ネギが主菜で、何が悪い! 3
レジナス王国は西に山岳地帯を抱えているものの、気候は押し並べて穏やかなものだ。レティアやトトリといった都市部となれば、風は柔らかく過ごしやすい。
「……この風、何か故郷を思い出すな」
レジナス王国の最東端に構えられた駐屯地を離れ、ジオは呟く。外套に当たる風が、やや強くなったように感じられていた。平原地帯であっても、この先にある岩山に向かって冷たい風が吹き抜ける――それを彼は心地よく思っていた。
重厚な外装をした馬車が数台程、彼の脇を駆け抜けて行く。それを横目で見ながら、少年の表情は勇者らしいものへと変わる。今朝出会ったカラシ色の勇者や、依頼人に無様な姿は見せられない。
「あっちはじっちゃんにお任せ。俺の方は……久々の勇者業だな」
ゆっくりと歩みを進めながら、王国と中立地帯の境い目に陣取る一団を見渡す。ヴァリスナードの予想は当たっていた。カンナの料理が食べられないことは惜しいが、王都が陥落してしまっては、料理どころの騒ぎではなくなってしまう。
(さて、すぐに仕掛けてくるとは思えないが)
緑色の鎧を身に着けた人物が現れたことで、一団は騒がしさを見せていた。腕組みをしながら、ジオは視線を眼前の集団にゆっくりと視線を這わせた。
風にたなびく旗に記された紋様は、王都へ向かった馬車のものと同様。竜と爪をあしらったこの記号はエスジレーヌ国の象徴だ。ズラリと居並ぶ蜥蜴人が旗を掲げており、その奥には人間のような姿をした生き物が数人、更にはトロールの倍以上には大きな魔物――ドラゴンが四体鎮座していた。
ジオはそれらに憶する様子もなく、躍り出る。相手の出方を窺う方がセオリー通り。ただ残念なことに、この少年は知謀や計略といったものを苦手としていた。
「人間。これだけの軍勢を前に、何故単身で現れた?」
白い髪の男が忠告めいた口調でネギの勇者へと迫る。背丈は低く、一目見て老人であるとわかる。が、肌を鱗へと変えて角まで生やしたこの人物は、間違いなく竜人であった。人間と竜人では、種族として体力は愚か、魔力量には歴然とした差が現れる。老人がジオを見てこのような疑問を持つことは当然のことだ。
「ああ、竜人が来るだろうから、ここで食い止めておけと言われたんだ」
「……何?」
作戦も何もあったものではない。いっそ潔い程にジオはあっけらかんと目的を語った。
事も無げに、竜人を止めると口にした人間を目にすれば、老竜人の表情は険しくなった。人間種にも闘える者がいること、それは彼も承知している。だが、蜥蜴人だけならばまだしも、ここには竜人の他にドラゴンまでもいる。
好奇心、探求心があれども、人間種は無知蒙昧な生き物だ。誇り高い竜人は苛立ちを隠せなかった。友好的に声をかけてやったにも関わらず、人間が奢った言葉を吐く――さて、この生物をどうしてやろうか。彼の想いが伝わったか、待機の命を受けていた者たちも殺気を放ち始めていた。
「駆け引きや冗談は苦手なんだ。単刀直入に言うが、これから作る線を越えないで欲しい」
「悠長に、耕作する時間を与えると思うてか?」
緑色の鎧を着た少年へ、老人は迫る。見たところ、武器を持ってすらいない――随分と舐められたものだと、一層に心は暗いものを溜め込んだ。
それには「左程時間はかけないさ」と、ジオは軽く返してみせた。早速とばかりに、眼前に両の手を突き出す。ネギの勇者は久しくしてこなかった類の魔法を詠唱してみせた。口が開かれると共に、滾る魔力は鎧と同じ緑色の光へと昇華されていく。
「広域魔法!? 人間の身で――」
老人は我が目を疑った。肌に届くこの波は、数多くの生き物を巻き込むレベルの魔法である。これから何が為されるのか、魔法には疎い蜥蜴人たちはお互いに顔を見合わせ、どよめきを漏らしていた。
騒ぎの最中、ジオは低い声で呪文を紡ぐ。
「ルファイド神に寵愛されし、精霊の声に従え。彼女の願いは深き爪痕――裂けよ、大地鳴動」
