ちょっと辛そうだな」
圧倒的に優位を取っている筈のエドワンからは、余裕が感じられない。白銀の冑で表情は見えないが、ジオの位置からでも心なしか顎が下がっているように見えていた。
「お、おのれぇ、人間風情が熱耐性を持っておるか、卑怯な、卑怯なぁ……」
「えー、何か俺、悪いことした?」
竜人の勇者に代わり、憤慨する老竜人の言葉は何とも苦し気なものだった。苦々しいというか、無念が滲んでいる。堂々とした態度をしていたジオだが、こうも悪人扱いされれば気にもなる。
「ふ……正直言うとな、竜人は完全な熱耐性を備えてはいないんだ」
「と、言うと?」
「つまり――今、非常に熱くて痛い」
「おぉ、エドワン様、お労わしやぁ」
流れ出た汗が竜の背に零れれば、それはすぐに蒸気へと変わる。熱に耐え、敵に向かって隠さずに心情を吐露した王子へ、家臣は涙を流すくらいのことしか出来なかった。
「あー……竜人ってのも難儀な生き物だな」
頬を掻きながら、ジオは懐からネギを取り出して高く投げた。放物線を描くものにエディンは一度反応したが、それが相棒には無害であるとわかれば見送る――エドワンの手の中に、ネギが収まった。
「これは?」
「ネギ。ただし、祝福済みのな。食えば消化されるまでの間、熱耐性が得られる」
「な――」
さらりと告げられた言葉に、竜人側からざわめきが起こる。敵から与えられた物への警戒は勿論、ロンなどは罠だと喚いてすらいた。
しかし、周囲の言葉などには耳もくれず、竜騎士は冑の隙間からネギを放り込んでいた。
「確かに、身体の奥から熱くなった。外部からの熱は……感じない。敵が有利になるようなことをして、貴方は本当に変わった生き物だな」
「有利っていうか、不利な状態のあんたと闘いたくない。全力で殴り合ったら、勝敗後も文句なんてないだろ? それに――」
争い合ってはいるが、その声は穏やかなものであった。あくまでも正々堂々を貫こうと言うのであれば、相手の舞台に上がろう、そのような想いも竜人の王子は抱いた。
「それにな、俺にはまだとっておきがあるから……心配は無用だ」
遠慮なく殴らせてもらう。赤いスカーフを額に巻き、ネギの勇者は拳を硬く握り締めた。何の魔法的措置もなされていないものであるが、額に巻かれただけで少年の纏う緑色の光が一際強くなったように、その場に居た者は感じ取っていた。
「エディンっ!」
低空を滑るようにして、灼熱の竜が飛ぶ。広げられた翼の端から火の粉が漏れれば、地面には焼け焦げた跡が残る。目指すは緑色の鎧と光を纏った勇者だ。
咄嗟に地を蹴って宙へと身を投げ出すが、ジオに躱す術はない。体格に差が、などでは済まない、そこには種族として差が歴然としてあった。
「出ろっ――」
「小賢しい!」
躱すことは諦めたか、再び魔力の壁が放出された。竜騎士は魔力を相棒へと注ぎ、突破を命ずる。思わず叫んでしまったのは、エドワンが少しばかり失望をしてしまったからだ。先程通用しなかったものを二度も続けられるのは、足掻きであっても潔さに欠ける。
「――――っ!!」
「どうした、エディン!」
相棒の様子がおかしい。先行して突き出された爪は押し留められ、今や両の手、顔も緑色の光に触れさせて踏み止まっている状態であった。
「力続く限り、魔力塊っ!」
紡がれた呪文は、魔力の壁の連続運用。魔力切れなどお構いなしに、放たれ続ける緑色光は、燃える竜の足を地面にまで押し戻していた。尚も放たれる面攻撃に、溶岩竜は背を仰け反らせ始める。
「エディンが力負けする!?」
光に目を奪われながら、白銀の騎士は叫んだ。神の加護を全力で発揮している溶岩竜が、一人の人間に膝を折って抗うことは、にわかには信じがたい。更に繰り出される光の壁に、エディンは腕を、腰を屈めていった。
「驚いた、驚いたぞ人間! だがこれだけの強い魔力放出、すぐに底は尽くだろう?」
予想通りに堪え切る。エドワンはここに正気を見出した。
押し留める壁は健在だが、新たな放出は最早なされない。すぐに光は消失するだろうが、手は抜かないし、油断もしない。相手に悟らせぬため、無言で左の篭手で溶岩竜に触れる――ブレスの合図だ。
灼熱の竜は、魔力の塊に押さえつけられながらも、口から膨大な炎と魔力を拡散させる。やはり、宙に身を置く緑色の勇者に逃げ場はない。
「――――っ!」
吠える竜。相棒の変調に、白銀騎士は辺りを見回した。緑色の光に囲まれている所為で、気づきはしなかった――飛行能力のないジオが先程よりも高い位置にいることを。
「違う、我々が下がっている!」
