肉でも魚でも持ってこい 2
「な、何だ!」
熟睡の最中にあったキリカは、微細な揺れを感じて飛び起きた。
西側に山岳地帯はあるものの、レジナス王国の主要部は平地にある。まして、大地にアイリスの樹が根ざす王都トトリでは、小さな揺れすら恐れを抱かせるものだ。
「敵かっ、魔法か!?」
アイリス神に護られたこの地での異常。自然災害でなければ、神によるものか。
先程まで寝惚けていた彼女も、赤髪を振り乱して廊下を駆けた。父から譲られた鉄靴で床を踏みしめれば、通り道には赤い風がその後を追う――幼さが目立つ少女であるが、その顔つきは師匠譲りの勇者然としたものであった。未だ加護の全てを使い切ることは出来ないが、脚部を限定獣化したキリカはネギの勇者に劣らぬ速さを示す。
厭な感じがしていた。
この揺れが自然によるものでなければ、神によるものであろうか。アイリス信仰に疑念を抱く者であれば、このような考えに行き着く。だが、幼くともウィッツ神の加護を受けるキリカは別のことを思い描いていた。彼女の呟き通り、尤もらしいものは魔法によるものだ。
魔法が成るには、燃料として魔力が投下される必要がある。この際に、独特の波が生ずる――これは師匠から教えられていたことだ。闘技場で肌に感じた柔らかな波、ジオの持つ魔力とは異なった、何か鋭いものに総毛立つ感を受けていた。
波の発信源は館の主、ヴァリスナードの私室からだろうと目星がつけられる。そこからは、キリカ的には何だかきな臭い波動をぷんぷんと感じてしまう。
「くぉらっと……て、何だ、これ?」
速度を保ったまま、扉を豪快に開いた赤髪の少女。勢いに任せたままで突入した室内には、彼女が想像した通りに魔法使いの姿があった。だが、室内にいたその魔女はどうにも予想外の姿を示していた。
「離せぇぇ! クソジジィィィ……」
ぐぇぇ、と潰れた蛙が如き呻き声をティアが漏らす。怨嗟も篭ったこの声は、うつ伏せになる彼女、その上にどっかりと座り込んだヴァリスナードへ向けられたものだ。
「うぉ……爺ちゃん、なかなかに酷いな」
異常事態には違いないが、危機はない。このように理解したキリカは加護を解いて呟いた。
確かに酷い。大柄な老人が、幼女と見紛う人物に跨っていること――ではない。屋敷を揺るがす程の魔力を放つティアを前に、涼やかな顔でその力を完封している辺りが酷いものだ。
「エ、エルのところへ、エルのところへ行かせるぉぉっ」
「ならんと言うとろうが。貴様、ネギ坊主のことになると、本当に利かん坊になる」
嗚咽のような呻き声を漏らす魔女の上で、ヴァリスナードは軽く溜め息を吐いた。その様には何やら違和感すらも覚えて、キリカは困り顔の老人に問う。
「ティアは何を泣いてるんだ?」
「んあぁ、ネギ坊主が料理人の姉ちゃんと出かけて行ったから、こいつ嫉妬に狂っとるんだよ」
「ぐおぉぉ、市場で朝デートだ? 私もしたことがないんだぞ!」
幼馴染を差し置いて、繰り返される言葉は最早怨みすら込められている。
「あー……心配するなティア。市場でのデートなら、私が先に済ませている!」
ビシィ、と親指で自身の顔を指す赤髪の少女。犬歯も露わに、清々しいまでのドヤ顔が披露されていた。それを低い位置から瞳に収めた魔女は、それこそ目の色を変えて叫ぶ。
「お、おのれぇぇ! 世の中敵だらけか! ジジィも小娘も、お前らまとめて覚えとけよっ!?」
「……本当にどうしたものか。日頃の言葉遣いを忘れる程怒るなよ」
瞳を紫にして、加護までも動因して魔力を放つ娘。割と聞き分けの良いティアであるが、こうなると手がつけられないため、ヴァリスナードは繰り返し溜め息を吐く。この娘はこの娘で、心配なところが多々あった。
「爺ちゃん、苦労してんだな」
違和感の正体は、婆臭い言葉遣いを忘れて変貌したティアへのものだったか。