派手な地鳴りを響かせて足元が揺れれば、呟き通りに大地が裂ける。大人一人が十分にはまり込める溝が、途方もなくジオと竜人を隔てるようにして出来上がっていた。
「――――っ!!」
「喧しいわっ、黙りやれい!」
一喝。慌てふためくトカゲたちへ、竜の老人は怒鳴りつける。開かれた牙は鋭く、角から溢れた魔力もまた鋭い――それだけで蜥蜴人は無理にでも沈黙をしてみせる。だが、魔法に対して無力な者たちは、言葉を呑み込みはしても震えまでは隠せないでいた。
大地が揺れることに、両国の民は脅威を覚える。まして、地がただ一人の人間に従って裂けたのだ。怯え戸惑う蜥蜴人たちを誰が責められるのであろうか。
「もう一度伝える。俺の役目は、これから王様たちの話し合いが済むまでの間、あんたらを食い止めることだ。この線は越えないで欲しい」
久々の大規模な魔法に息を吐きつつも、ジオは淡々と告げた。目の良い彼は、対峙する老人のこめかみに汗が流れる様を捉えており、期待以上に牽制が出来たとも思う。結果は、ほぼ軍全体の数を締める蜥蜴人たちを見れば一目瞭然――闘う前から魔力消費という暴挙に出ても、お釣りは十分に返ってきている。
(後は、四体の竜にだけ神経を尖らせればいいか?)
この場にいる竜人の数は四人、王都に来るまでに一戦交えた者と比べると、竜の方が遥かに厄介なものに思われる。彼もようやく算段をつけようとしていた、この瞬間までは。
「ロン爺……しょぼくれた顔をするのは、らしくないな」
バサリと翼の打つ音が響く。ドラゴンが大地に降り立つ際の独特な音だ。
「若――いえ、エドワン様!」
ロンと呼ばれた老人の瞳に、生気が戻った。新たにドラゴンが現れ、これで五体となる。種類にもよるが、ドラゴンは一体でも人間の村を壊滅することは容易い。まして、今飛来した赤肌のドラゴンは、その他のものよりも一回りは大柄な体躯をしている。
「作戦、考えないとダメかな」
ぼそりと呟きながら、ジオは状況が一変したと認識を改めた。気を抜けば舌打ちでもしてしまうところだ。それ程までに、新たに現れた魔物の格は高い。
「とても強い魔力の持ち主のようだ。ロン爺、蜥蜴人は下がらせてくれ。私と相棒が出よう」
老竜人は、反論することもなく、すぐに兵士へ陣営を下げるように伝えた。強い、赤いドラゴンを平然と乗りこなす者は、言うなれば竜人の勇者である。一言告げるだけで軍の動揺を押さえ込む――白銀の全身鎧により、表情などは見えないが覗く琥珀の瞳は穏やかなものであった。
「悪いな、人間の勇者よ。最大兵力を以って当たらせてもらう」
竜騎士エドワンから出された言葉には、感情らしいものも込められてはいない。ただ彼我の戦力差を天秤にかけ、分は竜人にあることを宣言するのみ。
「……あんた、相当強いな?」
「無論だ。弱い者に竜騎士は務まらぬ。そして我が相棒は、国でも一二を争う自慢のドラゴンだ。人間の勇者よ、相対するならば覚悟することだ」
エドワンの言葉に呼応して、赤いドラゴンは唸り声を上げる。元から考えることは苦手なジオであったが、当初の予定が大幅に狂ってしまったことに変わりはない。
「何に対する覚悟か、それは俺にはわからんな。だがまぁ、簡単に済む話でないことは、わかった」
体内の魔力を総動員して、ネギの勇者は竜人の勇者を見据えた。素直さ、切り替えの早さもこの少年の持ち味の一つだ。レジナス王国では竜人の王へのおもてなしが控えていたが、一足先に人間種と竜人種の火蓋が切って落とされようとしていた。
不謹慎に見えたとしても、ジオは口元に笑みを浮かべることを止められない。誰にも語られることのない闘いこそ、ネギの勇者の力の見せどころなのだ。
王都三つ目の区画、通称“王直轄区”は朝から騒々しさに包まれていた。
二人の国王をもてなす料理をすることになったカンナとモータリアは勿論、共に腕を振るう宮廷料理人たちも忙しなく動き回る。給仕係は、他国の王が会食に見えるとあって、緊張した面持ちであった。