飛べと相棒に命を告げるには、些か遅かった。太陽を背にしたネギの勇者、人差し指を真っ直ぐに向ける様は眩く、直視し難い。僅かに瞬きをしたこの間に、竜は雄叫びを漏らして倒れた。
「ありったけをぶつけてやる!」
突き出した右手から魔力塊を連発しつつ、更に左の腕を添え、ジオは呪文を重ねて紡いだ。
「砕けよ、大地鳴動っ」
緑色光のベールに包まれて視界不良であるが、大きな竜が地面に呑み込まれていく姿が見えた。脆くなった地面から脱出するためには、飛行するより他はない。そもそも、意識が向かない状態でまともに大魔法を受けた足は、しばらくは使い物にならないだろう。
「最後の一絞り――」
呟き、ジオは溶岩竜が飛び立つ前にダメ押しを放つ。出鱈目に拡散するブレスは、消失していく壁の隙間から噴き出してきた。それに炙られながらも、人差し指を伸ばして照準づけた。碌に魔法を教わってもいない彼には、単純な魔力放出しか芸は残されていない。
不器用なネギの勇者は、何の魔法にも昇華出来なくなった時でしか、魔力を加工する余地がない。それは今朝の修練の中で得られた結論であり、これから放つものが現在の全力である。
「穿て、極点の矢」
指先から放たれた光は余りに細く、この場にいる誰の目に留まることもない。僅かな魔力ではあったが、極限までまとめ上げられたそれは、術者を更に後方へと吹き飛ばしながら打ち放たれた。
「エディンっ!?」
何が起こったか、地面に埋もれかけていた竜騎士には事態の把握が困難だ。ただ、相棒のブレスが止まったことだけは理解出来た。
叫ぼうにも、ヒューという風切り音をエディンは上げるのみだ。小さな損傷であったが、竜は外敵に風穴を空けられたことは初めてで、対処が追いついていない。
「喉を、やられたか? だが、まだだ! まだ私は――待て、エディン、何を……」
その身を浮遊感に包まれ、エドワンは言葉を切った。離れてもしばらくは進化の加護が解けることはないが、ブレスが出せない今、単独で向かうのは無謀以外の何者でもない。
竜は無軌道に翼を振り、半身が埋もれる地面から抜け出そうと足掻いた。これ程までに必死になることには、理由がある。
「エディンもういい、後は私が!」
叫ぶ白銀騎士は優しい生き物であることを、この竜は重々承知している。自分が怪我をすれば、単身で眼前の敵に挑むことなど、頭を働かせるまでもなくわかる。更には性質の悪いことに、この竜が退いた時点で、エドワンの敗北と嘯く者たちがいる――第二王子として苦労ばかり重ねる親友を、見捨てることなど、エディンには出来なかった。
結論から言えば、既に負けを竜は悟っていた。半身と喉に負傷を受け、ブレスも吐けない。今残ったものは、先程いなされてしまった爪と牙しかない。だが、やはり退くことは出来ない。
あのような、緑の化け物の前に友を立たせてはならない――エディンは噛み合わせた牙の隙間から、血液を漏らしつつ立ち向かう。途中コントロールの利かなくなったブレスは彼の喉を内側から傷つけていた。
迎えるは全身を緑色の金属で覆った、人間らしからぬ生き物。口はなく、鋭く開いた目と思わしき穴から、身体よりも輝かしい緑色の光を湧き上がらせながら迫り来る。
「――――っ!」
琥珀の光を放つ溶岩竜は、咆哮後に歯を喰いしばって突撃した。彼もまた竜種の勇者、最後まで戦い切る覚悟は出来ている――最後の攻撃には、爪や牙といった技は棄て、自らの力で相手をねじ伏せることを選んだ。
「行くぞ」
ネギの勇者は叫ぶ。既に魔力は尽きていたが、別なる力が込められた。地を踏みしめる毎に、生長鎧は持ち主の意志に応えんと膨れ上がってみせる――ジオの望みは一撃での決着。
「――――っ!?」
衝突寸前での咆哮、叫べばより喉が傷むと理解していた。だが竜は吠えた、力の方向転換をするにはそれだけの力が必要だったのだ。衝突するまでにしてみせねばならぬ。
お互いに全力でぶつかる間合いで、エディンは頭を高く持ち上げ、つき下ろした。飛び立った速度に首のスナップが加わる――今持てる全力で、たった一人の人間を押し潰さんとする。
「うぉらぁぁあっ!!」
敵の軌道が変わったとしても、ジオの狙いは変わらない。むしろ余計なことを考える必要がなくなった分、シンプルに全力を放つことが出来るというものだ。ジオの望みは一撃での決着――ドラゴンのような大きな生き物が相手だ、拳しか武器のない彼は、最初から狙いは飛来してくるその頭部だ。
「エディーンっ!」
加護を持ったもの同士の激突に、辺りを破壊の波が迸った。顔を手で庇いながら、エドワンが友の名を呼ぶ。
「ど、どうなった?」
慌ててロンが駆け寄るが、竜騎士は手を広げて進路を遮った。これ以上近づいてはならぬというサインだ。