しみじみと語られたキリカの言葉に、この状況は集約されていた。何でも出来る大英雄、そのように世間では語られるものだ。だが、人心を、こと恋心のコントロール方法となれば、そんなものはヴァリスナードも知りたいくらいだ。
「一発殴って、静かにさせるか?」
「いやぁ、そいつは後が怖いからやめておこうな」
未だ騒ぐ魔女の口を手で押さえ、老人は少女へ、せめても笑みを向けて答えていた。
ようやく、日が屋敷の部屋へも差し込み始める。そろそろ世間も目を覚ます頃合いにあって、ヴァリスナード邸は慌ただしい朝を迎えていた。
「ティア、お前ジオのこと好きなのはわかるが、多少は頭を冷やせ……な?」
「うっさいのぅ。私はもう怒っておらんと言うに」
ぶっすー、という擬音が似つかわしい。そんな表情で、魔女は紫の瞳を細めながら抗議の言葉を贈った。
怒りとは瞬発力の高い感情だ。だが、持久力はと言えばそれ程でもない。ひたすら抵抗してみたものの、ヴァリスナードに押さえ込まれ続けた結果、燃え尽きた倦怠感のようなものへと変わっていた。
すっかり言葉遣いの戻ったティアは、今更蒸し返してくれるなよとキリカを睨む。
「いやいや、赤髪のお嬢ちゃんの言う通りじゃろて。ティア、貴様は年端も行かぬこの少女と同じ舞台で言い争っておる訳だしな」
「――んぐっ……言葉もないわ」
反論したい気持ちはあったが、成人前のキリカと比べられることは癪に障る。ティアは吐き出しかけた言葉を呑み込んでみせる。それでもヴァリスナードへ向けられた瞳には、不満感も見て取れた。
「ティアもこんなに怒るもんなんだな」
怒ってなどおらんわ、そのような言葉が返ってくるが、キリカは単純に浮かんだ疑問を口にする。端から二人のやり取りを見ていたヴァリスナードであったが、思わず片眉が動いた。
「なるほどな」
溢れた言葉に、少女らは首を捻っていた。この老人は一体何を納得したのか、それは二人の少女にはよくわからない。
「いやな、あのネギ坊主が弟子を取るなどとは、らしくないと思っとったんだ。だがまぁ、何というかなぁ。今のお嬢ちゃんの言葉で納得したわ」
カカッ、と豪快に笑う老人。解説したつもりだったのだろうが、ティアとキリカの首の角度は益々深くなる。
「気にせんでくれ――と言っても困るか……嬢ちゃんは、目がいい。うむ、そりゃあ大したもんだ。あの坊主が弟子に欲しがる気持ちもよくわかる。何より、将来はさぞ美しくなりそうだ」
弟子は師を育てる。このように呟いたヴァリスナードは満足気に頷いていた。声にはしなかったが、ティアは彼を見て対称的な表情を浮かべる――この英雄が幼女愛好家でないとは理解しているが、未来の美人にまで先行投資を始めるのではないか――このように思えば、何やら呆れを通り越してしまった。
「目がいいって、ジオにも言われたが……あたしは自覚ないぞ?」
「そのままでよし! 自覚を持っていたらば、あの坊主はお前さんを弟子にもしとらんて。あるがままを受け取れるからよいのだ――ふむ、言葉にしてしまうのも無粋だな。それこそ、気にせんでくれ」
「そうか? 爺ちゃんがそう言うなら、気にしないでおこう」
先程までの疑問はどこへやら。ケロっとした表情で、赤髪の少女は椅子へ座り直す。どっかりと座り込む姿は、言葉の通り、大英雄の前だというのに何もかも気に留めていない。
「そうだ爺ちゃん、聞きたいことがあった」
ハッとした様子でキリカは顔を上げる。大英雄ヴァリスナードを前に聞きたいことは、先程のようなものではなかった。彼女の素朴な疑問というやつは、もっと他にあった。大柄な老人は鷹揚に頷いてネギの勇者、その弟子の言葉を待つ。
「ジオの父ちゃんって、どんな人だったんだ?」
「グリオか……ちと待ってくれ。あやつのことは、久しく誰かに語ったことがない」
顎に手を当て、老人は考えるポーズを見せた。何も語ることが厭な訳ではない。
名も無き英雄、二代目ネギの勇者――誰よりもその姿を傍で見て来た黒鎧の老兵は、如何に簡単に語るべきかでしばし悩んだ。好敵手であり、心許せる友であった。語り尽くしてやりたい気持ちは並々ならぬが、それをしてもよいものか。ヴァリスナードの心は揺れた。