「ほれほれ、忙しいんじゃ。突っ立ってると邪魔になるぞ?」
「すまんな……だがなぁ」
ティアに突かれたヴァリスナードは思わず唸る。人前でなければ頭を抱えていたことであろう。
「何じゃ、ハッキリせんのぅ」
幼い見た目そのままに、ティアが頬を膨らませる。普段ならば、掛け値なしに可愛がることが出来るのだが、彼女の姿こそが頭痛の原因になっているのだから、何とも言えない。
「ティア貴様な、その恰好……」
「あー、はいはい。文句を言っても仕方なかろうて。ルファ――リック女史が決めたんじゃから、諦めてくれ」
「ぉ、ぉぉ」
私は忙しいんじゃ、そのように言ってはティアはメイド服を翻して去っていく。服装も気になるのであるが、これから王がいらっしゃるのに、煤けた眼鏡などを掛けていることには何と言ったものか。大英雄と呼ばれる彼も、神には意見が出来ない――訳ではないが、ルファイド神がすんなりと聞き入れる姿は想像出来なかった。
「ヴァリ助ー、邪魔だよー」
「おう、すまんな、シャーロット」
半身をズラせば、ティアと同様にメイド姿に眼鏡を装着した精霊が通過する。あいよー、といつもの調子で浮かぶ彼女は、珍しく仕事などをこなしていた。永年生きている筈だが、幼いキリカと働きぶりはそう変わりもしないのだが。
「待て! 何故ここにいる!?」
「うん? 手伝うためだろ。ヴァリ助は変なことを聞く」
宙に浮かぶメイドは首を捻った。瞳の色は眼鏡で隠せたとしても、薄い藍色の髪は目立って仕方ない。平和な会食の場に、人間に肩入れをする精霊が存在するなど、論外だ。エスジレーヌ王が到着する前に何とかせねば――老人はこれでもかという程頭を捻った。
「なー、リっちゃん。このハゲうるさいから、何とかしておくれー」
無邪気に助けを求めた先は、黒い異国の衣――着物姿の女性にであった。このリック女史は相変わらず眼鏡をしているが、瞳の奥にある色は真剣そのもの。短く「ヴァリスナード」と声が出されれば、老人は最早諦めるしかなかった。
「シャーロットはオレが呼んだ。こいつにしか出来ないことがある。いいな?」
「わかった。だがなるべく大人しくしていてくれよ?」
「ふふ、そう心配するな」
渋い表情の彼に対し、闘神は微笑みで返した。艶やかな黒髪が揺れれば、甘い香りが伝わる。美女と呼んでも大袈裟ではない。そのルファイド神が場にいるだけで、やはり目立ってしまう。
もう少しは苦言も呈したいところだが、外套を引かれてヴァリスナードは言葉を呑み込んだ。
「ヴァリ助ー、リっちゃんに何て口の利き方をするんだよ。めっ、だぞ?」
「もう、貴様は黙っていてくれ。話が一向に進まん……」
どれだけ時が経とうが、シャーロットが変わる気配はない。言っても無駄だとは思ったが、老人は溜め息と共に苦悩の言葉を吐いていた。
黒鎧の英雄が気持ちの切り替えを済ませた頃、再び城内は慌ただしさを見せた。
「ヴァリスナード様、エスジレーヌ国、アグロ王がご到着です!」
青い鎧を着た兵が声を張り上げる。他国の者とは言え、高貴な身分の人物をここまで案内して来たのだ。若き兵の顔には緊張が窺える。相手が人間ではないのだから、彼の心労は推して知るべし。
真っ先に己へと報告を果たした彼へは、労いの言葉もかけてやりたい。そのようにヴァリスナードは思うが、今は王の前。想いを呑み込んで、奥に控える人物へと言葉を運ぶ。
「レジーム王、よろしいですかな?」
「勿論だとも。兵よ、大任をよくぞ果たした。休んでよいぞ」
「はっ!」
王の寛大な言葉を耳にして、老人は密かに頬を綻ばした。国内の護りを任された彼からすれば、眼前の一兵卒こそが大切なのだ。地味な働きにも文句を言わぬこと、それは美徳だ。だが、労いの言葉一つはあってもいい筈だ――朋友の姿を思い返せば、ヴァリスナードはそう思わずにはいられない。
(それに引き換え……否、王の御前では口にするまい)