「たった一人の勇者にやられるとは……本当に、人間にしておくのは、惜しいな」
崩れ落ちる赤竜を見ながら、竜人の勇者は呟いた。緑色鬼なるものは、魔物を狩る魔物であり、竜人にとっても脅威だと耳にしていたが、実際はどうであったか。
「若、今ならば、魔力切れをしている今なら勝機は十二分ですぞ! あの人間はここで叩かねば――」
逸る気持ちを隠さずにロンが前へ出ようとするが、やはりそれはエドワンが止めていた。
「よせ、一騎打ちで負けたんだ。これ以上は竜人の恥――いや、我が友の奮戦に泥を塗ることになる」
「ぐ、ぐぬ……」
牙が軋む程噛みしめながら、老竜人は王子の言葉に従う。その姿に、すまぬと一言を加え、白銀騎士は歩き出す。
(さて、何と言おうか)
敵対した相手であるが、望んでこうなった訳でもなかった。王からの命であるから、前線を保つことには尽力した。
竜騎士失格になるのかもしれないが、これで闘いから逃げたなどと言われることもない。あの人間種とは再び交渉が出来るのではないか――エドワンは冑の下で、自身が笑顔を浮かべていることを自覚した。
(そうか、やはりあの男とは敵対したくなかったということだ。素直に、そう言おうか)
歩み出せば、緑の少年も竜人の勇者に気づいたらしく歩き始める。エディンを倒した時の全身武装は解かれており、これもまたエドワンの笑みを増すことになった。
「悪い、とは言わん。相棒は死んでないから、その――怨まんでくれ」
二人が向き合う頃合い、少年はぶっきらぼうにそう告げていた。悪いと言わないだけで、殴り倒したことを悪いと思っているようであった。
「ふふふ……やっぱり面白い人だ。私はエドワン、貴方に対して働いた非礼を、こちらこそ詫びよう」
握手を求め、竜人の勇者は更に一歩を踏み出す。何か違和感を覚えないでもなかったが、戦闘が終わったことで緊張の糸が切られてしまっていた。
「エドワン様ーーっ!」
臣下の叫びが耳に届くまで、白銀の騎士は全く反応することも出来なかった。今や背中に突き立った矛により、その鎧は朱に染まっている。
頭が傾き、それまで控えていた残りの竜人が武器を構えている姿だけを、エドワンは見ていた。地面へと倒れ込んだ筈であるのに、痛みはない。ただ背中が熱く、このまま死ぬのだと直感していた。
「おい、騎士の兄ちゃん――しっかりしろ!」
人間の勇者の顔が、竜騎士のすぐ近くにあった。黒髪黒目、人間種では平々凡々たる出で立ちのようだが、竜人からすればとても珍しく綺麗な色に映る。
(えーっと、何を言おうとしてたんだったか……)
視界が白むなか、何かが引っかかった。このまま倒れてはいけない。きっと、素直に出すべき言葉があった筈だ。
「おい、聞いてんのか!? 今、俺の仲間呼んで助けるから、眼ぇ閉じんなよ!」
乱暴な言葉遣いであるのに、それは今自分を気遣うために出されている――兄の口調はもっと厳しく、父は立場から突き放した物の言い方しかされてこなかった。味わったことのない感情にエドワンは瞳を滲ませ、手を伸ばした。
「くそ、ふざけやがって……おい竜の爺さん、あんたはこいつの味方だろ? 一緒に引くぞ!」
第二王子が倒れた、その衝撃に身を竦ませていたロンであるが、ネギの勇者の有無を言わせない迫力に圧されて走り出していた。
抱えられながら、ぼんやりとエドワンはその光景を見ていた。それと同時に、不思議な感覚があった。先程まで命のやり取りをしていたこの人物は、何故自分のためにここまで怒っているのだろうか、と。
「あ、の……」
「何だ? 何が言いたい?」
怒っているのに優しい。人間というものは、何だか不思議な存在だとエドワンは思う。何か言わねばと思惑に耽るが、口を開けば自然と素直な想いが零れた。
「貴方、名前は?」
敵に対して尋ねたことのない言葉だった。命のやり取りをするのだから、覚えていても何もしてやれることはないと、これまではしたこともない。ただ、出会った時から、この少年の名は聞いてみたかった――これが、素直な想いだった。
「うるせぇ! 後で幾らでも教えてやるから。しっかり目ぇ開けてろ、そんで、死ぬな!」
背後からは、若に向かってその口の利き方は、などと怒鳴り声が届いてくる。
「やっぱり、変わった人だ……」
掠れた声で竜人種の若き王子は呟いた。名前を知るまではとは思ったが、瞼がやけに重たく感じられる。次第に視界はボヤけ、ネギの勇者が駐屯地まで引き返す頃には瞳は閉じられてしまっていた。
眠ろうとするエドワンの耳には、家臣の叫びがやけに煩く感じられた。