「爺よ。言いづらいなら、言わんでもいいんじゃないか?」
平静を取り戻したティアは、帽子の鍔を握りながら老人へと告げる。ジオの弟子であるキリカが、ネギの勇者のルーツを気にするのも当然。しかしながら、吟遊詩人も歴史にも語られない英雄――おいそれと口にするものではないのではないか。
「人となり程度なら、構わん……一言で表せば“クソ真面目な野郎”だな。バカみたいに強かった、にも関わらず奢った姿を見たことがない。いつも他人事に怒る男だった」
優しい男だったよ――懐かしむように語る姿は、年相応の老人らしいものだった。二十余年、駆け抜けた歳月にヴァリスナードは目を細めた。
特に語りたくない部分に触れることはなかったようで、魔法使いの少女は一人安堵の息を吐いた。ついでに視線を横へ動かせば、赤髪の少女が嬉々とした表情をしている。何故こんな顔をしているのか、ティアもその純粋さに倣って尋ねる。
「おい童女、何か嬉しそうじゃないか?」
「ん? 嬉しいじゃないか」
当然といった顔で、キリカは胸を張って続けた。
「ジオが憧れ続ける父ちゃんは、聞けばジオにそっくりな人じゃないか。あたしの師匠は、理想の勇者に成れているんだ!」
「ッ――そうか……そうじゃな」
少女の言葉に、紫の瞳は一度大きく開かれた。しかしそれも時を経ずして、柔らかなものへと戻る。ヴァリスナードが先程、キリカがあの勇者の弟子であることに何故納得したのか、ようやく合点がいった。
単騎で強大な魔物を屠る力を持つネギの勇者、余りに常人離れしたこの存在は、他人には凡そ理解されない。だが、この少女が師のあるがままを見て、尚も是と言えるのであれば、それは何よりも代えがたいものではないか。
「よく出来た嬢ちゃんだ。フラティラリア、貴様もうっかりはしておれんな」
「……キリカは、私よりも余程大人じゃな」
老人の茶化した物言いにも、ティアは小さな声で呟き返した。
幼馴染の少年へは、一言で表せない複雑な想いを抱いている。彼を守ることが出来るのは自分だけだ――傲慢な想いは、昨日にヴァリスナードが表そうとした危惧すら止めた。
理想に燃える三代目ネギの勇者には、足りないものがある。大英雄が心配するように、それはティアからしてもハッキリと見て取れる。だから極力守ろうともした。
だが改めて思えば、あの少年に今必要なものは、勇者らしく振る舞うことではないか。カンナへ向けた嫉妬心は今もまだ燻るものの、孤独な勇者がその行いに如何に意味を見出せるか、これを大事に見守りたい。そのように幼馴染の少女は思った。
「さて、昔語りに興じたいところではあるが、許せよ。何せ今日は忙しくなる」
席を立ち、老人は表情を引き締めた。彼主催の料理コンテスト、その幕開けまでには人間、竜人、神――異なる立場の者の思惑までも練り込まねばならぬ。
「何か手伝おうかの?」
「あたしも手伝うぞっ」
「……ならば、ありがたく使わせてもらおう」
二人の少女も彼に続き腰を上げる。ネギの勇者に関わる若者たち、その存在を確かに認めて大英雄は準備に取り掛かった。
王都トトリの商業区は、相変わらず肌寒い中でも盛況であった。日がすっかり差し込むこの時間となれば、業者向けのやり取りは既に落ち着きを見せているが、代わりに個人向けの売買へと移っていた。
子どもの手を引く母親、レティアの裏路地にいるような胡散臭い男、緩慢な態度で警邏をする騎士等が視界の端々に映る。人々の表情は幾らか退屈そうであり、王都が平和であることが知れる。
活気はあるが、殺伐とはしていない。店が並ぶこの区域を、ネギの勇者は歩いていた。
「王都は、慣れてるんすか?」
周囲をキョロキョロと窺うカンナが、このようなことを口にした。調理服をきちんと身に纏い、三つ編みもしっかりと結い上げた姿は立派に見える。レティア育ちではあるが、この商業区の活気にやや圧されての言葉であった。