兵と代わり、そそくさと退室する者へ一瞥をくれた。黒衣の者は国教であるアイリス神の教えを啓蒙する。王を支える神職が他国の王を案内する、そこに不平はない。ただ、気がかりを述べることが許されるのであれば、黒鎧の老英雄は、眼鏡をかけた神父にこそ苦言を呈してやりたかった。
「さて、いよいよだな。出番はないと思うが、頼んだぞアジード」
「御心のままに」
王と神父の間で、さらりとやり取りが交わされる。大英雄とは言え、アイリス神と交信することも出来ない彼では、それを眺める他ない。
「ヴァリスナード様、お顔色が優れないようですね。昨夜、何かございましたかな?」
「いやなに、この後の会食のことを考えていただけだ。心配は無用だ」
「ははは、流石は大英雄。深夜に宿場で騒ぎがあったと聞きまして……貴方には関係のないことでしたね」
失礼をしました――言葉の上では丁寧だが、光る眼鏡の下、その瞳は微塵も笑っていないことをヴァリスナードは見通していた。
(厭味な男だ……)
やはり声には表さない。ただ、大英雄と呼ばれる身分にあっては、多少の我が儘も許されると、その後の発言には無視を決め込んだ。
アジード司祭――否、つい先日に功績を称えられ、今ではアジード司教だ。この男が扱う回復魔法は国を支える上で、何と比べるべくまでもなく有用、有能であることに違いはない。だがその能力を以てしても、時折覗く野心の大きさに、救国の英雄は危惧を抱いていた。
この男の癖なのか、常に自分の意見を述べることはない。状況から推察される最適手を、相談相手から引き出すのだ。本心はどこにあるのかなど、誰にもわかったものではない。
「王……」
今ここではないと思いながらも、王国の未来を考えれば口にせねばならないのではないか。何者にも代えることの出来ない友、二代目ネギの勇者がもがいた末に、今のレジナス王国はある。己が首を撥ねられるような結果になったとしても、今言うべきだ。ヴァリスナードは決意をして、レジーム王を見据えた。
「何だ、ヴァリスナ――」
「アグロ王がいらっしゃいました」
会食の場、その扉が開かれた。黒衣の騎士は任に忠実であり、業務的に言葉を紡ぐ。
「王、これより儂は控えております。何かございましたら……」
「ああ、頼りにしているぞ、ヴァリスナード」
小声でのやり取りであったが、王はハッキリと大英雄に告げた。信頼で言えば、救国の英雄が勝ることは、誰しも疑わない。ただ、アイリス信仰者であればどうであろうか。王はアイリス教の枢機卿という立場もあり、敬虔な神父の言葉にこそ耳を傾けるのだ。
「よくぞいらしてくれた。月並みだが、今日は人間と竜人の溝が少しでも埋まればと思う」
厳かながらも、友好的な韻を以って、レジーム王は竜人の王を迎え入れた。王が出した言葉に、しばしの間を取って竜人は応える。
「……すまぬ。レジナス王国とは永らく交流がなかったが、そなたとは初対面とは思う。だが、かつて出会った人間の王、彼とそなたはよく似ている」
「父の顔ばかり似てしまいましてな。手前の話だが、賢王と呼ばれた父に近づけるように努力はしているつもりです。さて――」
儀礼ばかりでは愉しくもないでしょう、と人間の王は訪問した一団にもてなしを始める。十数名の竜人たちは、準備万端の長テーブルへと通された。兼ねてより懸念されていた隣国との関係、しかも相手は人間種ではない。これからの話し合いによっては、王国の状況は墨を溢すよりも容易く塗り替えられるのだ。
(モータリア、カンナ、頼んだぞ)
心の中で、老英雄は手を組み合わせる。黒衣の神父が何かを仕込んでいるかもしれない、その不安は正直拭えない。だが、これ以上詮索したところで栓無きことだ。後のことは、料理人に託すしかないと、アイリスの徒は祈る。
不戦を取り交わした他国の王が現れた。最早、国内の問題に時間を割くべきではない。ヴァリスナードは努めて表情には出さぬよう、疑念を呑み込んだ。