「慣れている、のかな。何度か来た程度だけども」
ぶっきらぼうに話すジオは、大体は爺ちゃんの付き添いかな、と続ける。人通りが多いのはいつものこと。人が多くなれば自然の声も聞こえづらくなるためか、少年は大股で露店の並びを進んだ。
「何か、すいませんっす」
勇者を買い物に付き合わせる、そのことが今更申し訳なく思えてきた。料理コンテスト当日とは言え、別に買い物が必要なわけでもない。今朝の夢見は悪く、気分転換がしたかった――同行を快諾してくれたジオであったが、足取りを見ていると機嫌が良さそうにも見えない。
「あんたが謝る必要は……少し、歩くのが速かったか」
すまんと呟き、ジオは立ち止まる。正直、気持ちが逸っていたと自覚はあった。だが、依頼人に気を遣わせては勇者らしからぬと思い至る。
「え、どうしたんすか?」
急に立ち止まられ、却ってカンナは混乱した。何か気に障るようなことをしたのではないか、グルグルと頭を回すが、何も出てこない。
人通りの多い中で立ち往生は勘弁だ。困る彼女を前に、ジオの首がぎこちなく向けられた。油の切れた歯車の如き動きであった。見える表情は何やら険しくもある。
「白状しよう。俺は今、正直言って舞い上がっている」
「は?」
突然の告白に、料理人は怪訝な声を出した。風変わりなこの勇者を理解することは出来そうにもない。ついでに、先日のプロポーズじみた言葉が思い出されていた。
自分のような芋くさい女へ求婚するとか、いやいやあれは料理に対する褒め言葉であって……思えば二人で歩くこの状況はデートのようなものか? それこそ、カンナの頭の中では煩雑な思いが回り続けた。
狼狽えた彼女が、往来する人とぶつかりそうになったところで、思考は一度中断される。道の端へと、硬い鎧に引かれていた。人気を避けるような形で、気づけば少年勇者との距離はより近いものとなる。
黒髪黒目、一目で平民とわかる色をしているが、髪の艶はよく、顔立ちも悪くはない。成人を疾うに越えた彼女は、思えば色恋とは無縁であった。あれ、今思えばあのプロポーズに応えておいてもよかったか? このようにも思い――――
「魔物は、これまでに幾らも倒してきたんだ」
「へ?」
混乱の極みに達しかけていたが、思いのほか真面目腐ったその物言いに、カンナは現実へと戻ってきた。
「名の売れない俺は、流しの勇者みたいなもんでな。恥ずかしい話だが、直接依頼ってのは、今回が初めてなんだ」
「あー……うん? あぁ! 緊張してたんすね」
先程までの妄想のような思いが恥ずかしくもある。だが、只の料理人に対してここまで固くなるずともいいだろう。
「そう、なんだ。だから、あんたが謝る必要はないんだ。むしろ、女性のエスコートも碌に出来ない俺のが、謝らんといかんだ――何故笑う?」
「いやいや、ジオさんも人間だったんだな、と……自分で言ってて、失礼っすね」
竜人を素手で殴り倒すような勇者だったが、途端に身近に感じられた。キリカが懐いていることも、よくわかる。
『仕事に緊張するってことは、それだけ責任を感じてるってことさ』
ついでにモータリアの言葉を思い出し、カンナはこれまでの余分な考えを捨て去った。勇者としての役割に忠実であろうとするならば、依頼人の買い物に存分に付き合ってもらおうではないか。
「あ、ちょっと、あんた――」
「はいはい、こっちっすよ。大体の場所は師匠から聞いてるっすから」
柔和な笑みを浮かべるカンナは、勇者の手を引いて目的の商店を目指す。相手が緊張していると知れれば、なんということはない。扱いづらい食材を前にする程燃えるのは、師匠譲り。ついでに言えば、どうやら自分の方が年上らしいので、引っ張って行っても問題はないだろう。
「聞いてるか? おい、手を引かれるのは恥ずかしいぞ」
「勇者なら、黙ってついてくる!」
すっかりと立場の逆転したジオは、手を引かれながら往来を突き進んだ。
「そういや、昨日ヴァリスナード様にすっごく怒られてたっすね」
「あー、あれな。じっちゃんにも参ったもんだ」
南瓜を手に取りながら、料理人の女はイタズラっ子のような笑みを浮かべた。道中「いつも白衣で飽きないか?」などと言われたことに対するお返しだ。因みに「あんたこそいつも鎧で飽きないんすか?」と尋ねてみたら、勇者はすっかり黙っていた。
真っ白なこの料理服は、衛生の象徴でもある。職業的に白衣を認められているのは、最高位の神職の他では医療と調理に従事する者だけだ。カンナはこの服に誇りを持っている。
ジオも同様に、父から譲られた緑色の鎧を大事にしている。だからこそ、少々厭味な物言いであっても、腐らずに答えるものだ。
「で、結局のところ、通行証はどうしたんすか?」
「人にあげた」
「へー、王都の通行証を人に。気前がいいんす――あんたバカかっ!」
店主は愚か、道行く人からの視線を集めるが、構わずにカンナは声を張った。怒鳴られている本人がポカンとした表情をしているから、余計に腹が立つ。
(そりゃヴァリスナード様も怒るっすよ……)
はぁ、と大仰に溜め息を吐いて、レティア育ちの料理人は頭を抱えた。トトリの通行証にどれ程の価値があるか、この少年はまるでわかっていない。
今回のコンテスト参加は急遽決めたようなものだが、ギリギリまで悩んでのものだった。本来ならば、通行証のないカンナは単身でトトリへと赴く予定でいた。それこそ五、六日はかかることを覚悟してのことだ。
王都に入るためには、必ずしも通行証は必要ない。厳しい検問に多大な時間を割けば、所縁のない人間でも入ることは出来る。だが、目的に応じた区域にしか立ち入ることは出来ず、長居をすれば騎士にも睨まれる――商人や職人にとって、このフリーパスがどれ程価値のあるものか……それこそ、喉から手が出る程欲しがる人で一杯の筈だ。
「お、おい、大丈夫か? 水でももらってこようか?」
「……大丈夫っす」
何を怒られているかわからない少年は、随分とおろおろとしていた。しかし悲しいかな、商業区にいる人たちは、皆何かの目的で動いていて忙しい。この勇者の狼狽えに応えてくるような人物はいなかった。
「はぁー、本当にあんたはバカっすね……ボクの悩みがちっぽけに思えてきたっすよ。いや、器が大きいんすか? うん、勇者ってのは規格外なんすね」
「おぉ……何かその、すまん」
自問自答をする女性を前に、ジオは謝るしかなかった。こういったところが、世間離れしているとはわかっている。だが生憎とシャロもオッサンも、勇者の道を説くことはしても、世間の常識というものは教えてくれなかった。
「そのな、差し支えなければ、その悩みってやつを教えてくれまいか?」
「……何すか急に?」
この勇者の発言が、突拍子のないことには慣れたつもりでもいた。だが、真面目な顔をして聞いてくることに、少々訝しくも思う。悩みの正体は師匠との確執であり、こんなものは知り合ったばかりの人間に話すようなことでもない。
それでも、今朝の夢見が悪かったからか、煩うカンナは口を開いた。
「師匠にね、お前の料理には一味足りないって、言われたんすよ。でも、それが何か、ボクにはわからない」
火を自在に操ることの出来る彼女は、料理人としてアドバンテージを握っている。にも関わらず、師匠はそれを褒めるでもなく、よくわからないことを言う――料理の話をしてもジオにはわからないだろう。このようにも思ったが、意外にも彼の真面目な顔は崩れなかった。
「料理のことはわからんのだが、俺と似ている気がする」
真っ直ぐにカンナを見つめながら、少年は言葉を紡ぐ。彼も魔物討伐のエキスパートではあるが、その在り様を昨日もヴァリスナードに心配されていた。
「何だろうな……俺、親父の記憶がほとんどなくて。勇者は聞きかじった親父の真似事でやってるんだ。お手本はじっちゃんだとか、一杯あった筈なんだ。だが、親父のような勇者に成りたい……しかしそれには何かが少し足りない気がするんだ」
「そう、なんすね」
南瓜を棚へと戻し、カンナは呟いた。ここにも一味足りない人物がいたかと、勇者と一緒にするのは違うかもしれないが、確かに自分たちは似ているのだと思う。
「その足りない一味は、見つかりそうっすか?」
似た者を見つけた喜びよりも、永らく悩み続けた彼女は答えが欲しい。答えにならずとも、彼ならばヒントをくれるのではないか、正直そのように期待していた。
「……わからん。だが、何か足りないが、間違ってもいないと思う。俺は、俺の思う全力でここまで走ってきたし。あんた――カンナさんもさ、手を抜いてた訳じゃないだろ?」
(真面目な人っすね)
大した答えではなかったが、取り繕うことをしない彼の言葉は真摯だったと思う。言葉なく、迷える料理人は頷きで返した。
今回の王都行きは、アビーに半ば強引に勧められたようなものだ。それでも、コンテストのレシピはずっと温め続けていた。一味足りなくとも、料理を旨いと言ってくれる人もいる。恐らくは、この少年勇者も、迷いながらであっても闘い続けるのだろう。
「ところで、コンテストってどんなことをするんだ? 審査員を前に料理するのか?」
「ははは、流石に王都でそこまでする度胸はないっすよ。私が出るのはレシピを応募するコンテストっす」
答えながら、ネギの勇者が眉根を寄せる姿が目に入った。一体、何処に不思議な点があったのだろうか。カンナが首を捻ろうとした時、辺りが騒がしくなった。
「俺の記憶違いでなけりゃ、カンナさんが出るコンテストってさ……」
ジオが何やら呟いているが、ざわつきに料理人は意識を奪われた。付近の人たちも忙しい手を止めて騒ぎの主を眺めている。
「探しましたよ、御両人」
高い位置から凛とした声が響いた。馬上から失礼、と溢す人物は青い鎧に身を包んでいる。短く切り揃えられた金髪の女性は、昨日ネギの勇者一行を迎えに現れた騎士であった。
「おー、ジュリ……」
「ジュラスですよ、ジオグラフィカエルバドス殿。まったく、貴方はとことん人の名前を覚えない」
爽やかな笑みを浮かべながら、ジュラスは毒を吐いた。ストレートな物言いに、ジオは何も言い返せずに渋い表情を作るが、そんな彼を置き去りに、女性騎士は言葉を続ける。
「さぁ、乗ってください。モータリアさんもお待ちですよ」
「……ボ――私っすか?」
「勿論です。ジオ殿、依頼人は私が連れて行きますからね」
もっと置き去りにされていたカンナは、思わず言い淀む。これから夕方にあるレシピコンテストに応募することは、既に師匠には伝えていたのだが。
「やっぱりそうだよな。あんたに任せたぞ」
「ん? 何を言ってるんすか?」
さっぱりわからない。だが、あれよあれよと言っている間に、カンナは馬上へと引き上げられていた。
「……おかしいですね。モータリアさんからは、貴女が王国料理コンテストに出ると伺っていますよ?」
「へー、私が。あの栄えある料理人のコンテンストに」
他人事のように呟いてみたが、全くの初耳だ。王国料理コンテストと言えば、ヴァリスナードが主催する、その名の通りの王国一番を競うコンテストだ。決して、レシピを応募するだけでは済まない。
「カンナさん、健闘を祈ってるぞ」
爽やかな笑みをネギの勇者が浮かべているが、当のカンナはそれどこれではなかった。
「さぁ、飛ばしますよ! 舌を噛まぬよう、口を閉じていてください」
「ちょっと待って欲しいっす! 私はそんな大会に出ないっすよ? ねぇ、聞いてるすか? というか、師匠はバカなんすか? ねぇってば!?」
何事かを溢す料理人をよそに、ジュラスは馬の手綱を握り直した。来た時と同様、人々の注目を浴びながら、馬は通りを駆け抜ける。
「……若干のズレを感じたが、気のせいだろうか」
ヴァリスナードとモータリア、二人のやや強引な姿を思い浮かべ、ジオは喚くカンナを乗せた馬が遠ざかるのを見送った。




